6 嵐の襲来
「ああ、マルティナか」
ゼノ様のつぶやきに、私は心の中で「来たーー!」と叫んだ。脇に控えていたリーンにちらりと目を遣ると、素知らぬ顔で小さく頷いている。
「ちょうどいい。リアにも紹介するよ」
にっこりと微笑むゼノ様の笑顔で、本当に何も気づいていないのね、とつくづく思う。
そのまま二人で応接室に向かい、扉を開けた先にいたのは、小動物を思わせるような愛くるしい笑顔の小柄な令嬢だった。
「ゼノ――!」
立ち上がった令嬢はゼノ様の隣に立つ私に気づくと、無言で目を見開く。
愛くるしい笑顔は一瞬だけ凍りつき、すぐにまたもとの笑顔に戻った。
「結婚したって聞いたけど、本当だったのね!」
内心の動揺などおくびにも出さず、無邪気な歓迎ムードを全面に押し出す令嬢に、ゼノ様も声も心なしか明るい。
「ああ。妻のアウレリアだ。リア、従妹のマルティナだよ」
「はじめまして、マルティナ様。これからどうぞよろしくお願いいたします」
私が控えめに挨拶すると、マルティナ様は「こちらこそ、よろしくね!」と満面の笑みを返す。
その直後、まるで射殺さんばかりの鋭い視線で私を睨みつけたのを、もちろん見逃すはずはなかった。こ、怖い。完全に敵意むき出しである。
「王命で結婚が決まったって聞いたから、びっくりして飛んできたのよ。あなた、誰とも結婚しないって豪語していたじゃない」
「俺は最初から、リア以外の女性と結婚する気はなかったんだよ」
「そうなの? じゃあ、ずっと夫人を好きだったとか、そういうこと?」
「そういうこと」
恥ずかしげもなく堂々と言い放つゼノ様を見て、マルティナ様はちょっと呆気に取られている。
あと、ちょいちょい挟まれる「リア」という愛称にも、ぴくぴくとこめかみを震わせている。お気に召さないらしい。
「なーんだ、じゃあ、よかったじゃない。私はてっきり、王命で見ず知らずの令嬢と無理やり結婚させられたのかと……」
「いや、むしろ、王命でようやく恋い焦がれた愛しい人を手に入れられたというところだな」
「何それ。ずいぶんのろけてくれるじゃないの」
「だって、事実だし」
相変わらずの甘いセリフと甘い視線にどぎまぎする一方、向かい側に座るマルティナ様からの無言の圧に、どうにも身の置き所がない。
これはちょっとした拷問である。
「とにかく、マルティナはリアとも年が近いんだし、仲よくしてくれよ」
「もちろんよ。あ、そうだ。私が今まで手伝っていた屋敷の管理とか家政に関する実務は、夫人に引き継いだほうがいいわよね」
「そうだな。そうしてくれるか?」
え、何それ。いらないわよ。多分、ろくなことにならないわよ。
そんな私の心の声など聞こえるはずもなく、かといってはっきり「必要ありません」なんて言うこともできず、私は人工的な笑みを貼りつけながら「ぜひお願いします」と答えるしかなかった。とほほ。
かくして、できるだけかかわり合いたくないという密かな願いも虚しく、嫌な予感は見事に的中するのである。
翌日から、マルティナ様は引き継ぎと称して毎日屋敷を訪れるようになった。
恐らくは、仕事の引き継ぎよりもゼノ様に会えることを見越して、足繁く通っているのだろうけど。
二人きりで会うようになっても、マルティナ様が初日の愛くるしい笑顔を崩すことはなかった。ただし、だいぶ棘のある言葉と皮肉めいた口調で、自分の立場の優位性を誇示しようとする。
「私はゼノとのつきあいも長いですし、この家のことも辺境伯領のことも、知らないことは何一つないのですよ。予期せぬ王命でいきなり嫁いできたアウレリア様とは違うのです」
「辺境伯領と王都とでは、気候も文化も風習も、何もかも違うでしょう? 平和な王都でぬくぬくと育ったアウレリア様が、魔獣との戦いに明け暮れる辺境伯領での生活に馴染むのは難しいんじゃないかしら」
「辺境伯家にとっては、魔獣討伐が何より優先されるのです。いつ魔獣との戦闘が始まるかわからないのですから、もっと緊張感を持ってくださらないと」
「辺境伯家は質実剛健がモットー。領に大きな収入源などありませんし、これから厳しい冬を迎えるのですから、無駄なぜいたくは控えてくださいね」
一事が万事、こんな調子である。
さすがに、「出て行け」だの「あなたは辺境伯夫人に相応しくない」だのというあからさまな苦情や非難を口にすることはないけれど、まあ、とどのつまりはそういう意味なのだろうと、容易に察しがつく。
腹の底では「マジで鬱陶しいんですけど……!」などと毒づきつつも、表立ってはキレずに対応している自分、本当に偉い。
ここへきて、最低な元婚約者との不本意な婚約期間の中で培われてきた忍耐強さが、遺憾なく発揮されているような気さえする。全然うれしくはないけど。
そんな憤懣やるかたない日々を過ごしていた、ある日のこと。
今日も今日とてマルティナ様は私の向かい側に座り、わかりやすくマウントを取っていた。
「……ですから、近年強い毒性を帯びた狂暴な魔獣が増えているのですよ。そんなことも知らないのですか?」
「……一応、存じておりますが」
「じゃあ、もっと質の高い武器や防具を購入する必要があるということも、当然ご理解いただけますよね?」
「もちろんです。でも、それだけでいいのでしょうか? より高品質な武具を購入し続けるのは経済的な負担も大きいですし、辺境伯家の資金管理にも影響が――」
「何を言っているのです? 狂暴化する魔獣に打ち勝つためには、質の高い武具が必要不可欠なのですよ。アウレリア様は、騎士団員たちの命よりもお金のほうが大事だと仰りたいのですか?」
「そうではありません。ただ、武具の強化とは別の視点での対策も必要なのではないかと……」
「別の視点?」
「例えば、魔獣の毒に有効な解毒薬を探してみるとか――」
「はっ! 何を言うかと思えば!」
マルティナ様は嘲りを含んだ目をして、見下したように笑い出す。
「魔獣の毒に有効な解毒薬? そんなものが、この世の中にあるとでもいうのですか?」
「いえ、わかりません。でもこの国では流通していない薬草や薬品の類いもありますし、世界には魔法薬の開発が盛んな国もあると聞いたことがあります。私の実家はさまざまな国や地域と取引きをしていますので、その伝手を使って探してみることも――」
「ほんと、なんにもわかってないのね」
私の言葉を容赦なく遮ったマルティナ様は、呆れたような、それでいてひどく不機嫌そうな顔つきになった。
「そんな薬を作ったり探したりするのに、何年かかると思っているのですか? 薬が見つかるまで、魔獣が襲撃をやめて待っていてくれるとでも? その間、どれほどの騎士団員が犠牲になると思っているのよ?」
「それは……」
「なんにも知らないくせに、偉そうなことを言わないでほしいんだけど」
マルティナ様は苛立たしげに大きなため息をついて、噛みつくような視線を私に向ける。
「ゼノと結婚したからって、いい気にならないでよね。まだ本当の夫婦でもないくせに」
「え……?」
「知ってるのよ。あなたたち、まだ閨をともにしてないんでしょう? そんなの、本当の夫婦とはいえないじゃない」
なぜか勝ち誇ったような顔をするマルティナ様。
どうしてそれを、知っているのだろう。
悪意のこもった唐突な言葉に、私は黙って眉根を寄せることしかできない。
「なんで知ってるのかって顔してるわね。わかるわよ、それくらい」
「……だとしても、これは私たち夫婦の問題で、マルティナ様には関係のないことです」
「ふふ、滑稽ね。あなた、ゼノに好きだなんだのしょっちゅう言われているくせに、体のほうは求められていないのでしょう? あなたにそういう魅力がなさすぎて、きっとゼノも欲情しないのよ。それって、本当に愛されているといえるのかしら」
「な、何を――」
「だって私たち、あなたが来るまではそういう関係だったのよ」
今日は大晦日ですね。
今年もたくさんの方々にお読みいただきました。本当にありがとうございます!
楽しく書き進められたのも、いつも読んでくださるみなさんのおかげです。
ブックマークや評価、リアクションもうれしいです。飛び上がって喜んでます。ありがとうございます。
物語はとんでもないところで終わってしまいましたが(苦笑)、次話でもやもやは解消されますので、しばしのお待ちを。
それではみなさま、よいお年をお迎えください。




