第九話
はあ、良かった。とりあえず父さんと母さんを助けられたし、まあ、陛下も適当にやってくれる事だろう。あとは、フォリニ伯爵がどうなるか……。
「わっ、若様っ!」
後ろから駆けてきた家臣の姿。
「ベルナルド……?」
手は血に塗れ、腹から出血している。
「早く、早くお逃げください……!」
「どうした、この怪我は!」
「民の心が、王に向き始めました……しかし、その腹いせに、首謀者のフォリニ伯爵が、若様を殺そうとしているのです!
「俺を……!?」
「さあ、お早く!」
何故だ何故だ。ああ、どこから漏れた!
我が国の貴族と商家には因縁が付き物だ。そもそもフォリニ家と我が家はあまり関係が良くない……ああ、尚更だ。奴は、伯爵は、何かにつけ我がヴァラノ家を突いてくる。奴にとって、ヴァラノは目障りだという。家同士の昔からの因縁が残り続けているらしい。
そして今のこれだ。奴にとっては極めつけだろう。
憎きヴァラノの息子が、己の計画を台無しにしたと来たら、殺しに来るのは言わずもがなだ。ああ、下手を打ったな。
酷い怒声と、銃声が聞こえる。森に、とりあえず森に逃げ込もう。
「はあ、はあ……きつい……」
ああ、駄目だ。完全に息が上がっている。くらくらする。身体能力だけは、俺は駄目駄目なんだ。
こんなことなら、剣術と格闘術の授業をサボらなければ良かった。他の教科が優秀すぎて何の支障もなかった所為で……いや、そもそもこんな揉め事に手を出さなければ良かったことだ。
ああ、俺のお人好しが出てしまったばっかりに!
◇
反乱の影響で、何処の病院も負傷者で溢れていた。
セーラが居るサン・アウレオ病院も例外ではなかった。廊下や中庭にも患者が横たわっている。薬や汗、血の匂いが充満。セーラ達は休みなく動き回っていた。
そんな時。
「ちょ、ちょっと! やめて、やめてください」
同僚のキアーラが困惑している。
「どうしたの?」
「この人が、何か、引っ張ってくるの」
見ると、血の色が付いた手で服を掴む男。
「何か、伝えたいことがあるのかも」
顔を近づけ、問いかける。
「どうされましたか?」
「わ、わ……」
「え?」
「わか、さま……」
「若、さま?」
「もしかして……。セーラ、これ見て」
「……?」
「紋章よ。……多分、ヴァラノ家の」
「ヴァラノ家の!?」
ヴァラノ家の、若さま、若君? もしかして、
「あの、もしかしてアルヴィーゼさんが、危険な状況に置かれてるんですか?」
力強い頷き。
「彼は今、何処に?」
「……もり、」
「森……近くの森って、」
「セルヴァの、湖の傍の森しかないわ。でも、わたしたちには……。え、セーラ? ちょっと、何をするつもりなの?」
「わたし、行かないと、」
手に持っていた布を握りしめ、セーラは駆けていく。
「え? ちょっと、一人で行くつもり? ちょっと、セーラ!」
◇
その時、叫び声が俺の背中を突いた。
「居たぞ!」
「アルヴィーゼ・ヴァラノだ!」
「待て!!」
轟音が耳を聾す。途端に身体が崩れた。
あれ、肩が変だ。おかしい。力が入らない。それに、
「ああっ、ひっ、うっ……」
痛い、痛いなんてもんじゃない、何だ、何だ、何なんだよこれ、
まさか、撃たれた? これが銃弾というものか?
背中は熱せられ、それなのに、悪寒がする、
本当の本当にまずいかもしれない、
動けずにいると、二発目が撃ち込まれた。今度は、腰に焼かれるような痛みが走った。
「いっ……ああっ……」
体が重くて必死に動いているはずなのに、動かない。倒れ込み、必死に木陰に隠れる。
手も地面も血塗れだ。暫くすると、辺りは静かになった。
俺の名前を呼ぶ声がする。
冗談抜きで今にも死にそうだ。ああ、こんな所で死ぬなんて、柄じゃあ無いのに。幻聴まで聞こえるなんて。もう俺は駄目だな。こんな、所で、終わる人生だったのか。
結構、頑張ってきたつもりだったのにな。悪事を働いた訳でもないし、どちらかと言うと良いことをしてきたつもりだった……。ちょっと人に対して偉そうにした事もあったかもしれないけど。だけどこんな報い、ないだろ。まだ、やりたい事も成し遂げたいこともある、まだ、死ぬには、早過ぎないか。どうして、どうして俺がこんな目に、痛い、苦しい……俺が何をしたって、言うんだ、ああ、どうしてなんだ……。
もう、死ぬのか。視界が霞んで、泉のように清らかな色が見える。これが死ぬ前の景色なのか。
ふと、あの娘の顔が浮かんだ。
いつも、碧色の空間で静かに佇む彼女。初めて会った時からずっと惹かれて、今までずっと。彼女にはかけがえのない想い人がいて、最後まで、俺には振り向いてくれなかったけど、傍にいられて、本当に幸せだったな。
でも、気づいてほしかった、俺が君にどんな気持ちを抱いているのか、届かないままで死ぬなんて、思いもしなかった、伝えればよかった、悔いても悔いても、どうしようもないんだ、
ああ、また、一度でいいから、会いたかっ、
「──アルヴィーゼ!!」
「え?」
そこで意識がはっきりした。間違いない。あの娘の、セーラの声がする。
本当に声が、聞こえる。
思わずアルヴィーゼは叫んだ。
「セーラ! 居るのかい? ……っ、セーラ!」
叫ぶ度、傷が痛んだが、無我夢中であの娘の名前を叫んでいた。
「アルヴィーゼさん! あっ、いた!」
「セーラ、どうして……此処、に……」
セーラはアルヴィーゼを前に屈む。
「なんて酷い怪我……もしかして、撃たれて……。あっ、すぐに止血を!」
「早く、離れるんだ……。此処は危ない……もう、俺は駄目だから……早く、此処を離れて……」
「馬鹿なこと言わないで! ここを出て、ちゃんと生きるんです!」
「セーラ……」
セーラは少し声を落とした。
「どうか、お願いです。……あなたは生きて」
「……っ、」
「少し痛みますよ、我慢してくださいね」
「うっ……ああ……」
「……やっぱり、酷い怪我」
時間が経つ程に、出血は進んでしまう。いつまでも此処にいる訳にはいかない。
「立ち上がれますか?」
「何……とか」
セーラが体を支える。
「ごめんね、重いでしょ」
「わたしの力が弱いだけです。あまり喋らないで、体力を消耗させないように……」
アルヴィーゼは素直に頷いた。
「セーラ! 良かった、見つけたわ。突然出ていくから……あ、その人、」
追いかけてきたキアーラ。安堵と共に、セーラはキアーラに頼んだ。
「直ぐに先生を、それと……大きな布を、運ぶための布を、早くお願い!」
「えっ、わ、分かったわ!」
「アルヴィーゼさん、大丈夫ですか?」
意識がなくなってきた。横に寝かせ、脈を取る。
「弱い……どうしよう……」
周りを見回す。
今のところ、危険は迫っていない。きっと、大丈夫。大丈夫だから。絶対に、助ける。助けるの。
「セーラ! 来たわよ!」
「ありがとう、ありがとう……」
「なんて事ないわよ、早く助けないとでしょ」
セーラは頷き、アルヴィーゼを共に運んでいった。