第十話
一週間後、サン・アウレオ病院。
「大丈夫か!」「ヴァラノ様!」「若様あっ!」
扉が開くなり、叫ぶ者たち。
「本当に、本当に……すまない、私の所為でお前の命を危険に晒すとは……」
「いえ、わたくしの所為です……わたくしが、無理を、申し上げたから……」
「若様……若様ぁ……っ」
オルランド王に、秘書官のクラリーチェ・メルリーノ、そして家臣のベルナルド。三者三様泣き喚いたり、自分を責めたりと忙しい。そんな光景にアルヴィーゼは文字通り頭を抱えた。
「……あーもう、カオスだ……」
落ち着いたところで、アルヴィーゼは問いかける。
「で、みんな上手くいったんですか?」
オルランドが頷く。
「ああ、何とか……民は静まり、首謀者であるフォリニ伯爵も捕らえられた。拘束されていた皆も、解放された」
「それはようございましたねえ。はあ、頑張った甲斐が少しはあったかな」
「ああ、全てお前のお陰だ。それと、本当にすまなかった……」
「そうですね、本当、生まれてこの方大病を患ったことも、怪我をしたことも殆ど無いってのに、いきなりどかんと来たものだから本当、危ないところでしたよ。痛いなんてもんじゃあなかったな、もうひどいったらありゃしない。……はあ、危うく、英雄になるところだった」
「英雄?」
「死んだら英雄に仕立て上げられる、歴史の定石です。知らないんですか? うっかり死ななくて本当良かった、崇め奉られたりなんかしたらたまったもんじゃないですから」
「……思ったより、元気そうだな……」
「はあ? これのどこが! ……ってえ、傷口が開く……」
「すまない。あまり無理を、するな」
「どの口が言ってるんですか」
アルヴィーゼの視線が左に移る。
「……ん? おい、お前達は何で今にも死にそうな顔をしているんだ?」
ベルナルドの後ろに数人の家臣の姿が。包帯が巻かれている者もいる。
「此度の事、一生の不覚でございます。……っ、死を以て償わせて頂き」
「待て待て待て早まるな。うん、早まるな。そんな事しなくていい。結果的に助かったんだから良いんだ」
「し、しかし……」
「お前の判断は何も間違っちゃあいない。寧ろ……無理な事を押し付けたな。すまなかった」
「アルヴィーゼ様……うううっ」
アルヴィーゼは深い溜息を吐く。
「まあ、こうなったのも全部陛下の所為だから。ね? オルランド陛下?」
傍らで肩を竦めるオルランド。
「……言葉も出ない」
「それで? どうでした? 自分より十五も下の若者に説教される気分は。それでやっとやる気が出たんですもんね?」
「……お前性格悪いって言われないか」
「失敬な! 俺は慈悲深いのに! じゃなかったら貴方の事なんか助けませんよ」
「そ、そうか……まあ、うん」
目を逸らすオルランド。
「で、報酬はくれるんですか?」
「あ、ああ。お前さえ良ければ、国政の中枢に……」
「はあ? 冗談はよして下さい。何を考えてるんですか。言ったでしょう。俺は遍歴の学者で、一介の商人なんです。そもそも俺は、王制も貴族も大っ嫌いなんです。そんなのと関わっていくなんて俺には耐えられませんよ。面倒事を押し付けないでください、全く」
「しかし……」
「じゃあお金を下さい」
「……は?」
「ちょっとくらい俺にくれたって国は傾きませんよ。それくらいしてくれたって構わないでしょう?」
「まあ……分かった。そうしよう……」
再びアルヴィーゼは溜息を吐く。
「はあ、いつもの調子で喋りすぎた。酸欠になりそうだからみんな一旦出てってもらっていいですか? あ、セーラは此処に居て」
◇
「騒がしくてすまないね」
「いえ」
少しの間、沈黙するふたり。
アルヴィーゼが、躊躇いながら声を落として切り出す。
「……記憶が曖昧なんだが、アルヴィーゼって呼んだのは、夢?」
「……」
唇をぎゅっと巻き込み、その瞳は瞬きを増す。
「ありがとう。……あのまま、一人だったら、絶対に死んでた」
「アルヴィーゼさん……」
「さっきは、色々言ってみたけど、本当は……怖かった」
敵意を、悪意をあれほど直に受けるのは、初めてのことで。これほど恐ろしいことなのかと、あの時思い知った。
「怖くて、たまらなかったさ。今まで死ぬなんて考えたことも無くて、意識もしてこなかった死が、自分の身に……今にもやって来そうで……怖かった」
「そんな時、君の声が聞こえた」
幻かと思うほど、待ち望んだ声。俺にとっての、救い。
「忘れられない人が、いてもいいんだ。だから……」
瞳が合わさった時、アルヴィーゼはすぐに目線を外した。少しずつ横目に見ると、セーラは静かに頷いていた。
「何か、真面目なことばっかり言っちゃったな」
含羞むアルヴィーゼ。
「というか、またさん付けに戻ってるけど。呼び捨てで呼んではくれないのかい?」
「……あれは、緊急事態だったから、」
「アルヴィーゼでいいのになあ」
「ふふっ、じゃあ……また気が向いたら、呼びますね」
「いつになる事やら」
眉を下げて、アルヴィーゼは微笑った。
◇◇◇
時は巡り巡り。
「ちょっと、いつまで寝てるんです?」
セーラの声がする。
「んえ……ん? 今日なんかあったっけ」
「ずっと前から言っていたのに。明日は結婚式でしょう」
「……結婚式?」
寝ぼけ眼のアルヴィーゼに呆れるセーラ。
「フリーシアのマウリッツ殿下と、クロシェットのベアトリス王女の結婚式! ベアトリスさまから招待していただいて、それで貴方も一緒にって」
「ああ……そうだったっけ」
「いいから早く準備を」
「……もうセーラは終わったの?」
「当たり前でしょう。今日出発するって何度も言ったのに、もう……」
すまなそうに寝台から起き上がり、準備するアルヴィーゼ。
「朝食は、外でパンでも買って……うん、」
窓を開くと、明るい朝が迎える。振り返り、セーラは満面の笑みで言った。
「さ、行きましょう、アルヴィーゼ!」
そして、二人はいつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし。
(意外と、アルヴィーゼは尻に敷かれてるかもね)