月みたいな少女
和沙さんの言い分に複雑な思いを抱きながら、俺は確認するように尋ねた。
「俺を、からかっている訳ではないのでしょう?」
「当然です。遊びでホテルの最上階を取る趣味は持ってないもの」
そういう問題でも無い。
だがここはスルーして次の疑問をぶつけるべきだ。
「なら俺は、いったい誰と同棲させられると言うんですか」
「大丈夫。疑問はすぐに解けるわ、そろそろ本人が私を迎えに来るでしょうから」
――そう和沙さんが答えた瞬間。
ガチャリ、というドアのロックが外れる音が聞こえた。
それはつまり、何者かがキーを差し込んだと言う事に他ならない。
コチラが驚く間もなく、誰かのカツカツという足音が隣の部屋から響いてくる。
そしてソレは、俺と和沙さんのいるベッドルームへと向かってきた。
「姉様、そろそろパーティーが始まる時間ですわっ」
声だけで上機嫌なのが判るほどの、高いテンション。
――そこに居たのは純白のドレスに身を包んだ、金髪の少女だった。
ランプの明かりに照らされてキラキラと煌めく腰まで伸びた髪、白磁のように細やかな肌にヒラヒラとしたレースのシルクを纏う姿は、等身大の西洋ドールのよう。
『すごい綺麗だ』
と呟く欲望の声に、俺は久しぶりに同意した。
ホテルの最上階、見晴らしの良い夜景が見えるロイヤル・ルーム。
だが、そんな高級な景色は目の前の少女と比べれば見劣るものであった。
夜空に散らばる満天の星々であっても、月の輝きには敵わない。
地上に瞬く人工の夜空も、月の光と同じ色の髪を持つ少女の前では色褪せる。
あぁ、本当に。
こんな綺麗な月を見たのは、生まれて初めてだ。
「……あら。貴方、誰ですの?」
「え?」
「まるで時間が止まったように固まっていたので、よくできた彫刻かと思いましたわ」
まつげの長い眼がコチラを怪しむように、じっと睨みを効かせている。
どうやら、俺が居ることは想定していなかったらしい。
しかし和沙さんを姉と口にした以上、天保院の身内なのは間違いない。
そんな予想をしていると、和沙さんが少し不機嫌そうに口を開いた。
「……亰花。相手を尋ねる前に、まずは自分から名乗りなさい?」
「あうっ、すみません」
窘める口調の和沙さんを前に、女の子はビクッと身体を震わせて謝罪した。
そしてコチラに向き直ると、改めてペコリと頭を下げる。
「失礼しました、わたくし和沙姉様の妹です。名前を天保院 亰花と言いますわ」
天保院 亰花。
ソレが目の前の女性の名前なのか。
心の中で何度も相手の名前を反芻しながら、コチラも立ち上がり自己紹介を行う。
「初めまして、俺の名前は馬波 絶夜と言います」
そう言いながら、俺はケースから名刺を取り出す。
二度目の経験の成果か、何の躊躇もなく渡す事が出来た。
「……馬波、絶夜さん?」
どことなく不安そうな声が、安堵していた俺の耳に届く。
その顔を見ると、受け取った名刺を持ったまま、ぎこちなく首を傾げている。
「これってもしかして、夜を絶つという意味を持つのかしら?」
……俺は思わず息を呑んだ。
驚いた、この早さで名前の意味を当てた人は初めてだ。
大抵は俺の名前を見たとき、名前の意味を考える前に笑ってしまうのに。
「凄いですね、最速の正解です」
「そ、そうなの?」
「いつもなら名前の意味よりも、読み方を気にするんですよ。しかも何のヒントも無しに意味を読み解いたのは、俺の人生の中で貴方が初めてです」
「ふ、ふーん。これぐらい当然の事なので、褒められても困りますわ」
そう言いつつも、照れているのか顔が赤くなっている。
自分でも自覚しているのだろう、不本意だとばかりに腕を組んでツンと横を向く。
しかしすぐさま、チラリと視線をコチラに送ってきた。
「……べつに正解したからと言う訳ではありませんが、貴方のことは絶夜さんと呼んでもよろしいかしら?」
「もちろんです」
この人は好奇心や偏見で、俺の名前を言う事は無いだろう。
何故かは判らないが、そんな根拠のない自信が胸の中に広がる。
「そう。なら、わたくしのことも亰花と呼んで構いませんわ」
「わかりました、亰花さん」
「……さん付けですの?」
「まぁ初対面ですし、仕事関係の方ですから」
「そう、まぁ良いですわ。わたくしも人のことは言えませんし」
不思議だ。
自分でも珍しいと思うほど、サクサクと会話が進む。
……この人とは、偽ることなく仲良くなれると確信している。
そんな感想を抱いていると、和沙さんが口を開いた。
どうやら、コチラの様子を見計らっていたらしい。
「さっそく仲良くなって良かったわね、亰花」
「はい、和沙姉様」
口元をVの字にしてニッコリ笑う亰花さん。
月のような華やかさからは一転、まるで太陽みたいな笑顔だ。
部屋の雰囲気まで明るくなったと感じるほどの、天真爛漫っぷりである。
そして、そんな妹の表情を嬉しそうに見ながら和沙さんは言葉を続けた。
「相性も悪くなさそうだし、これなら共同生活も問題なさそうね」
ポイッと。
一連の会話の中に、何の遠慮もなく爆弾発言を放り投げてくる。
――忘れていた。
自分を迎えに来る人物が、俺との同棲相手だと和沙さんは言っていた。
そして実際に、和沙さんは亰花さんに共同生活について口に出している。
これが何を意味するかなど、誰だって判る話だ。
……ただ一人を除いて。
「姉様。それは、どういう意味なのかしら?」
きょとんとした顔をしながら、亰花さんは尋ねている。
……やはり俺と同様に、同居の話を聞いていなかったのだ。
「おめでとう亰花。貴方は一ヶ月間、絶夜くんと一緒に暮らすことになったの」
「ちょっと待ってください、同棲って一ヶ月間だけだったんですか?」
「えぇ、そうよ」
……一ヶ月だったのか、それなら何とか。
――って、いやいや。
そういう問題でも無い。
しかし、もはや和沙さんにとっては決定事項なのだろう。
パチパチと拍手しながら笑顔で妹を祝福している。
「父様も説得済みだから安心なさい。そしてしっかりと学ぶのよ、亰花」
いったい、何を学ぶというのか。
何の説明も無いまま、和沙さんは親指を立てた。
それを見た亰花さんは、目を丸くした後、深呼吸をしてこう言った。
「えぇ、バッチリ了解しましたわ」
……なん、だと?