300万だよ
――カランコロン、と。
喫茶店の開き戸を鳴らすと、冷房の効いた空気が吹き抜ける。
いらっしゃいませー、と言うウェイトレス。
その挨拶を受けながら、有浦さんの居る席を探す為に店内を見回す。
……といっても、あっさりと発見することに成功した。
店内の最奥。
日当たりの良い道路沿いに位置した席で、スーツ姿の有浦さんがコチラに向けって手を振っている。
近付くと、テーブルの上にハンバーグとサラダボウルを見つけた。
「やぁ、絶夜くん。呼び付けて悪かったね」
忌憚のない声だった。
ともすれば、友人と再会でもしたかのような明るさだ。
「君とは、ゆっくりと話したかったんだよ」
「……そうですか」
「ここは僕の奢りだから、好きな物を頼んでくれて良いよ」
「いえ、結構です」
ソレには応えず有浦さんの対面に座る。
正直な話、長居する気は無いのだ。
……まぁ。
とはいえ、何も注文しないというのも気が引ける。
格好は付かないが、メニュー表を眺めざるを得ない。
品物を吟味して、俺はテーブルに設置された呼び鈴を押す。
「――すみません。ピザトーストと、レモンスカッシュをお願いします」
……さて。
注文を受けた店員が伝票を置いて去っていく。
それを見届けると、俺はさっそく有浦さんに尋ねることにした。
「結局のところ、さっきの電話は何だったんですか?」
「いやだな、絶夜くん。そう急かさずとも良いじゃないか。僕達は、お互いに理解し合う関係を作るべきだと思わないかい?」
そんな白々(しらじら)しいことを言いながら、有浦さんはハンバーグを細かく切り分けている。
その様子は、客観的に見て楽しそうだった。
「……食事の邪魔をする気はありませんが、話し合いが滞るのは困ります」
「やれやれ判ったよ。じゃあ、コレを一口たべたらキチンと喋るから」
有浦さんは飄々(ひょうひょう)とした態度で答えながら、ハンバーグをひょいっと口に含んだ。
……判らない。
この人は一体、何を考えているのだろうか。
警戒をする余り、相手の出方を窺う羽目になっている。
その自覚はあるが、それでも俺は会話の主導権を譲らざるを得ない。
「……うん。やっぱり美味いね、コレ。注文して正解だったよ」
「満足して頂けましたか。なら早く本題に移らせてください」
「判ってるって。簡潔に言えばさ、君と取り引きがしたくて呼んだんだ」
――やはり、か。
想像通りの展開に、俺の気持ちは鉛のように沈んだ。
一方、有浦さんは開き直ったらしい。
嬉々とした表情で、ソファーにあった代物を差し出してきた。
見れば、大学ノートがすっぽりと収まる茶封筒だ。
「まぁ確認してくれれば、すぐに理解できるよ」
言われるまでもない。
俺は有浦さんから封筒を受け取ると、すぐに中身を開いた。
……そして。
あぁなるほど、と心の中で合点する。
そこにあったのは、俺と亰花がデートをしている写真の数々だった。
手を握って散策している所や、一緒にベンチで休憩している姿が、鮮明に映り込んでいる。
こんな状況でなければ、譲って欲しいと頼みたいくらいに良い写真だ。
「これは盗撮ですよね」
「人聞きが悪いなぁ、誰が聞いてるか判らないのに、そういう言葉は使わないでよ」
「…………」
「それにこれはボクが撮った訳じゃない。とある企業スパイが、ボクに持ち込んだ物なんだからね」
「その企業スパイって誰なんですか?」
「悪いけど、そこは秘密だよ。ただ言えることは、馬波部長の部下であり、ボクの同僚ってことだけ」
……という設定できたのか。
白々しい言い草だが、今は大人しく話を聞いた方が良いだろう。
「話の続きをお願いします」
「うん。冷静に聞いてくれて嬉しいよ。何しろ、ここはファミレスだからね。ボクも周囲に気を付けながら、言葉を選んでいるんだよ?」
そう言いながら有浦さんは目配せすると、にやりと口元を釣り上げた。
……狡猾な人だ。
俺が強く追求できないように、人気の多い場所を選んだのだろう。
たとえば俺が怒りにまかせて掴み掛かれば、その時点で有浦さんは被害者を装える。
――高校生が、いきなり会社員を襲ったように見えた。
ここに居る目撃者達が、そう証言してくれるだろう。
それに気付いてしまえば、コチラとしても慎重にならざるを得ない。
この場所は、有浦さんにとって城壁にも等しい安全地帯なのだ。
「それでコレを見せて、貴方は俺に何を望むんですか」
「じゃあ単刀直入に言おうか」
「……」
「この写真とデータ、君が買い取ってくれないかい?」
「本気で、言っているんですか」
「だってバレたら不味そうじゃない?」
――TCM幹部の息子が、御令嬢と同棲しているなんてさ。
と、耳元で囁かれた。
ゾクリ、と背筋に寒気が走る。
気持ち悪い、と反抗しながら睨み付けて、驚愕する。
有浦さんは、まるで三日月のような口で笑っていたのだ。
「いやボクもさ、最初これを見たときは驚いたよ」
「何がですか」
「だって君の家に行ったときは春日居って子しか居なかったじゃないか。けど、あの時も社長の娘さんと同棲していたんだって?」
「……あの時は事実を隠す必要がありましたから。実際、こうやって脅す人が現れたりするし、仕方なかったんです」
「まんまと騙されちゃったなぁ。個人的に言えば、すごく悲しいよ」
嘘だ。
もし蛇が笑うとするならば、こんな顔に違いないと錯覚する程である。
……有浦さんは、格好の餌を見つけたように喜んでいるのだ。
別名、大人の余裕というやつだろう。
俺という存在が、まさに子供扱いされている。
それが悔しくないと言えば嘘になる。
だが俺も、気持ちで負けるつもりはない。
「それで。この写真を買い取らないと、世間に公表するんですか」
「そう彼は言っていたね。金が入らないなら、せめて恥を与えると口にしていた」
「そうですか。なら、企業スパイはかなり焦っているんですね」
「……どうして、そう思うんだい?」
「普通に考えて写真を買い取って貰いたいのなら、俺じゃなくて父や社長に言う方が自然だからですよ」
「ふーん?」
「そっちの方が、どう考えても金になる」
「まぁね」
「ソレをしないというなら、何か重大な問題をスパイの方が抱えているって事になりませんか。たとえば会社にはバレたくない、とか」
「……確かにね。けれどソレは止めた方が良い。もしバレた場合、部長も巻き込むことになるよ」
「どういう意味ですか」
「大きな声じゃ言えないけど。スパイ行為だけじゃなくて、最近のレビュー盗作も馬波部長の指示で行われていたって彼は言っているんだよ」
「馬鹿らしい嘘だ」
静かに、けれどもハッキリ聞こえるように呟く。
それを、有浦さんは涼しい顔で平然と受け流した。
「うん、そういう意見も出るだろうね。ただ、嘘でも本当でも彼にとってはどっちでも良いんだよ」
「……どっちでも、良い?」
「うん。そういう疑惑を会社に持たせておけば、それだけで部長の立場は危うくなるからね」
そこで言葉を切ると、有浦さんは実に憎らしい笑みを浮かべた。
完全な悪人面で、唄うように呟く。
「あぁ、また馬波部長は失態を犯したのかって」
「……」
「嘘でも良い。そういう失望する声が、会社の中に少し出てくるだけ良いんだ。それだけで、馬波部長の立場は悪くなる」
この人、最悪だ。
「……失態ですか」
「うん、そうだよ」
「それはレビュー盗作についての話ですか。それとも父の部下たちが、一斉にリピート・ワンへ就職したことを言っているんですか?」
「両方さ。部下の身勝手であっても、会社にとって損失だったんだ。上司に厳しい目が行くのは当然だ」
「…………」
「前回は許されたけど、果たして今回はどうなんだろうね?」
「スパイの話が本当なら罰せられるのは当然で、嘘であっても部下の犯した罪の責任を取らせられると?」
「そうならない為にも、会社に通告するのは止めた方が良いと思うよ。ボクとしても同僚と上司が同時にいなくなるのは、寂しいからね」
完全な脅迫だ。
そして腹の立つことに、俺には効果抜群の殺し文句でもある。
俺個人に不幸が降りかかるよと言われた方が、百倍もマシだった。
そんな言葉だったら、躊躇もなく有浦さんを敵と認識していたのに。
「……有浦さんに安心してくれというのも変かも知れませんが」
「うん?」
「密告するなら、もうとっくにしていますよ」
「ほう」
「逆に言えば、俺も言うに言えない事情があるという事です」
「うん、やっぱり絶夜くんは親思いの子なんだね」
「…………」
「それとも、同棲について知られるのは困るって事なのかな?」
そう言って有浦さんは満足そうに微笑んだ。
おそらく、自分の悪事が上手く進んでいることを喜んでいるのだ。
対してコチラは、完全に弱みを握られて押し黙る他ない。
情けない話だ。
だが今の俺に、有浦さんをどうにかする手立ては皆無なのである。
「これでお互いに、親しい者の罪に目を瞑るっていう共犯者になったね」
「……少なくとも親父殿がスパイだなんて証拠は、ありませんけど」
「判っているさ」
「ボクだってスパイの同僚より馬波部長を心配して、交渉役を引き受けているんだから」
「…………」
「そういう意味では、絶夜くんの味方だ」
「それは、心強いですね」
もちろん皮肉だ。
「あははは。君に頼られるなんて、こんな状況じゃなかったら素直に嬉しいのに」
乾いた笑い声。
有浦さんの目は笑っていない。
無論、俺もだ。
では険悪な雰囲気なのかと言えば、ギリギリそうではない。
どちらかが『嘘ですよね』と口にすれば、この場は破綻する。
それくらい、お互いに信用できていない会談だ。
それでも続いている理由は一つ。
俺も有浦さんも、取り引きを成立させたがっているからに他ならない。
「……ちなみに、いくらで買い取って欲しいんですか?」
そう言って、交渉に乗る意思がある事を有浦さんに示す。
有浦さんは勢い良く身を乗り出すと、コチラに指を三つ立ててきた。
「まぁ、これくらいかな」
「……三万円ですか?」
「はは、まさか」
「三千円?」
「絶夜くん、冗談は止してよ」
「……じゃあ」
「三百万だよ」
「――――」
俺の言葉を遮り、有浦さんの言い放った内容は余りにも衝撃的だった。
だが本人は、当然であるかのような顔で再びをソレを口にする。
「三百万、だよ?」




