和沙の計画
ピンポーンと聞き慣れた電子音が木霊する。
「……対応しませんの?」
首を傾げて、コチラの様子を窺う亰花さん。
本来ならば、言われるまでも無く行動していただろう。しかし。
「サプライズって、この事ですか?」
「そうね。引っ越し祝いの第二弾と言うべきかしら」
電話越しからでも判る。
今の和沙さんは、とても楽しそうな笑みを浮かべているに違いない。
だが、和沙さんにとって楽しいことでも、果たして俺にとっては如何か。
「ちょっと絶夜さん。どなたかは存じませんが、待たせては可哀想ですわ」
亰花さんの主張は正しい。
俺としても放置は出来ない、した所で亰花さんが対応しそうで怖い。
それなら自分で行くべきだろう。
とはいえ、まずはインターホンで確認してからだ。
意を決して、廊下側にある液晶付きの通話機の前に立ち、ボタンを押す。
「はい、馬波です」
「出前です。天保院 和沙さまからのご注文で、お届けに上がりました」
渋い声と共にモニターに映し出されたのは白い和帽子に白い甚平、白い前掛けという統一感のある衣装で黒くて丸い桶を手に持っている中年男性である。
……一目見ただけですぐに理解できた、これは間違いなく寿司の出前だ。
「サプライズってお寿司ですか」
「安心して、料金は既に支払っているわ」
そういう問題でもない気がする。
とはいえ、寿司の出前ならドアを開けることに躊躇いは無かった。
「まぁ、お寿司が来ましたの?」
「そういう事です。和沙さんの話し相手になっていてください」
寿司という単語に、瞳をキラキラさせてやって来た亰花さんに携帯電話を渡し、俺は玄関まで移動して寿司を受け取ることにした。
「まいどー」
そう言って部屋から去る店員を見届けると、俺は靴を脱いだ。
さっそく俺はリビングに戻り、寿司の入った桶をダイニングテーブルに置く。
その間もずっと、亰花さんと和沙さんは通話中だったらしい。
「えぇ、お寿司はサビ抜きですのね。安心しましたわ、姉様」
……サビ抜きか。
まさかTCMから、わさびチューブをサンプル品として送ってくれた事を感謝する日が来るなんて思わなかった。
そんな感想を抱いている最中にも、二人の会話は進む。
「あら、もう電話を切る時間なんですの? 相変わらず姉様は、お忙しいのですね」
「むっ」
それは困る。
和沙さんには右往左往とさせられたが、聞きたいことは沢山あるのだ。
とんとん、と指先で亰花さんの肩を叩く。
「あら、どうかしましたの?」
「……また、和沙さんと話す機会を頂きたい」
そう小声で伝える。
コチラの要望を聞いた瞬間、亰花さんは少し戸惑った様子を見せた。
「何で、ですの?」
もう用事が無いだろう、という認識だったに違いない。
だが、最終的には溜息混じりに了解してくれた。
「……仕方ありませんわね。姉様、絶夜さんと代わりますわ」
事前に和沙さんへ断りを入れてから、亰花さんは俺に携帯電話を渡してくれた。
それを有り難く受け取りつつ、俺は和沙さんに話しかける。
「すみません、絶夜です」
「……残念ながら、もうサプライズは無いわよ?」
「それは結構な事ですが、俺が聞きたいことではありません」
「聞きたいこと? なにかしら」
「来客の件です。どうして我が家に誰か来る事を気にするんですか。まさか、出前の寿司屋が無事に来るかを気にしてた訳では無いでしょう?」
「えぇ、そうね。てっきり、もうすぐ有浦って言う男が来ると思っていたのだけど」
――有浦?
その言葉に、俺はサラリーマン姿の男性を思い浮かべた。
「有浦って、まさか父の部下の事ですか?」
「……ノーコメント」
途端に声のトーンが重くなる和沙さん。
「どういう意味ですか」
「企業秘密ってこと。TCMの関係者が、貴方の家にやってくるだろうという推論があるだけだもの。確定するまでは詳細を言えないのよ」
「関係者って、それが有浦さんって事じゃないんですか?」
「詮索されても、これ以上は教えられないわ」
「……じゃあ、この事を父に聞いても宜しいですか?」
「聞いても良いけど、答えられないと思うわ。私が言うのも何だけど、あまり親御さんを困らせるのは感心しないわよ」
どうやら本当に企業秘密らしい。
俺の家を訪ねる来客とやらは、そこまで重要性の高いネタだというのか。
「とにかくTCMに関わる人間が貴方の家に現れたら、必ず連絡を頂戴。その時になったら、事の全容を伝えるわ」
「本当ですね?」
「えぇ。この約束を破ったら、私の身体を自由にしても良い権利を上げましょう」
「……わかりました」
『お、フラグが立ったな』
という欲望の声を無視して話を先に進める。
別に和沙さんの提案が魅力的だったからでは無い、これは不可抗力という奴なのだ。
「一応、用心の為に今の内容を書類で作成して、郵便で送ってくださいね」
「あら、いやらしい子。速達で明日には届くように手配しておくわね」
……ふむ、明日には届くのか。
証拠隠滅の可能性を踏まえ、金庫にしまって厳重に保管しておこう。
あえてもう一度言っておくが、俺は魅力的な提案に屈した訳ではない。
これは不可抗力なのである。
「さて、これで用件は済んだかしら?」
そう語る和沙さんは、話を切り上げる下準備を整え始めている。
あとはコチラがハイと答えれば、すんなり通話は終了するだろう。
「じゃあ、最後に一つだけ良いですか」
「良いでしょう、どうぞ」
「和沙さんが言った、親御さんという言葉で思い出したんです」
「……何を?」
「和沙さんって、天保院社長とは仲が悪いんですか?」
「あら。このタイミングで、それを聞いてくるとはね」
たしかに今更な話題だろう。だが、昨日の険悪なやり取りは気になる。
まるでお互いに見えていないような、そんな無視の仕方だった。
「もしかして、同棲の件について天保院社長は反対していたんじゃないですか?」
だったらどうした、今は納得していると言われたらソレまでの話だ。
だが、たとえそうだとしても知って損はないだろう。
そんな風に考えながら、俺は和沙さんの言葉を待った。
「……なるほど。それは、ね」
「はい」
「企業秘密よ」
「えっ」
とっさに聞き返したが、応答は無い。
プツッ、という通話が切れる音と空しさが残るだけとなった。
なんとも言えない気持ちになりながら、俺は亰花さんに目を向ける。
……しかし視線が合うことはなかった。
何故なら亰花さんは、既に寿司しか見ていなかったのである。




