11 一難去ってまた一難
一度目を覚ましたゼノ様の容体は、それから少しずつ、でも着実に快方へと向かっていった。
その回復ぶりには医者も驚き感嘆するほどだったけれど、魔獣の攻撃を受けた左肩から腕にかけて、時折痺れを感じて動かしにくくなることがあるらしい。
でも幸いなことに、それ以外の目立った後遺症は残らなかった。
「ゼノ様って、もはや人智を越えた別次元の生命力をお持ちだったのですね」
ベッドボードに背を預け、起き上がって固形物を食べられるようになったゼノ様にそう言うと、彼は平然とした顔で言い放つ。
「だって、帰ったらいっぱいいちゃいちゃするって約束しただろう?」
「……はい?」
いや、したけども。そりゃ、約束したけども。
「絶対いちゃいちゃするんだって決めてたから、あの魔獣にやられてもここで死ぬわけにはいかないって思ったし、実際死なずに済んだし、こうして元気にもなれたんだよ。それに、リアが一生懸命看病してくれたから」
「私は、何も……」
「意識はなくても、リアがそばにいてくれる気配はずっと感じてた。だから、戻ってこれたんだ」
愛おしげな笑みでそんなふうに言われたら、もう何も言えなくなる。
「だからさ、早くいちゃいちゃしたいんだけど」
「意識が戻ったばかりで、まだ傷も治り切っていないのに何を言ってるんですか?」
「傷が治ってなくても、いちゃいちゃはできるよ? 幸い右手はなんともないし、片手があればどうとでも――」
「ゼノ様!!」
魔獣の毒を食らったにしては全然元気、むしろ絶好調なゼノ様である。
ゼノ様の看病をする傍ら、私は実家であるシレンス公爵家にある手紙を送っていた。
どうにかして、魔獣の毒に効く解毒薬を手にする方法はないものか。そんな途方もない野望を実現するために、力を貸してもらおうと思ったのだ。
マルティナ様には全否定された解毒薬だけれど、今回のことがあって、私の中ではその重要性と必要性が俄然高まっている。もう二度とあんな思いはしたくないし、誰にもしてほしくない。ゼノ様のお父様だって、魔獣の毒に倒れたのだ。頑丈な武器や防具だけでは毒の攻撃を防ぎきれない以上、別の方法を模索すること自体は決して間違っていないはず。
意識が戻ったゼノ様にも承諾を得て、私はシレンス公爵家の伝手を頼りに世界中の解毒薬に関する情報を集め始めた。
その中で、海を隔てた遠方の大陸に魔法薬の開発が盛んな国々があることを知る。なんでも、大陸の北側に位置する山岳地帯に人々を脅かす獰猛な『魔物』が生息しているらしく、『魔物』が有する毒に効く解毒薬が開発・生成されているとのこと。
「この解毒薬を取り寄せることはできないかしら?」
使えるものはなんでも使えとばかりに、私は公爵家である実家の権力と財力、そして情報力を頼りにあらゆる手段を講じた。
そうして、魔物の毒に効くという解毒薬をなんとか取り寄せることができたのだ。
「これが、解毒薬?」
小さな箱に収められた数本の小瓶を、興味深げに眺めるゼノ様。
そのうちの一本を取り出してみると、小瓶の中で薄い黄色の液体がゆらゆらと揺れている。
「おいしいのかな?」
「どうでしょう? 薬ですから、苦いかもしれません」
「飲んでみようか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべるゼノ様は、なぜかすでに飲む気満々である。
「だって、リアがわざわざ俺のために遠くの大陸から取り寄せてくれたんだろう?」
「そうですけど、これは彼の大陸に生息する『魔物』の毒に効く特効薬で、魔獣の毒に効果があるかどうかはわからないのですよ? 副作用の類いだってあるかもしれませんし……」
「まあ、そういうのも飲んでみればわかるんじゃないの? 薬なんだから、体に悪いものじゃないだろうし」
そう言って、ゼノ様は慌てる私を尻目に解毒薬をぐいっと飲み干してしまう。
そして、微妙な顔になった。
「……苦い」
「やっぱり」
「でも甘い」
「甘い? 苦くて甘いってことですか?」
「最初苦くて後味が甘い。要するに変な味」
子どもみたいな感想を述べたゼノ様は、しばらく微妙な顔をしたままだった。
でも半刻ほど経った頃、「なんか……」と言いながら左肩をゆっくりとぐるぐる回し始める。
「もしかして、痛むのですか?」
「……いや、その逆かも」
「逆?」
「魔獣の毒を受けてからずっと、左肩から腕にかけて、重苦しいようなだるいような違和感があったんだけど」
「は、はい」
「なんか、なくなってる」
「なくなってる? 違和感が? まったく?」
「ああ。痺れやだるい感じもないし、動かしづらいこともないし、むしろ、腕が軽い」
「……解毒薬の効果、でしょうか……?」
「……多分」
どうやら思った以上に、効き目があった。いや、あり過ぎた。服用してわずか三十分程度で、ここまでの効果が現れるとは。
「これ、もっと取り寄せることはできないかな。これくらいなら携帯も可能だし、魔獣の毒を食らってもすぐその場で対処できれば大ごとにならずに済むわけだし」
「そうですね。問い合わせてみましょうか」
もしかしたら、これでようやく、長年辺境伯領の人々を苦しめてきた魔獣の毒という災いに対抗できるかもしれない。
思いがけない希望の光が見えてきたのも束の間、今度は別の『災い』がまたしても私たちの前に現れるのである。
◇・◇・◇
解毒薬の定期的な買い付けについて先方の国に問い合わせようとした矢先、懲りないマルティナ様が再び屋敷を訪れた。
「ゼノが意識を取り戻したって、ほんとなの!?」
これまで同様、先触れも出さずに堂々と突撃してきたマルティナ様。
執務室にいた私やゼノ様にも当然あの甲高い声が聞こえてきて、思わずげんなりしてしまう。
「……またあいつか」
ゼノ様は忌々しげにつぶやきながら、ため息をついた。
「何なんだよ、まったく」
「お会いになるのですか?」
「まあ、言っておきたいこともあるし、仕方ない。行くよ」
そう答えたゼノ様の声が、ぞっとするほどの冷気を纏う。
「身の程知らずの傲慢女には、思い知らせてやらないとな」
なんだか思った以上に不穏な雰囲気である。不穏でしかない。
怖いくらいの無表情で部屋を出て行ったゼノ様のあとを追うと、使用人たちに引き止められているマルティナ様が見えた。
「あなたたち、何様のつもりなの!? たかが使用人の分際で、私に指図するなんて……!」
「しかしマルティナ様は、屋敷への出入りを禁じられておりますし――」
「そんなの、ただの行き違いに決まってるでしょう!? ゼノだって、本気で言ったわけじゃないんだから!」
「悪いが、俺は本気だ」
現れたゼノ様に歓喜の視線を向けたマルティナ様は、言われた言葉の意味などまったく気にすることなく真っすぐに突進してくる。
「ゼノ! 元気になったのね! 意識がないって聞いて、一時はどうなることかと……!」
ゼノ様の無事な姿を目の当たりにして、マルティナ様は感極まったように涙ぐんだ。と同時に、すぐ後ろに控える私を目にしてあからさまに不愉快そうな顔をする。
「アウレリア様……」
まるで、まだいたの? とでも言いたげな顔である。
不意に、ゼノ様が意識を失っている間、駆けつけたマルティナ様に「疫病神」だの「全部あなたが悪い」だの「さっさと出て行って」だの、悪しざまに罵倒されたことを思い出す。
そんなマルティナ様は完全に私を無視して、ゼノ様に媚びるようなあざとい笑顔を見せた。
「ゼノ――」
「いい加減にしろよ、マルティナ」
次話は再び、ゼノのターンです……!




