筆廷の人事権について
端原中央帝国の統治構造において、筆廷が有した人事権は単なる役職の任免に留まらず、血縁、恩赦、そして敵対勢力の排除を組み合わせた、帝国全土を支配するための最も強力な政治的武器であった。この人事権の行使実態を、いくつかの側面から詳述する。
筆廷勢力の扶植と血縁による私物化
筆廷の権威が頂点に達した横田宗真の時代、人事権は公共の制度という枠組みを超え、一族の繁栄を担保する私的な道具へと変貌した。宗真は自らの子息である宗家、宗興、宗刻の三名を同時期に入閣させ、特に宗刻に至っては、通常であれば平閣、陰閣という段階を経るべきところを、そのプロセスを一切省略して陽閣議員に任命するという超法規的な抜擢を行った。このような「階梯の無視」は、筆廷が既存の官僚序列を破壊し、個人の意思で帝国の中枢を再編できる絶対的な権力を持っていたことを象徴している。
恩赦と復権による人心掌握
一方で、救世和直の時代に見られる人事権の行使は、弾圧ではなく「救済」という形をとることで官僚機構を掌握しようとした点に特徴がある。和直は「五鬼の乱」に連座して幽閉されていた木帋翔吾や蒼佐繁村らを、自身の筆廷就任に伴う恩赦によって釈放した。さらに、長年の拘禁により心身に深い傷を負っていた丑詰久彦や犬衡平らを即座に平閣議員として復権させた。これは、一度失脚した官僚に対して「筆廷による救済」という恩義を売ることで、閣内に強固な忠誠心を持つ派閥を形成する高度な政治技術であった。
敵対勢力の排除と政治的去勢
筆廷の人事権は、登用だけでなく「排除」においてもその威力を発揮した。有力な対立候補であった端原洞真派の廷臣、楽園龍通が「不徳」という曖昧な理由で謹慎処分を下された例に見られるように、筆廷は恣意的な評価尺度によって政敵を公職から追放することが可能であった。また、筆廷の意向に沿わない官僚や、越権行為が目立つ実力者(蒼佐繁賢など)に対しては、閣議を主導して「正式な追放処分」を下し、時原獄に投獄するといった司法・軍事権と連動した人事処分を行い、政権の均質化を図った。
官僚の資産統制と身分的優遇
「日華の改革」において筆廷が行った人事管理は、地位の付与だけでなく、経済的待遇の差別化にも及んでいた。筆廷の出身母体である救世家などの有力家系を優遇する一方で、赤丑家や永江家といった旧来の廷臣家の財産所有率を強制的に切り詰め、経済的基盤からその権威を削ぎ落とした。その一方で、王宮や東方観察府で軍役を勤める下級役員に対しては、公税を減免するという「飴」を与えることで、実務層からの支持を取り付けるという、極めて現実的かつ階層的な人事・財政統制を敷いていた。
結語
筆廷の人事権とは、帝国の官僚機構という巨大なパズルを、筆廷自身の政治的野心や生存戦略に基づいて組み替える権限であった。それは時には血脈による私物化を招き、時には恩赦による政局の安定をもたらしたが、その本質は常に「筆廷の意思を国家の意思へと置換する」ための装置であったと言える。




