3 結婚初夜
「アウレリア嬢」
寝室に入ってきたのは、湯浴みを終えたと思しき若き当主、ゼノ・ラグヒルド辺境伯だった。
もともと端正な顔立ちだというのに、濡れた髪がやけに艶っぽい。色気だだ漏れである。困る。
「隣に座っても?」
「ど、どうぞ」
声が裏返ってしまったのも、仕方がない。
だって、ここに着いた瞬間から、顔を合わせた使用人たち全員に「旦那様がいかに奥様を待ち焦がれていたか」を切々と、滔々と、説明されまくっていたのよ?
自分の恋心を隠さず余さず堂々と使用人たちに披露するだけでなく、私がいかに魅力的で素晴らしい人間なのかを朝から晩まで言葉を尽くしてしつこいくらいに布教し続けたというその人を、意識するなと言われたって無理である。
「『リア』って呼んでもいい?」
おっと。いきなり結構な直球が飛んできた。受けるほうの身にもなってほしい。すでに瀕死である。
ねだるような蠱惑的な視線を向ける旦那様に対して、私は辛うじて「……どうぞ」とだけ答えた。
旦那様は無邪気な笑顔を見せながら、ずずっと距離を詰める。
触れそうで触れないその距離に、心臓が跳ねた。
「リアはいろいろと驚いただろうし信じられないかもしれないけど、実は俺、ずっと君に片想いしていたんだよ」
「あの、どこかでお会いしたことがあったのでしょうか?」
「うん、学園でね。リアが入学してきて、すぐの頃」
言われて、はたと気づく。
確かに私は、この人に会ったことがある――――。
「初めて君を見たのは、入学式のときだよ。なんてきれいな子だろうと思った。目が離せなくて、いつも気になって、姿を見かけたときにはずっと目で追いかけていたよ。でもすぐに、マリヌスとの婚約が決まったと聞いて、俺も親父が魔獣にやられたって知らせがきたから帰らなきゃいけなくなってさ。そのまま学園は退学しちゃったから、君は覚えてないだろうけど」
話を聞きながら、私は思い出していた。
元婚約者のマリヌスは私の二つ年上だけど、実は王太子殿下と同い年である。
そして、ラグヒルド辺境伯も確か同じ学年にいたのだ。
うろ覚えなのは、いま彼が話した通り、私が学園に入学してすぐに前当主が倒れたとかで辺境伯領に帰ってしまったからだ。結局学園に戻ってくることはなく、そのまま退学して当主の座を継いだから、彼が学園にいたという記憶はすっかり抜け落ちてしまっていた。
「我ながら重いとは思うんだけど、ずっとリアのことが忘れられなくてさ。話したこともほぼないし、君は俺のことを知らないとわかってはいても、諦めることができなかったんだ。だから縁談は全部断って、このまま一生独り身でもいいと思ってた。跡継ぎは、縁戚から養子をもらえばいいかなって」
「ど、どうしてそこまで……?」
「どうしてかな。わかんないけど、リアをひと目見た瞬間から、リア以外には考えられなくなったんだよ。辺境伯家の人間は愛が重くて、ひとたび相手を決めたら絶対に手放すことはないと言われているからね。そういう血なんじゃないかな」
ふっと小さく笑う旦那様に、またしても心臓が勢いよく跳ねる。
「エヴェラルド殿下は、俺の密かな想いを実は知っていてね。君がマリヌスに疎んじられていると話しては、奪いにこいっていつもけしかけてきて」
「え……?」
「俺だってできればそうしたかったけど、君たちの婚約は政略的なものだと聞いていたし、俺も当主の座を継いだばかりで余裕がなくてさ。年々魔獣の凶暴性が増していて強い毒性を持つものも増えていたから、被害の拡大を防ぎながら領民の生活を守ることが最優先だったんだ」
その真っすぐな言葉に、若くして当主となった旦那様の苦難と苦悩を思い知る。
と同時に、旦那様の秘めたる想いを知っていたエヴェラルド殿下がマリヌスの婚約破棄宣言を皮切りに、これ幸いと少々強引な「王命」という手を使ったのだろうということも容易に察しがついた。
そして恐らく、お父様もお母様もお兄様も、旦那様の一途な想いを予め聞かされていたに違いない。あの無責任な励ましには、しっかりとした根拠があったのだ。
だったら、先にそう言ってほしかった。ほんとにもう。
「とにかく、俺はマリヌスの馬鹿のおかげで、これ以上ない幸運を手に入れたわけだけど」
不意に旦那様の視線が、妖しい色香を纏った。
一瞬で確かな熱を孕んだその目を、私は直視できない。
「リアは着いたばかりで、疲れただろう?」
「え?」
思わず顔を上げると、柔らかな光を宿す瞳が私を見下ろしていた。
「俺はずっとリアが好きだったから、リアが辺境伯領に来てくれるなんて信じられないし、もううれしくてうれしくて仕方がない。でもリアのほうは、いきなりこんなことになってまだ混乱してるだろう? リアが嫌がるようなことは、したくないからさ」
そう言って、旦那様は甘く微笑む。
「俺はリアが好きで好きで、リア以外は何もいらないと思うくらい大好きだけど、これからもずっと一緒にいてくれるだけで十分幸せなんだけど、それでもやっぱり、できれば俺のことも好きになってほしいんだ。俺と同じくらい、リアにも俺に溺れてほしい」
「お、おぼれて……!?」
「そうだよ。俺はとっくに、リアに溺れているから」
そのまま優しく、ちゅ、と軽くキスされる。
「えっ……!?」
「今日は、これでやめとくね」
にこやかに立ち上がった旦那様は「おやすみ」と言ってから、何事もなかったかのようにすたすたと部屋を出て行った。
な、な、なんだこれ……。
は、は、破壊力が、ありすぎなんですけど……!!
ここまでが短編版とほぼ同様の内容になります。
次話からは、新エピソードです!
ゼノの溺愛が加速していきますので、ご注意を!




