風雲急を告げる
※ 次の更新予定は6月29日午後7時頃です ※
奈緒の眩しい笑顔に耐えられず、俺はつい視線を逸らしてしまう。
……まったく。少し、勘違いしそうになるじゃないか。
などと胸の中で葛藤している最中、パチパチという拍手が室内に響いてきた。
二種類の手を叩く音。
探すまでもなく、音源はすぐに見つかった。
「おめでとうございます、奈緒さん」
「おめでとう、奈緒ちゃん」
湯上がり姿の亰花と御舘が、廊下で喝采を送っていたのである。
事情を知らなければ、俺も参加していたかも知れないぐらい楽しそうにしていた。
「ありがとう、二人とも」
そう言って両手でピースしながら喜んでいる奈緒はさておき、この二人には少し聞きたい事がある。
「……いつから居たんだ、二人とも」
「わりと最初からですわ」
まったく悪びれもせずに、ずっと覗き見していた事を自白する亰花。
一方の御舘は、亰花の背中で恥ずかしそうに身を縮こませた。
……よし、御舘は許そう。
だが開き直るように両手を腰に当てている亰花には、申し開きをして貰おうか。
「何で堂々とリビングに入らず、そこに留まっていたんだ?」
「だってお取り込み中なのに、邪魔する訳にもいきませんわ」
「好奇心の塊であるお前が、大人しく見物なんてするものか」
「まぁたしかに、嫉妬を抑えきれませんでしたわ」
「……そんなことは聞いていない」
不意打ちにも程がある。
動転しかけた気を取り直して、俺は尋問を再開した。
「なにが目的だったんだ?」
「だって、奈緒さんの望みが叶うか見届けたかったんですもの」
奈緒の望み。
恐らくさっきの、名前で呼び合う事を意味しているのだろう。
だが、それは予め知らなければ、言えるはずのない言葉だった。
「……じゃあ、あのやり取りは最初から、計画されていたというのか?」
亰花からの返事はない。
この質問に答えたのは奈緒だった。
「そりゃ当然。亰花達の協力無しで、抜け駆けできる状態じゃないでしょ」
――抜け駆け、抜け駆けって何だ。
詳細に聞きたいが、本題から逸れそうなので止めておくとしよう。
「御舘、どうして止めてくれなかったんだ」
「だって、この流れなら私も名前で呼び合えるかなって思って」
「うん?」
「私も、馬波くんのこと名前で呼べたいなって」
指先をツンツンと合わせながら、御舘は幇助の動機を自供する。
……というか。
「御舘まで俺の名前を呼びたいのか?」
「う、うん。出来れば私のことも御舘じゃなくて、麻美って呼んで欲しいな」
ここで嫌です、と言えるほど俺は冷徹人間ではない。
むしろ、この交換条件で御舘を下の名前で呼べるのは安いとさえ思う。
「……なら麻美、一つ聞かせてくれ」
「は、はい。何でも聞いて、絶夜くん」
「まさかと思うが、俺の名前を呼ぶことが女子の間で流行っているのか?」
「――ううん」
「あれ?」
「全然、まったく流行ってないよ」
めっちゃ真顔での回答だった。
こうして俺の仮説は、バッサリと切り捨てられたのである。
『勘違いするとか、恥ずかしいヤツ』
と上から目線で語る俺の欲望。
悔しい。自分で自分を殴りたくなるほど悔しい。
しかし、あえて言おう。
お前と俺が同一人物であると言う事を、忘れてはならない。
……やめよう、自分で言って空しくなった。
そんな意気消沈している俺の耳に、亰花と奈緒の会話が聞こえてくる。
「むしろ何で最近、絶夜と仲良くしてるのって聞かれるよね?」
「そうですわね。わたくしも、良く不思議がられますわ」
まさかの追い打ちが始まった。
やばい。
このままでは精神的ダメージが蓄積して、立ち直れなくなってしまう。
「わかった。この件に関しては、もう聞かない。それより夕飯にしよう」
「あれ、話を逸らしてきた?」
「逃避というやつですわ」
やめてほしい。
冷静な実況と解説を止めてほしい。
……というか亰花、お前の大好きな話題をしたんだから早く食い付いてこい。
飯だけに。
などと悲しい呟きをしている最中に、ピンポーンという音が聞こえた。
――助かった。誰だか知らんが、助かった。
なにしろ案の定、三人娘の意識は呼び鈴に向かったのである。
「あれ、夕飯って出前だったの?」
「いいえ、頼んでませんわ」
「なら会社から送られてくる、宅配なのかな?」
「……いや。そんな予定は無いな」
四人で顔を合わせながら、心当たりを考える。
――出前でも無いのに、高校生しか居ない部屋に用事がある人物って誰だ?
「とりあえず、出れば判るんじゃない?」
という奈緒の意見を採用する事にした。
まずは俺一人でインターホンに向かい、液晶画面を覗き込む。すると。
「あっ」
っと、思わず驚きの声を上げてしまう。
「誰でしたの?」
後ろから亰花の声が聞こえてくる。
……だが答えても判るまい。
スーツ姿のサラリーマンなんて、俺以外に見覚えなど無いだろう。
「まぁ。随分と背の高い方ですわね」
「……あぁ。親父殿の部下である、有浦さんだよ」
砂を食む気持ちで、そう絞り出す。
正直、この状況は俺にとって歓迎できない。
少なくとも俺は有浦さんに、このマンションについて話した事など一度も無い。
もし教えるとしたら親父殿だろうが、それなら事前連絡はある筈だ。
いったい、どういう事なのか。
この状況が意味することが、サッパリ判らない。
そんな俺の混乱を余所に、亰花は感心したような声を上げる。
「まぁ、会社の方でしたの。わたくしも、挨拶をした方が宜しいかしら?」
「……待て待て。お前との同棲の件は、会社の人間にも企業秘密が適用されるんだぞ」
そんなやり取りをしている間にも、再びインターホンが鳴り響く。
音声機能があるはずなのに、ソレを利用しないのは何故なんだろう。
コチラの出方を窺っているのか?
「とりあえず、俺一人で対応しよう」
「でも知り合いの方なら、問題は無いのではありませんこと?」
「万が一もある。ここは俺に任せて、三人はこの場に残ってくれ」
有無を言わせずに俺は玄関へと向かった。
『もしかして、格好つけてるの?』
という疑問の声が聞こえるが無視する。
何故なら、少し否定できないからである。
――しかし最大の理由はソレではない。
いわゆる、嫌な予感がしたからだ。




