シリアスが似合わない男
「ただいま」
そう言ってドアを開けると、玄関の前には同居人が立っていた。
「えぇ、おかえりなさい。絶夜」
俺の帰りを待っていたのか、満面の笑みでの出迎えだ。
……その柔らかい表情を見るだけで、心が癒やされる。
帰宅した時、誰かが労ってくれるというのは、一人暮らしでは決して得られなかった嬉しい経験である。
そのことを教えてくれたのは他ならぬ亰花だ。
だからこそ、きちんと言わなければいけない事がある。
――でも、まずは。
「ケーキを買ってきた。そこそこ良い物らしいぞ、コレ」
「まぁ、これって駅前で話題のヤツですわ。今日は何かのお祝いかしら?」
ご馳走を見つけた子犬のように駆け寄って、亰花は瞳を輝かせている。
「その逆だ。今日は、お前に詫びなきゃならない事がある」
「……あらまぁ。なにか悪事にでも、手を染めましたの?」
上目遣いで冗談っぽく言いながら、俺から袋を受け取る亰花。
すでに興味はショートケーキに移動しているが、次の言葉でソレも変わるだろう。
「実家に戻ってくれないか、亰花」
リビングに向かい始めていた亰花の身体が、ピタリと止まった。
再びコチラを向いたその表情は、予想外の澄まし顔だ。
「……まだ約束の期限ではありませんわよ?」
「和沙さんには話を付けてある。だから、すぐにでも実家に戻れるんだよ」
「そう、嫌ですわ」
あっさりと拒否された。
けれど軽い気持ちで言い放った訳ではないだろう。
何しろケーキの袋を持つ亰花の指先が、力を込めすぎて真っ白に染まっている。
何かを耐えるような、そんな握り拳を作らなければ出来ないものだ。
……そういえば亰花が感情を抑えるなんて、初めて見た気がする。
「理由も言わずに実家に帰れなんて、倦怠期を迎えた夫婦でさえしない事ですわよ?」
ウインクを投げかけてきそうな明るい声色。
でも亰花の手の平は相変わらず固く閉じたままだった。
その意味を正しく理解はしているが、俺は自分の態度を変えない。
「なら話すが俺は明日、有浦さんを罠に嵌める。それによって有浦さんのスパイ活動は終了する。うまくいけばTCMのレビュー盗作問題も改善するだろう」
「……なんで、そんな事をしますの?」
「復讐だ。有浦さんは欲の為に親父殿の名前を騙った。それだけで十分な理由だ」
「ふぅん。それで?」
「その代償に、まず間違いなく俺とお前の同棲生活も明るみに出るだろう。俺が選んだ罠に嵌める方法は、そうなる可能性が高いからな。その前に帰省した方が安全なんだ」
「絶夜は大袈裟ですわね。正直な話、わたくしは同棲がバレても困りませんわ」
「同棲についてだけじゃない。俺がレビュリストだっていう事も知られるだろう。自分で言うのも何だがTCMのレビュリスト第三位っていうのは、地方限定でタレント性が発揮されるんだよ。少なくとも学校で騒がれるのは間違いない」
「だとしても、わたくしの意見は変わりませんわ。いっそ、自分で言いふらしても構わないくらいですもの」
「バカを言うなよ。不安材料は少ない方が良いし、どうせ同棲生活は残り僅かで終わるんだ。ソレが早めにやってきただけじゃないか」
「……そういう言い方、嫌ですわ。だから絶夜の言い分を認める気にはなりません」
「あのな。そんな子供みたいな事を言うなよ」
「――うるさいですわ、バカッ」
「え?」
「もう、やっぱり絶夜は朴念仁ですわ。ばかばかばか、バカ絶夜っ」
悲痛な叫びが玄関に響き渡る。
それは初めて聞いた、亰花の罵倒だった。
「ねぇ絶夜、わたくしにだって悲しい気持ちや辛いと思う感情はありますのよ。それなのに絶夜も姉様も自分の事ばかり押し付けてきて、一体いつになったら、わたくしの都合を考えてくれるのかしら、なんて思っていましたが我慢も限界ですわっ」
そう言ってコチラを向いた亰花の顔は、――泣いていた。
初めて見た。
そして、そんな顔をするとは夢にも思わなかった。
だって、いつだって亰花は笑っていたし、どんなに状況が悪くなっていても、平然としていたのに。
「随分と驚いている顔ですこと。わたくしが泣いているのが、そんなに意外ですの?」
涙目の表情で俺を睨み付ける亰花。
本人には悪いが、似合ってないと思う。
こんな顔を向けられても、未だに怒られた実感が沸かない。
……なのに俺は顔を逸らしていた。
「正直、亰花はもっと脳天気な性格だと思ってた。だから確かに意外だ、お前が泣くほど嫌がるなんて、思いもしなかった」
「ソレについては、わたくしだって驚いています。まさか泣きたくなるほど貴方との生活を気に入ってしまうなんて。でも、いつもみたいに人の言うことに従って、この生活を終わらせるなんて一生後悔しますわ。それは絶対に、嫌なんですもの」
「そうは言っても、同棲生活は残り十日くらいなんだぞ」
「残り僅かだからこそ、一緒に過ごしたいという気持ちが絶夜には無いのかしら?」
「…………」
――無い訳が、ない。
たった三週間であっても、亰花と過ごす日々は楽しかった。
もっとふたりで過ごせるならば、という未練。
それは今だって俺に付きまとっている。
「その沈黙、脈有りと言うことで良いのでしょう?」
勝ち誇るように胸を張る亰花。
見てるコッチまで釣られてしまう程の喜びようだ。
……だからこそ。
俺はこの安穏が壊れる前に、自分の手で終わらせたいのに。
親父殿に止められたが、俺はレビューを使った情報拡散を、まだ諦めていない。
だがそれは、ココまでの事情を一切合切、世間に公表すると言う事だ。
話題になるって言うのは良い事だけじゃない、悪意から来るものだってあるのだ。
そういうモノの性で幸せな今を、幸せだったねと懐かしむ思い出にはしたくない。
「一応、言っておくが俺だって迷ったさ。有浦さんへの復讐と、今の生活を天秤にかけてどちらが大事なのか考えたよ。俺の我が侭で決めた事は、否定しないけどな」
「なら、わたくしの意見も尊重した上で、わたくしと絶夜のお父様、どちらを大事にしているのかハッキリして欲しいですわ」
「どっちも大事に決まってる」
「そんな優柔不断は駄目ですわ。わたくしの方が大事と言いなさい」
「……そんな告白みたいな真似、恥ずかしくて出来る訳がないだろう」
「あら。真顔で復讐したいなんて言葉を使う人だって、充分に恥ずかしいですわ」
「むっ」
さすがにカチンと来た。
さっきのお返しとばかりに亰花を睨み付ける。
――だが亰花は俺と違った。
一切、怯みもせずに笑顔を向けてきたのだ。
「わたくしは世間に色眼鏡で見られる事より、貴方との生活を愛していますわ」
ニッコリ、と。
太陽よりも眩しい黄金の笑顔を俺に向けてくる。
さっきまで泣いていたくせに、俺との生活を愛していると言い放ったその表情は、実に嬉しそうだった。
「……お前は不安を感じないのか」
「まったく、ありませんわ」
間髪入れずの返事。
いっそ清々しい断言だった。
「もう三週間近く貴方と過ごしていますけど、困った事はあっても、嫌な目に遭ったことはありませんもの。だから、心配だってしてませんわ。……それに貴方の名前は、そんな苦難を絶つ、という意味なのでしょう?」
――まさか。
ここで、俺の名前の由来を持ち出してくるとは思わなかった。
しかも何故だろう。
あまり好きじゃなかった名前の意味が、こんなに嬉しく思える。
「……そんな単純な理由で不安がないって言い切るのか、亰花」
「えぇ。わたくし、ソレを信じてますわ。絶夜」
亰花の真っ直ぐな視線が俺を貫いた。
だからその感情も、ストレートに伝わってくる。
不安もなければ、嘘もない。
それが本当の真心からの言葉だという事が、痛いほど胸に響く。
……やっぱり亰花は馬鹿だ。
将来を考えないで今を大事にするなんて、人生設計を間違えているのも程がある。
けれど、どうやら俺も人の性格を悪く言えないみたいだ。
「……参ったな。まったく勝てそうにないよ、亰花には」
同居人にここまで言われてしまっては、実家に帰れと言えるはずもない。
だって俺を信じると言ってくれる亰花の気持ちを、俺が信じない訳にはいかない。
……だから覚悟を決めた、俺がこのまま亰花を守るのだ。
もちろん復讐という形ではなく、もっと幸福になれる方法で。
『じゃあ有言実行できなかった場合は、責任を身体で払うべきだな』
という欲望の声を聞きながら、俺はようやく余裕が出てきた事を自覚した。
――あぁ。
やっぱり俺には、シリアスなんて似合わないようだ。
「さて、これで話は済みましたわね。ではケーキを食べましょう、絶夜。話題になるくらいですもの。きっと、いつもより美味しいですわ」
「あぁ」
ご機嫌な様子で廊下を進む亰花に続いて歩きながら、俺は想像する。
今から食べるケーキは、いつもより甘酸っぱい味に違いない、と。




