5 嵐の予感
その日の午後は、家令のバートから屋敷の管理や領地経営についての説明を受けることになった。
ゼノ様は「落ち着いてからでいい」と言ってくれたのだけれど、突然の王命で嫁いできたこともあって、私はラグヒルドのことをあまりよく知らない。辺境伯夫人としてそれではまずいと思うし、何より少しでも早くこの土地に馴染みたいと思ったのだ。
「……こちらが、屋敷の管理に関する帳簿になります」
バートから手渡され、ざっと目を通す。
前辺境伯の急死によって、ほとんどなんの準備もないまま当主の座を継ぐことになったゼノ様。当然引き継ぎらしい引き継ぎもなく、また年々狂暴化する魔獣から領民を守るために東奔西走していることもあって、「家の中のことはバートに任せきりなんだよ」と決まり悪げだったのだけれど。
帳簿を見る限り、意外にしっかりと屋敷の管理がなされている。
「これは、すべてあなたが?」
感心しながら尋ねると、目の前のバートはちょっと照れくさそうな顔をした。
「すべてというわけではありません。ただ、辺境伯家は先代の奥様が早くに亡くなり、長く女主人が不在でしたから。少しばかり実務的なお手伝いをさせていただいただけなのです」
「ゼノ様のお母様は、いつ頃亡くなったのかしら」
「旦那様が三歳の頃と聞いております。流行り病だったとか」
「そうなのね……」
聞けば聞くほど、私はラグヒルドだけでなくゼノ様のことすら何も知らないのだと気づかされる。いきなり結婚することになったのだから仕方がないとはいえ、なんだか歯がゆい思いがする。
「それに最近では、マルティナ様が屋敷の管理や家政にかかわる実務を手伝ってくださることも多いのですよ」
「……マルティナ様? 確か、ゼノ様の従妹にあたる……」
「はい。兄であるグイド様が副団長をされていることもあって、マルティナ様もよくおいでになるのです。そのうち、暇だから手伝ってあげると仰って」
バートは当初、他家の令嬢に女主人の仕事を手伝ってもらうなどとんでもない、とやんわりお断りしたという。でも当のマルティナ様がゼノ様に掛け合い、ゼノ様も「バートが楽になるなら」と許可したらしい。
本来、屋敷の管理や資産の会計処理、使用人の人事監督など家政全般を取り仕切るのは、女主人たる当主の妻の仕事である。
それを、部分的にとはいえ、未婚の令嬢が手伝うというのはどうなのかしら。なんとなく、というか、わりとがっつりめに、違和感があるんだけど。この辺りでは、そうでもないのかな?
素朴な疑問を抱いた私は、早速侍女のリーンにそれとなく尋ねてみた。
「マルティナ様のことですか?」
ちょっと微妙な表情になるリーン。意識的に、なんでもないふうを装っているようにも見える。
「気さくな方ですよ。副団長であるグイド様もだいぶフレンドリーな方ですが、マルティナ様も私たち使用人に対して気軽にお声かけくださいますし。時々、差し入れとして手作りのスイーツを持ってきてくださることもあるんです」
「あら。素敵な方なのね」
「……そうですね、まあ……」
唐突に歯切れが悪くなって、リーンは目を泳がせる。そして何か言いたそうな顔をしながらしばらく逡巡し、意を決したように口を開く。
「……あの、奥様」
「どうしたの?」
「これはあくまで私の主観、独断と偏見による勝手な所感なのですが」
「え?」
「私はマルティナ様が、どうにも苦手なのです」
「あら」
気まずそうな顔をしていたリーンは、それでも打ち明けてしまったら止まらなくなったらしい。堰を切ったように早口で話し始める。
「いくらいとこ同士で、幼い頃から気心が知れていて、兄であるグイド様が騎士団の副団長を務めているからといって、辺境伯である旦那様に対して馴れ馴れしすぎると思うのですよ。家政の件にしたって出しゃばりすぎですし、はっきりいって魂胆が見え見えだと思うのです」
「魂胆?」
「マルティナ様は旦那様をお慕いしていて、いずれはこの辺境伯家に輿入れするつもりだったんだろうなと」
「え、そうなの?」
「はい。そもそも、旦那様に届いた縁談の中にはマルティナ様とのお話もあったのです。旦那様は一様にすべてお断りになりましたが、マルティナ様は諦める気がなかったらしくて。私たち使用人を懐柔して味方に引き入れようとでも思ったのかやたらと親しげに声をかけられますし、バートの手伝いという名目で家政や屋敷の管理に関する仕事にも口を出すようになられて、まるでご自分がこの屋敷の女主人であるかのように振る舞っておいででした」
正直、やっぱりね、という感想しかなかった。
リーンの「独断と偏見」を鵜呑みにするつもりはないけど、まったくもって的外れな見解というわけでもない気がする。
だってゼノ様は、名門辺境伯家の若き当主。加えて、あの容姿である。密かに想いを寄せる令嬢がいたとしても、全然不思議じゃない。
「じゃあ、使用人たちも、いずれはマルティナ様が輿入れされると思っていたのかしら」
「そうですね。そう思っていた者は、少なくなかったかもしれません。特に女性の使用人たちの中には、マルティナ様から個人的な贈り物をいただいていた者も大勢いましたから。このままマルティナ様が夫人になってくれればいいのに、という声は確実にありました」
「リーンは贈り物をもらわなかったの?」
「お断りしました。いただく理由がありませんから」
真っ先に手を挙げて贈り物をもらいに走りそうなリーンが、意外にもきっぱりと言い切る。思っていたより、真面目で堅実な性格なのかも。なんだか頼もしい。
それにしても。
これはちょっと、いやだいぶ、嫌な予感がしてきた。
さっきのゼノ様の言葉や反応を考えれば、マルティナ様のことをただの従妹としてしか見ていないことなど明白である。
恐らく、マルティナ様の気持ちにも、気づいていないんじゃないかしら。
でもマルティナ様のほうは、虎視眈々と辺境伯夫人の座を狙っていたに違いない。家政に関する実務を手伝う話だって、「バートの負担軽減のため」とでもいえばゼノ様は二つ返事で承諾しただろうし。
表向きは多忙な家令を助けるためと言いながら、部分的にでも女主人としての仕事を担うことで、いずれはこの辺境伯家になくてはならない存在として認められる。そしてなし崩し的に、『当主の妻』の座に収まろうと画策していたとしたら? 結構な策士なのでは?
そんな人がゼノ様の結婚を知ったら、どんな反応を見せるのだろう。
なんて思っていたら、意外にもその日は早くやってきたのだ。
◇・◇・◇
辺境伯領へ来て、五日目の昼下がり。
その日は朝から、ゼノ様に辺境伯家の歴史と魔獣討伐についてのレクチャーを受けていた。
といっても、ゼノ様の執務室で、まったりとお茶を飲みながら、ほとんど雑談の延長のような形でのレクチャーである。
ちなみに、ゼノ様からは早々に「食事は常に一緒にとりたい」とか「執務の間のティータイムもできれば一緒に」などとお願いされたため、毎日わりと頻繁に顔を合わせている。ゼノ様はどんなときでも愛おしげな視線を私に向けながら、「可愛い」とか「好きだよ」とか「一緒にいられるだけで幸せ」とか、甘々なセリフを遠慮なく、ストレートに、これでもかというほどささやく。
誰だよ、冷遇される未来しか見えない、なんて言ってたのは……!(自分です)
そんなわけで、その日もソファの隣に座らせられて、とても密着した状態で、ゼノ様の話を聞きながら私の心臓はどんどこどんどこ跳ねまくっていた。
「古代の昔からフラムの森に生息していたとされる魔獣は、長いこと人々の生活を脅かしていてね。ラグヒルド家は数多の犠牲を払いながらも魔獣を撃退し、そのまま国境の守護を引き受けるべく辺境伯領を預かることになったんだよ」
「武勇を誇るラグヒルド家の歴史は、魔獣との戦いの歴史という側面もあるのですね」
「そうだね。我がラグヒルド辺境伯家の歴史は、魔獣との戦いなくしては語れない。ただ、年々魔獣の狂暴性が増していることに加えて、強い毒性を持つものが増えていてね。対応に苦慮していることは否定できないんだ」
「強い毒性、ですか?」
「神経に作用する毒を含んだ爪や牙を持つ魔獣が、増えているらしくてね。その毒にやられると何らかの後遺症が残ることが多いし、最悪の場合死に至ることもある。俺の父親みたいにね」
あっけらかんと話すゼノ様。なんだか、かえって痛々しい。
「お父様も、魔獣の毒で……?」
「若い騎士団員を庇ってのことらしいよ。まったく、あの人らしい」
「あの、魔獣の毒に対抗する手段はないものでしょうか? 毒を受けてもその影響を抑え込めれば、例えば毒に効く特効薬などがあれば、最悪の事態を免れることができるのでは……?」
「確かにね。そういう可能性も含めて、魔獣の毒について研究する施設を立ち上げようかという話にはなっているんだけど――」
そのとき不意に、ドアをノックする音がした。
ゼノ様が応えると、家令のバートが顔を覗かせる。
「旦那様、奥様。お話し中、申し訳ございませんが……」
「どうした?」
「プリスカ伯爵家のマルティナ様がお見えになっております」




