1 突然の婚約破棄騒動
――――政略で結ばれた同じ家格同士の婚約を、こんな形で反故にされるとは思わなかった。
「アウレリア! 君との婚約は破棄させてもらう!」
王家主催の新年を祝う夜会の真っ只中。
煌びやかな王城のホールで、いきなり鋭い声を投げつけてきたのは婚約者のマリヌス・ケレブレム公爵令息である。
きれいに撫でつけられた琥珀色の髪とエメラルドの瞳は相変わらず人目を引くなあ、とは思うものの、突然の出来事に二の句が継げない。
だって私たち、婚約者だというのに会うのは半年ぶりなのよ?
久しぶりに顔を見せたと思ったら、いきなりそれ? ってなるじゃない。
そしてマリヌスが隣にはべらせているのは、このところやけにご執心のテレサ・パウルス伯爵令嬢。なぜか必要以上にうるうると目元を潤ませ、上目遣いでマリヌスを見つめている。
「私はとうとう、真実の愛を見つけたのだ! このテレサこそ、私の運命! 私の最愛! 君のような陰気で可愛げのない相手との政略的な結婚など、私は望んでいない!」
好き勝手にオーバーリアクションで叫びまくるマリヌスを、一発ぶん殴りたい衝動に駆られる。
私だって、あんたとの結婚なんか、はじめっっっから望んでないんですけど……!!
でも淑女たるもの、ここで理路整然と反論するわけにはいかないから、ぐっと我慢である。
私が何も言い返さないのをいいことに、マリヌスはうっとりとテレサ様を見返して、なおも一方的に言い募る。
「私は当初から、この政略的な婚約には納得がいかなかった! 君は確かに見た目は美しいが、真面目すぎて面白みがない! 婚約者として、実につまらない相手だ! 男を喜ばせることができないなんて、女性として致命的ではないか!?」
……ずいぶんと、勝手なことを言ってくれるじゃないの。
マリヌスが私のことをどう思ってるかなんて知ったこっちゃないけど、面と向かってここまで言われたら、さすがに黙ってはいられない。
そう思った私が、口を開きかけたときだった。
「騒がしいな。どうしたんだ?」
突然後ろから、高貴な声が飛んでくる。
慌てて振り返ると、臣下の礼をとる貴族たちの中を悠然と歩いてくる王太子エヴェラルド殿下が視界に入った。
「何があった?」
殿下は気遣わしげな目で私を一瞥してから、尖った視線をマリヌスに向ける。
マリヌスは一瞬面倒くさそうな顔をしながらも、「殿下、私は真実の愛を手に入れたのですよ!」と高らかに宣言した。
「愛のない相手と政略的な婚姻をするよりも、唯一無二の存在とともに生きていくほうが余程価値があるというもの。私は愛するテレサとともに生きるため、このアウレリア・シレンス公爵令嬢に婚約破棄を言い渡してやったのです!」
得意げにあっはっはー! などと高笑いするマリヌスに、殿下も二の句が継げないらしい。「は?」と言ったきり、目が点になっている。
「お前……」
開いた口が塞がらない、とはこのことを言うのだろう。
貴族たるもの、家門の存続や政治的・経済的な利益のためには、たとえ相手が好きでもなんでもないポンコツクソ野郎だとしても、私情を挟まず婚約・婚姻を受け入れなければならない。
だというのに、目の前の公爵家嫡男はそれらを全部否定して、「真実の愛」などという曖昧で不確かなものを優先するという。え、マジで正気か? とでも言いたげな殿下の表情には、共感しかない。
居合わせた貴族の面々も、マリヌスとテレサ様をこれ以上ないというほど冷ややかな目で眺めている。
「……なるほどな。マリヌスの言い分は、理解した」
冷静さを取り戻したらしいエヴェラルド殿下は、すこぶる事務的な口調でそう言った。
言葉とは裏腹に、その眉間には何本もの深いしわが刻まれている。心中お察しします。
「しかし君たちの婚約は、我が国でも五本の指に入る公爵家同士の政略に基づくものだ。今ここで、性急に答えを出すべきではないと思うのだが」
「いや、殿下――」
「どうだろう? この件は、一旦私に預けてくれないか?」
唐突な提案に、マリヌスはわかりやすく渋い顔になる。
でも王太子殿下の尊い言葉に否やを唱えることなど、できるわけもない。
思い通りの結果にはならず、それどころか予想外の展開になってしまったとちょっと不服そうなマリヌスは、仕方なく「わかりました」と頷いた。
隣のテレサ様も、相変わらずの上目遣いで「承知いたしました」と言ってから、しおらしく目を伏せる。
「アウレリア嬢も、それでいいか?」
「もちろんでございます、殿下」
王家主催の夜会で、一応とはいえ自分の婚約者が、こんな茶番を繰り広げたことに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
公爵家の人間として、不甲斐なさ過ぎて殿下の顔を見返すこともできない。
でも、ここから私の運命は、思いもよらない想定外の方向へと動き出すことになる――――。
◇・◇・◇
私とマリヌスの婚約が決まったのは、私が十五歳、マリヌスが十七歳のときである。私が王立学園に入学して、すぐの頃だった。
同じ公爵家同士で、事業提携の話なんかもあって、もう完全に政略的な意味合いしかない婚約だった。
夜会で叫んでいた通り、マリヌスははじめからこの婚約に納得していなかったらしい。初めての顔合わせのあと学園で時々見かけるようになっても、マリヌスに声をかけられることはまったくなかった。というか、むしろ笑っちゃうほど完璧に無視されていた。
そして、まるで当てつけるかのように、マリヌスはほかの令嬢たちと派手に遊び歩くようになったのだ。
見目麗しいと評判のマリヌスは、学園の令嬢たちにとって憧れの存在だったらしい。何人の令嬢が、彼の毒牙にかかったことか。
もちろん、我がシレンス公爵家は、マリヌスの行動に断固抗議の意を示した。そりゃそうだ。婚約者がいるというのに、貴様は何やってんだ、と詰め寄りたいところである。
マリヌスの父親、ケレブレム公爵も何度となくマリヌスを呼びつけ、説教してくれたらしい。この婚約はケレブレム公爵家側からのたっての希望で結ばれたものでもあり、破談だけはどうしても避けたかったのだろう。
それでも、マリヌスは数多の女性と浮名を流し続けた。もういっそ、清々しいほど女癖が悪かった。
そんな相手に、親愛の情だの信頼の念だの、抱けるはずもない。
私たちの関係は、ずっと冷え切っていた。うまくいっていないのは、みんな知っていたのだ。
学園を卒業してもその状態はほとんど変わらず、かといってそう簡単に婚約をなかったことにもできない。すでに高位貴族の令息たちは婚約が決まっている者が多く、マリヌスとの婚約を解消したとしても新たな婚約者選びが難航するのは目に見えていたからだ。
不本意すぎる膠着状態が続く中、マリヌスはあれこれ理由をつけては結婚を先送りにした。
そうして、婚約から六年。学園を卒業して、すでに二年半以上。
そろそろ本気で決着をつけないと、という思いで、私はあの夜会に出席したのだ。マリヌスが、テレサ様を伴って出席すると聞いていたから。
それがまさか、あんな目に遭うなんて……!!
だいたい、話し合いをしようにも、マリヌスは頑として応じなかったじゃないの。婚約を破棄したいのなら、もっと早くそう言ってくれればよかったものを。
私だって、あんなやつと結婚したいとは一ミリも思ってないし、できれば御免被りたい。
マリヌスと結婚するくらいなら、どこぞの心優しいナイスミドルの後妻とか、他国の大手商会のご隠居の後妻とか、この際やばい趣味とか性癖さえなければもう誰でもいいわ、くらいには思っていたのだから。
連載版は全十五話程度の予定です。
※三話までが短編版と同様の内容になります。
よろしくお願いします!




