作戦失敗
用を成さない携帯電話を見つめながら、俺は立ち尽くしていた。
「……あっ」
ポケットに携帯電話を仕舞うつもりが、地面に落としてしまう。
どうやら、自分が思っている以上に動揺しているようだ。
だがそれも仕方ない。
「……TCMの、第三位だと?」
ソレは間違いなく、俺のレビュリスト・ランキングを意味している。
だがソレを知っているものは数少ない。
俺の家族か、和沙さんだけの筈だ。
だというのに、俺の情報が有浦さんに漏れている。
偶然で知ることの出来る話では無い。
絶対に誰かが有浦さんに漏らしているのだ。
だが、そんな人間が俺の周りに居るはずがない。
「いったいどういう状況なんだ、これは」
すぐさま事実確認を行うべく俺は携帯電話を拾う。
……よし。そうだな、まず連絡するのは親父殿にしよう。
有浦さんの言っている事は気になるが、確認してしまえば話は早い。
――そう思って、かけようとした指が止まる。
ガチリ、と。
どう力を込めても、鎖で繋ぎ止められたように人差し指が動かない。
……正直、怖いのだと思う。
俺は親父殿を信じているし、頼りにしているのは真実だ。
だが、俺は知っている。
いくら信じていたって『俺が信用してる事が、いつだって正しい』とは限らない。
信頼が裏切られたらと思うだけで、それだけで死にたくなる。
もし、万が一、実は、という疑念がボタンを押す気持ちを潰していく。
「くそっ」
悪態を吐きながら、俺は代わりに和沙さんへ電話をかける事にした。
――業腹だが、ついでに件の喫茶店へと進路を変える。
早歩きで道路を駆けながら、俺は和沙さんに連絡した。
もしかしたら、和沙さんだって何一つ知らない可能性は在る。
それならそれで、この異常事態を報告すべき事には変わりない。
数秒のコールを経て、電話が繋がる。
その事を確認し、俺は早速とばかりに和沙さんに声をかけた。
「もしもし、絶夜です。じつは有浦さんについて、聞きたい事があるんですけど」
「…………」
「和沙さん?」
「…………」
沈黙が続く。
電話は繋がっている。
和沙さんの息遣いだって感じるのだから、相手も聞こえない筈が無い。
「どうか、したんですか?」
「……ごめんなさい、絶夜くん」
――それが、あの和沙さんの第一声だった。
しかも自信に満ちて張りのあった声が、まるで重病を患ったかのように弱々しい。
……それだけで、心臓がノコギリで刻まれるような痛みに襲われる。
嫌な予感に襲われながら、それでも俺は次の言葉を待った。
覚悟しながら、待った。
「あの作戦、やっぱり都合が良すぎたみたい」
嬉しくない的中だ。
俺は苦虫を噛んでしまった心情で、和沙さんの言葉を聞く。
事実を伝えようとする和沙さんの声は、真夏だというのに震えていた。
「ついさっき、私の親友から電話があってね」
「親友?」
「……私の情報源よ。それはともかく、ね」
和沙さんの、息を吸い込む音が聞こえてくる。
気持ちを落ち着ける為に、深呼吸をしているのだろう。
きっと、それだけ言いにくい話に違いない。
「同棲生活についてのネタが直接的な取り引きをせずに、有浦の電話から持ち込まれてきたって報告が来たの」
「……取り引きって、二日後じゃなかったんですか」
「急遽、変更されたのよ」
「もしかして、コッチが取り引きの日程を把握していた事に気付いたんですか?」
「判らない。ただ言えることは、もう取引は終わってたって事だけ」
「その、結果は?」
「有浦とリピート・ネットのスパイ契約は打ち切りよ」
「…………」
「アチラの上層部は、貴方たちのプライベートに何の興味も示さなかったわ。あのライバル企業はウチの企画や機密情報を欲していたのであって、個人の生活に関わるゴシップ記事なんて必要としていなかった」
「……そうですか」
ソレは良かった、とは素直に喜べなかった。
あの作戦は、リピート・ネットが俺と亰花に興味を示す事が重要だった訳ではない。
企業と有浦さんが、裏で繋がっている現場を取り押さえる事。
それが出来なければ、何の意味も成さないのだ。
そして出来なかった時点で、和沙さんの作戦は失敗だ。
結果で言えば、有浦さんは首の皮が一枚繋がった状態。
リピート・ネットに至っては、勝ち逃げ状態である。
「絶夜くんも察している通り、私は賭けに負けたわ。有浦はともかく、これでリピート・ネットの弱みを握る希望は潰えてしまったんだもの」
敗北を宣言しながら、和沙さんは自嘲気味に言葉を続ける。
「妹の生活を壊してまで作り出したチャンスなのに、こんなにアッサリと無駄になるとは思わなかったわ。えぇ、貴方の言う通り、私は妄想に取り憑かれていたのよ」
「…………」
「やっぱり私、父さんに言われたように無能だったみたい」
「え?」
「貴方は知らない話だけど、情報調査室なんて本当はタダのお飾りの役職なの。地位をくれてやるから、そこで大人しくしてろって父さんが私の為に用意した物なんだから」
「…………」
なるほど。
確かに知らなかったし、知りたくもなかった話である。
新発見と言えば、和沙さんがわりと根暗っぽい性格なのも驚きだ。
このまま放っておけば、延々と愚痴を聞かされそうな雰囲気がある。
おかげで、さっきあった有浦さんとの電話について尋ねにくい。
……だが背に腹は代えられまい。
天秤にかけるまでもない。
和沙さんの愚痴より、俺の用件の方が重要に決まっている。
何より有浦さんとの待ち合わせまで、時間もないのだ。
「……和沙さん」
「なに?」
「有浦さんが、俺に話を持ち掛けてきている事は知っていますか?」
「え?」
「先程、先日のデートについて話し合いたいって、言ってきたんですよ」
「なに、それ」
やはり知らないか。
つまり有浦さん以外の人間にとって、想定外の出来事と言う事になる。
ますます気が滅入る事態に陥ったという訳だ。
「なんで有浦が絶夜くんと話し合いをしようとするの? そんなの自分がデートを監視していたって言ってるようなものじゃないッ」
……慌てる和沙さん。
その声を聞いて、逆に自分が冷静になっていくのを自覚する。
他人のふりを見て我がふりを直せ、というやつだろうか。
混乱しても何の利益もない。
そう思いながら目を瞑って、頭の中を整理する。
再び目を開いた頃には、落ち着いた口調で話すことが出来ていた。
「そうですね。多分、言外にそう伝えてきているんだと思います」
「……ちょっと待って、絶夜くん。有浦は、どこに居るの? 今から私も行くから教えて頂戴」
「すみませんが、お断りします」
「どうしてっ」
「俺としても嬉しくありませんが、有浦さんは二人っきりで話し合いたいそうなので」
「……そんな。そこまで警戒されているって言うの?」
絶望したような様子で呟くそう和沙さん。
作戦が失敗したどころか、有浦さんに出し抜かれたと思っているのかも知れない。
けど、その点については安心して欲しい。
「多分、有浦さんは和沙さんが動いている事については、知らないと思います」
「気休めはやめてよ、絶夜くん。何でそんなことを、ハッキリ言えるの?」
「もしくはTCMが疑っていることを知っていても、平気なんでしょうね」
「なによそれ。有浦には、まだ後ろ盾があるって言うつもり?」
……そういう可能性はゼロじゃない。
そして後ろ盾の心当たりもあるけど、今は黙っておきたい。
――それよりも。
「もし有浦さんがTCMに疑われている事を警戒していたら、不用意に電話をかけてくるリスクを冒すはずがない」
「その理屈なら、有浦が絶夜くんに電話する方が変じゃない。それこそ無益よ」
「利益ならありますよ。レビュリストという立場で築きあげてきた、俺の資産が」
「資産って、そんな。まさか」
「有浦さんは、お金目当てで俺を個人的に脅しているんだと思います」
「――――」
和沙さんが息を呑む様子が、手に取るように分かる。
おそらく意表を突かれた結果なのだろう。
それとも俺がレビュリストである事を忘れていた、とか。
だとしたら、ちょっと悲しいのだけど。
「……もし絶夜くんの言う事が正しいなら、あの男は高校生を揺するほどに零落れていたことになるわ」
「けれど、ソレなら俺に電話をかけてきた理屈が通ります」
「どんな理屈よ」
「リピート・ネットに見切りを付けられた有浦さんが、今度は俺をターゲットに移した。わりと単純な行動原理だと思いませんか?」
「だったら、なおさら一人で行っては駄目よ。子供を脅すような人間が、何の危害も加えないなんて保障はないのよ」
「まぁ危害を加える様子はなかったし、何の問題も無いと思います」
「いったい、何を根拠に言ってるのっ」
「だって有浦さんは脅迫者ではなく、自分を交渉者だと主張しているみたいですし」
「え?」
……和沙さんは戸惑っている。
まぁ俺が和沙さんと同じ状況だったとしても、きっと混乱するだろう。
だが有浦さんが出してきた情報は、そういう連想を抱かせるものだった。
「有浦さんは、スパイに話を聞いたと言っていました」
「自分が、そのスパイなのに?」
「えぇ。スパイという仕業を誰かに押し付けているんだとしたら、説明は付く。そんな言い訳を口にする以上、自分を加害者にするはずが無い」
「……待って。スパイを押し付けるって誰に?」
「それは自分以外の、もっと分かり易い相手ですよ」
「なにか随分と遠回しな言い方ね。もっとハッキリ教えて欲しいわ」
その気持ちは分かるが、コチラとしても直接は口にしたくない。
――考えるだけで、心を斬られるような痛みに襲われるからだ。
「今日、有浦さんは会社を早退したそうです。いったい、誰がソレを許可したんでしょうかね?」
「そんなの、直接の上司である馬波部長に決まってるでしょう」
「えぇ、ところで」
そこまで言った瞬間、思わず言葉が途切れた。
その先は、たとえ推測であっても口にしたくないらしい。
我ながらなんて臆病な身体だろう。
だけど、些細な可能性であっても伝えなければ成るまい。
ほら、だって俺は仕事に私情は挟まない主義なのだ。
……だから、せめてヒントくらいは口に出来ないといけない。
「俺や今回の騒動に詳しく、企画を担い、機密情報も精通している企画部長が、有浦さんを早退させた理由はいったい何なんでしょうか?」
「……嘘」
和沙さんは信じられない、と小さな呟きを零す。
どうやら、俺の回りくどいヒントでも役に立ったようだ。
「ねぇ、絶夜くん。貴方もしかして、自分の父親を疑っているの?」
「――まさか」
反射的にそう口に返すことが出来て、俺は心の底から安堵した。
……本当に良かった、言葉に詰まらなくて。
俺はまだ、希望を失っていないのだ。
「俺は親父殿を信じていますよ。でも」
それでも、万が一は捨てきれない。
何故なら有浦さんは、隠されていた筈の情報に詳しすぎるのだ。
「……和沙さんは、亰花の好物について情報を流した事がありますか?」
「いいえ。有浦にとっても、どうでも良い情報でしょうし」
「俺はあるんですよ、両親に一度だけ。そして有浦さんは、尋ねて来た時に苺のショートケーキとグレープジュースを持参してきたんです。これって偶然ですかね?」
「…………」
「それに有浦さんは俺を第三位とも呼んだ。この順位は明らかに俺のレビュリスト・ランキングを示しています。けど、この情報を和沙さんが流すとは思えないんですよね」
「だって流してないもの」
つまり、情報源が不明なのである。
では一体、何処からこの情報を入手できたというのか。
その原因を考えると、有浦さんの言葉に説得力が出てしまうのだ。
そう考えるのは、決して俺だけではない。
その証拠に、和沙さんは声を震わせながら俺に質問を投げかけてきた。
「……ねぇ、もし本当に馬波部長が企業スパイだったら?」
その答えは言いたくなかった。
言えるはずもない、万が一にでも。
だから、携帯の電源ごとシャットダウンする。
――さて。
これで事実上の孤立無援となった訳だ。
とはいえ、気を落とす訳にもいくまい。
……○○通りのファミリーレストラン。
目的の場所はもう、すぐ目の前なのだから。




