立場逆転
――その電話がかかってきたのは、デートから二日後の夕方だった。
放課後の帰り道。
見知らぬ着信電話から聞こえてきたのは、有浦さんの声だった。
「やぁ絶夜くん。ボクだけど、判るかい?」
「……電話番号を誰に聞いたんですか。少なくとも、俺は教えた覚えがないですよ」
俺は警戒心をむき出しにしながら尋ねる。
なにしろ間違い電話でもない、警戒すべき相手からのコールなのだ。
だが、有浦さんはコレをあっさりとスルーした。
「絶夜くんは、一人かい?」
「……そうですけど」
「ちょうど良かった。じつは今日、ボクは時間を作る為に会社を早退してね」
「はぁ、そうですか」
「だからさ、二人っきりで話し合いたいんだよね」
「はい?」
「おっと、いきなり言われて困る気持ちは分かるけど。これは君にとっても、大切な話し合いになると思うんだよね」
「……話し合いたいって。悪いですけど、必要性を感じません」
仮に必要性があったとしても、すぐにそれ所ではなくなるのだ。
なにしろ、あと少しで有浦さんは破滅を迎えることになっている。
和沙さんによると、有浦さんは二日後に取り引きを行うらしい。
十中八九、俺と亰花の同棲についてのネタだという事も教えて貰った。
だから二日経てば、有浦さんは現場を取り押さえられる運命なのだ。
……その時、親父殿が部下の悪事に心を痛めないかが、俺にとっての唯一の心配事である。
年上に対して余り言いたくないが、有浦さんはもう眼中にない。
そんな俺の心情など露知らず、有浦さんは暢気に言葉を返す。
「もしかして絶夜くん、機嫌悪い?」
「当たり前です。正直、連絡なしでマンションまでやって来たことは、まだ根に持ってますからね」
「あはは、あの時は御免ね。まぁ、そのお詫びを兼ねてって訳じゃないんだけどさ」
「……別に謝罪して欲しい訳でもないです」
「たしかに君からボクに用事は無いのかも知れない。けどボクはね、どうしても今日あった相手との取り引きについて話したいんだ」
「突然、何を言ってるんですか」
「じつは同僚との会話の最中に、君と亰花さんのデートの件について言われたんだ」
ピタッと。
電話を切ろうとしていた指先が止まった。
……馬鹿な。
もちろんデートを知っている事については、コチラも承知している。
有浦さんに、TCMの弱みになる俺と亰花の関係性を写真を撮らせる。
その為のデート作戦だったのだから。
だが何故、有浦さんは俺にデートの話を持ちかけてきているのだろう。
それは本来、リピート・ネットに言うべき台詞なんじゃないのか?
コチラからすれば、それは余りにも不自然で怪しい提案だった。
突然の訪問を謝りたいなんて言葉さえ、今ではタダの嘘にしか思えない。
そもそも何故、このタイミングで俺に電話を寄越したのか。
罠か?
……などと、様々な憶測が俺の脳裏を駆け巡る。
それは一瞬の沈黙だった。
だが、有浦さんは暗黙の了解だと受け取ったのだろう。
「じゃあ今からボクが居る喫茶店を教えるから、ソコに来てよ」
「ちょっと待ってください」
「え、大丈夫だよ。遠出しないし、時間も取らせないから」
有浦さんが俺が行くことを前提にして、ドンドンと話を進めてくる。
その事にチリチリと心臓が炙られていく。
……おかしい、こんな事は想定していない。
それになにより、明らかに有浦さんの様子が変である。
普段なら、こんな強引な話の進め方をする人じゃない筈だ。
必要最低限な事しか言っていない、コチラの了承を得ていない。
それなのにまるで俺が必ず来ることを、確信しているみたいだ。
そんな自信に満ちた態度をとる有浦さんに、強い違和感を持つ。
しかしソレを口にするのは、何故か俺の中で抵抗があった。
実際に口にすれば、なにかが破綻しそうな不安に駆られるのだ。
……そうこうしている間にも、有浦さんは平然と言葉を続けていく。
「ところで絶夜くんは、どこに居るの?」
「……学校からの帰り道ですよ」
「あぁ、そうなんだ。じゃあ十分もあれば充分かな。○○通りにファミリーレストランがあるでしょ。ボク、そこに居るから」
……○○通り。
俺の現在地から、歩いて十分で着く近場だ。
有浦さんが居るというファミレスも、何度か入った事があった。
「じゃあ、十分後にまた会おう。逆を言えばソレを過ぎると、次の機会はないと思う」
「どういう意味ですか」
「簡単に言えば、君のお父さんに迷惑がかかるんじゃないかなって話さ」
「えっ」
意味不明な言葉の羅列に頭が真っ白になる。
いったい、どういう意味なのか。
そんな質問を投げかけるよりも早く、有浦さんが言葉を続ける。
「君達のデートの話をしてきたのはボクの同僚なんだけど、じつはリピート・ネットっていう企業のスパイでね。君のお父さんとも深い関係があるんだよ。あぁ、一応は聞くけどTCMとリピート・ネットの因縁については知ってるよね?」
「……知ってますよ。父の部下を何人も、ヘッドハンティングした企業だ」
「いや、それは違うって話だ」
「……何がですか?」
「馬波部長が、積極的に自分の部下を競合企業に送り込んだんだって彼は言っていた」
「は?」
俺は石像のように硬直した。
あまりにも、有り得ない言葉を聞いてしまったからだ。
……そんな中、俺は一体いまどんな顔をしているのだろうと思った。
まぁ他人から見ればきっと、間抜けな表情なのだろう。
だが親父殿が悪事を働いたと聞いて、素面でいられる筈もない。
「信じたくないのは判るよ。ボクだって信じられない。けれど彼は証拠を握っていて、それをボクに預けてきたんだ。それで君と交渉してくれとね」
「……いったい、何を言っているんですか」
「それを教えて欲しかったら、遅刻しないでね」
「ちょ、」
「もちろん今の話は、誰にも相談せずに内密に頼むよ。――TCMの第三位くん」
ブツっと。
好き勝手に喋った後、有浦さんは一方的に電話を切ってしまった。
俺が引き留める間もなく、携帯電話からは単調な電子音しか聞こえない。
慌ててリダイヤルしても無駄だった、電源を切られていたのだ。
こうなってしまえば為す術もなく、ただ呆然と立ち竦む他になかった。




