3:メッティアの岩塩坑道
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ダンジョン。それは人を喰らう魔窟。富と名声を与える場所でもあり、死を孕む揺り籠でもある。ギルドラーたちはそこで不思議な道具や武器、防具などの呪い品を探し求めるのだ。そしてその深淵の底に何があるのかを追い求め、深く、深く足を踏み入れていく。
アルはダンジョンにワクワクと心を躍らせていた。未知の場所を探索し、探検し、新しいものを見ることは楽しい。元々、この空の先に何があるのか、世界には何があるのかを見たくて旅に出たアルは、危険と隣り合わせの場所ですら楽しみだった。そうした期待だけの勢いで何度か死にかけたこともあるが、それもまた経験だ。
メッティアのダンジョンはまだまだ攻略箇所が多い。岩塩を目的にするギルドラーが多く、攻略に本腰を入れているのは僅か二、三割だという。何せ水に足を取られる。それだけで先に進むための気力が削られる。まだ身軽な装備のアルはいいとして、踵近くまで裾のあるマントや長衣を着ているラングには相性が悪い。
『それ、装備どうするんだ?』
ダンジョンの下調べを終えて、携帯食料としての干し肉や、しなしなになった塩漬けの葉野菜を購入しながらアルが尋ねた。ラングは支払いをし、革製の巾着袋にそれを入れると紐を引っ張って口をぎゅっと閉じた。それから肩にどさりとそれを持ち、アルを促して店を離れた。使い込んだ形跡のある革の袋にアルは見慣れないと言いたげに訝しむ。そもそもこの男は本来、手荷物を持たなくてもいいくらいなのだ。
『アイテムポーチ使わないのか? もっと便利なスキルだって持ってるくせに』
『他人が持っていないスキルを、持っています、と知らせる行動はしたくはない。特にこの世界ではな』
それもそうか、とアルは肩を竦め、自分の体にも掛かっている斜め掛けのショルダーバッグを撫でた。これはラングから借りたものだ。中には硬いパンや今は空の水筒が入っている。アルが腰に着けたポーチは貴重な時間停止機能付きのアイテムポーチだ。それなりの容量で、ランタンやちょっとした食べ物など、雑多に物が突っ込んである。それと同じようなものをラングはスキルとして所持しているのだが、他者に対しての警戒心の高さは相変わらずだ、とアルは思った。それを咎めるつもりもなく、文句を言う気もなく、アルは頭の後ろで腕を組んでラングについて行った。宿に戻り、今夜は早く休むぞ、と言われ、眠くない、ちょっとカードで遊ぼうぜ、と言った後、アルは記憶がない。
翌朝、アルは顔をペシペシと叩かれて目を覚ました。肩を揺すって起こすとか、声を掛けるだとか様々な方法があるというのに、ラングは必ずそうして顔を叩いて起こしてくる。本人が師匠にそうやって起こされてきたのが癖になっている、と話を聞いたことはあるが、いい加減改善してほしい。
『なぁ、それ、直せって。次から肩を叩いて起こしてくれよ』
『手っ取り早い』
『ラングが早起き過ぎるんだって、ジジイめ』
『定刻で起きる癖をつけろ。だから置いていかれるんだぞ』
ぐうの音も出ない。アルは自身の不利を悟って大人しく冒険の支度を始めることにした。起こしてきた相棒は既に準備を整えてゆったりと水すら飲んでいた。ラングの深緑のマントは銀朱色のマントに変わり、全身を覆う形ではなく、アルと同じように肩で留めるものになっている。人相を隠すための黒いシールドはそのまま、フードもまた銀朱色のマントと同じ素材で揃えられており、長衣は膝丈のものに、色はシックな黒、腰には双剣ではなく、赤い色の長剣が装備されていた。銀朱のそれらは炎属性で炎に強く、水を乾かす。氷を受ければじわりと溶かす、そんな不思議な素材でできた装備だ。これから行くダンジョンが水に濡れていると聞いての選択、間違いない。日頃装備や体つきすら隠している男のすっきりとした姿に、見慣れないなとまじまじを眺めていれば、早くしろと言いたげにシールドが揺らされた。はいはい、と寝間着を脱いで準備を進めた。
宿の食堂で朝食を取り、昼の食事を受け取って鞄に入れ、宿を引き払い出発した。ダンジョン攻略中、そのまま確保できる宿とできない宿があり、こちらは後者だ。塩はいくらでも売れる。値も暴落しにくい。ゆえに宿を求める冒険者は多いのだ。戻ってきてすぐに休める場所が欲しいアルとしては、少しだけ不満だった。とはいえ、宿の運営方法に口を出すことも、無茶を言うこともしない。昼をくれるだけ良心的な宿だ、心から礼を言った。
朝から冒険者が屋台で買い物をしていたり、広場で井戸端会議をする女性たちがいる。木製の家屋、くすんだガラス窓、中には木窓の家もある。街の中心である広場から円を描くように広がっている街は雑多な物音がする。屋根もなく布を広げただけの露店商が呼び込みをしている中を進み、北の検問所に辿り着いた。深緑のマントではないが、目立つ黒いシールドに門を預かる傭兵が姿勢を正した。
「ダンジョンですか? パニッシャー」
「そうだ。出門を頼む」
はい、と冒険者証を受け取った青年が呪い品の板にそれを当て、形式的な確認を行う。アルの分も同じように対応され、どうぞと戻された。
「お気をつけて」
「ありがとう」
傭兵は礼をきちんと返されたことに目を丸くしながら二人を見送った。遠ざかっていく背後で低い黄色い声を聞き、アルは笑った。
『未だによくわかってないけど、パニッシャーってマジでなんなんだ? 怖がられるだけじゃないんだな』
『門を預かる傭兵などは規律が乱れることを好まない。処刑人は迷惑な冒険者を罰する。だからこそ、ああいった連中の方が味方になる』
なるほどな、とアルは頭の後ろで腕を組んだ。同じギルドラーからは畏怖されても、守る側にしてみれば救世主なのだ。面白い仕組みだなと思った。
街を取り囲む森を進み、暫くして木々が途切れた。岩肌が多くなり、最終的に岩山になる。岩塩の採掘のために木々が切り倒され、開かれ、こうしてはげ山になったのだろう。崖に洞窟の入り口が見えた。崩落しないよう木で支えられ、入り口から差し込まれる外の明かりで少しの間薄っすらと明るかった。途中からラングがランタンを点け、先を行く。洞窟を反響してカーン、カーンと何かを叩く音がした。微かな声、よぅく耳を澄ませばザクザクと掘るような音もした。ダンジョンに降りていく道以外では未だに物理的に岩塩を求めて掘り進められているのだ。ばたたっ、と重なり合う音に前を行くラングが制止を掛けた。
「魔物だ」
ラングの言葉に目を瞬く、足が止まり、その横につけば暫くしていくつもの羽音が重なって聞こえた。洞窟の奥、闇の中から黒い生きものが凄まじい勢いでこちらに向かってきていた。肩を掴まれ座ることを強要され、大人しく従う。バタバタ、キィキィ、と鳴きながら蝙蝠のような何かが群れとなって頭上を飛び、そのまま獣の臭いを残して消えていった。
『なんだあれ、ナイトバット系?』
アルの故郷でも似たような魔獣はいる。暗がりを好み、冒険者や魔獣、家畜に噛みついてその血肉を貪る害獣だ。
『似たようなものだ。こうした採掘場や坑道に住み着き、一日一回外に出てまた戻る』
『狩らないのか?』
『あれは益獣だ』
アルの故郷とは認識が違うらしい。こっくりと首を傾げれば立ち上がり、ランタンを前に掲げて再び歩き出す。
『この場所ではあれを風を運ぶものと呼ぶ。坑道内の虫を食べ、住み着く魔物を集団で襲い、先程も言ったが一日一回ああして外を飛び回り、最後に風を引き連れて戻る』
『あぁ、なるほど! 坑道内の空気が淀まずに済むわけだ』
『そうだ。その分、奴らが疫病を運ぶこともある。病を運ぶものとも呼ばれることもある』
『上手に付き合う必要があるんだな』
面白い。魔獣、いやここでは魔物か、蝙蝠のそれを一つ掘り下げるだけで人々との共生がある。ここは知らない場所なのだと思うと改めてドキドキした。魔物についていろいろと聞いている間に足元に水が滴り始めた。この採掘場、岩塩の含まれた岩を切り出すのではなく、掘り進めていくおかしな構造なのだが、なぜそうした形になったのか。
冒険者組合で聞いたところによると、元々ここは宝石の原石を目的にした採掘場だったらしい。フィオガルデの北の端、山間の街、いっそ辺境と呼んでも良い場所だ。過疎化が進み、一時は街自体を諦めなくてはならないくらいの状態だったそうだ。
だが、人が離れ廃墟と化すと、魔物が跋扈する。アル自身まだ見かけたことはないが、空気が淀み、歪み、そこに魔の空気が漂うと、なんということか、死肉が安息を求めて集うらしい。そうすると一面を焼き払い、浄化しなくてはならなくなるのでとても大変だという。
それもあり、起死回生の方法として原石を求め採掘場になり、結果岩塩が見つかり、名物となった。
『面白いよな、俺の故郷ではアンデッドとか、そういうのもあんまり聞いたことないしさ』
『ダンジョンで一度だけ似たようなものは出ただろう』
『でもあれくらいだ。あの時はさ……』
アルの故郷の方で冒険した話に少しだけ花が咲く。しかしものの数分でラングから拒否が返ってきてしまった。思い出話をしている場合ではなく、足元を気をつけろと示される。いつの間にか足元には水が溜まり始めていた。
メッティアのダンジョンは掘り進められた下の方で見つかった。そのため、ダンジョンから溢れた水がこうして通路に溜まり、今はロングブーツの半分程度まで浸っている。鞣し、撥水加工をされたブーツはすぐに傷みはしないが長時間居たいとは思わない。それが攻略の進まない理由だ。靴底にぬめりを感じる。槍を手に石突を地面に突いて深さと地面を確かめながら足を進めた。天井はそこまで高くないので、槍を斜めに持つ工夫が求められた。
暫くして人の気配と声がした。疲れた様子で帰ったら何を食うか、と話しているので攻略か岩塩の採取を終わらせたギルドラーだろう。こちらのランタンに気づくと軽く会釈、黒いシールドが明かりの向こうに見えればぎょっと目を見開いた。すれ違うにもやや狭い。通り過ぎ様に剣でも振られれば厄介な場所だなと思い、アルは槍を腕に抱く。ラングは恐々とすれ違うギルドラーに尋ねた。
「成果はどうだ」
「あっ、はい! 俺たちは上々です! 岩塩、とれました」
「そうか。フィーンダーの群れが外に飛び出していったところだ、気をつけろ」
「ありがとうございます!」
思ったより優しい対応するなとアルは眉を顰め、その気配を感じたラングが振り返った。
『処刑人は迷惑な冒険者は罰するが、何もしていない冒険者には普通に接する』
『はいはい、わかった、わかった』
声を掛けることで呼吸を乱し、剣を抜く挙動があれば潰すつもりだったのだろう? と尋ね直すことは藪をつついて蛇を出す気がして、アルはラングの背を軽く叩いて促した。何度かそうしてギルドラーとはすれ違ったが、問題なくすり抜けた。
バシャバシャと自らの位置を知らせながら歩き続ければ、アルは坑道内の水のにおいが変わった気がした。洞窟の湿った土肌の臭いではなく、清廉な滝を前にしたような、青くて澄んだ香りを感じた。
『見えてきたな、ダンジョンの入り口だ』
不思議な光景だった。薄暗く、ラングが手にしたランタンの明かりを頼りに進んできた先で、青い光が空間に差し込まれていた。足元の水が反射して天井に波紋を描き、それがキラキラと淡い明かりを広げているようだった。入り口は美しい青い水で縁取られ、ガラスの筒の中を光が行き来し、まるで魔法のようだった。はぁー、と感嘆が零れた。薄っすらとした水色の膜が入り口に張ってあった。水に溶かした石鹸を、輪っかを作った何かで掬った際に似たようなものを見たことがある。ふわふわと揺れていて、指を入れたらぱちんと破けそうだ。
『すげぇ、これがラングの世界のダンジョン』
『お前の故郷とはかなり決まりごとが違う。進みながら教えることにしよう』
『おう! 頼んだ!』
『行くぞ』
ラングの体が水色の膜へ沈み、ちゃぷりと音を立ててその姿が消えた。アルは感動と楽しさでぶるりと震えた後、大きく一歩を踏み出して同じように膜へ飛び込んだ。
ようやく、冒険の始まりだ。
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