2 『辺境の鬼神』
夜会の翌日、早速お父様が王城に呼び出された。
マリヌスの父、ケレブレム公爵も一緒らしい。
夕方近くになってようやく帰ってきたお父様は、当然のように疲れ切った表情をしていた。
「マリヌスとの婚約は、無事破棄になったよ。言うまでもなく、向こうの有責でだ」
「そうですか」
でしょうね、という感想しかない。
「ケレブレム公爵は、最後まで抵抗していたがな。しかしこうなった以上、婚約の続行は難しいだろうと殿下も仰ってくださった。同席された陛下もな」
「私たちの婚約がなくなれば事業提携も解消になるでしょうし、向こうの有責となれば困るのはあちらですからね」
「……ただな」
お父様はなぜか突然言い淀み、妙に浮かない顔つきになる。
「……お前には、ラグヒルド辺境伯に嫁ぐよう王命が下ったのだ」
…………はい?
思考が停止した。
多分、たっぷり二十秒くらい。
「そ、それは、どういう……?」
やっとのことで、それだけ尋ねる。
お父様はますます難しい顔になって、ぼそぼそと話し出す。
「マリヌスとの婚約がなくなった以上、お前の嫁ぎ先を改めて探す必要があるだろう? そうした事情を察した殿下が、現状婚約者のいない、辺境伯に嫁ぐのがよかろうと、仰せになってな……」
しどろもどろのお父様は、私と目を合わせない。
後ろめたいのか後ろ暗いのかわからないけど、お父様もこの王命には戸惑いしかないのだろう。
――ラグヒルド辺境伯とは。
王国北側の国境地帯を預かる辺境伯領の当主であり、「勝ったやつが偉い」「勝てば何でもあり」が信条の粗野で野蛮な辺境伯騎士団を束ねる勇猛無比で知られる御仁。
実は、ラグヒルド辺境伯領は得体の知れない魔獣の棲む『フラムの森』に隣接している。
建国当初から、代々魔獣討伐の責務を担う辺境伯家の人間は気性が荒く乱暴で、いかつい風貌の者が多いらしい。
若干十八歳で辺境伯を継いだ現当主は身長二メートル以上の巨漢と噂され、魔獣との戦いに明け暮れているため年がら年中傷だらけ、極めつけは背中に大きな十字傷さえあると聞く。
群れをなして襲いかかる魔獣を片っ端から薙ぎ倒し、緑色の返り血を浴びてなお悪鬼羅刹のごとく突き進むその様は、『辺境の鬼神』と称され恐れられているのだ。
「な、なぜ、ですか……?」
声が、掠れてしまう。
そりゃ、私だってマリヌスとの結婚は嫌だったし、こうなったら代わりは誰でもいい、くらいの気持ちではあった。
でも、だからって、なぜよりによって、狂暴凶悪と噂の辺境伯なわけ?
どうしていきなり、王都から遠く離れた、粗暴な荒くれ者のもとへ輿入れせよ、なんて話になるのよ?
にわかには到底承服できない一方的な王命に抗議しようとしたら、お父様が渋々といった様子で言葉を続ける。
「アウレリア、これは王命だ。拒否することはできぬのだ」
「で、でも……!」
「大丈夫だ。殿下は『悪いようにはしないから』と言ってくださった。『騙されたと思って、ちょっと行ってみてよ』とも……」
「……な、なんですかそのふざけたセリフは……!」
人の一生を決める大事な縁談だというのに、おつかいを頼むくらいの軽いノリで簡単に決めないでいただきたい……!!
かくして、私は早々に、まるで追い立てられるかのように、ラグヒルド辺境伯領へと旅発つことになったのだ。
◇・◇・◇
暗澹たる思いで、馬車に揺られていた。
あの夜会のとき、私を気遣ってくれた殿下だからこそすべてを委ねたというのに、まんまと騙された気分である。
しかも、お父様だけでなくお母様やお兄様までもが、「多分大丈夫だから」「多分なんとかなるから」などという謎のなぐさめを繰り返す始末。多分、ってなによ。無責任すぎるでしょ。
平和な王都で堅物と揶揄され婚約破棄された公爵令嬢が、常に魔獣との死闘を続ける粗暴な辺境伯家に輿入れなんて、冷遇される未来しか見えないんですけど……!
そんな恨み節を心の中で延々と炸裂させながら、馬車に揺られて一週間。
辺境伯領の入り口、南の砦と言われる場所が見えてきたときだった。
何やら急に、地鳴りのような地響きのような重量感のある音が近づいてきたと思うと、あっという間に大人数の騎馬隊に囲まれてしまったのだ。
焦ってあわあわしていたら、一人の騎士が颯爽と馬から降り立つ。
「アウレリア嬢、ようこそ辺境伯領へ。私はラグヒルド辺境伯領当主、ゼノ・ラグヒルドと申します」
それは長身痩躯の、漆黒の髪に端正な顔立ちの、かなり眉目秀麗な部類に入るレベルの、ラグヒルド辺境伯その人だった。
「え……?」
突然の出来事にいろいろと理解が追いつかず、私は言葉を失ってしまう。
だって、いったい誰よ。いかつい風貌の巨漢なんて言ったのは。粗野で野蛮な乱暴者なんて言っていたのは。全然違うじゃないの。
そんな私の耳に、思いもよらない言葉が突然降ってきた。
「か、可愛すぎる……」
「……はい?」
咄嗟に聞き返すと、なぜかとろけるように微笑んで、私を見返す辺境伯。
「あなたをこの地に迎えることができるとは、まさに僥倖の極み。これからは私が全身全霊をかけて、あなたを一生お守りいたしますゆえ」
声色までもがやけに甘美で情熱的で、なんだか妙にそわそわしてしまう。
え、ちょ、ちょっと、待って。
まさか、いや、もしかして。
私って、そこそこ歓迎されちゃってる……?
「屋敷」というよりは「城」といったほうが相応しいような堅牢な造りのラグヒルド辺境伯邸に到着した途端、事態はすぐに判明した。
「私たち辺境伯領の人間は全員、奥様がいらっしゃるのを心待ちにしていたのです!」
専属侍女として紹介された、同じ年頃と思しきリーンがやや興奮気味に話し出す。
「王太子殿下から奥様の輿入れが決まったという早馬が来たとき、旦那様はその場で半刻ほど固まってしまったんですよ!」
「か、固まって……?」
「うれしすぎて、気を失っていたそうで」
「……はい?」
「旦那様が仰るには、ずっと恋い焦がれていた人だからとにかく総力を結集し全力でお迎えせよ、絶対に粗相があってはならない、というお話だったのです。若くして当主の座に就くことになってしまい、いろいろと苦労がおありだったでしょうに、旦那様はこれまでどんな縁談も突っぱねて独り身を貫いてきましたからね。そんな旦那様のはしゃぎように、私たちも微笑ましいやらホッとするやら、涙ぐむ使用人も続出で」
「は、はあ……」
「ですから奥様、何も心配はいりません。辺境伯領は王都とは何もかもが違うでしょうけど、私たちがついておりますから!」
……謎にテンションが高い。
そして私はまだ、「奥様」じゃないのよ。
と思っていたのに、気づいたらあれよあれよという間に湯浴みをさせられ、侍女たちに磨き上げられ、見たこともないセクシーな透け透けの薄い夜着を着せられ、そのまま夫婦の寝室とかいう部屋に放り込まれた。
て、展開が、早すぎる!!




