0:処刑人
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崖を落下しながら、男は、こいつを相棒に選んだ過去の自分を呆れた思いで振り返っていた。
ばたばたと深緑のマントがはためき、その下の装備が露になる不快感に口元がへの字に歪む。顔の上半分を黒い黒曜石のような仮面で覆っている男は、不機嫌な雰囲気を纏い、じろりと横を見た。隣で同じように落下しながら、ごめん、マジごめん、と謝りながら手を合わせてこちらを窺う相棒に毒のしみ込んだナイフを投げてやろうかと思う程度には苛立っていた。兎角、この状況をどうにかしてから、こいつをどうするかは考えよう。男は自分の体重に比例して体を撫でて通る風に腕を広げた。一先ず、体勢だけは整えておかなくては。
「パニッシャー! 死ぬならせめてお前を殺してから死ぬ!」
もう一人、共に落下していた別の男が涙ながらに覚悟を決めて叫ぶ声に、ふむ、と体をひっくり返した。上から降ってくる男は涙を散らせていた。
そもそもなぜこんなことになったのか。理由は単純明快、先程叫び今まさに斬りかかろうとしているこの男が、こちらの命を狙ってきて、面倒だから逃げようぜ、と落ちながら謝り倒している相棒が言った。逃走経路も確認せずに走り出して茂みを抜けたので、相棒はその先の崖を真っ逆さまに落ちたのだ。深緑のマントに黒い仮面の男は、その相棒を救うために自ら飛び降り、叫んだ男も止まるに止まれず、崖を落ちて今に至る。
哀れな襲撃者は、うわぁ、と泣きながら剣を振りかぶり、落下の速度を殺しもしない特攻を仕掛けてきた。剣を防いだところでその衝撃は自身の落下に拍車をかけることになるだろう。
「考えたな、その覚悟は称賛に価する」
だが、それは相手が剣を受ければの話だ。パニッシャーと呼ばれた黒い仮面の男は衝突する寸前、空中で反動をつけて足を振り、剣を振り下ろした相手の脇腹を蹴り飛ばした。その行く先を眺めている暇はない。パニッシャーは蹴った勢いを利用して開幕謝罪を述べていた相棒に近づくと、おい、と声を掛けた。
「崖を走る、地面が近づいたら、蹴って跳べ」
「なんて!? わかりません!」
ッチ、と舌打ちが零れた。パニッシャーは相棒の故郷の言葉に合わせてやった。
『崖を走る、地面が近づいたら、蹴って跳べ』
『やったことないってそんなの!』
『いいからやれ』
くそぉ! と叫びながらも相棒は言われたとおり体を傾けてどうにか崖に近づき、タイミングを計って足をついた。一歩間違えれば頭から落ちていく体勢に必死に胸を張った。その横でパニッシャーは悠々と崖を走った。
『大股で走れ。壁から離れないように、力は入れずにな』
『難しい! いつ飛ぶんだよもう地面が!』
『跳べ』
せめて秒数を数えろ、と言いながら相棒は崖を蹴って前に飛んだ。その斜め横からパニッシャーが飛びつき相棒の体を捕まえると、ぐぅんっと振り子のように揺れた。パニッシャーの手甲から出ていた糸のようなものが崖に引っ掛かり、一瞬、落下の勢いを殺した。その隙に崖を横に走った。縦ではなく横に揺れることで糸を吊った肩や体への負担を軽減させたのだ。大きく外側に振れた瞬間、パッと手が放され、相棒は体を放り投げられた。
『うわぁ! ラング! 覚えてろよ!』
『知らん』
放り出された相棒が背負った槍を崖に刺して最後の勢いを殺しながら地面に降り立つのを見ながら、パニッシャー、さらにラングと呼ばれた深緑のマントに黒い仮面の男は糸を何度も吊りながらふうわりと足を着けた。遠くで何かがぱしゃっと弾ける音がした。それに振り返ることもなく、パニッシャー・ラングは黒髪の相棒に近寄ると、こてりと黒い仮面を着けた首を傾げた。
『アル。何か、言うことは?』
『……前を確認せずに逃げてごめんなさい』
アルと呼ばれた相棒は地面に正座をして、目の前で威圧を放つラングから目を逸らし、これは夕飯抜きかもしれないな、と思いながらぎゅうっと膝の上で手を握り締めた。
――フィオガルデ王国。それは高い山々に囲まれた自然の要塞国家、そして、冒険者の活動が活発な国である。
この大陸においては大きな国家で、長い間、他国からの侵略を幾度となくその地形を以てして防ぎ、国に所属する冒険者が友軍をなって勝利を収めてきた。しかし、近隣国家でも冒険者の台頭があり、いずれその手法は内側からの奇襲に用いられるだろうと危険視されていた。だからこそ、各国は己の国の冒険者に対し、規律を今一度見直す必要があった。
ある時、今からおよそ百年は前だろう。正確な年代は定かではない。フィオガルデ王国の冒険者ギルドを預かる者が、一人の冒険者に特権を与えた。規律を乱す冒険者を殺害してよい、罪に問わない、というものだった。
強く、腕の良い冒険者にそうした特権を与えることで、冒険者による犯罪や無辜の民が被害に遭うことのないように、組織での管理と抑制を目的として試験的に行われた役職の付与であった。こうした試みは当時、冒険者による治安の悪化も問題視されていたのも理由の一つだった。
罪を犯せば殺される。誰も進んで、喜んで殺されたいと思う者はいない。バレなければいいだろうと悪行を重ねる者もいた。だが、人と関わる限り誰かが見ており、その通報が罪ある冒険者を追い詰めた。
結果、治安は改善された。冒険者は国に与するのではなく、冒険者組合に与するようになり、規律さえ守れば首に届くことのないように、断罪の刃を回避する方を選んだ。各国は戦力としての冒険者を失い、戦は膠着状態に陥った。それは小さな小競り合いはあっても、束の間の平和が騙し騙し続いていくことを示していた。
その後、各町、各都市にそうした特権を持つ冒険者が一人、二人増えて冒険者の処刑が行われるようになった。自己責任で生きる冒険者のことを、冒険者組合に属する者として【ギルドラー】と呼ぶようになり、その証は【いつでも死にますの証】と呼ばれた。罪を犯すのは勝手にしろ、だが、その首を必ず斬り落とす死神が居ることを忘れるな。
そうした特権を持つギルドラーのことを誰かがこう呼んだ。
処刑人、と。
長い旅路になります。どうか楽しんでいただけますように。
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