第十話
太平屋洋たちの乗る船は、予定より少し遅れて北東島の南端にある港湾都市である北限湊に到着した。
北限湊は北東島最大の都市であり、北東島における政治・経済・文化の中心である。
北東島の鉄道網は、この北限湊を中心に整備されている。
北東島全土から集められた生産物が鉄道により北限湊に運ばれ、港で船に積み換えられ、中央島や南西島に運ばれるのだ。
鉄道の線路は、そのため港の桟橋まで敷設されていた。
その線路の上を三両の蒸気機関車に牽引された数十両の貨車が入って来た。
「あっ!三重連だ!」
「何だ?洋。三重連って?」
貨物列車を見物していた洋が思わず上げた大声に、豪石武子は質問した。
連結された三両の蒸気機関車は、煙突から煙をたなびかせて停車した。
その三両の蒸気機関車を洋は指差した。
「あんなふうに三両の蒸気機関車が連結して、列車を引っ張るのを三重連って言うんだ。二両の蒸気機関車が連結している場合は、単に重連って言う」
「ふーん。一両の蒸気機関車では引っ張る力が足りないから、三両つなげているのか?」
「その通りだよ。あれは重い石炭をたくさん運んでいる貨物列車だからね」
貨物列車が停車すると、その周りに大勢の人が群がった。
その人々は全員が男で、ほとんどは大人だが中には十歳代初めの子供もいる。
全員に共通している特徴は、上半身は裸に近い格好をしており、筋肉が盛り上がっていて力がありそうなことだ。
男たちは貨車から石炭の入った袋を担ぎ上げると、港に停泊している船に向けて運び始めた。
「大勢のたくましい男たちが船に石炭袋を運ぶのは、けっこう勇壮な光景だと思うけど……」
武子は洋にだけ聞こえるように、小声でつぶやいた。
「蒸気機関車っていう人間の何百倍の力を持つ機械が発明されていて、人間が歩けば数日かかる遠距離を蒸気機関車で一日とかからずに荷物を運んでいるのに、目で見える距離にある貨車から船への荷物の積み換えを人力でやっているのは、何か変じゃないか?」
洋は笑うと、小声で答えた。
「確かに、蒸気機関で動く重い物を持ち上げる機械、『起重機』はすでに発明されていて、一部の港では船への貨物の積み込みのために使われている」
武子は周囲を見回した。
「ここには、それらしい機械は見当たらないが?」
「この北限湊の港には、起重機は無いんだ。設置される計画は数年前にあったけど、反対する人が多くて駄目になったんだ」
「いったい誰が反対したんだ?機械を使えば、仕事が楽になるじゃないか?石炭袋を汗だくになって運んでいる男の人たちも、楽になるじゃないか?」
「その荷物を船に運び込んでいる男の人たちが反対したんだ」
「何故だ?」
疑問顔になった武子に、洋は声を出して笑った。
「何だ?何が、おかしい?」
笑い声を止めると、洋は笑い顔のまま答えた。
「そういうところは、やっぱり、タケは武家育ちなんだな」
武子は少し怒った顔になり、洋をにらんだ。
「何だ?俺を馬鹿にしているのか?」
洋は慌てて手を振った。
「馬鹿にしてはいないよ。質問するけど、タケの実家の豪石家は、どうやって生活のために必要なお金を稼いでいるんだい」
「武家として領地を持っているから、そこに住む領民……、ほとんどは農民だが、農民が作った米を年貢として納めさせて、その米を売って、現金を手に入れているんだ」
「そう!そこだよ!」
洋は、武子に人差し指を突き付けた。
「そことは、何だ?洋」
「つまり、こういうことだよ。武子。領地持ちの武士は、汗水垂らして農民の作った物を税として取るだけでお金が儲かるんだ。だから、お金を稼ぐことの大変さが分からないんだ」
武子は少し不機嫌になった。
「確かに、自分の領地の領民の生活のことなど考えず。一方的に年貢を搾り取るだけの武士もいるが、俺の父上は違う。凶作の時には年貢を免除したりしているんだ。だから、洋の家から借金をすることになったんだ。俺たち武士が自分たちは何も作らずに、それを税として取るだけでと言うのならば、商人だって同じじゃないか?」
「何が、同じなの?」
「商人は、農民や職人が作った物を、右から左に動かすだけで儲けているじゃないか?」
「生産物を『商品』として世の中に流通させる役割を商人はしているんだ。それに、僕は武士のことを馬鹿にしたわけじゃないよ。武士は世の中を『統治する』役割をしているんだ」
武子は機嫌を直して、少し考え込んだ。
そして、船に石炭袋を運んでいる男たちを眺めた。
何かに気づいた表情になって、口を開いた。
「洋が何を言いたいのか分かったよ。荷物運びをしている男の人たちは、それをすることで賃金を得ているんだ。起重機が設置されると、荷物運びの仕事が無くなって、収入源を失うと考えたから、荷物運びの人たちは反対したんだな?」
「その通りだよ。起重機が設置される話が荷物運びの人たちに流れると、それを阻止するための具体的な行動として、荷物運びを拒否する罷業をしたり、この北限湊の工場で起重機を製造していたんだが、暴動を起こして工場を襲って、工場を操業停止に追い込んだりした。その結果として起重機の設置は中止になったんだ」
「相変わらず。洋は物知りだな。いつも書斎に籠もって本を読んでいて、ろくに出歩るきもしないのに」
「僕の家の書斎には書籍だけじゃなくて、過去数十年の全国で出た瓦版もあるからね。これは、表向き知られている話で裏には別な話がある」
「裏の話?それは何だ?」
「僕の家の太平屋は廻船問屋だからね。海運に関わることだから、お父さんは人をやって詳しく調べたんだ。そうしたら、黒石屋と北湊屋の縄張り争いが裏にあることが分かった」
「縄張り争い?」
「黒石屋がこの北東島での石炭の販売を独占しているのは、知っているよね?北湊屋は、この北限湊の港湾における港湾労働者の斡旋を独占しているんだ」
「それが何で縄張り争いをすることになるんだ?」
「少し複雑な話になるけど……」
洋は説明を始めた。
北東島の各地にある炭鉱で採掘された石炭は、黒石屋の所有する鉄道で北限湊の港まで運ばれて、港で船に積み換えられて全国に向けて運ばれる。
積み換え作業に必要な労働者は、北湊屋が斡旋していおり、黒石屋は積み換え作業の代金を北湊屋に支払っている。
北湊屋は港湾労働者を独占しているため、その代金を高値に設定しているのだ。
黒石屋は起重機が発明されると、早速それを港に設置することで積み換えの作業量を増加させようとした。
独占を守ろうとした北湊屋は、自分が斡旋した港湾労働者に積み換え作業を拒否させることで、それに応じた。
そのために作業をしていないのに、北湊屋は港湾労働者に賃金を支払うことまでしたのである。
黒石屋は困惑した。
北湊屋が積み換え作業の代金を高値に設定しているのを忌々しく思ってはいたが、北湊屋の独占を崩すつもりは無く、例え起重機を設置したとしても、まだまだ人力に頼らなければならない部分は多く、むしろ作業量が増えるため港湾労働者にとっても良い話だと説明した。(実際に起重機が設置された港では、作業量が増えたため港湾労働者の収入は増加した)
しかし、北湊屋は理論ではなく「自分の独占を脅かす物は何であろうと許せん」と感情で考えており、黒石屋の説明を受け入れなかった。
それどころか、自分の配下にある港湾労働者に「起重機が設置されれば仕事が無くなる」と煽って、起重機の製造工場を襲わせまでした。
結果、黒石屋は起重機の設置を諦めることになった。
「洋は、その状況を利用して大儲けするつもりなんだな?」
「そうだよ。そのためには、熊雄の役割が重要になる。適当な人間を金で雇うつもりだったが、熊雄なら信用できるから安心だ。船の中で熊雄に会えたのは、幸運だった」
武子は苦々しい表情になった。
「幸運だなんて言うなよ!相撲取りになる夢を諦めなくちゃいけなくなった熊雄の悔しさが、お前に分かるのか?」
「他人の気持ちを完全に理解するのは、不可能だ。僕は商人として約束した通りの儲けの分け前を熊雄に渡すだけだよ」
その頃、熊雄は北限湊の町中にある北湊屋の前にいた。
北湊屋の前には行列ができており、熊雄はその行列に並んでいた。
行列は北湊屋の港湾労働者の仕事を求めて来た男たちだった。
「名字は熊田、名前は熊雄ね。何の捻りも無い名前だな」
自分の順番になった熊雄の渡した通行手形を見て、面接を担当している北湊屋の手代はつぶやいた。
通行手形とは、巫女王国における身分証明書であり、名前・年齢・住所・身体的特徴が記載されている。
遠距離を移動する時には、通行手形の携帯が義務づけられている。
「住所は……、首府!?おい、おい。大将軍さまのお膝元じゃないか!?向こうには、いくらでも働き口あるだろ?何で、わざわざ北限湊まで仕事を求めて来たんだ?」
「おいらは、首府からなるべく遠くに行きたかったんです」
「首府からなるべく遠くへ?まさか、お前、首府で何か悪い事をして、逃げて来たんじゃ……」
熊雄は首を横に振った。
「違います。おいらは相撲部屋に入門する予定だったんです。だけど、それが駄目になっちゃって……、近所の人たちには『おいらは相撲取りになって、横綱になる!』って言って回っていたので、顔を会わせづらくなっちゃって……」
手代は、熊雄の頭の先から足の先までを見た。
「確かに、お前は相撲取りに向いた体格しているな。相撲部屋に入るのが駄目になったのは、何故だ?」
熊雄は、手代に向けて左手の手の平を向けると、全部の指を曲げて握りこぶしにした。
しかし、左手の小指だけは少ししか曲がっていない。
「この通り、事故で小指をケガしてしまって、曲がらなくなってしまったんです。相撲では相手の廻しを全部の指でしっかりつかまなければならないんです。それができなくなってしまって……」
熊雄の顔は、辛そうだった。
「こっちは事故のことまで、根掘り葉掘り聞く気は無い。仕事さえしっかりやってくれれば良い。ちょっと、そこの石炭袋を持ち上げてみろ」
熊雄は床に置かれていた石炭袋を、両手で軽々と持ち上げた。
「良し!合格だ。明日は朝から仕事だ。運んだ荷物の量が多ければ多いほど、賃金は上がるから、しっかりやれよ!」
ここで熊雄は、洋から頼まれていた行動に移った。
「あの、手代さん。一つ聞きたいことがあるんですけど」
「ん?何だ?」
「起重機が、ここの港にもうすぐ設置されるという話は、本当ですか?」
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