1:寝坊した男
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ざわざわと粗野な音がする木造の家屋。二階は宿屋として部屋があり、一階は食堂兼酒場になっている建物だ。女を取らせる宿もあるが、ここはそういった類の宿ではない。娼婦の連れ込みも、男娼の連れ込みも禁止されている宿は人気だ。隣の部屋から嬌声が聞こえないだけで睡眠の質が違う。
昨日もよく眠れた。ぴちち、と鳥の鳴く声で目を覚まし、もう少し、と二度寝をしようとして寝返りを打つ。そのままとろとろと睡魔に落ちようとした心地よい微睡は自分で切り上げた。昨夜相棒に早起きをしろ、そうでなくては置いていく、と言われていたことを思い出したからだ。ガバリと慌てて起き上がる。隣のベッドには誰もいなかった。さぁっと顔が青くなる。自分のベッドから飛び降りて整えられた隣のそれを触ったが、当然のように既に冷たかった。
『あいつ、マジで置いていきやがった!』
寝間着にしていた服をがばりと脱ぐ。紫色の小石がついたペンダントを胸元で揺らしながらシャツを着て、鉱石の貼り付いている革の胸当てを着け、その上にまた一枚すぽりと服を着る。指ぬきグローブをぐいっと嵌めて肘の方まで、赤と青の二種類の小手を着け、忘れそうになった寝間着のズボンをいつもの装備に替え、ブーツを履く。焦りすぎて横のベルトを留めるのに手間取った。内側のシャツをズボンに突っ込んで腰のベルトも留めた。
『起こしてくれてもよかったのに』
文句を言いながらどうにか服を整え、武器を背負う為の革ベルトを体に巻き付ける。壁に立て掛けていた槍を背負い、腰にポーチ用とナイフ用のベルトを二本巻き、黒いナイフを差した。最後に片側留めの黒いマントをかちゃりと着けた。右手首にある唐草のようなデザインの美しい金の腕輪を確認し、よし、と準備を整えたところで部屋を飛び出たが、階下に降りて足が止まった。朝食で賑わう階下の酒場はこれから働きに出る労働者と宿の客で賑わっており、女将がこちらに気づいて手に持ったお盆を掲げて見せたからだ。
「あら、おはようお客さん! 朝ごはんできてるわよ」
いい匂いに、ふらりとそちらへ寄って、席に着いた。
すっかり朝食に舌鼓を打って水を貰った。相棒が選んだ宿だけあって飯が美味かった。野菜スープは優しい甘みと塩漬け野菜のちょっとした酸味で食欲が出た。固焼きのスクランブルエッグに少しだけ硬いパン、保存食のソーセージが一本とシンプルだが、それがいい。多少物足りないが味には満足だ。空になった皿を片付けながら女将に声を掛けられた。
「お客さん、異国の人なんだって? お連れさんからちょっと聞いたけど、ここの言葉も半分くらいしかわかってないんだって? 本当かい?」
水を飲み、んー、と首を傾げた男はにかっと笑った。なかなか見かけない黒髪はざんばら、長さは項を隠す程度、両目は黒い瞳、精悍な顔立ちをしているだけあって、そうした笑顔は少し可愛く思え、女将は情夫を相手にするように目を細めた。男はたどたどしい話し方で答えた。
「えーっと、ちょっとわかる。ゆっくり言う、助かる。俺は、アル。あなたお名前、なんですか?」
「アルさんね、あたしはここの女将、マリー」
「よろしく」
差し出された手を握り返せば、ぎゅっとした男の硬い手にドキリとしてしまう。嫌だ、亭主がいるのにね、と女将はひと時のときめきに微笑んだ。男、アルは言葉を探しながら話した。
「相棒、俺の友達、どこ?」
「あぁ、あの人なら朝早い時間帯にちょっと出掛けてくるって出ていったよ。場所はそうねぇ、聞いてないわ」
「そっか」
アルは首を摩り少し考え込んだ後、ガタリと立ち上がった。
「お出かけかい?」
「あぁ、いってきます!」
「はいはい、いってらっしゃい」
よく通る明るい声は他のテーブル客の目も引いて、楽しそうな様子に見ている者たちも釣られて笑顔になっていた。パッと宿屋を出て、アルはまず冒険者組合に足を向けた。
冒険者組合、それは冒険者、いや、ギルドラーが仕事を得る場所だ。ここには様々な依頼が舞い込んでくる。子守り、行方不明の猫探し、家の掃除、どぶさらい、壁の修理、近くの橋の修理などの雑多なことから、荷馬車の護衛、荷運び、魔物退治などの武器を必要とすることまで幅が広い。
今回、アルは相棒である男と共に荷馬車の警護を主にしてここまで移動をしてきた。道中の食事を依頼者が用意してくれていたり、移動するだけで金が貰えるなど互いに良い条件で移動ができるのだ。びゅうっと風が吹いてマントを手繰り寄せた。
『寒いなぁ、フィオガルデは冬場一か月くらいだけ寒いんだっけ』
アルは一年前ほどに経験した冬を思い出しながら歩く。山々に囲まれた要塞国家であるフィオガルデは、その土地の形には珍しく年を通して安定した気候を保っている。夏場は少しだけ暑く、冬場はそこそこ寒いのが一か月ずつ、その寒い方にあたるのが今ということだ。山間部であったり、余程寒くならなければ雪が降らないだけましか、とアルは冒険者組合の扉を開いた。
中は別の街と同じでざわついていた。依頼紙の貼られているボードの前で喧嘩も起きていて、ヤジを飛ばすギルドラーがいたりと乱暴な空気は否めない。これぞ冒険者だよな、とこちらを見ずに歩いてぶつかりそうになる奴を避けながらカウンターへ歩み寄った。ちょうど対応していたギルドラーがはけたところでアルは両腕を突いて存在をアピールし、にっと笑った。
カウンターに座っている女はちらりとアルの右手を見た。指ぬきグローブに包まれたその手はよく見えず、にこりと笑い返された。
「ようこそ、何かお困りですか?」
アルの手には依頼紙もない。基本的にカウンターへ顔を出すのは依頼の請負か、報告なのだ。手ぶらで来るのは質問や問い合わせ、と判断がされる。アルは自身の冒険者証を出した。これは不思議な鉱石で造られており、冒険者組合に置いてある呪い品と呼ばれるもので管理されている。街の出入りや討伐記録など、どういう仕組みかは知らないが、勝手に記録されていく。討伐の部位証明と、この冒険者証、二つの証明があって報酬が支払われる。
その冒険者証を手に取り、スタッフは呪い品である板にそれをかざした。薄い透明な石の板にふわっと文字が浮かび上がるのは不思議だ。街の出入りもそうして文字が出て、他の街の手続きを無視していないかを確認される。逃げ出すように出ていた場合、犯罪者の可能性が高くなるのだ。スタッフは文字を辿り、確認を始めた。
「お名前は、アルさん。冒険者ランクはC。相棒契約がされていますね、ええと、パーティも組んでいて、パーティ名は【異邦の旅人】?」
こくりと頷き、アルは返された冒険者証をポーチに入れた。それで、なんの用だ、と言いたげにスタッフは首を傾げた。
「この近く、ダンジョン、ある?」
「ダンジョン情報をお求めですか? でしたら、図書室にご案内します」
「あ、あの、借りる、できる?」
「申し訳ありませんが、貸し出しはしていないんです」
しゅん、と落ち込む肩に苦笑が浮かぶ。
「図書室で読むことは可能ですよ? 立ち会いはもちろんさせていただきますけれど」
「……文字、少し、苦手」
あら、とスタッフは目を瞬いた。文字が読めないギルドラーは少なくはない。そういう場合、スタッフに口頭で教えてもらったり、仲間が音読を頼んだりするものだ。そっとアルの背後を窺い仲間がいないことを確認すると困ったように目じりを下げた。
「お金掛かりますが、音読しましょうか?」
「んん、どのくらい? 金、違う、時間」
アルの単語での会話に、あぁ、この人は言葉も不自由なのか、とスタッフは気づいた。そういえば発音が少し不安定かもしれない。そうですね、とスタッフは少し考え込み、顔を上げた。
「どのくらい情報が必要かわかりませんが、音読するとなると二日は掛かるかと」
『二日? そんなに?』
がっくりと肩を落とした姿にまたスタッフは苦笑した。アルは素直に頭を抱えた。相棒から言いつけられたのは、朝起きたなら依頼に連れていく。起きなければ起きた後、ダンジョンの情報を仕入れて来い、ということだった。路銀に余裕はあれど、各都市で一つ、二つ、依頼をこなさなければならない。義務ではないが相棒の立場がそれを必要としているのだ。
これはしっかりと起きてついて行けばよかったな、とアルは腕を組んだ。実際に情報を得るならば、この国の生まれである相棒が居た方が、何においても話が早い。とりあえず地図に印だけでもつけてもらおうと腰のポーチを叩こうとして、後ろからギルドラーに声を掛けられた。
「困りごとか? 助けてやろうか?」
困る、助ける、と単語自体は優しいが、値踏みするような視線に善意ではないとわかる。不慣れな様子にイイカモだと思われたのだろう。アルは肩を竦めて首を振った。
「いらない」
にかっと笑っての言葉は逆に癇に障ったらしい。目の前の二人組は下卑た笑いを浮かべ、おいおい、と一歩詰めてきた。
「人の善意は受けておけよ兄ちゃん、CランクがBランクに世話してもらえるだけ有難いんだぜ?」
「そうそう、ちょっと報酬もらえりゃいいって話だ。絵本でも読みまちょうか?」
ぎゃはは、と二人が笑えば他のギルドラーも釣られて何人か笑っていた。アルは、うーん、と苦笑を浮かべた。あまり暴れるなよ、と相棒に言われているのだ。背中にある槍で叩きのめすのは簡単だが、どうしたものか。腕を組んで唇を尖らせ、考え込んだ様子に二人組は馬鹿にされていると感じたらしい。
「おい、聞いてんのか?」
「聞いて、ます。悩むする、バディ、言いました。さわぐな」
「あぁ? 随分優しい子守りなこって」
ちらっと片方の男の視線がアルの背中、槍へ向く。薄緑色の長い槍は美しく、そしてよく斬れそうだ。良い物だとわかるのだろう、金勘定をされているなと思った。だめだぞ、こいつだって俺の相棒なんだ。アルは指を一本前に出して何度か横に振った。
「だめ」
めっ、と子供に言うように言ったからか、短気なギルドラー二人は武器に手を掛けた。慌ててスタッフが叫んだ。
「冒険者組合内での抜刀は厳禁です!」
「うるせぇ! こいつ馬鹿にしやがって!」
「Cランク如きがよぉ!」
おぉ、やるか? やっちまえ! と冒険者組合内が途端に賑わう。カウンターにいたスタッフは真っ青になって二階のギルドマスターを呼びに行こうとして、アルの笑顔に止められた。ちょっと、と文句を言おうとすればアルはゆったりと構えて、受けて立つ姿勢を見せた。わぁ! ともはやここは闘技場かというくらい歓声が上がる。ギルドラー二人は武器を抜いた。
その空間へ冷たい雪のような声が響いた。
「何をしている」
ごとり、靴底の音が入り口からして、さぁっと風に揺れる小麦畑のように振り返った顔から固まって、歓声が止んだ。深緑のマント、黒い仮面、武器すらもよく見えない奇抜な出で立ちの男がじっとそこに立っていた。フィオガルデでは誰もが知っているその男に、嬉しそうな顔をしたのは一人だけだった。
「ラング!」
アルがその名を呼べば、その前で武器を抜いて構えていたギルドラー二人は腕を、足を可哀想な程に揺らし、今にも泣き出しそうな顔でお互いに視線を交わし合っていた。ごとり、ごとり、敢えて立てている靴底の音、近寄ってくる死神の足音、それが二人の真後ろに立ち、とん、と肩を叩かれた。
「私の相棒が世話になったようだな」
ひぅっ、と吸った息は肺に入らなかった。
「い、いや、そんな、俺たちは何も」
「そ、う、俺たちは、ただ」
「震えているな。……休んだ方がいいのではないか?」
そ、そうします、と二人はガクガクと震える足で何度か転び、その場で動けないでいる他のギルドラーの足やベルトを掴んで立ち上がり、脱兎のごとく冒険者組合を飛び出していった。
先程まで囃し立て、歓声を上げていたギルドラーたちは姿勢を正し、目を合わせず、そぅっと静かな動きで元の位置に戻った。スタッフがほぅっと息を吐いてから緊張の面持ちで喉をんん、と慣らし、声を掛けた。
「おかえりなさい、パニッシャー・ラングさん。今朝の依頼の報告ですか?」
「そうだ」
ごと、と机に置かれた生首にスタッフが気を失った。
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