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第五話

タケと熊雄(くまお)のケンカは、長い時間続いていた。


お互いに力と技を全力で出し合った。


日は西に傾き、夕方になった。


それでも観客の子供たちは、誰一人帰る者はいなかった。そして結果を見届けた。


タケも熊雄も大の字になって、地面に横たわっている。


二人とも疲れ切って、立つこともできなくなってしまったのだった。


「チクショーッ!!結局最後まで引き分けかよ!」


熊雄は地面に横たわったまま、悔しそうに叫んだ。


「でも、いい勝負だったよ。熊雄」


タケは這って熊雄の隣に横たわると、笑顔を向けた。


「ああ、そうだな」


熊雄も笑顔を返した。


二人は笑顔を交わしたまま、しばらく見つめ合った。


「ところで、タケ。お前も相撲取りになって、大相撲の土俵の上で、おいらと勝負しないか?お前は今は細い体しているが、食えば太くなるんじゃないか?」


熊雄の発言に、周囲の女子たちから声が上がった。


「えーっ!太ったタケさまなんて見たくない!」


「でも、裸に廻しを着けた姿は、ちょっと見たいかも……」


タケは首を横に振った。


「すまないけど、俺は土俵の上に立つことはできないんだ」


熊雄は少し残念な顔になった。


「おいらの父ちゃんは、野菜の入った籠を下げた天秤棒を肩に担いで、町中を売り歩いて一日に僅かな小銭を稼いでいる。おいらの家族の住んでいるのは、貧乏長屋だ。そこから抜け出したくて、おいらは腹一杯飯が食えて、出世すれば高い給金が貰える相撲取りになることにしたんだ。でも、タケは大商人の跡取りなんだろ?辛い稽古のある相撲取りになる必要は無いよな」


「いや、そういうわけじゃ……」


タケが戸惑っていると、熊雄は笑顔を向けた。


「別においらは、おいらを不幸だと思っているわけでも、タケを羨ましがっているわけでもない。おいらは、おいら自身の力で大横綱になってみせる!」


「自分の力で、今の境遇から抜け出せるのは羨ましいな」


タケのつぶやいた言葉の意味を聞こうと、熊雄が口を開きかけた時にゴロゴロと車輪が地面を走る時の音が近づいてきた。


音の正体は人力車だった。


車夫が引く一人乗りの人力車が四台であり、その内二台には空で、残り二台には人が乗っていた。


乗っている人間は一人は、太平屋の一人息子である太平屋洋(たいへいや・ひろし)であり、もう一人は手代の泉後健(せんご・たけし)であった。


洋は人力車から降りると、地面に横たわっているタケたちに近づいた。


「やっぱり、二人とも足腰立たなくなるまで、やり合ったんだね?」


「おう!洋!外で会うのは久しぶりだな!」


熊雄が洋に答えた。


「それじゃあ自分で歩いて家に帰れないだろう?人力車を用意して来たから、タケも熊雄も家まで送るよ」


「借りは作りたくない……と言いたいところだが、今日はお言葉に甘えよう。この借りは、おいらが相撲取りとして出世したら、必ず返すからな!」


「楽しみに待っているよ。車夫さんたちお願いします」


車夫は四人がかりで熊雄を持ち上げて人力車に乗せた。


「じゃあな。タケ、洋、機会があったらまた会おう!」


熊雄はお別れの挨拶をして、タケと洋の顔を見た。


タケは硬い表情をして、睨み付けるような目で洋を見ていた。


(どうしたんだ?タケのヤツ?タケと洋は仲が良い親戚同士だと思っていたんだが……。あんな表情をタケが洋に向けるの初めて見るぞ)


「出発しますよ」


車夫が熊雄に声をかけて、人力車が動き出した。


熊雄の疑問は解けることなく、空き地から去って行った。


熊雄が去った空き地で、泉後も熊雄と同じような疑問を内心で浮かべていた。


(どうしたのだろう?タケさまは?タケさまと洋さまは仲が良いお友達同士だと思っていたんだが……。あんな目で、洋さまを睨み付けるのなんて見るのは初めてだ)


「泉後。用意してきた物をみんなに配ってくれ」


泉後は洋の指示で我に返ると、人力車に載せていた荷物を降ろした。


荷物は大量の竹筒の水筒だった。


水筒の中身は、砂糖入りの冷水である。


砂糖はそれなりに高価な品物であり、子供にとっては贅沢品だ。


水筒を配られた観客の子供たちは、喜んで飲んでいた。


「うーっ!冷たくて、うまい!」


「砂糖もたくさん入っていて、甘くて美味しいわ」


「洋は、こういうところが気が利くよな」


(洋さまは昔からの友達たちの前では、それなりに話せるし、それなりに行動できる。だが、初対面の人の前ではまともに喋ることもできない。それが残念だ)


泉後が、そう考えている間に水筒を受け取った子供たちは、空き地から出て家に帰って行った。


「それじゃあ。タケ。一緒に僕の家に行こうか?」


洋の言葉に、タケは睨み付けるような表情のまま無言でうなづいた。


「タケさまは、人力車でご自宅までお送りするのではないのですか?洋さま」


泉後の疑問に、洋は答えた。


「タケは僕の家に用事があるんだ。そうだよね?タケ」


タケは無言でうなづいた。


「それじゃあ。行こう」


洋の言葉で、洋、タケ、泉後は、それぞれの人力車に乗り出発した。


人力車で移動している間、泉後はずっと考えていた。


(タケさまは、太平屋に何の用事があるのだろうか?一年前に洋さまが『新しい友達ができた』と、タケさまを家に連れて来られた時は、旦那さまと私は喜んだ。洋さまが自分から積極的に友達をつくったのは初めてだったからな)


泉後は、洋とタケが友達になってからの出来事を思い出していた。


(タケさまは外で活発に遊んで、家の中に籠もって本ばかり読んでいる洋さまとは、正反対だ。洋さまもタケさまに誘われて少しは外で遊ばれるようになった。それは嬉しいことだった)


ここまで思い出して、泉後の頭の中に新たな疑問が浮かんだ。


(そう言えば、タケさまの名字は何なんだ?親御さんは何をしている人なんだ?どこに住んでいるんだ?そんな基本的なことを、私はまったく知らないぞ!)


泉後は疑問を解こうと質問しようにも、洋もタケも走っている別の人力車に乗っているので、それはできなかった。


三台の人力車は、太平屋の玄関の前で止まった。


「洋さま。質問があるのですが……」


人力車から降りた泉後は、タケについての疑問を洋に質問した。


「泉後!今頃になって、そんなことを疑問に思ったの?」


洋は少し呆れたような顔になった。


「はい。恥ずかしながら……」


「まあ。無理もない。そういうことを質問されないように、僕もタケもはぐらかして来たからね」


「はぐらかすとは……。何故ですか?」


「詳しいことは、お父さんの前で話すよ」


家の応接間には、洋の父親である太平屋元(たいへいや・はじめ)が待っていた。


洋、タケ、泉後が部屋に入って座布団の上に座った。


「洋の友達のタケくんじゃないか?久し振りだね。元気だったかい?」


元の挨拶に、タケは硬い表情のまま無言でうなづいた。


その態度を怪訝に思いながらも、元は洋に顔を向けた。


「ところで、洋。ワシに話があると言っていたが、いったい何だ?」


豪石武司(ごうせき・たけし)さまは、もう帰ったよね。千両の借金を申し込まれたけど、どうするの、お父さん?武子(たけこ)を担保代わりに、僕と結婚させるとまで言って、土下座して頼んでいたけど?」


洋は元の質問に答えずに、質問を返した。


洋の隣に座るタケは、ますます表情を硬くした。


「身分としては一番下のワシら商人が、一番上の武士と婚姻できるのは、大きな名誉とされているが……」


元は悩んだ顔になっている。


「表面的な名誉よりも、実質的な利益を重視するお父さんとしては、豪石さまからの申し入れは断りたいんだね?」


「その通りだ。下手に財政が悪化している武家と婚姻関係を結んで、多額の金銭を援助したため家が傾いた商人は多い。金銭的には明らかに損失に繋がる」


「でも、その場で豪石さまに断らなかったよね?」


「ワシは『考える時間をください』と言ってハッキリとは答えなかった。豪石さまとは長年の付き合いがあるし、お武家さまが娘を商人に嫁がせようとするのは、かなりの覚悟がなければできない決断だ。簡単に断ることはできん」


「豪石さまは、千両借りられたとしたら、何に使うつもりなんだろう?」


「そこは、ワシに話してくれなかった。まあ、想像はつくが……」


「僕にも分かるよ。豪石さまは大将軍府の重役への贈答品を買うためのお金が欲しいんだね」


「その通りだ」


「この場合の贈答品は、言葉通りの意味ではなくて、袖の下……、つまり賄賂のことだね」


「もちろん。そうだ」


「豪石武司さまは今は無役で、大将軍府でなんの役職にも就いていないからね。役職を得るためには、あちこちに賄賂をばら撒かなければ、ならないわけなんだね」


洋がニヤニヤ笑うと、元もニヤニヤ笑いを返した。


「洋、お前は頭は悪くない。これで、もう少し人見知りしなくて、初対面の人の前でもまともに喋れればなあ……」


ここで、元は同じ部屋にタケがいることに、今更ながら思い出した。


「おい!洋!ワシもうっかりしていたが関係の無い人の前で、豪石さまの家の内部事情をべらべら喋るんじゃない!」


怒って声を荒げた元に対して、洋は冷静に応じた。


「関係の無い人って、タケのこと?大丈夫だよ。タケは関係者だから」


「タケくんが関係者とは、どういう……」


ずっと無言だったタケが初めて口を開いた。


「俺は……。いえ、あたしは武子(たけこ)です。豪石武司(ごうせき ・たけし)の娘の豪石武子(ごうせき ・たけこ)です!」


そう言われて、元はまじまじとタケの顔を……、いや、武子の顔を見つめた。

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