第十三話
黒石屋の主人である黒石屋黒衛門は戸惑っていた。
旗振り通信で、ようやく返ってきた港からの返事が次のような物だったからだ。
「詳細ヲ説明スルタメニ、人ヲ寄越コサレタシ」
「いったいこれは、どういう意味なんだ?」
黒衛門は通信文を口にした旗振り通信手に、詰問するかのように尋ねた。
「旦那さま。私ども通信手は、ただ送られてきた通信文を、そのまま口にしているだけですので……」
「そうだったな」
黒衛門は少し考え込んだ。
「とにかく、何か港で込み入った事が起きて、短い文しか送れない旗振り通信では説明できないから人を寄越せということなんだろう」
黒衛門は店の丁稚の一人を呼んで状況を説明した。
「おい!港まで、ひとっ走りして話を聞いてこい!」
丁稚は、黒衛門の指示を聞いても動き出そうとせず。立ったままだった。
「どうした?さっさと行かないか!」
丁稚は言いにくそうにしていたが、声に出した。
「あの……、旦那さま。これは急いで行かなければならない用事なのですよね?」
「もちろんだ」
丁稚は恐る恐るといった感じで、さらに質問した。
「あの……、自分の足で港まで走って行かなければならないのでしょうか?」
黒衛門は顔をしかめた。
町中を移動するのに最も速い手段は人力車である。
当然のことであるが人力車を客として利用するには、車代を支払わなければならない。
黒衛門は常々「丁稚の分際で人力車に乗るのは贅沢だ」と言って、店の用事であっても滅多に丁稚に人力車を使わせなかった。
黒衛門は忌々しそうに懐から財布を取り出すと、数枚の銅銭を丁稚に渡した。
「これで人力車に乗れ!一刻を争う用事だ。向こうで話を聞いたら!すぐに戻って来い!」
丁稚が外ですぐに人力車を拾えたので、そろそろ港に着いたはずの時刻になった。
「旦那さま。港に行った丁稚さんから、旗振り通信が来ました」
「何だと!?」
旗振り通信手からの報告を聞いた黒衛門は驚いた。
「旗振り通信では送れないほどに込み入って長々とした話だと思ったから、わざわざ人をやったのに!丁稚のやつ!旗振り通信を送ってくるとは、どういうことだ!?」
少し苛ついている黒衛門に対して、旗振り通信手は平静に話を続けた。
「旦那さま。通信文をお伝えしてもよろしいでしょうか?」
その言葉に黒衛門は平静さを取り戻した。
「ああ、頼む」
「では、通信文を読み上げます。『丁稚ゴトキデハ話ニナラヌトノコト』以上です」
「何だ?それは?」
黒衛門は困惑した。
それに対して旗振り通信手は相変わらず平静だった。
「旦那さま。『何ダ?ソレハ?』と返信なさいますか?」
「いや、そういう意味ではない。港の方では丁稚より地位が上の人を寄越せと言っているのだろう」
黒衛門は今度は店の手代を呼んだ。
人力車で急いで港に行って、話を聞いてくるように指示した。
しばらくして、旗振り通信手が黒衛門に報告した。
「旦那さま。港に着いた手代さんから通信が届きました」
「何?またか!?」
黒衛門の反応に、旗振り通信手は淡々と報告した。
「通信文を読み上げます。『手代ゴトキデハ話ニナラヌトノコト』以上です」
「もっと上の人を寄越せということか」
黒衛門は店の番頭を呼び出すと、港に急いで行くように指示した。
港に着いた番頭から、旗振り通信が届いた。
通信内容は『番頭ゴトキデハ話ニナラヌトノコト』であった。
「何なのだ!?自分の店である黒石屋で番頭より上の人と言えば、店の主人である自分しかいないではないか!自分自身にわざわざ港まで足を運べと向こうは言っているのか!?」
興奮している黒衛門に対して、旗振り通信手は平静だった。
「旦那さま。そう返信なさいますか?」
黒衛門は平静でいる旗振り通信手が、少し憎たらしくなった。
「そういう意味ではないのは分かるだろ!お前も自分に雇われているのだから、少しはこの状況を考えたらどうだ!」
旗振り通信手は平静なままで、黒衛門に少し注意するように言った。
「旦那さま。確かに私は旗振り通信手として高い給金をいただいてはおりますが、黒石屋に雇われているわけではなく、あくまで『旗振り通信組合』に所属しております。旦那さまは組合に旗振り通信の使用料を支払って、私どもは組合から派遣されているだけなのです。それに私どもの仕事は通信を伝えるだけで、その内容について使用者の相談にのるようなことは、厳しく禁じられております。私ども旗振り通信手は使用者の重要な秘密を知ってしまうようなこともありますから、お互いのためにその方が良いのです」
「そうだったな」
納得した黒衛門は、自分の家の敷地内にある車庫に向かった。
車庫には一台の人力車があった。
黒衛門の専用車であり、豪華な装飾がされている。
黒衛門は贅沢を嫌ってはいるが、大きな商店の主人ともなると世間に見栄を張らなければならないため、このような人力車を所有しているのだった。
車夫に引かせて走りだした人力車の座席に座りながら、黒衛門は考えていた。
(いったい港で何が起こっているのだ?かなりの時間を無駄にしてしまった。明日の朝までに石炭の船への積み込みを終えなければ、二万両もの賠償金を太平屋のあの小僧に支払わなければならぬというのに……)
人力車は港に近づいた。
黒衛門の目に入った港の光景は異様な物であった。
港には数えきれないほど大勢の荷運び人たちがいた。
それ自体は港では普通の光景であるが、異様なのは荷運び人たちが誰一人として荷物を運んではおらず。全員が地面に座り込んでお菓子を食べてお茶を飲んでいるのである。
(全員が一斉に休憩をするなどということは無いはずだ。それに菓子や茶など……、荷運び人たちを斡旋している北湊屋は、自分と同じで贅沢を嫌っているから無料で菓子や茶を荷運び人に配るということは無いはずだ。荷運び人たちの賃金は安い。自分で菓子や茶を買うことも滅多に無いはずだが……)
黒衛門の耳に地面に座り込んでいる荷運び人たちの声が入ってきた。
「いやー、あのケチで有名な北湊屋が、俺たちにただで菓子と茶を配ってくれるとはな!雨でも降るんじゃないか?」
「まったくだ。しかも今日一日は荷運びの仕事をせずとも賃金をくれるとはな。天変地異の前触れじゃないか?」
荷運び人たちの笑いながらの会話を聞いて、黒衛門に数年前の過去の嫌な記憶が蘇った。
(これは……、まさか……)
港の黒石屋の出張所に人力車が到着すると、まるで出張所を取り囲むかのように大勢の荷運び人たちがいた。
「あっ!旦那さま。よく来ていただきました」
出張所を任せている手代が、怯えた様子で黒衛門を出迎えた。
「いったい、何が起きているのだ?」
「とにかく中へ、中で北湊屋さんがお待ちです」
黒衛門が出張所の応接間に入ると、そこには北湊屋の主人である北湊屋太がいた。
「ようやくご到着か、黒石屋さん」
太の表情も声も明らかに不機嫌で、怒っているのが感じられた。
黒衛門は呼ぶまで誰も応接間に入って来ないように指示すると、太と向かい合って座った。
太は、その名前の通りにでっぷりと太っているので、枯れ木のように痩せている黒衛門と向かい合って座っている光景は、何も知らない人が見れば思わず吹き出して笑いだしそうであったが、二人は真剣な表情をしていた。
二人は何かを探り出すかのように視線を交わしていたが、やがて太の方から口を開いた。
「黒石屋さん。そちらが計画を撤回するまでは、石炭の船への積み込みは一切拒否させてもらう」
「自分の計画とは、何のことなのですか?」
「どぼけないで、もらおう!港に起重機を設置する計画を再開しようとしていることをだ!」
(やはり、それか、自分が近いうちに起重機を設置していようとしていると誤解しているのだな)
「北湊屋さん。どこからそんな誤解をしているのかは知らないが、こちらに近々港に起重機を設置しようとするつもりは無い」
「そんな分かり切った嘘は言わないでくれ。こちらは知っているのだぞ」
「知っているとは、何をですか?」
「黒石屋さん。あなたが首府の有名な廻船問屋太平屋の一人息子と今日会っていたことをだ!」
「ちょっと待ってくれ!北湊屋さん!何で、自分が今日太平屋の跡取りと会っていたことと、起重機の話がどう繋がるのだ?」
「どこまで、とぼけるつもりだ!」
太は黒衛門をにらみつけた。
「しかし、黒石屋さん。あなたが頭が良いのは認めるよ。まさか、そんな方法で起重機を設置する計画だったとはな!」
黒衛門にはさっぱり話が分からないので、状況を知るために太の話を黙って聞いていることにした。
太は興奮したまま話し続けた。
「この北東島にあるどこの工場で起重機を注文したとしても、こちらが妨害するのは分かりきっているから、中央島の首府の工場に注文して、太平屋の船で設置するのに必要な資材と職人を首府から運んできて、こちらの邪魔を受けないうちに、短期間で港に起重機を設置するつもりだったのだろう?」
黒衛門は口を開いた。
「北湊屋さん。あなたが何を誤解しているかは分かった」
「誤解だと!?」
「そうだ。何故、そんな誤解をしたのかは知らないが、自分と太平屋の跡取りは今日確かに会ってはいたが、起重機に関する話は一切していない」
「ほう、そうか、それなら」
太は懐から一枚の紙を取り出した。
「この誓紙に『未来永劫、港に起重機は設置しません』と書いてもらおうか!」
「いや……、それは……」
黒衛門は口籠もった。
黒衛門は近いうちに起重機を設置するつもりは無いが、将来的には輸送効率を上げるために起重機を設置する計画を内心では立てていた。
ここで太の言う通りに誓紙に書いてしまうと、永久にそれが不可能になってしまうので躊躇したのだ。
太は勝ち誇るような顔になった。
「ほら見ろ、やっぱり起重機を設置する計画があるんじゃないか!」
「北湊屋さん。あなたは、どこでそんな話を聞いたんだ?」
「商人が、商売の情報を得た先を他人に教えるわけが無いだろ!」
その後も二人の話し合いは続いたが、議論は平行線をたどった。
太陽が西に傾き、空が赤く染まった。
太平屋洋は、泊まっている旅館の部屋の窓から港の方を見ていた。
「洋。おいらは言われた通りに、やったぞ」
熊田熊雄が部屋に入って来た。
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