第十四話
熊田熊雄が入った旅館の部屋には、太平屋洋の他には、豪石武子と泉後健がいた。
熊雄は話を続けていた。
「洋が言った通り、おいらが太平屋の一人息子の洋と友達で、洋が黒石屋と港に起重機を設置するための商談に来た。という話を北湊屋の手代にしただけで、番頭どころか、北湊屋の主人の部屋に直接通されたのは驚いたよ」
洋は笑った。
「それだけ北湊屋は起重機を設置されて、既得権益が侵されるのを怖れているわけだ。僕が熊雄の口を通した偽の情報を信じ込んで、この騒ぎになっているわけだ」
「洋。その状況に変化が起きたぞ」
「どんなの?」
「黒石屋は今晩に限り普通の三倍の荷運びのための料金を支払うことで、北湊屋と話がついたそうだ」
洋は少し真剣な顔になって尋ねた。
「起重機を港に設置する話については、どうなったの?」
「それについては、また改めて話し合いの場を設けるということで、結論は先送りだそうだ」
「それは良かった」
「良くはありませんぞ!洋さま!」
泉後が話に割り込んだ。
「石炭の積み込みを妨害することで、明日の夜明けまでの船への積み込みの刻限に黒石屋が遅れることで、二万両の賠償金を得ようとして……」
泉後の声は、だんだんと尻すぼみになっていった。
なぜなら、洋、武子、熊雄の三人が揃って「この人は、何を的外れなことを言っているのだ?」という顔で泉後のことを見たからだ。
「ああ、そうか」
洋は何かに気づいたように、うなづいた。
「泉後には、あの契約書の本当の意味を言ってなかっなね」
泉後は驚いた。
「何ですと!?二万両の賠償金を得ることが目的ではなかったのですか?」
「石炭を買うために、すでに一万五千両黒石屋に支払っているんだ。二万両の賠償金を得たとしても、差し引き五千両の儲けにしかならないじゃないか、僕が狙っているのは、もっと大きな金額だよ」
泉後は、武子と熊雄の顔を見た。
「武子さまと熊雄くんは、洋さまの本当の目的を知っているようですが、何故?私には教えてくださらなかったのですか?」
洋は少し厳しい表情になった。
「泉後。僕のお父さんが泉後に『こういうことをやれ』と言って、その理由を説明しなかったことは何度もあったけど、それに泉後は文句を言ったことがあるの?」
泉後は慌てて首を横に振った。
「いいえ、旦那さまに文句を言うなんて、そんな畏れ多いことはしたことありません」
「だったら、太平屋の跡取りである僕の言うことにも、文句は無いよね?泉後」
泉後は首を縦に振った。
「はい、洋さまのおっしゃる通りです」
洋は笑顔になった。
「僕たち三人は、これから子供同士で話があるから、泉後は自分の部屋に戻ってよ」
「承知しました」
泉後が部屋から出ていくと、熊雄が口を開いた。
「なあ、洋、ガキ大将やってたおいらの経験から言わせてもらって良いか?」
「なんだい?」
「泉後さんはおまえの店の手代なんだから、おまえの部下みたいなもんだが、部下にはもう少し気を遣った方が良いぞ」
「どういうこと?」
「一方的に命令されるだけで、その理由を説明されないというのは、その人にとってかなり不満がたまるもんだぞ」
武子が話に入ってきた。
「熊雄。どういうことだ?家臣たるものは、主君の命令には疑問も不満も持たずに従うのが当然ではないか?」
洋は笑いだした。
「どうしたんだ?俺の言ったこと、何か可笑しかったか?」
「いや、突然笑いだして、ごめん。武子。でも僕たち三人の身分の違いが改めて分かるなって思ったんで可笑しくなったんだ」
「何が可笑しいんだ?おいらにも分かるように話してくれ」
「つまりね」
洋は説明を始めた。
「武子の実家は武家だ。戦の無い平和な世の中が長く続いているけど、元々は戦場で戦うのが武士の仕事だった」
「そうだ。俺の御先祖さまは戦国時代の初めの頃から戦場を駆け巡って、手柄を立てて、初代の大将軍さまから今の領地を恩賞として与えられたんだ」
「おいらは先祖代々百姓だったからな。戦国時代のおいらの先祖の中には、足軽として戦場で戦った人もいたらしいが、初代の大将軍さまが大将軍府を開かれて、身分というものをはっきりと分けられてからは農民になったんだ。町民になったのは、おいらの爺ちゃんが若い頃に首府に住むようになってからだ」
武子、熊雄に続いて、洋も先祖のことを口にした。
「僕の御先祖は戦国時代は、天秤棒を担いで二本の足であちこちを歩いて、品物を売り買いしていた行商人だったそうだけど……、話が逸れたから戻すけど、武子、武士は主君の命令には服従するように教育されるよね?」
「ああ、戦場で主君が自分の命じたことに、家臣が納得するまで説明しなければならないとしたら、短時間で状況が変化する戦場では間に合わない。戦いに負けてしまう。だから家臣たるものは、いちいち主君の命令に反論したりしてはならないんだ」
「そう。その考えが染み付いているから、武士は主君の命令には逆らわない。もちろん例外はあるけど。それに対して熊雄や僕のような町人は違う」
「どう違うんだ?」
「例えば、ガキ大将やっていた熊雄にはたくさんの子分がいたけど、熊雄はガキ大将って立場にふんぞり返っていたわけじゃない。子分の面倒を色々と見てやらなきゃならない。子分が誰かにいじめられそうになったら、守ってやらなきゃならないし、他のガキ大将に喧嘩を売られたら、戦って勝たなきゃならない」
「そうだよ。そうしなきゃ、おいらは他の誰かにガキ大将の座を奪われていただろう。洋の家みたいな大店だって、そうじゃないのか?雇い人だった番頭に店を乗っ取られて、店の主人が追い出されたなんて話をたまに聞くぞ?」
「そうだね。それが武士と僕たち町人の大きな違いだね。下剋上が横行した戦国時代では武士が上の者を倒して、取って替わるのはあたりまえだったけど、今の平和な世の中ではあり得なくなったからね。今の世の中では武士より町人の間での競争が激しいよ」
「おいらが疑問に思っているのは、そこだよ。洋がそれを分かっているなら、泉後さんに不満を持たれかねないことを何故するんだ?」
洋は熊雄の質問に答えた。
「泉後はさっきみたいな扱いを受けても、不満に思うことはないからだよ。泉後は自分で何かを思いつくような頭を持っていないことを自分で分かっている。だから、お父さんの命令を素直に聞いているし、僕に対してもそうなるだろう」
武子が疑問顔になった。
「自分の能力が低いと自覚している人は、周りを見返してやろうと自分の能力より高い事をやろうとして、大きな失敗をすることがあるが、泉後さんにはその心配はないのか?」
「無い!」
洋は断言した。
「泉後は『能力の低い自分』を受け入れることができる。ある意味でまれな才能の持ち主だよ」
武子は一応安心した顔になった。
「まあ、俺の『将来の夫』がそう言うなら、『将来の妻』の俺は納得するよ」
熊雄は、武子の方を見ながら洋に話し掛けた。
「おい、洋。本気でこんなのを嫁にするつもりか?」
熊雄の目に見える武子は間違いなく美少女であるが、畳の上に大の字になって横たわって、だらしなく脚を開いており、その美貌を台無しにしていた。
「こんな男だか女だか分からんヤツより、おまえの家は金持ちなんだ。他にいくらでも好みの女を嫁に貰えるだろ?」
「何だと!?熊雄!俺のことを『男だか女だか分からんヤツ』とは!俺は『男』だと説明しただろ!」
「体が『女』で、心が『男』だなんて、わけわからないこと言ってるんじゃないよ!」
畳の上に横になっていた武子は、飛び起きた。
「何だと!?熊雄!おまえも俺の家族みたいに、俺を『女』あつかいする気なのか?」
熊雄をにらみつけた武子に対して、熊雄は真剣な表情を返した。
「おいらは、おまえを『男あつかい』する気も、『女あつかい』する気も無い!おまえのことは、おいらと喧嘩勝負を繰り広げた『好敵手』としか見てはいない!」
その言葉に、武子は歯をむき出しにして笑った。
「熊雄。首府での勝負は引き分けだったな?ここで決着つけるか?」
武子は立ち上がると、腕まくりした。
「おう!望むところだ!」
武子と熊雄は向かい合った。
「ちょっと待って!二人とも!」
洋は慌てて二人を止めた。
「ここ三階なんだよ。ここで二人が暴れたりしたら、下の階の部屋の人たちに迷惑だよ」
武子と熊雄はうなづいた。
「そうだな、確かに洋の言う通りだ」
「おいらたちの考えが足りなかったな」
洋は二人が喧嘩をするのを止めてくれた思い、ホッとした。
「熊雄。勝負をするのに丁度良い場所、近くにないか?」
「すぐ近くに空き地がある。そこにしよう」
二人は部屋から出て行こうとした。
「ちょっと待って!武子は女物の着物を着ているんだよ。そのまま熊雄と喧嘩したりしたら、熊雄が武子のことをいじめているように見えて、番所に通報されて、岡っ引に熊雄がお縄にされちゃうよ!」
「そうだな。じゃあ、男物の着物に着替えるよ」
武子は、あっさりと着物を脱いで裸になった。
旅行の荷物の中から男物の着物を取り出そうとしたところ、武子は他の二人の不自然な様子に気づいた。
洋と熊雄は顔を赤くして固まっているのだ。
「どうしたんだ?二人とも、どこか具合が悪いのか?」
武子は裸のまま二人に近づいた。
「いや、何でもない!大丈夫だ!便所に行けば治るから!洋!一緒に行こうぜ!」
「う、うん。そうしよう!」
「ああ、ションベン我慢してたのか、早く行ってこいよ」
洋と熊雄は廊下に出ると、共同便所に向かうふりをした。
周りに誰もいないことを確かめてから、二人は口を開いた。
「綺麗な体しているよな……、全然恥ずかしがらずに開けっ広げに裸になられると、おいらたちの方が恥ずかしいよな」
熊雄の言葉に、洋はうなづいた。
「だけど、武子のことを『男あつかい』できるのは、世の中で僕たち二人だけだ。それは武子の前で口や態度に出さないように頑張ろう」
二人は目を合わせて、うなずき合った。
こうして、夜はふけていった。
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