第六話
次の週の初め。太平屋洋は、海の上にいた。
北東島に向かう定期船の一等船室内にいる。
洋は船室の大きな窓から、外を眺めながら果物を食べていた。
「洋。良い天気だぞ。外を眺めるのならば、甲板に出て潮風を感じた方が気持ち良いぞ」
男装している豪石武子が洋に声をかけた。
「タケ。分かっているだろう。僕は知らない人の前に出るのが嫌なんだ。こんなに天気が良いんじゃ。甲板に大勢の知らない人がいるだろう。とても行く気にならないよ」
「あの……、洋さま」
船室にいるもう一人の男が洋に話しかけて来た。
太平屋の手代である泉後健であった。
「今回の旅行における私の役目が、いまいちよく分からないのですが……」
洋は果物を食べながら、泉後に顔を向けた。
「お父さんに話して了解してもらった通り、泉後には相手との商談を全部やってもらう」
泉後は戸惑った。
「あの……、私には自分一人で商談をまとめたことはありません。いつも旦那さまか番頭さんの指示通りにやっているだけで、自分で判断したことがないんですから……」
洋はニヤリと笑った。
「今回は、僕が指示を出す。泉後は、僕の指示に従って動いてくれればいい」
泉後は困惑した。
なぜなら、洋は太平屋の仕事に関わったことは一度も無く、普段は一日中自分専用の書斎で本の山に埋もれて読書をしているからだ。
「あっ!?泉後?いつも本ばかり読んでいる僕に商売の何が分かるんだ?と思ったね?」
「失礼ながら、その通りです。洋さま」
恐縮して答える泉後に対して、洋は怒ることなくニヤニヤ笑っていた。
「正直だね。泉後は!普通は本心を隠して『いいえ、そんなことは思ってません』と言うところだよ?」
「それは、大変申し訳ありませんでした」
泉後は、生真面目に洋に頭を下げて謝罪した。
「そういう裏表が無くて正直で生真面目なところが僕は好きなんだけどね。話を戻すけど、確かに僕は商売に実際に関わったことは無い。だけど古今東西のあらゆる商売ついて書かれた本を読んでいるんだ。以前から大儲けできる方法を考えていた。それを実行に移すだけだよ」
(頭の中で良い考えを思いついたとしても、現実に実行できるとは限らない。それに洋さまの考えた方法は、本当に大儲けできる方法なんだろうか?)
泉後は内心でそんな疑問を持ったが、口に出して質問したのは別のことだった。
「洋さまが商売の才覚をお持ちならば、今までそれをみんなに示さなかったのは、何故ですか?」
泉後の質問に、洋は不思議そうな顔をした。
「何故?僕が商売の才能があることを、みんなに示さなくちゃ、ならないの?」
「えっ!?当たり前のことでは?洋さま。商人たるもの能力があることを示さなければ、出世できません」
洋は納得して何度もうなづいた。
「なるほど。泉後のような立場からすれば、そういう考えになるのか、参考になるなあ。これが本を読むだけでは得られない知識という物か」
「あ、あの……、洋さま?
泉後は一人で納得している洋に声をかけた。
「ああ。泉後の疑問の答えをまだ言っていなかったね。泉後みたいに丁稚として店に入った者は、出世して『手代』『番頭』になるのを目指している。ゆくゆくは、働いている店の主人から暖簾分けしてもらって、自分の店を持つのが、最終目標だよね?」
「その通りです」
「何故、みんな出世したがるの?」
「そ、それは……」
泉後は、洋の質問の答えをうまく言葉にすることができなかった。
洋は泉後の戸惑った表情を見ながら、果物をを噛った。果物を口の中で十分に噛んで飲み込むと、話を続けた。
「人が出世したがる理由は、泉後のような立場の人からすると、口に出すまでもなく自明のことだから、却って言葉にしにくいんだろうけど、つまりはこういうことなんだろう?」
洋は座布団に座っていたが、畳の上に横になった。
「丁稚の時は、一番の下っ端だ。給金は無いし、一日中こき使われる。でも出世すれば稼ぎは増えるし、他人をこき使うことができる。だから出世したいんだろう?」
「その通りです」
「ひるがえって、この僕は、どうだ?」
洋は畳に横になったままで、自分の顔を指差した。
「僕は太平屋の一人息子で、後継ぎだ。あくせくと努力せずとも将来は店の主人になれるんだ。太平屋の莫大な財産は僕が受け継ぐし、店で働いている人間は全員僕より下だ。だから一生懸命努力するなんてことをする必要は無い」
「では、洋さまは太平屋の主人になられたら、どのように店を切り盛りされるおつもりなんですか?」
「店のことは普段は信用のできる人に任せて、僕はたまに重要なことで指示を出すだけにするよ。僕は一日中本を読んでいたいんだ」
「旦那さまは一日中店に関わってらっしゃいますが、そうはされないということですか?」
「そう。それがわずらわしいんだ」
洋は右手の人差し指を立てると、数回振った。
「お父さんは、ただ顔見せだけの会合とかに頻繁に出なきゃいけなくて、それにかなり時間を取られているんだ。そんなことに時間を取られるより本を読んでいた方が楽しいもの」
泉後は洋が赤ん坊の頃から知っているために、洋のことを全て知っているような気になっていたが、それが間違いだと分かった。
(頭の中では、そのようにお考えだったとは……)
泉後は別な質問をした。
「筆頭手代の杉田秀雄さんのことは、どうなさるんですか?店の乗っ取りを企んでいますが?」
「潰すよ」
洋はあっさりと答えた。
「杉田は太平屋が自分の物になるつもりでいるから、今は店を儲かるように一生懸命働いてくれている。利用価値がある間は、そのままにしておくよ。僕に害をなすような存在になったら潰すよ」
「なるほど、そのようにお考えでしたか」
泉後は納得したが、新たな疑問が生まれた。
「あの、そのようにお考えでしたら、何故、今回大儲けのための旅に出られたのですか?」
「タケのためだよ」
洋は武子に視線を向けた。
「タケの家は大金を必要としている。お父さんがタケを僕の嫁にもらうことを断れば、タケはどこか別の金持ちの家に嫁に行かされるだろう。そんなのは嫌だからね」
「なるほど、そういうことですか」
泉後は分け知り顔になって、洋と武子の顔を交互に見た。
「すいません。泉後さん。あたしと洋を二人きりにしてくれませんか?二人で話したいことがありますので……」
それまで洋と泉後の会話には加わらなかった武子が口を開いた。
「これは気が利かないことで、あとは若いお二人に任せて、私は退散します」
泉後はお見合いの世話人のようなことを言うと、部屋から出ていった。
洋は果物をまた口に入れた。
「洋、また『巫女実』を食べているのか?それは六歳までの子供が食べる物だぞ?」
武子がからかうような口調で言うと、洋は反論した。
「タケ、分かって言ってるだろ?この果物には乗り物酔いを抑える効き目もあるんだ」
「巫女実」は巫女王の領地のみで栽培されている果物である。
巫女実は、特別な保管方法を取らなくても一年以上腐ることがなく「創造神が巫女王に与えた奇跡の果物」と呼ばれている。
栄養価が高いため成長期の六歳までの子供には無料で配られている。
六歳以上の人間も食べることはできるが、それなりに高い代金を払わなければならず。味は蜜柑とたいして変わらないため六歳以上になると食べる人は、ほとんどおらず。「巫女実は六歳までの子供が食べる物」というのが一般的な認識であった。
しかし、最近蒸気機関車と蒸気船の普及により、乗り物に乗って旅行する人間が増えた。
乗り物酔いする人間が、巫女実を食べると酔いが抑えられることが分かったため、「酔い止め」として巫女実は食べるられるようになっている。
「それはともかくとして……」
武子は話題を変えた。
「泉後さんは、俺と洋が男女の恋愛関係にあると思っているらしいな?」
武子は泉後には女言葉を使い、きちんと座布団に正座していたが、足をくずして男言葉になった。
「僕とタケが『男同士の友達』だと言っても、泉後には理解できないだろう。『男女の間に友情は存在しない』って言葉もあるくらいだし」
武子は洋をにらみつけた。
「男女の間って……、洋まで、俺を女扱いするのか!?」
洋は、慌てて首を横に振って、手を振った。
「違う!違う!タケの肉体は正真正銘の女なんだ。本当は男だなんて分かるのは、僕ぐらいだろ?」
武子はうなづいた。
「確かに俺は体は『女』として生まれたが、本当は『男』なんだ。父上も母上も俺が男の格好をして、男言葉を使って、男として行動するのを『男勝り』だと思っている」
武子は忌々しそうにしゃべった。
「タケのことを『男勝り』と言うのは間違っているよ。『男勝り』という言葉は『女性』に対しての言葉で『男性』であるタケに使う言葉じゃないよね」
武子は嬉しそうな表情になった。
「そうなんだ!洋は、そこのところが分かってくれるよな!なのに俺の両親は、俺に女の服着せたりしようとするんだ。そうすれば、俺が女らしくなると思っているんだ。俺は『男』だっていうのに!」
「ところで、少し深刻な話をするけど……」
洋は話題を変えた。
「タケは、将来どうするつもりなの?僕はタケが『男』だと分かっているけど、世間は『女』としか扱ってくれないよ?」
武子は真剣な表情になった。
「そうなんだよ。もちろん俺も分かっている。そのことで、俺から洋に提案があるんだ」
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