2話
街の賑わいから少し離れた角地に立つ、赤い瓦屋根と淡い黄色の壁が可愛らしい二階建ての店舗。
軒先には「じゃんけん」をモチーフにした木製の看板が揺れ、窓辺には季節の花が飾られている。
「じゃんけんパン屋」の窓越しに映る景色は、ソフィアにとってどんな名画よりも価値があるものだった。
賑わう店内の中心に、穏やかな表情で立ち働く一人の優男がいる。彼の名はスワロウ。街で人気のパン屋の若旦那だ。
だがソフィアだけは知っている。彼がかつて、画面の向こう側で静かな光を放っていた女優――風花日暮であることを。
(……今日も、充実した顔をしているな)
ソフィアが風花日暮のファンになったのは、偶然図書館で手にした一冊のエッセイがきっかけだった。
派手さはないが、穏やかに慎ましやかな日々をつづった文章が心地よくて、結局は全ての本を購入してしまった。
その後、テレビドラマで彼女を見つけた時は、「ああ、あの文章を書く人はこんな顔をしていたのか」と納得したものだ。
見た覚えはあるのに名前は覚えていない。決して主役を張るタイプではないが、画面の隅にいるだけで物語に説得力を与える、堅実な実力を持つ「名脇役」。
そんな彼女が、今ではパン粉にまみれた男性として生きている。骨格は男性らしくなったが、ふとした瞬間に見せる柔らかな微笑みは、あの頃の面影を色濃く残していた。
ソフィアは、店の混雑が引くのを待ってから、静かに扉を押し開けた。カランカラン、と乾いた鈴の音が響く。香ばしいバターと小麦の香りが、ソフィアの鼻腔をくすぐった。
「いらっしゃいませ」
スワロウの、少し低くなったけれど透明感のある声。ソフィアはそれに対し、いつものように短く会釈を返した。
(……こういう時は何て返したらいいんだろう?)
ソフィアは、店員の「いらっしゃいませ」に対する返答の正解を、いまだに見つけられずにいる。「ありがとう」もなんだか上から目線な気がするし、「どうも」では会話として成立していない気がする。だからいつも、軽く首を傾けるだけの反応になってしまうのだ。
ソフィアは店内に並ぶパンをすべて目で追いながらも、結局はいつものクロワッサンを三つ、そしてカツサンドと野菜のサンドイッチを選び、トレイをレジに置いた。
客が自分一人の時には、「今日は良い天気ですね」なんて二言三言、世間話を交わすこともある。だが今日は先客が残っていた。仕事の邪魔をするわけにはいかない。
スワロウは手際よくパンを袋に詰めると、お釣りと共にソフィアを見つめ、少しだけ目を細めて笑った。
「ありがとうございました。またお待ちしていますね」
ソフィアはまた会釈をして店を出た。
(……日暮れさんは、前世の記憶を持っているのだろうか?)
記憶を抱えたまま、違う性別を与えられ、この見知らぬ世界で違和感を抱えたまま生きている。
だけど辛い、苦しいというわけではない。思い返してみれば、パンを選んでいたあの時間、自分は確かに小さな幸せを感じていたのだから。
大丈夫。私はこれからも、楽しく生きていける。
紙袋の、ささやかな温かさが嬉しかった。
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