作戦受諾
姉に利用されていた事実が判明しても、亰花は優しく笑うだけだった。
「……なんで」
あとの言葉が続かない。
理解できなかったからだ。
騙されていた筈の被害者が、何の恨みも持たずに平然としているなんて。
そんな俺の心情を表情で察したのか、亰花は自ら進んで回答した。
「わたくしは、怒っていませんわ」
嘘だ、なんて口に出来なかった。
だって、目は口ほどに物を言う。
――亰花は微笑んでいるのだ。
そこには怒りだって、恨みだって、存在していないのである。
「これくらいなら平気ですわ。わたくしは姉様を愛していますもの」
……その感情は、一歩間違えればオカルトだ。
盲目的に家族を許容するのは、家族を否定する事より質が悪い。
「亰花、それは駄目だ。家族が間違っているのに叱らないのは、誰の為にも成らない」
「それなら大丈夫、姉様は間違っていませんわ」
亰花の自信を伴った断言に、俺は太刀打ち出来ずにいた。
情けないことに、言い返すほどの自信が俺には無かったのだ。
「だって姉様は、無闇に家族を売ったりしませんもの。仮にそれをしたのなら、きっと何か理由があるに違いありませんわ」
……あまり言いたくないが、亰花は馬鹿だと思う。
馬鹿すぎて、俺くらいしかコイツの言い分を信じてやれないだろう。
俺が信じなくなれば、本当に亰花はタダの馬鹿になってしまう。
さすがにソレは避けたかった。
「……と亰花が言っていますが、何か理由はあるんですか?」
「あるわ」
この言葉を聞いて、誰よりも安堵したのは他ならない俺だ。
無ければ困る。
俺達の情報を売り払った対価が何もなければ、本当に救えない。
「……なら教えてください。何を考えて、俺と亰花の事を有浦さんに教えたんですか」
「次の作戦で、完全に有浦の息の根を止める為よ」
「ほぉ。ソレは素晴らしい話ですね」
企業スパイが潰えるのなら、これほど嬉しいことはない。
だが、ちょっと待って欲しい。
「次の作戦って、何のことですか」
「簡潔に言うとね、絶夜くんと亰花にデートして貰いたいの」
「はい?」
我ながら無邪気な声で聞き返していた。
子供のように首を傾げて、自分の態度を表していた。
――何を言っているんだろう、この人。
そう思ったのは、決して俺だけではないらしい。
奈緒は目を見開いて、石像みたいに固まっていた。
麻美は何か言いたそうな表情でジッとコチラを見つめてくる。
……亰花は音の鳴らない、小さな拍手を俺に送っていた。
まさか、乗り気なのか。
姉の提案に賛成しているという、意思表示だというのか。
気になるけれど、そんな質問をする勇気と余裕は持ち合わせていない。
今は亰花より、和沙さんに問い質す方が優先なのだ。
「どういう事なんですか、説明してください」
「明日までに、貴方たちがデートに行くって言う情報を有浦に流すから。実際にデートして貰わないと困るのよ」
なるほど。
いい加減、文句を言っても許されるレベルだろう。
「……和沙さん、いくらなんでも勝手に決めすぎです」
「私の話を最後まで聞いてくれたら、貴方の愚痴も受け入れるわ」
「じゃあ教えてください。何でデートしたら息の根が止まるんですか」
「まずデートする意味は、貴方たちが付き合っている証拠を有浦に与える為よ。そしてその証拠さえあれば、後は向こうから勝手に自滅してくれるわ」
「自滅?」
「最近の有浦は、自分の手柄をアピールする為に待ち合わせ場所を指定して、直接的に情報の受け渡しをしているらしいわ」
「はい」
「その現場を私達が押さえれば、彼らの関係は言い逃れが出来ないものとなる。つまり、コチラの完全勝利という訳」
「――あぁ、そういう都合の良い妄想は聞きたくないです」
「妄想じゃないわ。都合の良い展開という部分は認めるけれど」
「本気で言っているんですか。俺と亰花のデートに、有浦さんはともかく会社が食い付くとは思えないです」
「有浦はまだ、貴方たちのことをリピート・ネットに報告していないわ」
「え?」
「リピート・ネットからすれば同棲しているかどうかなんて、スパイを切り捨てた後でも出来る調査だもの。有用性を示したい有浦からすれば、情報は秘匿している方が価値を持つのよ。取り引きの直前まで、貴方たちのことは知らされないわ」
「つまり、ネタに食い付いてから取り引きされるのではなく、取り引き現場で初めてネタが明かされると言う事ですか」
そういう事よ、と和沙さんは受け答える。
「おそらく有浦もリピート・ネットも、お互いに次の取り引きがラストチャンスだと思っている筈だわ。だからこそ、有浦は何としても貴方たちの事を探るし、リピート・ネットも必ず応じると私は信じている」
……信じてる、か。
和沙さんにも作戦成功の確証は無いのだろう。
「ハイリスク・ローリターンである事には変わりないです。確実に成功させたければTCM、いや社長に相談して有浦さんに尋問する方が早いと思いますけど」
「――うん、ソレ無理。決定的な証拠が無ければ、動こうとしない会社なのよ?」
「……なら親父殿に」
「貴方の部下がスパイかも知れないって、言いたいの? 証拠を出せと言われるのがオチだわ。ソレが無いから苦労してるのに」
「…………」
「それに父と馬波部長は、私の能力を認めていない、だから調査結果を見せても信用してないのよ。私は孤立無援なの。だからこそ、貴方たちに協力を仰ぐしか無いわけ」
「俺だって信じられませんよ。もう少し調査して欲しいくらいです」
「時間なんて無いわよ。同棲はあと二週間も無い。有浦がずっとリピート・ネットとの関係を続ける可能性も少ない以上、ネタに食い付いた今こそがラストチャンスなのよ」
どうやら和沙さんは、一歩も譲歩する気が無いらしい。
それに和沙さんの言い分が正しいなら、有浦さんは企業スパイなのだ。
ならば俺としても有浦さんを放置したいとは思わない。
正直に言えば、悪事を見逃す危険性も怖いのだ。
「……亰花、お前はどうしたい?」
「わたくしに、会社のいざこざは判りませんわ。ただ理解できるのは、絶夜とデートが出来ると言う事だけです」
その言葉を聞いて、確信した。
亰花は明確に、俺とは違う価値観を持っている。
けれど不思議と嫌悪感はなかった。何故なら。
「そして、わたくしは行きたいですわ。だって、とても楽しそうですもの」
――ブレてないのだ。
亰花は純粋な価値観で、迷い無く全ての物事を一人で決断している。
羨ましいほどに、自立しているのだ。
そんな彼女の願い事を断る術を、未熟な俺は持ち合わせていない。
『単純な話、自分もデート行きたかったんだよね』
……聞こえない。なにも聞こえない。
あくまでも俺は、亰花の意思を尊重したに過ぎないのだ。
決して亰花とデートをするという状況に、釣られた訳じゃないのである。
そんな理屈を盾に欲望の声を遮って、俺は自分なりの答えを出した。
「不承不承ですが、和沙さんの提案を受けましょう」
「……あら、どういう風の吹き回しかしら?」
「この状況を無駄にするのは、もったいないと思っただけです。そもそも有浦さんが訪問した以上、同棲している事がバレるのは時間の問題だ。なら、その事実を有効利用して有浦さんとリピート・ネットを交渉の場に誘い出す方が良いに決まっている」
我ながら完璧だと思った。
もちろん、言い訳という意味ではない。
亰花の要望を叶えつつ自分を納得させる為の論理が、である。
『完全に言い訳じゃねーか』
という謎の声が聞こえたが、おそらく気のせいだろう。
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