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第十七話

数ヶ月後、北東島の北限湊(ほくげんみなと)に、一隻の船が入港した。


その船は、港の人々から注目を集めていた。


船その物は平凡な中型船であったが、その甲板の上にある物が異彩を放っていた。


それは甲板に設置された起重機であった。


甲板に設置された起重機は、船から荷物を降ろしていた。


今までは港に荷物の積み降ろしのために起重機を設置する発想はあったが、船その物に起重機が設置されたのは、これが初めてであった。


北限湊の港を縄張りとする北湊屋(きたみなとや)は、港への起重機の設置に反対し続けていたが、船その物に起重機を設置することについては抗議をすることはできない。


船その物は所有者の物であるのは当たり前のことであり、それに文句を言うことなど誰にもできないからだ。


その光景を見て、北東島で採掘される石炭を独占している黒石屋(くろいしや)の主人である黒石屋黒衛門(くろいしや・くろえもん)は、顔に満面の笑みを浮かべていた。


「ははっ!こりゃ、良いや!あの頑固な北湊屋のヤツも、これじゃあ文句を言うことができなくて、悔しい思いをしているだろうぜ!」


起重機が設置された中型船に乗って太平屋(たいへいや)の手代である泉後健(せんご・たけし)は、北限湊を再び訪れていた。


泉後は、黒衛門をたしなめるように言った。


「黒石屋さん、北湊屋さんとは友好的な関係を築いてもらいませんと、起重機が使えるようになったことで、船への荷物の積み降ろしができる量も速さも増大しますから、人手は今までよりも多く必要になるのですよ」


泉後のたしなめるような言葉にも、黒衛門は笑みを崩すようなことはなかった。


「分かっていますよ。泉後さん!まず、この中型船で試験的に起重機での荷物の積み降ろしをやれば、北湊屋も自分にとって損ではない。むしろ、得だと分かるでしょう!」


黒衛門は、あらためて船の上の起重機を見つめた。


「泉後さんは頭が良いですな!船その物に起重機を設置することなど今まで誰も思いつかなかった!こうして見ると、こんな簡単なことを思いつかなかった自分たちの方が馬鹿みたいですな!」


黒衛門は自分を卑下するように言いながら、泉後のことを愉快そうに尊敬の目で見ていた。


(船の上に起重機を設置することを思いついたのは、(ひろし)さまなのだが、黒石屋さんは私が思いついたのだと思っている。私がすべてを仕切っているかのように見せ掛けるように、洋さまから指示されているのだから仕方ないが……、人を騙すのは心が痛む……)


そんな泉後の内心を知らない黒衛門は、明るく声をかけた。


「どうしたのです?泉後さん。難しい顔をなさって、これから協力して大儲けをするのですから、明るく行きましょう!」






現在四十歳の泉後は、五年前自身が三十五歳だった頃の回想から戻ってきた。


気がつくと、泉後は店にある番頭の部屋で座布団に座って緑茶を飲んでいた。


お茶菓子は羊羮であった。


泉後は羊羮を口に入れた。


(甘い!)


上品な甘味が口の中に広がった。


この羊羮は、上流階級の間では贈答品に使われるほどの高級品であり、普通は滅多に口にできるものではない。


しかし、この部屋にはいくつもの菓子箱が無造作に置かれていた。


羊羮を食べながら泉後は、部屋に並べられている菓子箱をうっとりと見つめていた。


例えは悪いが、その目つきは好色な若い男子が遊廓で遊女を品定めしているようであった。


甘いお菓子を食べている時が、泉後にとって至福の時間であった。


貧乏性子沢山の農家の十人兄弟の末っ子に生まれた泉後は、口減らしのために大平屋に丁稚奉公に出される前は、生の大根をかじってかすかな甘味を感じるのが最高の贅沢であった。


大平屋に丁稚として入ってから、初めて砂糖を使った菓子を食べたのである。


それ以来、泉後は甘菓子の虜になっている。


意識をすべて羊羮を食べて甘味を感じることに集中していたので、部屋の襖が開いて人が入って来たのに気づかなかった。


泉後は羊羮を食べ終わると、次は饅頭の箱に手を伸ばした。


「泉後、饅頭を食べるのは、ちょっと待ってくれ」


声をかけられて、泉後は部屋に他に人がいるのに気づいて目を向けた。


すぐ側にいたのは、今年十五歳になる大平屋の主人、大平屋洋(たいへいや・ひろし)であった。


「洋さま、おいででしたら、すぐ声をかけてくだされば」


洋は苦笑した。


「甘い物を食べている時の泉後に声をかけたって無駄だろ?相変わらず凄い集中力だ」


「はい、甘い菓子を食べている時が、私がもっとも幸せに感じるのです」


恥ずかしそうに、泉後は答えた。


「これでは仕事に支障が出るかもしれないな。店にいる時は、泉後が甘い物を食べることを禁止しようか?」


「そんな!私の家の中では妻に甘い物を食べることを禁止されているので、店にいる時にしか食べられないんですよ!」


「何で、泉後の奥さんに禁止されているんだ?」


「私が甘い物を食べている時の顔がだらしなくゆるむので、見苦しいと言うのです」


「お前の奥さんだろ?はっきりと主張したらどうだ?」


「妻は、だらしない顔を見せては、子供たちに示しがつかないと言うのです。妻は私を『優秀な商人』だと思っているので、威厳を持って子供たちに接して欲しいと思っているんです」


「妻の命令に逆らえないとは、泉後は愛妻家と言うより恐妻家だな」


洋は部屋に並べられている菓子箱に目を向けた。


「女遊びも、飲酒も、博打もしない泉後の唯一の楽しみが甘いお菓子を食うことなのだから、奥さんも許してやれば良いのにな」


「妻を説得してくださいますか?」


「やだよ、めんどくさい……、じゃなくて、夫婦の問題は夫婦の間で解決すべきだよ」


本気で期待していたわけではなかったが、泉後は肩を落とした。


洋は菓子箱の一つを手に取った。


「この羊羹は、黒石屋さんからの贈答品だな。泉後、お前は僕が甘い物が好きだということにして、高級なお菓子を取引先から貰っているそうだな?」


洋は皮肉っぽく笑った。


「そ、それはですね……」


泉後は少し慌てた感じで言い訳を始めた。


「いつだったか黒石屋さんに『お好きな物は何ですか?』と聞かれたので、私のことを聞かれたと思って『甘いお菓子です』と答えたんです。ですが私の勘違いで、洋さまのことを質問していたんです。そうしたら黒石屋さんは『洋さまは甘いお菓子が好き』と思って贈答品にお菓子を送ってくるようになりまして、他の取引先も黒石屋さんにならうようになりまして……」


「僕は甘い物が好きだけど、泉後ほどじゃないぞ。泉後に送られてくる物は、泉後は全然食べてないじゃないか?」


「私に送られてくるのは、酒のつまみばかりなんですよ。私は酒は嫌いですのに!」


「世間では大平屋の番頭さんは『物凄い酒豪』ってことになってるぞ」


「商売上のお付き合いで宴会などで飲まなければならないこともあるんですよ」


「宴会での飲み比べでは、いつも勝っているそうじゃないか?」


「私は体質的に酒に酔えないんです!宴会で飲み比べを挑まれたので、仕方なく応じたら、相手の方が先に潰れまして、その人が酒飲みの間では有名な酒豪だったんで、それ以来宴会のたびに飲み比べを挑まれるんです!」


洋は饅頭の箱を手に取った。


「こっちは北湊屋さんからのだな」


泉後は、うなづいた。


「はい、五年前に洋さまが思いつかれた起重機付きの船を北東島と中央島の間の海上輸送に大量に投入したため、荷物の積み降ろしに掛かる時間は短縮され、輸送量は飛躍的に増大しました。それにより、我が大平屋、黒石屋さん、北湊屋さんも利益が増大しました。それ以来友好的な関係でいますので定期的に贈答品を送ってくれているのです」


「確かにこの羊羮も饅頭も高級品で高いが、泉後には番頭として高い給金をやっているだろ?贈答品で貰わなくても、食べたければ自分で買えば良いんじゃないか?」


泉後は情けなさそうに声を出した。


「私の財布のひもは妻がしっかりと握っているんです。高級なお菓子を買うことなど、とても許してはくれません」


「やれやれ、さて、楽しい雑談はこれくらいにして、本題に入ろう」


今までの会話は、二人の間で行われる毎回の儀式のような物で、洋は泉後の甘いお菓子が好きなことについて本気で文句を言うつもりは無い。


「これを読んでくれ」


洋は懐から紙を取り出すと、泉後に渡した。


「南西島で、三日前に発行された瓦版ですな」


「そうだ、ここの記事を読んでくれ」


洋が指差した部分には次のような記事があった。






先月より体調を崩されておられる南西家(なんせいけ)当主、南西零郎太(なんせい・れいろうた)のご容体を南西島の民衆は心配しています。


当瓦版は、南西家のご嫡男であられる南西三郎太(なんせい・さぶろうた)さまに面談のお許しをいただき、お話を聞くことができました。


その内容を記します。


当瓦版「ご当主さまのご容体は、どうなのでしょうか?」


三郎太さま「父上は順調に回復に向かっている。近々民衆のみなさんの前に元気な姿を見せることができるでしょう」


当瓦版「一部では回復の見込みはないのではないのか?という噂もありますが?」


三郎太さま「それはただの噂にすぎません。医師の見立てでは命に危険はありません。噂に惑わされないように、みなさんは注意してください」






記事を読み終わると、泉後は顔を上げた。


「洋さま、この記事がどうかしたのですか?南西家の当主が体調を崩しましたが、回復に向かっているとのことじゃないのですか?」


「南西家の当主が人前に姿を見せなくなったのは、先月からじゃない。半年前からだ。寝たきりの重い病気じゃないかという噂があった。その記事では否定はしているが、死に至る可能性にも触れている。その記事の狙いは、おそらく……」


「おそらく……、何ですか?洋さま」


「南西家の当主が本当に死んだ時に、民衆の動揺を押さえるためだろう」






同じ頃、南西島にある城の一室では南西家の当主である零郎太が寝ていた。


部屋に他にいるのは、三郎太ただ一人であった。

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