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天保院の長女

「ここが、目的地だよ」

「また随分と豪勢な扉ですね」


有浦さんの案内で行き着いた先は、このホテルの最上階にある一室だった。

 ――黒光りする木製の大扉、細かな金細工が刻まれた取っ手。

 雰囲気からでも判る、ココはいわゆるVIPルームと呼ばれる場所なのだろう。


「正直、羨ましいよ。絶夜くん」

「……何がですか?」

「だって、ここは天保院室長が予約した部屋でしょ。つまり君は、創業者一族にプライベートで呼ばれた訳じゃないか」

「……どんな用事か、父からは聞いていないんですか?」

「重要な用件だとしか教えて貰っていないさ。なにしろ僕は下っ端だしね」


 自虐的に笑う有浦さん。しかしそこに同調して良いものか、判断に困る。

 なのでとりあえず、フォローをしておこう。


「父がそんな風に思っていたら、ココへの案内役に使う筈がありません」

「でも部長の息子として呼ばれた君が、なんでこの部屋に来たのか。その理由をボクは知らされていないんだよ」


 それは仕方ない話だ。

 俺がレビュリストとして呼ばれたことを、そう簡単に知られる訳にはいかない。

 ……だから事情を聞きたそうにコチラを見つめる有浦さんであっても、話すことは出来ないのである。それでも、視線が辛い。

 こういう居心地の悪さも、立派な社会経験になるのだろうか。

 などと考えている最中、有浦さんの方が気を遣ってくれた。


「おっとボクが長居しちゃ悪いね。それじゃ、あとは頑張って」

「あぁ、はい。ありがとうございました」


 そうして役目を終えた有浦さんは、コチラにお辞儀を返して去っていく。

 ……その結果、静寂(せいじゃく)に包まれた廊下に俺だけが立ち尽くす図が完成した訳だが。

 まぁ、いつまでも扉の前で棒立ちしている訳にもいくまい。

 何しろ巻き付けた腕時計が、七時ジャストを示しているのだから。


 すこし呼吸を整えてから3、2、1、よし。


 ドアに備え付けられたインターホンを鳴らし、相手方の返事を待つ。

 ……すると、しばらくしてガチャリとドアの鍵が解かれる音が聞こえてきた。

 応答なしでの解錠(かいじょう)である。

 無言のままの対応に少し驚いたが、ここは意を決して行くしかあるまい。


「失礼します」


 ドアを開けて、頭を下げる。

 だが頭を下げ終わる前に、透き通る綺麗な声に(さえぎ)られた。


「あら、そんな堅苦しい挨拶はしなくても大丈夫よ。絶夜くん」 


 引き止められた声に釣られるように、俺は視界を真正面へと移す。


 ――と同時に、その視線の先にある美しいモノを捉えた。


 まず最も印象的だったのは、顔だ。


 肩口まで切り揃えられた艶のある白銀、涼しさを感じる凛とした瞳。

 整えられた眉や、口元に塗られた薄紅色のルージュがとても良く()えている。

 ほっそりとした長身を包む漆黒のスーツや、腕に巻いたレディース時計までしっかりと視界にインパクトを与えてくれる。

 ……生まれて初めて、女性に対して素晴らしいという言葉を使いたくなった。

 綺麗な人が綺麗に着飾ると、ここまで感嘆できるのか。


 しかしそんな感動の中『やったぜ』という、もう一人の声が頭に響いた。


 ――ええい。やはり出てきたか、俺の欲望。


『欲望を感じれば必ず出るさ、だってエロいもの』


 まったく、聞いていて自己嫌悪になりそうだ。

 コレを一言で言えば、抑制された性欲の権化(ごんげ)である。

 普段の俺は、強靱(きょうじん)な理性であらゆるムラムラとする気持ちを殺している。

 だが美人や可愛い子を見ると、どうしても自分の中に潜む欲望が顔を出すのだ。

 それが心の声となって、俺に甘言(かんげん)を囁きかける。


 ……だから美人や可愛い女の子は、苦手なのだ。


 困った物だが、これも一般的な男であるという証なのだろうと受け入れるしかない。

 そんな風に自分の感情を処理していると、アチラから声をかけてきた。


「はじめまして」


 コチラに向けて、ニッコリと微笑むその姿も美人である。


『今回はスーツを身に纏っているけど、次回は是非に着物を着て欲しいね』


 とは欲望の評価だが、確かにきっと和服も良く似合うだろう。

 ……我ながら単純な感想しか出てこないのは、少し情けなくはあるが。

 だが綺麗なものを称えるのは、シンプルな方が良い。

 先ほど見た夜景よりも、コチラの方を長く見ていたいものである。


『花より団子、夜景よりエロそうな美人だね』


 ゲスい言葉が聞こえた気がするが無視しよう。

 そんな事より、相手が俺に話しかけている事の方が何倍も大切だ。


「貴方のことはお父様から伺っているわ」

「なにをですか?」

「名前に少し、コンプレックスを抱いているとか」

「……そうですか」


 まったく親父殿め。

 おっさんのデリカシーの無さに、息子は口数を少なくするしかない。


「でも私は素敵だと思っているのよ。だから名前で呼びたいのだけど良いかしら?」


 無論、社交辞令なのは判っているつもりだ。

 わーい、やったぜっと飛び跳ねて万歳するのは駄目だと自覚している。

 昔、それで女の子に泣かれた経験があるのだ。

 だから答えは決まっていた。


「構いませんよ」


 あくまでも自然な態度で、そう口にする。

 和沙さんのリアクションは、ニッコリとした歓迎の笑顔だった。


「そう、良かったわ。私のことも和沙、と気軽に呼んでくださいね?」

「……善処(ぜんしょ)します」

「うん、想像以上の好青年ね。その几帳面(きちょうめん)さにも好感が持てるわ」

「ありがとうございます」


 さて、ここまでは想定内だ。

 お互いに挨拶は済んだ、会話も弾んだ、あとは商談を残すだけである。

 そう意気込んでいた次の瞬間、和沙さんが繰り出した一手(いって)に驚かされてしまった。


「えぇ、ではお近づきの印に改めて」


 そう言った和沙さんの両手に添えられたのは、白い長方形の名刺だったのだ。

 まずい、これは。


「――TCM情報調査室長、天保院 和沙です。よろしくお願いしますね」


 ……あぁ、自己紹介を先に越されてしまった。

 しかもこれで早速、名刺を使う羽目になってしまったよ親父殿。

 手渡された名刺を両手で受け取りながら、こちらも名刺を用意する。


「っ」


 このとき初めて自分の名刺を見る事となった訳だが、思わず声が出そうになった。

 ――ネット通販評論家、馬波 絶夜。

 間違ってはいないが、こうやって明記されてしまうと、じつに恥ずかしい肩書きではないか。俺に理性というものがなければ、この場で大声を出して叫んでいたであろう。

 その衝動は今も胸の中で


『意味も無く走りたい、俺をここから出せ』

 

 と暴れ回っているのだが、必死に押さえつけて自己紹介を優先する。


「……申し遅れました。馬波 絶夜です。今後とも、よろしくお願いします」

「はい、頂戴いたします」

 

 クスッと静かな笑い声を交えながら、和沙さんは名刺を受け取る。

 見た人間を和ませる笑顔である筈なのに、何故か俺は恥ずかしい気持ちに(むしば)まれた。

 ソレが表情に出ていたのか、和沙さんはコチラの顔を覗き込む。

 

「……もしかして、ずっと緊張していたのかしら?」

「否定は出来ません。かたや企業の幹部、かたや利用客に過ぎない一般人です」

「あら、謙遜はしなくて良いわ。商品を取り扱う会社に勤める者として、実益をもたらすユーザーと親しく出来る事はとても光栄なことだもの」


 ……嫌味を感じさせない、自然なフォローをされてしまった。

 これが大人の対応というやつなのだろう。

 社会人としての経験を歴然と感じさせられたが、同時に尊敬を抱いてしまいそうだ。


「……さて。堅苦しい挨拶はココまでにして、本題に入って良いかしら?」

「はい、その為に来た訳ですし」

「じゃあお互いに座りましょうか。ええと、何処が良いかしら」

 

 ……和紗さんは少し周囲を見回して、座る場所を探している。

 それは決して椅子が無いという事ではなく、むしろ椅子が多くて決めかねている様子だった。

 今更ながらこの部屋の感想を言えば、広すぎるの一言だ。

この場だけでも二十畳はあるフローリングで、巨大なミーティングテーブルも置かれているのだ。椅子も八つも用意されていて、さながら小さな会議室を連想させた。

 しかし和沙さんが勧めたい椅子は、この部屋には無いらしい。


「せっかく綺麗な夜景なのだし、眺めの良い場所の方が良いわよね」

 

 そう言って和紗さんが歩いた先は、ベッドルームの窓際に配置されたテーブルだった。

 小さい円形を囲むように、二つの椅子が用意されている。


「向かい合う席で、こんなに近い距離だと緊張しますね」

「景色を楽しむだけなら、シンプルな機能さえあれば良いという事でしょう?」

「……なるほど」

 

 しかしビジネス的な話しならば、すぐ隣の部屋の方が似合う気もする。

 まぁ目上の方に勧められたのだし、言うだけ野暮だ。

 そう思ってみたものの、実際に座ってみると居心地が悪い事に気付く。

 これは、まずい。

 席に着くと、お互いの視線が絡み合う位置にセットされてしまう。

 そして真横にある窓から、視界いっぱいに壮大な夜景が観覧(かんらん)できるのだ。

 こうして風景を堪能していると、否応なく優しいムードに包まれる。

 ……間違いない、これは恋人や夫婦の間柄で使用すべき家具だ。

 しかも、だ。


「改めて言いたいけれど、貴方に会えて嬉しく思うわ」

 

 などと美人に見つめられたら、年頃の男ならば勘違いの一つぐらいしてしまいそうになる。すぐそばにベッドがあるのも駄目だ、頭がクラクラしてしまう。

 心の中に潜む欲望にまみれた自分が


 『青春だ、押し倒せ』

 

 と叫んでいた。

 無論、そんな愚は犯さないように理性で強く縛っている。

 女性を押し倒すよりも、聞きたい事があるのだ。


「……どうして、俺みたいな学生に興味を持たれたのですか」

「とある計画で適材な人間を精査した結果、貴方が該当したのよ」

「……とある計画?」

「えぇ。失礼は承知の上なのだけど、その件で貴方の身辺(しんぺん)を調べさせてもらったわ」

「……それは、どの程度ですか?」

笛河(ふえかわ)高校二年生。成績は中の上、所属する部活はなし。家族は父と母のみ、兄弟は居ない。現在は社会経験の一端として3LDKのマンションで一人暮らし、光熱費を自分で支払う生活能力の高い十七歳」


 ここまで、和沙さんは参考資料も用意せずにスラスラと口にしている。

 どうやらコチラの情報は、全て頭の中に記憶されているようだ。


「その正体は我が社のレビュー・ランキングで第三位、国内でも有名なカリスマ・レビュリスト。ただし世間にはプロフィール非公開のまま活動をしている秘密主義者さん」

「不可抗力ですよ。ご存じでしょうが顔出しすると、生活に影響がありますから」


 我ながら、まるで芸能人のような主張で嫌になるが、実際に上位レビュリストには多くのファンがつき、タレント要素が強くなる。

 レビュリストの中には顔出しをして、写真集を出版した者まで居るくらいだ。


「それでも人気に影響しないのが凄いわ。貴方のレビューを支持し、実際に購入したユーザーの品数は八万点以上、売り上げの合計は一億を超えてるもの」

「……自社とはいえ、去年の成績データまで把握しているとは驚きです」

「だって私は情報調査室長ですもの。それでも、この調査結果には目を見張ったわ。弱冠十七歳とは思えない実績ね」

「運が良かったんでしょう。なにしろ俺はレビュー・ランキングが加熱する前の、初期ユーザーでしたから」


 これは決して謙遜ではなく、紛れもない本心だ。

 どんな業種でも、先達(せんだつ)の方が得をする事は多い。

 TCMがサイトを開設をする前から書く事には慣れていたし、どんなレビューが好評なのかも把握していた。

 そのノウハウが、ユーザーに受け入れられたに過ぎないのだ。


 「良くも悪くも、ランキング制度の隆盛(りゅうせい)のおかげでしょう。それに押された形で今の自分があると思っていますよ」

「卑下している訳でもなく、堂々とした口ぶりね。とても自然体だわ」

「ここで嘘を言っても仕方ありませんし、見栄を張るほど偉い身分でもありませんから」

「けれど、そのレビュー・ランキング制度も貴方の関与が示唆(しさ)されていたわね」

「……どういう意味です?」

「情報企画部長である貴方のお父様が推進した、レビュー・ランキングと報酬システム自体も本当は貴方が発案したのではないか、と推察しているのだけど」

「……さすがに買いかぶりですよ。あれは紛れもなく、父の実績です」


 ここまで話して判ったが、俺は随分と高い評価を受けているらしい。

 リップサービスだとしても少し過剰な称賛だ。

 そして、だからこそ気になる。

 和沙さんは、いったい俺に何を期待しているのだろうか?

 

「念入りに俺を調査したことは判りました。ではそろそろ、とある計画というのを教えて頂けませんか?」


 自分の意思を示すように、俺は和沙さんへ視線をまっすぐに向ける。

 対して和沙さんは、コチラの感情を柔らかい笑みで受け止めた。


「貴方には、とあるものを一ヶ月ほど管理して欲しいのよ」


 ――管理する。

 高校生である俺が、企業が精査してまで管理先を選ぶ大切な物を?

 ……レビュリストとしての仕事ならば、有り得ない話ではない。

 しかし何故だろうか、先程から変な胸騒ぎがして止まらないのだ。


「随分と長い期間ですが、試作の商品ですか? たとえば芳香剤みたいに時間が経過した状態の性能をレビューして欲しいとか」

「商品ではないけれど、天保院にとって大事な物であることには変わりないわね」

「謎々みたいですね。ご褒美は要らないので、早く答えが欲しい所です」

「あら、せっかちさん」


 もったいぶった言い方には乗らず、俺はすぐさま回答を要求した。

 それに対し和沙さんは残念そうに溜息を出した後、切り替えるようにニッコリと笑いながらコチラに顔を近づける。


「……いいわ、なら教えてあげる」


 そんな甘い声が俺の耳に侵入してきた。

 ソレと同時に、ふわりと甘い香りを関知する。

 これは和沙さんの香水だ。

 ――これは、危険である。


 『もうキスしても良いの?』


 と俺の中の欲望が語りかけてくる程に、お互いの距離が短いのだ。

 ホテルの最上階、ベッドルームで二人きりの夜景鑑賞。

 小さなテーブルを挟んで近付く二人の顔。

 まるで、恋愛映画のラブシーンを連想させるシチュエーションだ。

 必然的に俺の胸は、ドキドキと早鐘(はやがね)を打っている。

 期待してしまっている。

 だが、ソレは決してそんな甘酸っぱい物ではなかった。


「同棲してくれないかしら」

「――はい?」

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