15 『辺境の鬼神』とその最愛
少し長くなりましたが、これで完結です!
私を柱の陰に引き込んだマリヌスは、切羽詰まった顔をしながら一方的にしゃべり出した。
「お前との婚約がなくなった途端、父上が家督を弟に譲ると言い出したんだよ! そうなったら私は終わりだ! だからもう一度、お前との婚約を結び直して――」
「何を言っているの? 『真実の愛』を見つけただのなんだのと大騒ぎして、派手に婚約破棄を宣言したのはあなたでしょう?」
「テレサとはとっくに別れた! あいつは公爵夫人という立場を狙っていただけで、ほかにもつきあってる男がいたんだよ! 私は騙されたんだ!」
「騙されたって、あなたね……」
呆れてものも言えない、とはこのことである。
この期に及んで、こいつは馬鹿なのか。いや、馬鹿なのね。
私は盛大なため息をついてから、背筋を伸ばしてマリヌスを見返した。
「……そんなことより、私はあなたにお聞きしたいことがあるのだけれど」
すーっと温度を下げた冷たい声色に、マリヌスはわかりやすく狼狽える。
「ゼノ様に関する根も葉もない噂を流していたのは、あなたでしょう? ケレブレム公爵令息」
わざと突き放したような口調でそう言うと、マリヌスは途端に怪訝な顔をする。
「は? 何言って――」
「ケレブレム公爵家とラグヒルド辺境伯家は建国当初から続く由緒正しい家門でありながら、実は犬猿の仲であるということは知る人ぞ知る話。そして学園在学当時、あなたはゼノ様に言いがかりをつけては、彼を貶めようと躍起になっていたそうね?」
「な、なんでそれを……?」
「私にだって、それ相応の情報網はありますのよ?」
挑むような目で微笑むと、マリヌスはしかめ面をして黙り込む。
実は、あの噂について調べ始めてすぐに、私は事の真相にたどり着いていた。なんのことはない、噂を流した犯人はマリヌスだろうということを、ゼノ様はとっくに見抜いていたのだ。
それほどまでに、当時のマリヌスの悪意は性悪で陰湿で、執拗なものだったらしい。
「学園の最終学年に在学中、お父様である前辺境伯が急に亡くなられたこともあって、ゼノ様は領地に帰らざるを得ませんでした。そのまま戻ってこないことを知ったあなたは、チャンス到来とばかりに根も葉もない悪意ある噂を流し始めたのでしょう? 辺境伯領の現当主はいかつい風貌の巨漢だとか、気性の荒い乱暴者だとか、年がら年中傷だらけの粗野で野蛮な荒くれ者だとかね。当主を継いだばかりのゼノ様は王都に出てこれる状況ではなかったから、そんな噂が流れていると知ってはいても身をもって否定することができなかったのです。それをいいことに、あなたは長い間我が夫を侮辱し、中傷し続けたのよね?」
「……わ、我が夫……?」
「あら、ご存じない? 私、ラグヒルドに嫁いだのよ」
ふふん、とわざとらしく口角を上げてみせる。
マリヌスは息もつけないほど驚いたらしく、目を見開いたまま私を見返した。
「そ、その話、本当だったのか……?」
「王命ですもの。嘘だとでも思っていたの?」
「だって、まさか、そんな……」
「リア!」
唐突に聞き慣れた声がしたかと思うと、後ろから伸びてきた腕に強い力で抱き寄せられた。
「大丈夫!? 何かされた!?」
「何もされてませんよ。ちょっと腕を引っ張られただけです」
「お前、俺の妻に勝手に触れたのかこの顔だけ能無しクズ野郎が。その腕、切り落としてやろうか?」
現れた瞬間、流れるように強烈な暴言を吐くゼノ様。辺境伯家の気性の荒さは、あながち間違いではないらしい。
それにしても、「顔だけ能無しクズ野郎」とは言い得て妙である。
「ゼ、ゼノ……」
「久しぶりだな、マリヌス。まあ、大して会いたくもなかったが」
「お、お前、本当にアウレリアと……」
「俺の愛する妻を、勝手に呼び捨てにするな。その口も削ぎ落とすよ?」
容赦のない物言いをするゼノ様は、マリヌスの窮地についてすでに情報を得ていたらしい。
だからこそ、私との婚約を勝手に破棄したことで廃嫡寸前となったマリヌスが、再婚約を目論んで私に接触しようとするのではないか、と危惧していたのだ。
私は「まさかー!」と笑い飛ばしていたのだけど、本当にのこのこと出てきたマリヌスを見ると、どの面下げて、と言いたくなる。
「ケレブレム公爵令息」
もう一度名を呼ぶと、マリヌスはびくっと肩を震わせた。
「我が夫に関する謂れなき誹謗中傷に対し、ラグヒルド辺境伯家はケレブレム公爵家を正式に抗議いたします。覚悟してね?」
「いや、ちょっと待て――」
「ああ、でもね。あなたが流したゼノ様の噂の中で、『魔獣との戦いに明け暮れているから年がら年中傷だらけ』の部分だけは事実です。狂暴な魔獣の襲撃から辺境伯領を守るため、夫も辺境伯騎士団も体を張っているのだもの。体中にある傷は、名誉の勲章なのよ。馬鹿にしないで」
ぴしゃりと言い放つと、マリヌスはがっくりと膝から崩れ落ちてしまう。
その様を見て、ゼノ様はあっけらかんと言った。
「やだなあ。体中に傷があるなんてバラしたら、俺たちが毎晩いちゃいちゃしてるのもバレちゃうじゃん」
「はい!?」
火を噴いたかと思うくらい顔が真っ赤になっている私を見下ろして、ゼノ様は「リアってば可愛い~」と楽しげに揶揄った。もう。
◇・◇・◇
さて、その後の話をしておこうと思う。
ケレブレム公爵家に対し、ラグヒルド辺境伯家の名で正式な抗議文書を送りつけた結果、マリヌスは勘当を言い渡されたうえ放逐されてしまった。
事実上の追放処分である。
マリヌスの父である現ケレブレム公爵は温厚かつ賢明な方で、長年に渡る辺境伯家との確執に思うところがあり、将来的には関係の修復を視野に入れていたという。王家の覚えめでたい辺境伯家とこのまま対立を続けていても、はっきり言ってメリットは何もない。それどころか、公爵家としての立場が危うくなる可能性もあると考えたのだ。
それなのに、不肖の息子は父親の将来設計を何一つ知ることなく、ゼノ様に対して陰湿な嫌がらせを続け、あまつさえ悪意ある出鱈目な噂を流して辺境伯家を貶め続けた。ケレブレム公爵は息子の所業をまったく知らなかったそうだけれど、知らなかったでは済まされないところまですでに事態は進行していたのだ。
そんなわけで、公爵はラグヒルド辺境伯家に対して正式に謝罪の意を表明するとともに、長男を廃嫡・追放し、次男を後継に指名するに至った。
追放されたマリヌスがどうなったのか、実はよくわからない。
公爵家の跡取りとして何不自由なく生きてきたマリヌスが、平民として市井に下ってしたたかに生きていけるのか。いや、無理じゃない?
でもあの人、ゼノ様が言う通り、顔だけはいいのよね。だからあの外見を生かして、どうにかこうにか食いつないでいるような気もする。人様に迷惑をかけていなければいいのだけれど。
「追放」といえば。
あの懲りない突撃令嬢マルティナ様が他家へ嫁いだと聞いてだいぶ経ってから、私はその嫁ぎ先がどこなのかを知ることになった。
「他国の子爵家、ですか?」
したり顔をするゼノ様は、私をその腕の中に閉じ込めて上機嫌である。
「そうだよ。しかも、没落寸前の落ちぶれた子爵家なんだって」
「よくマルティナ様が受け入れましたね」
「いや、最後までだいぶごねたらしいよ。伯母上も反対したからかなりもめたそうだけど、プリスカ伯爵が頑として譲らなかったって」
まわりの忠告に耳を貸さず、母親と結託して自分本位に暴走し続けたマルティナ様を、父親であるプリスカ伯爵が許すことはなかったらしい。
ゼノ様が抗議文書の中で「二度と我々の前に姿を現すことのないよう、厳正なる対処を要求する」と書き記したことを重く受け止めた伯爵は、娘を他国へ嫁がせることを決めたという。
「没落寸前といっても、まだまだ財政を立て直す余地はあるみたいだからね。マルティナの心がけ次第では、どうにかなるかもしれないよ?」
「……だといいですね」
「まあ、俺としては、正直どうでもいいんだけど」
一応、マルティナ様には部分的でも家政を取り仕切ってきた経験がある。気持ちを入れ替えて、子爵家のために奮闘してほしいとは思うけど。でも彼女の未来がどうなるのかは、はっきり言って予測不能である。
「そんなことよりさ」
唐突に、ゼノ様が私を抱きしめる腕の力を強めた。
その声に、心なしか不機嫌な色が乗る。
「最近、リアは働きすぎだと思うんだけど」
「はい?」
「遠方のリネイセル王国から解毒薬を買い付ける話が、いつのまにか彼の国の協力を得て薬草の栽培と流通に着手しようとしてるだろう?」
「ああ、そうですね」
「ちょっと働きすぎじゃない? 忙しすぎて、倒れちゃうんじゃない?」
「そんなにやわではありませんよ?」
「俺はリアが心配なんだよ」
そう言って、子どものように口を尖らせるゼノ様。二つ年上の夫が、なんだか可愛らしくて仕方がない。
ゼノ様の言う通り、魔獣の毒に対抗するための解毒薬に関しては、思わぬ方向に話が進んでいた。
きっかけは、解毒薬についての知識を深めようと取り寄せた一冊の薬草辞典。
とあるページを見た侍女のリーンが、思いがけない言葉を発したのだ。
「あれ、この薬草、『バンザイ草』にそっくりですね」
そこに載っていたのは『憂い草』という、ほとんどの解毒薬を生成する際に用いられる特別な薬草だった。
「『バンザイ草』って、何なの?」
「フラムの森の入り口辺りとか、この屋敷の周辺にもたくさん生えている雑草ですよ。葉っぱの先が三つに分かれていて、人がバンザイをしているように見えるじゃないですか? だからこの辺では『バンザイ草』って呼ばれてるんですけど」
このリーンの発言をきっかけにいろいろと調べたところ、バンザイ草と憂い草は同一種、つまり同じものだと判明したのだ。
憂い草は、魔法薬の生成・開発を得意とするリネイセル王国でもごく限られた場所にしか自生していないという。一方ラグヒルドに自生する憂い草は、雑草だと思われていたくらいどこにでも生えていて、意外なことに質もよかった。
そんなわけで、リネイセル王国側のアドバイスを受け、憂い草の栽培・流通にまで話が及んでいるのだ。うまくいけば、ラグヒルド領にとって大きな収入源となり得るビッグチャンスである。
「憂い草の栽培と流通がうまくいけば、魔獣の毒に怯える必要がなくなるうえに辺境伯領全体が潤うことにもなるのですよ?」
「そんなのわかってるけど、忙しすぎるリアが心配なんだよ。それに、俺のことも全然構ってくれないし」
「構ってくれないって、子どもじゃないんですから……」
「もっと俺のことだけを考えてほしいのに」
ギリギリまで鼻先を近づけたゼノ様が、私の頬に触れながらねだるような声でささやく。
「俺はリアしか見てないし、リアのことしか考えてないし、リア以外何もいらないって思ってるのに。リアの頭の中が、俺以外の何かで埋め尽くされてるのは許せない」
「それって、解毒薬や憂い草に対して嫉妬しているように聞こえますけど?」
「嫉妬してるよ、もちろん」
大真面目な顔でそんなことを言ってのけるゼノ様に、私は思わず、ふふっと笑ってしまう。
「そんなに心配しなくても、私の頭の中を覗いたらゼノ様は多分びっくりすると思いますよ?」
「なんで?」
「私だって、ゼノ様のことしか考えていないのですから」
その言葉でゼノ様の表情は歓喜の色に染まり、甘く優しい口づけが繰り返し降ってきて――――
そのまま私は、愛しい夫の激重な愛情に身も心も溺れてしまった。
あれもこれもと詰め込んだら、最終話は長くなってしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




