6、終戦(点)
八丁駅を過ぎても、三月はいまだに立っていた。乗客に変化はほとんどない。
だからといって、座ることをあきらめたわけではない。勝負云々もあるけど、いい加減疲れたので、座らせて欲しい。座っている乗客の前で、思いっきり疲れた様子で、つり革にぶら下がって、瞳で訴えかけてみる。けれど子供がやっても、遊んでいるだけにしか思われない。差別だ。
こうなると、さっき譲ってしまった優先席のことが悔やまれる。これもそれも、あんりの妨害のせいだ。
「呼んだ?」
「うわっ」
いつの間にか背後に擦り寄っていたあんりが、ナマケモノのようにつり革にぷらーとぶら下がっている三月の様子を楽しそうに見ていた。
「呼んでないし、声にも出していないし。そもそもなんで、ふーちんがこっちにきているんだよ」
「だって、姫ちゃんは審判に行ったきり帰ってこなくてつまんないし、私がいたところ、人がどんどん乗ってきて、全然座れそうにないんだもん」
「移動するのって、反則じゃないの?」
「どこであろうと、先に座ったものが、勝ちなのだ」
あんりが不敵に笑う。
勝手な言い分だが、対戦相手が隣にいたほうが、勝ち負けがはっきりしていて分かりやすい。燃える。
「よおし。その勝負、受けて立つ」
かくて勝負は一騎打ちとなった。
今までは、座れそうな席を探して待っているだけだったが、あんりの登場で、騙し合いという要素も新たに加わっていた。
「ねぇふーちん。あそこのお姉さん、次の駅で降りそうな予感がしそうな気がしなくもなくない? あっちに行ったら?」
「そうかなあ? 私は、あっちのおじさんが、次の新床駅で降りる気がするのだ。三月にお勧めだよ」
「その理由は?」
「新床駅に住む、お父さんの妹さんのいとこさんの息子さんがあんな感じなのだ。きっと、お父さんの妹さんのいとこさんの息子さんの知り合いに間違いなしっ」
「もう一度言ってみ?」
「で、三月の根拠は?」
「うわっ、流したっ」
てな感じである。
「それなら、ふーちんがあのおじさんの前に移動したらいいじゃん」
「いえいえ、わたくしのような若輩者がとんでもないでありまする。みっちゃんさんにお譲りいたしますよー」
けん制しあっているせいでお互いに移動できない。自分たちは川神駅から乗っているのに、八丁駅辺りから乗り込んできた新参者に、空いた席を取られてしまった。
「あぁぁ、もおっ。まったく、近頃の若いものときたら、先輩を敬う心はないのか」
「若くないじゃん」
あんりにつっこまれる。
「年齢じゃなくて、電車に乗っている時間の問題なのっ」
三月の論理も、長期戦によって破綻して来た。もともと大してまともじゃないが。
「ふっふっふ。三月の待ちの戦法は、無理があるのだ。ここは、攻めでいかないと」
「病人のフリをして優先席ねらいとか?」
三月がさっきやった技だが、あんりはその問いに、ちっちっち、と指をふる。
「甘い甘い。確かに、ありがちなで有効な手だけど、私たちには、無理があるよ。ここは逆に、小学生という属性を生かさなくちゃ」
「……で、具体的にはどうするの?」
「ずばり、孫が恋しいご老人の前に立っておねだり、もしくはロリコンそうなお兄さんの前で、色仕掛け」
「するなっ」
試しにと、怪しげな男の前に移動しようとするあんりの頭をはたく。勝手にやらせてやろうかと頭によぎったが、色仕掛けが成功してしまったら、それはそれでしゃくだからだ。
そのときだった。
「おっ」
三月とあんりの小さな声がハモる。
座っている乗客に降りるそぶりが見えたのだ。読んでいた文庫本を閉じてかばんにしまう人、寝ている隣の友人をひじでつついて起こす人、窓の外をきょろきょろと見る人、などなど。
周りの立っているライバルたちも、扉へとぞろぞろ向かう。
このままの様子だと二人とも座れそうだが、勝負はどちらが先に座れるか、ゼロコンマを争う戦いなのだ。油断大敵。最後まで気を抜かない。
まだ電車は動いていたけど、ついに、二人の前の席が空く。
「おりゃーっ」
奇声とともに、ほとんど同時に座席に飛び込む。茶色のシートに、二人のお尻が付いたのも、全く同時だった。
ということは……
「引き分け、だね」
「まあ、今回はこういうことにしておこー」
二人は顔をあわせて、そう結論を出した。
長い戦いの末、二人とも疲労は限界に達していた。あとはゆっくりと座っていよう。ここは優先席ではないのだ。誰が来ても譲るものかっ。
最初は二人して身を寄せ合って座っていたが、座っていた人がどんどん席を立つので、ゆったりと座席に、足と手を伸ばす。ここは極楽だ。
駅に止まって、客がぞろぞろ降りる。それはもぉ、気付くと車内にはあんりと自分と、ほんの少しだけになってしまうくらい。三月は疑問に思う。こんなに人が降りる大きな駅ってあったっけ?
もしかして……ある予測が頭に浮かぶ。
「ねぇふーちん。もしかして、ここ……」
「ん? 終点の本越駅だよ」
さも当然、と言った様子であんりが答える。いつの間にか、降りる入野駅を四駅も飛ばして、終点まで来ていた。
かつかつと足音を立てて、車掌さんが、終点でこのまま車庫に入るから早く降りてくださいと言いながら、二人の前を横切った。
「どーして言ってくれなかったのっ?」
「だって、勝負の途中だったから。あれ? もしかして、三月、気付いていなかった?」
「……うっ」
車掌に追い立てられるよう電車から降ろされた三月が時間を確認しようと携帯の電源を入れたら、そのタイミングを見計らったかのように、黒電話音が鳴り響いた。
☆☆☆
「うーん。着いた」
入野駅のホームに降り立って、真美子は大きく伸びをする。繁華街はないが、駅の間隔が広く住宅街も広がっているので、夕方の帰宅時間は結構込み合う。急行も止まるし、くだらないと思いつつ、優越感を持っている。
改札に向かう人の流れに乗らず、身体を伸ばしている真美子の横で、美姫はせわしなく、改札まで走っていって、また戻ってきた。
「あのね、その……三月ちゃんとふーちゃんが見当たらないんだけど」
美姫は慌てているが、真美子にとっては想定内の出来事だった。美姫がいなくなって退屈になったあんりが三月の元に行く。中途半端な座れる可能性の少ない車両で、無駄に競い合っていたら、決着が付くのは……
「ねぇ、どうしようか?」
「そうね。姫は携帯持っているわよね。十分後くらいに、電話してみたら?」
「……どうして、十分後?」
にやり、と真美子は笑った。
「電車内は、携帯禁止でしょ」
ちなみに、入野駅から終点本越駅までの所要時間は十分である。
お疲れさまでした。