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3話

 


 この世界の猫が精霊猫と呼ばれるゆえんは、人と心を通わせる存在だからだ。


 飼い猫が何を考えているのか、飼い主は何となく理解することができる。嬉しい時には一緒に嬉しくなって、悲しい時には一緒に悲しくなる。


 職場や学校へ連れて行くのは、この国ではごく当たり前の光景であり、時に「家族よりも精霊猫が大切だ」と断言する者さえ少なくない。


「まあ! なんて素敵になったの、エミールちゃん! まるで別の猫ちゃんみたいだわ!」


 白亜の豪邸のサロンに、中年の貴婦人エミリーの歓喜の声が響き渡った。


 猫用のキャリーバッグから優雅に現れたのは、一匹の白いペルシャ猫だ。


 ソフィアの施術を受けたその毛並みは、まるで陽光を透かす咲きたての綿毛のように、一房の乱れもなく輝いている。


 抱き上げられた猫は、ふかふかのお腹に顔を埋めて悶絶する飼い主に、「なにするんだ」と言いたげな短い鳴き声をあげた。


「ごめんなさい、エミールちゃん。あまりにふわふわだったから、つい……」


 エミールは、「もうあんまりやるなよ」というような声で鳴いた。


「わかった。できるだけ、もうやらないようにするわ。でも……すでにもう一度やりたくて、たまらなくなっているわ。だけど駄目よね、約束したんだもの。駄目よね?」


 エミリーが懇願するように問いかけたが、エミールは無反応だった。


「ところで、どうだった?エミールちゃん。施術は嫌じゃなかったかしら?」


 問われたエミールは、気難しげな琥珀色の瞳を細め、「……まあ、悪くなかった」とでも言いたげに、満足そうに一度だけ喉を鳴らした。


「よかった。本当に良かったわ」


 エミリーが顔を上げ、ソフィアを真っ直ぐに見つめる。その瞳には、深い敬意が宿っていた。


「噂通りの最高のお仕事だわ。この子は本当に繊細で、少しお世話をしようとするだけで噛み付いてきて……今まで誰に頼んでもお手上げだったのよ。ソフィアさん、貴方に頼んで正解だったわ。さすがは『神の手』と評されるだけのことはある」


「恐れ入ります。カット、シャンプー、爪切り、そしてフルマッサージ。総額で、百万ゴールドになります」


 エミリーは、迷うことなく頷いた。


「これだけの奇跡ですもの。それくらい、お安いわ」


 彼女は満足げに、ポケットから五枚の重厚な金貨を取り出し、ソフィアの手のひらに載せた。ずっしりと重いこの金貨一枚だけで、一流の職人が一ヶ月、遊んで暮らせるほどの価値がある。


「また、必ずお願いするわね」


「ありがとうございます。またのご用命を、お待ちしております」


 ソフィアは淑女らしい完璧な礼を執り、豪華な一軒家を後にした。


 数分後。

 人通りのない路地裏に差し掛かったところで、ソフィアの足元を歩いていた黒猫――クロウが、銀色の尻尾を揺らして口を開いた。


「金を稼ぐなんて、簡単なもんだね。たった数時間、猫をこねてただけなのに」


「何言ってるのよ。結構な重労働なんだから。預かった猫ちゃんに、万が一のことがあったら一大事なの。何をやるにも、慎重にやってるんだからね」


 真剣な表情で釘を刺すソフィアを、クロウは薄目で見上げ、欠伸をした。


「はいはい。……ところでさ、今日は港に新鮮な魚がたっぷり入荷したらしいよ。せっかく儲けたんだ。晩ごはんは、新鮮なアジでも買いに行くのがいいと思うな」


「クロウ……あんた、どうしてそんなこと知ってるの? まさか、また夜中に勝手に家を抜け出して……」


 ソフィアがジロリと睨む。

 クロウは「さあね」と言わんばかりに、しっぽの先をぴくりと揺らした。


「細かいことは気にしない。――まあ、元気になって良かったじゃん」


「え?」


 クロウはそれ以上答えず、しっぽをピンと立て、軽い足取りで先を歩き始めた。


 その後ろ姿を見つめながら歩くソフィアは、ふっと口元を緩める。


(……心配してくれてたのか、あいつなりに)


 婚約破棄と退学が、同時に襲い掛かった数日前の出来事が、遠い昔のことのように思えた。


 学院生という肩書を失い、抜け殻のように感じていた、あの気持ちは何だったのだろう。


 私は大丈夫だ。


 ソフィアは、財布に増えた金貨の重みを感じながら、街路を力強く踏みしめた。




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