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第十五話

港から見える東の水平線が、だんだんと明るくなってきた。


黒石屋黒衛門(くろいしや・くろえもん)は東の海から昇る朝日を眩しそうに見つめていた。


彼は一晩中不眠不休で働いていて、疲れ切った顔になっていた。


「旦那さま」


黒石屋の番頭が黒衛門に声をかけてきた。


番頭も疲れ切った顔をしていたが、顔には明るい笑みがあった。


「終わったのか?」


黒衛門は、番頭の表情に期待を込めて尋ねた。


番頭は明るい笑顔でうなづいた。


「はい、先ほど、日が昇る前に、指定された船への石炭の積み込みは全て完了いたしました」


「ぎりぎりだな」


黒衛門は安堵して、大きく息を吐いた。


東の海を昇っている朝日を再び見た。


「さっきまでは『まだ、昇らないでくれ!昇らないでくれ!』と祈っていたが、こうやって見ると、綺麗な物だな、朝日は!」


黒衛門は晴れ晴れとした顔になった。


「旦那さま。一晩中、石炭の積み込みを監督していたのですから、さぞやお疲れでしょう?残りの仕事は、私がやっておきますので、帰ってお休みになられては?」


番頭の提案に、黒衛門は笑顔で首を横に振った。


「いや、ここまでやったんだ。最後の詰めも自分自身でやりたい。目論みが外れて悔しがるだろう太平屋(たいへいや)の連中の顔も見たいしな」


「まったくです!旦那さま!起重機についての嘘の噂を流して、北湊屋(きたみなとや)に船への石炭の積み込みを拒否させて、夜明けまでの期限に積み込みできなくして、賠償金二万両をせしめようとは!太平屋の奴らは悪知恵が働きますな!」


「静かに!番頭!そのことを人に聞かれるような真似をするな!」


興奮して声を大きくしてしまった番頭は、黒衛門からの注意を受けて、周囲に自分たちの他は誰もいないことを確かめてから声を潜めて尋ねた。


「旦那さま。そのことについて太平屋の奴らに抗議しないというのは、本当ですか?」


「ああ、何の証拠も無いからな。下手に騒ぎ立てると、こちらが言い掛かりをつけていることになりかねん。石炭の積み込みのために通常の三倍の料金を支払い。夜間の照明代まで出したが、結果としては黒字だ。二万両の賠償金を支払わずに済んだのだから、それで良しとしよう」


会話をしている二人に、黒石屋の丁稚が小走りで近づいて来た。


「旦那さま。番頭さん。太平屋の泉後(せんご)という方が、お見えになってあります」


黒衛門と番頭は顔を見合わせると、にやりと笑った。


「よし!番頭!向こうの悔しがっている顔を見物に行こうじゃないか!」


港にある黒石屋の出張所の応接間に、太平屋の手代である泉後健(せんご・たけし)はいた。


座布団に座る泉後の前の畳には、何も置かれてはいなかった。


通常礼儀作法として、来客にはお茶とお菓子を出すのが常識である。


そのため来客を、どんな風に迎え入れた側が思っているのか、どんなお茶やお菓子を出すかで暗に示す場合がある。


最高級のお茶やお菓子を出す場合は、最大限に来客を歓迎しているということである。


安物のお茶やお菓子の場合は、来客をその程度にしか評価していないことになる。


何も出さないというのは、最底辺のあつかいである。


泉後は何も置かれていない畳を見つめながら考えていた。


(このあつかいは……、(ひろし)さまの指示で行った昨日の契約は、かなりの悪印象を黒石屋さんに与えたらしい。しかし、二万両の賠償金を得ることが洋さまの目的では無いそうだが、それなら、どのようにして洋さまは儲けるつもりなのだ?いくら考えても分からない!)


「失礼しますよ」


閉じている襖のすぐ外から声がした。


「どうぞ、お入り下さい」


泉後の返事のすぐ後に、襖が開かれて黒衛門と番頭が応接間に入って来た。


黒衛門は泉後と向かい合わせに座り、番頭は黒衛門の左後に座った。


黒衛門は得意気な顔で懐から紙を取り出した。


「太平屋の手代の泉後さん。石炭の積み込みは日の出前に終わりました。これが、その証拠です」


黒衛門が懐から取り出した紙は「船荷積み込み証書」であった。


「船荷積み込み証書」とは、船に積み込んだ荷物の品名・数量・積み込み完了時刻が記入されている。


荷主に、それを渡すことで手続きは終了する。


ここ北東島は大将軍府の直轄地であり、大将軍府から派遣されている代官が、この島を統治している。


ここ北限湊(ほくげんみなと)は、北東島の特産物の積出港として大将軍府から重視されている。


そのため港には、船の荷物の積み降ろしに不正が無いよう監視するために、代官所から役人が派遣されている。


「船荷積み込み証書」への記入は役人の立ち会いの下で行われるため、虚偽の記入をした場合は厳罰に処せられる。


黒衛門は、泉後の前の畳の上に船荷積み込み証書を置くと、積み込み完了時刻のところを指差した。


「ここを良く見て下さい。積み込みが完了したのは、日の出前の時刻です」


黒衛門は得意気な顔の口を大きく開けて、泉後のことを馬鹿にするかのように笑った。


「こちらは契約に違反していないのですから、太平屋さんに二万両の賠償金をお支払する必要はありませんな!」


黒衛門は泉後の悔しがる顔が見れると思い。期待して、それを待った。


「はい、確かに。これで石炭の積み込みの完了は確認できました。それでは、これで失礼しますよ」


黒衛門の期待に反して、泉後は平静な態度のまま船荷積み込み証書を受け取ると、立ち上がって応接間から出ていこうとした。


「ちょ!ちょっと、待って下さい!泉後さん!」


期待がはずれた黒衛門は、思わず泉後を呼び止めた。


「何でしょうか?黒石屋さん」


襖の前で立ち止まって、泉後は振り向いた。


「いや……、その……、何か言うことは、ないのかね?」


黒衛門は呼び止めたが、「二万両の賠償金を取れなくて、悔しくないのか?」と聞くわけにもいかず。言葉を濁した。


「何か?言い忘れたことが、あったでしょうか?」


泉後は平静な態度のまま答えた。


その態度に黒衛門は戸惑った。


「その……、このままだと、太平屋さんは五千両の損をしてしまうだろう?」


「このままでしたら、確かにそうですね」


「それを問題には感じてはいないのかね?太平屋の手代の泉後さんは?」


「いいえ、まったく問題には感じてはおりません」


泉後にすれば今回の計画は、洋の指示によって行っているだけで、例え失敗して大きな損を出したとしても自分に責任は無いので気楽であった。


黒衛門は、予想外の泉後の言葉に何も言うことができず。言葉に詰まってしまった。


黙り込んでしまった黒衛門に、泉後の方から声を出した。


「他にご用件が無ければ、これで失礼いたします」


「ああ、どうも……」


泉後は応接間から出て行った。


「どういうことなのでしょうか?旦那さま」


番頭が黒衛門に尋ねた。


黒衛門は泉後が出ていった閉じられた襖を見つめて、黙って考え込んでいたが、やがて大きなあくびをした。


「うーっ。駄目だ。眠い。考えがまとまらん。家に帰って、寝ることにしよう。番頭、おまえも一晩中働いていた店の者たちも、今日は一日休みにしよう」


黒衛門は人力車で自宅に帰ると、布団に入ったとたんに眠ってしまった。






「旦那さまに、お知らせすべきだろうか?」


「いや、知らせても、どうにもならないことのようだから、このまま寝かせておいた方が良いのでは?」


「しかし、お知らせしなかったら、後で旦那さまは、お怒りになるのでは?」


眠っていた黒衛門は、話し声で目を覚ました。


聞き覚えのある黒石屋の店の者たちの声であった。


どうやら、黒衛門の寝ている部屋のすぐ外で数人が何やら相談をしているらしかった。


黒衛門が布団に横になったまま柱時計を見ると、正午に近かった。


「お前たちの話し声で目が覚めてしまった。何か、報告しなれなばならないことがあるのなら、部屋に入って来い」


襖が外から開いて、数人の丁稚が部屋に入って来た。


「旦那さま。お休みのところを、起こしてしまったようで、申し訳……」


丁稚の一人がお詫びを言おうとしたのを、黒衛門は手で制した。


「とにかく、報告を聞かせてくれ」



「それが……、その……、ですね……。黒石屋に関係があると言えばある。無いと言えば無い話なのですが……」


「はっきりしないな!とにかく要点を言え!」


徹夜で疲れ切って、気持ち良く寝ていたところを起こされた黒衛門は、少し苛ついて声を荒げた。


丁稚は意を決したようで話始めた。


「今日の日の出前に、太平屋さんの注文で船に石炭を積み込みましたよね?」


「そうだが、それがどうかしたのか?」


「太平屋さんは、船に積んだ石炭を他のところに売ろうとしているんです」


「当たり前のことだろ。それは!」


丁稚の言葉に、黒衛門は声を荒げた。


石炭を最終的に購入する人間の目的は、燃料として使用することである。


しかしながら、石炭を最終的に購入する人間、言い換えれば「消費者」の手元に渡るまでは、複数の「仲買業者」通るのが普通である。


「仲買業者」は、購入した値段より高く売ることで利益を得ている。


「……と、言うようなことは商人にとっては常識だろ!まだ下っぱの丁稚にすぎないお前たちにも分かるはずだ!太平屋さんが石炭を買ったのも自宅の暖房や食事の煮炊きするためじゃない!他のところへ転売するためだ!」


「ですが、旦那さま」


声を荒げた黒衛門に、丁稚がおずおずと話を続けた。


「太平屋さんは船一隻分の石炭を一万五千両で買ったのですよね?今の石炭相場では一万両でしか売れませんから、五千両の損失がでますのに」


その言葉に、黒衛門は考え込んだ。


明け方は、眠くて考える気も起きなかったが、一眠りした今は、頭がさえていた。


「ひょっとして、太平屋は石炭を相場の一万両より高い値段で売ろうとしているのか?」


「その通りです。旦那さま」


「馬鹿な!今は石炭は余り気味だから、一万両以上で売れるわけがない!」


黒衛門の言葉に、丁稚は首を横に振った。


「いいえ、それが、太平屋さんの跡取り息子が泊まっている旅館に、相場より高い値段で買おうとしている商人が数人訪れているんです」

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