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秘密を漏らした犯人は

 ――三百万円。

 

 その金額の大きさに俺は絶句する。

 いくらなんでも法外すぎる値段だった。

 もちろん一括で支払うハメになるだろう。

 だが三百万はさすがに厳しい。

 予想していた額の三倍じゃないか。


「おっと。用意できないという話は聞かないよ、と彼は言っていたね」

 

 コチラを牽制(けんせい)する為だろう。

 有浦さんは()(つぎ)(ばや)に言葉を続ける。


「だって、あのマンションの金は君が出しているって話だし。そのくらいの金は、あるんだよね?」

「……そんな話、誰から聞いたんですか。まさか企業スパイが、詳細な個人情報まで入手していたとでも?」

「もちろん君のお父さんから聞いた、と彼は言っていたね」

「――――」

 

 心臓が、鎖で締め付けられるように苦しい。

 俺が聞きたくなかった言葉を、有浦さんはあっさりと口に出す。

 つまりこの状況は、親父殿が口を滑らせたのが原因だと?


「レビュー・ランキング、三位なんだっけ。凄いよね、噂では十位以内って年収一千万を超えるんだろう?」

「超えないです」


 大手通販サイトで活躍するレビュリストが、アフィリエイトとタレント業をこなせば可能だろうが。


「そんなホラ話を父が教えたんですか?」

「ボクはそう聞いている。それだけ彼は、馬波部長に信用されていると言っていた」

「……父はたとえ部下であっても、俺の秘密をぺらぺらと口にする人じゃない」

「知ってるよ。実際、ボクも機密情報なんて教えて貰った記憶が無いからね。ただ、身近な共犯者である彼は例外だったんだってさ」

 

 ――そんな戯れ言を耳に入れながら。

 俺はいい加減、我慢の限界を悟った。

 何もかも一切合切、ちゃぶ台返しをしてやろうとさえ思う。

 親父殿が悪事を働くどころか、息子の秘密をスパイに打ち明ける?


「……なら今から、それを確かめても良いですか」

 

 そう言って携帯電話を取りだした。

 場合によっては、俺は親父殿を問い詰めなければならない。

 まぁ、それで全てが破滅しても構わないくらいには怒っているのだ。

 破れかぶれの自暴自棄とも言う。

 ……そんな俺を止めに入ったのは、必死な様子の有浦さんだった。


「いやいや。それには及ばないよ。ここで喧嘩されたら周りに迷惑だしさ」

「どうせ、いつか判ることなら早いほうが良いです」

「困ったなぁ。これでもまだ信用できないって言うのなら、君の名前の由来を教えて貰ったことまで話そうか?」

「えっ」

「たしかそう、()えずやってくる夜を(なげ)いてつけた名前、なんだよね?」

「――――」

 

 一瞬で出来た空白の感情。

 怒りさえ忘れて、違いますけど、とは言わなかった。

 何故なら、有浦さんにバレる訳にはいかなかったからだ。

 

 ()えずやってくる夜を(なげ)く。

 

 その由来は、母さんが夫婦げんかの時に使う嫌味なのである。

 絶対に親父殿が言う事はないし、ましてや他人に聞かせる筈もない。

 ……では何故、そんな話を知っているのか。

 それを考えた時、思い当たる人物は一人しか居ない。

 

 それは母さんだ。

 

 有浦さんの情報元は、母さんだったのだ。

 思い返してみれば有浦さんは俺の家に何度も訪問している。

 つまり母さんとも面識がある。

 それに有浦さんがスパイだとは、夢にも思っていないだろう。

 なら世間話の一環として、息子の話をしたとしても不思議ではない。

 

 ……だからと言って、夫婦喧嘩の嫌味さえ教えているのは問題だけど。

 だがなんにせよ、親父殿は無実だったのだ。

 そう思い至った瞬間、心の苦しさが一気に解放された。

 本当に、良かった。

 電話で問い詰める必要は、これで無くなった。

 その事実に安堵(あんど)した俺は、大人しく携帯を仕舞い込む。


「ふぅ、納得して貰えたみたいだね。ボクが言うのも何だけど、あまり親に迷惑をかけるんじゃないよ。絶夜くん」


 なにか勘違いしている有浦さんが上から目線で言っている。

 だが、興味が湧かない。

 ――それよりも俺は、この人に復讐したいと思った。

 もちろん、脅されている事もある。

 だが、何より身内が利用されていることに耐えられないのだ。


 家族を盾に、悪事を成そうとする人を許すほど、俺は善人ではない。

 

 そう考えながら奥歯を噛みしめる。

 そんな俺の表情を見て、有浦さんは口を開いた。


「もしかしてあれかな、買い取り金額に動揺したのかい?」

「……えぇ、今すぐに用意できる金額でもありませんし」

 

 もちろん嘘だ。

 ただ、怒りに任せて取り引きを台無しにする訳にはいかない。

 相手が油断しきっている今、むしろこれはチャンスなのだから。


 だってこの状況は、和沙さんが望んでいたシチュエーションだ。


 取引現場を押さえて企業スパイを一網打尽にする事は叶わなかった。

 けど、このままいけば恐喝犯として有浦さんを裁くことが出来る。

 和沙さんに相談すれば、間違いなく協力してくれるだろう。

 まるで綿飴が出来るように計画が膨らんでいく。

 けれど俺は押し黙る。

 わざと不満そうな顔を有浦さんに見せつける事にした。

 今はまだ、無力な学生を装わなければならない。

 あぁ、無力な少年の立場を演じておこうじゃないか。

 ……そうすれば、ほら。 


「そこは安心してよ、彼も鬼じゃないらしい。そろそろ銀行も閉まる時間だしね。そうだな、明日の夕方まで待つくらい出来るってさ」


 と、悪人が笑いかけてくれる。

 それにしても、どうやら三百万という金額に変更はないらしい。

 別に支払えない金額ではないが、高校生相手に大人げない人だ。

 でもだからこそ、こうやって簡単に尻尾を出してくれたのか。

 ……まぁ、どちらでも良い。

 重要なのは有浦さんの悪事の証拠を掴むことだ。

 その為には、取り引きを成立させる必要がある。


「……判りました、明日までに三百万は用意します」


 小さく呟き顔を俯ける。

 断腸の思いで決断したかのように演技する。

 客観的に見れば完全な敗北者だ。

 これ以上は無い惨めさだ。

 ――だというのに、有浦さんは追い打ちをかけてきた。 


「もちろん、振り込みじゃなくて現金で持ってきてよね」

「……何を考えているんですか。今の時代、現金で受け渡すなんて物騒にも程がある」

「まぁ、そうだけど。これは君の為でもあるんだよ。振り込みを確認した後、彼が本当に証拠の全てを渡すとは限らないだろう?」


 ……言われて初めて、そういう可能性も在るのかと思い知らされた。

 改めて油断できない人だと認識する。

 やはり有浦さんは、こういう駆け引きに慣れているのだ。

 ゆえに絶対に油断しない。

 表面上は、不安に脅える少年であるべきだ。


「……やめてくださいよ。そういう揺さぶり方、嫌いです」

「やだなぁ。ボクは親切心で注意したんだよ。まぁ、おそらく彼は出来るだけ記録に残らない現金が欲しいって気持ちなんだろうね」

「じゃあ有浦さんは、俺に札束を持って歩けって言うんですか」

「逆に言えば現金を持参するだけで全てが解決するんだ。余計なお世話だろうけど、仕事に私情は挟まない方が良いとボクは思うね」

「…………」

 

 俺は憮然(ぶぜん)とした態度で有浦さんを睨み付ける。

 しかし、心の中は裏腹だ。

 ――仕事に私情を挟まない。

 その有浦さんの主張は、俺にも判る理屈なのである。

 スパイとしての有浦さんは自分の利益の為に、平気で高校生を脅す。

 そのことに共感はできないし、憧れもしない。

 だが、有浦さんが仕事(ビジネス)に忠実なのは判ってしまう。

 もちろん理解しても、納得していないから許せないのだけれど。

 でも、こういう大人も居るのだと言う事はきちんと学習して、覚えておこうとは思った。


「じゃあ、明日持ってきますよ、三百万。取り引き場所は此処で良いんですか?」

「そうだね。あと、この取引の内容は他の人には秘密だよ?」

「念を押さなくても、判っていますよ」

「そうかい、それは良かった。君が黙ってお金を渡せば、スパイだった彼も大人しくなるよ。ボクも不安が消えるし、部長も社長のお嬢さんも安心できる筈さ」

「……最低な大人だ、貴方は」


 ――そう口に出した瞬間、しまったと口を押さえた。

無意識に漏れた俺の本音。

 ともすれば、それだけでこの取り引きが破算するほどの失言だ。

 嘘と嘘で交わし合った、紙よりも薄い契約なのに。

 けれど有浦さんは、ソレをあざ笑いながら席を立った。 


「ははっ、ボクみたいなヤツを最低な大人と認定するなんて、随分と幸せな人生を歩んでいるんだねぇ絶夜くん」


 そう言って、有浦さんは店を出た。

 どうやら、見逃してくれたらしい。

 ソレを確認しながら、俺はテーブルに残されたレシートに目を移す。

 結局、有浦さんは伝票を置いていったままであった。

 それとも、これが見逃した代金のつもりなのだろうか。

 まぁ、別に構わないだろう。

 有浦さんにとって、これが最後の晩餐(ばんさん)になるかも知れないのだ。

 ――少なくとも、そうなるように仕掛けていくのだ。

 この、俺が。

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