7 妻に全振りな夫
あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
「はあ……」
また一つ、ため息がこぼれる。
何もする気になれず、夕食を食べる気力もわかず、私はあれからずっと自室に閉じこもっていた。
頭の中では、挑むような目をしたマルティナ様の熱を帯びた声が、何度も何度も無限に繰り返されている。
『魔獣との戦闘が終わると、男の人ってどうしても心と身体が昂って収まらないらしいのよ。そういうとき、ゼノはいつも私を求めるの。だから私は、自分の体で彼の昂りを鎮めてあげていたのよ。あなたは知らないでしょうけど、ゼノって私を抱くときはとても男らしくて、時々荒々しくて、でも必ず耳元で愛をささやいてくれるの』
うっとりと陶酔したような表情は、「そのとき」を思い出していたのだろうか。
ずきりと、胸の奥が軋む。
確かに、あり得ない話ではなかった。ゼノ様だって、すこぶる健全な成人男性である。魔獣との戦いが無事に終わったあと、そういう状態になることは頻繁にあっただろう。そのときマルティナ様を求めたとしても、どうしてそれを責められようか。
でも――。
私の心の中には、言葉にならない感情が渦を巻いていた。衝撃。混乱。動揺。落胆。やるせなさ。諦め。悔しさ。不信感。
どれだけため息をついても、心の奥に沈んだ黒いもやが晴れることはない。
だって、マルティナ様の言う通りなのだ。
ゼノ様は、一向に私を求めない。
初夜のあのとき、「今日は、これでやめとくね」と言いながら軽くキスをして、それ以降何もないのだ。
ふと、元婚約者が婚約破棄の場面で叫んだ言葉を思い出す。
真面目すぎてつまらないとか、男を喜ばすことができないとか、好き勝手なことを散々言っていたけれど、それってつまりは、マルティナ様が言うところの「そういう魅力がなさすぎる」ということなのでは……?
もちろん、言葉でも態度でも、ゼノ様が私を大事にしてくれているのはわかる。常に甘いセリフを惜しげもなく注ぎ、隙あらば距離を詰め、愛おしげな目で私を見つめながら、優しい仕草でそっと触れる。
そのすべてに深い愛情を感じるのに。
愛されていることに、なんの疑いもないはずなのに。
私は何に嘆いて、何が不満で、何を恐れているのだろう。
「……リア?」
突然、ドアの向こうから声がした。
「気分でも悪い? 大丈夫?」
ゼノ様だった。
すぐそこにいるゼノ様の声が、なんだかとても遠くに感じる。
今一番聞きたくなかった、その低く柔らかい声。
「少しでいいから、何か口にしたほうがいいと思って持ってきたんだ。入っていい?」
扉の向こうで、息を潜めて、耳に全神経を集中させて、私の返事を待っている気配がする。
「あ、あの……」
「入っちゃダメ? じゃあ、顔だけでも見せて。リアの姿が見えないと不安で」
「……え?」
「本当にリアがここにいるのか、全部夢だったんじゃないかって、すぐ不安になっちゃうんだ」
切羽詰まったその声に、抗うことはできなかった。
ゆっくりとドアを開けると、切なげな笑顔が探るように私を見下ろしている。
「……入っていい?」
どこか有無を言わさぬ雰囲気のゼノ様は、そう言ってするりと部屋に足を踏み入れた。
手にしていたお盆をテーブルの上に置くと、ソファの隣に座るよう私を促す。
「何か、あったの?」
「……いえ、何も……」
「じゃあ、疲れたのかな。まだ来たばかりなのに、あれこれやらせちゃってごめんね」
「そんなことは……」
「ほんとに、無理しなくてもいいんだよ。急いで慣れようとする必要もない。王都とは何もかもが違うんだし、少しずつここでの生活を知ってくれればいいんだ。リアはいてくれるだけで、十分なんだから」
「……いてくれるだけで……?」
「そうだよ」
「……それって、意味ありますか?」
つい咎めるような口調になってしまって、慌てて口をつぐむ。
思わず俯いた私を、ゼノ様が見逃してくれるはずはなかった。
「……リア。誰かに何か言われた?」
穏やかながらもどこか冷たい声に、私は顔を上げることができない。
「いえ……」
「……ふうん。そう」
その瞬間、部屋の空気の温度がなぜかぐぐぐっと下がった気がした。
「もしかして、リアの専属侍女かな?」
「……はい?」
「あいつが何か余計なことでも吹き込んだんだろう? だからそんなに泣きそうな顔をして――」
「ち、違います」
「庇う必要はないよ。今すぐ首を刎ねてくるから」
「ほ、ほんとに違いますから!」
「そう?」
けろりと涼しい表情で、だいぶ物騒なことを仰るゼノ様。
いつもの温厚なオーラはどこへ行ったのか、すでにとんでもない殺気がガンガンほとばしっている。なんかこれ、すごくやばい気がしてきたんだけど。
「じゃあ、騎士団員の誰かかな? 誰がリアを傷つけた?」
「え」
「気の利かないやつが多いからな。無神経な言葉でリアを傷つけたんだろう? 誰なのか教えてくれれば、今すぐフラムの森に置いてきて魔獣のえさにしてやるけど」
「いや、だから、違いますって」
「違うの? じゃあ、もしかして、俺?」
「は、はい?」
「もしや俺のせいで、リアは傷ついてる? 俺が何か変なことでも言った? 俺の言葉でリアが泣いているなら、もう金輪際一言もしゃべらないし、なんなら舌を切っても――」
「違います! ゼノ様なわけ……」
「じゃあ、誰なの?」
静かな声に、気圧される。
ガーネット色の瞳が、黙って私を見つめている。
もはや誤魔化すことなどできないと悟った私は、言うつもりのなかった名前をとうとう明かしてしまった。
「……マルティナ様です」
ゼノ様は仄暗く淀んだ目をしながら、「あいつか……」と忌々しげにつぶやく。
「何を言われたの?」
「それは……」
「全部教えて」
「全部、ですか?」
「あいつに何を言われて、リアがどう思ったのか、何を考えたのか、全部教えてほしい。俺はリアのことなら、全部知りたいから」
真っすぐな強い視線に否やを唱えることなどできず、結局私は、マルティナ様との間に起こったことのすべてを包み隠さず話すことになった。
仕事の引き継ぎと称して悪意のある皮肉や嫌味をこれでもかというほど浴びせられ、何を言っても聞き入れてもらえず、「なんにも知らないくせに」「いい気になるな」と責められ、そして――。
「……ほ、本当の夫婦でもないくせに、と……」
「は?」
「私に魅力がなさすぎるからゼノ様は欲情しないし体を求めることもない、それは愛されているといえるのか、と……」
「なんだそれ?」
「それに、マルティナ様は、ゼノ様とずっと、そういう関係にあったのよと――」
「待て待て待て」
焦った声に遮られ、私は次に言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
「俺とマルティナが、そういう関係にあったって? あいつがそう言ったのか?」
「……はい」
「そんなわけないだろ」
「でも、魔獣との戦闘のあとは心も身体も昂ってどうしようもなくなるから、そういうときゼノ様はいつもマルティナ様の体を求めていたって……」
「いや、確かにそういうやつもいるけど、俺は違うよ? 魔獣と戦ったくらいでそこまで昂らないし、もしそうなったとしても自分でなんとかするし」
「自分で」
「そう、自分で」
なんだか、直面してはいけない生々しい現実を目の当たりにしたような。
……あまり深くは考えないでおこう。
「とにかく、あいつが言ったことは全部出鱈目、根も葉もない嘘だよ。俺はあいつとそういう関係になったことなんかないし、そもそもあいつをそういう目で見たこともない。逆に、あいつからそういう目で見られてたんだと思うと虫唾が走るくらいなんだけど」
「む、虫唾……? そこまで……?」
「だって俺、リアにしか欲情しないし、リアにしかたたない」
「たたない?」
「そう、たたない」
言われた言葉の意味がわからなくてついリピートしてしまって、意味がわかった途端私の顔はぼん、と爆発した。いや、本当に、爆発したかと思うくらい、全身の血が顔中に集まって熱いんですけど……!
「真っ赤になってるリア、可愛すぎる」
ゼノ様はふふ、と上機嫌になって、私の手を優しく握った。
「俺の言うことなんて信じられないかもしれないけど、でもリアにしか欲情しないのはほんとだから。ほしいのはリアだけだから。ほかの女性なんて、眼中にない」
「じゃあ、どうして……」
「ん?」
「どうして、ゼノ様は、その……」
「……リアに手を出さないのかって?」
「は、はい」
「それはさ、一度手を出したら最後、抱き潰す自信があるからだよ」
「……はい?」
ぱちくりと目を瞬かせると、ゼノ様は可笑しそうに優しく笑う。
「だって、ずっと恋い焦がれた相手だよ? 一度手を出したら、もう止まらないよ? この前だって軽くキスしただけなのに、相当やばかったし」
やばかった、とは、どういう……?
「リアだって、どうせ抱き潰されるなら、ちゃんと想い合ってからのほうがいいだろう? 王命で嫁がされたよく知りもしない相手に抱き潰されるより、心の底から愛し合って、求め合って、この人しかいらないと思える相手に抱き潰されるほうがよくない?」
「……どうあっても抱き潰す前提なんですね」
「そりゃあね」
この人、この短時間で、何回「抱き潰す」って言ったのかしら。と思ったら、私も少し笑ってしまった。
お正月から、ちょっとふざけたすぎたかもしれません……苦笑
次話はもちろん、ゼノがマルティナをこてんぱんにやっつける予定です。




