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異邦の旅人  作者: きりしま
第一章 フィオガルデ王国
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8:水の試練

いつもご覧いただきありがとうございます。


 息が切れる頃、ザバァッ、と水に押し出された。ラングは地面に叩きつけられ、少しの間流された。空間収納に仕舞っていた愛用の短剣を突き刺して流れに逆らい、水が引いて収まってからようやく立ち上がることができた。腹立たしい、水を飲まされた。吐き出しながら呼吸を整える。空にしていた鞘の水を抜き、こちらも赤い剣を空間収納から取り出して戻す。しゅわっと湯気が立ち上り、濡れた鞘の内部は赤い剣自体の熱で手入れがされ、マジックアイテムはそれで手入れが終わる。楽でいい。短剣は逆に空間収納へ戻し、ランタンの故障がないかを調べ無事であることを確認した。呪い品(ロストアイテム)は頑丈で助かる。

 ランタンを掲げ今自分の居る場所を確認し、ラングは溜息をついた。ランタンの明かりで濡れた壁が反射している。上は見えず、この広場を取り囲むように横穴がいくつかある。水のにおいが強く、少しだけ息がしにくい。湿気を多く含んだ空気というのは肺が溺れるような息苦しさを覚えるので好ましくはない。あの精霊の気質がそのまま、ある意味で形となって纏わりつくのは厄介だ。軽く衣服を絞り水を払い、グローブをぎゅっと直し、銀朱色のマントを整えた。炎属性のマントはじわじわと乾いていっているので、暫くすれば大丈夫だろう。

 ラングは次いで、左手首にある金の腕輪を見遣った。唐草のようなデザインの美しい金の腕輪、これは別のダンジョンをアルと弟と三人で踏破した際、手に入れたものだ。祝福の腕輪、遠く離れていても、どこにいるかなんとなくわかる、というぼんやりとしたものだが、こういう時には有用だ。確かに、なんとなく、アルがいる方角が感じられた。腕を引かれるような、耳の後ろがムズムズするような、そういう感じだ。


「まずは合流せねばな」


 ラングは迷うことなく横穴の一つに足を向けた。

 洞窟、真っ暗闇の中では長時間一人でいない方がいい。ラングは自身に生きる術を教え込んだ師匠から暗闇に対する訓練もされているが、アルは明るい場所を生きてきた男だ、耐性がないと考えた方がいいだろう。アルもランタンを持っていることは把握しているものの、洞窟の閉塞感、水音による鼓膜からの不快感、何かが背後にいるのではないかという不安感。人を追い詰めるのには十分な要素がここには揃っている。

 じわ、じわ、とアルに近づいているのがわかる。アルも無事であればわかっているだろう。もう少し、というところでモンスターと遭遇した。下層に否応なしに落とされたからかモンスターの種類が変わっていた。下層に適応した種類、サハギンよりもさらに上位種だろう、体もラングより二倍は大きいゴツイ半魚人が柄の長い銛を持ってそこにいた。暗闇での活動を可能にしているのは大きく開いた瞳孔、下層の生態系は把握していないが、このあたりの餌は硬いのだろう、剥き出しの牙は大きく鋭かった。河原の石が擦れるような、じゃり、という音が半魚人からした。踏みしめた足の大きさ、ヒレ、この場に良く適応しているのがわかる。すらりと赤い剣を抜いた。


「邪魔だ、押し通る」


 燃えろ(ファイール)と囁けば赤い剣は炎を纏う。初めて見たのだろう、炎にびくりと震え、警戒が強まる。ラングはすーはーすーはー、と呼吸を入れた後、容赦なく襲い掛かった。

 暗闇の中、ランタンの白と炎の赤い軌跡が描かれる。一拍を置いて半魚人から銛が突き出され、ボゥッと燃え盛る炎が音を残して懐に入り込んだ。すぅっと入れた刃先は硬い鱗に一瞬阻まれた。だが、高温、燃え滾る刃が鱗を炭化させ、そこから時間を掛けずに刃が通るようになった。ジュッ、と焼ける音と、ザクンッ、と斬れる音が絶妙に混ざり合った。振り抜いた刃を素早く切り戻し、ラングは半魚人の首を刎ねた。カラン、と落ちた銛、どさりと落ちた首と体。消え方は変わらない。銀色の鱗が残り、そのままにして駆けようとしたところでアルが文句を言う顔が浮かんだ。あいつは素材を全てきちんと拾い、金に換えたがる。このひと手間が後で足を引っ張らなければいいがと思いつつ、ラングは立ったままそれを空間収納へ入れ、改めて走り出した。

 そうした半魚人との遭遇は数回あった。中には明らかに人の装備を着ている個体もいたので、ラングたちのように落とされたわけでなくとも、あの大穴に落ちて死に、喰われ、装備の破片を手に入れたものがいたのだ。


 ラングの脳裏に、この世界のダンジョンとは何か? という疑問が浮かぶ。

 アルの世界のダンジョンは言うなれば大きな循環機構だった。そこで戦う冒険者の熱や、モンスターと冒険者の死体。そういったものを糧に変え、食料やアイテムとしてドロップしていた。生かさず、殺さず、共存ができる塩梅で存在していた。

 だがラングの世界のダンジョンは違う。何か目的があってあるようには思えなかった。考えたところで答え合わせはできないだろう。それに、それどころではない。腕輪から感じる気配が移動を始めている。それがアルの意思ならばいいが、そうでない場合は不味い。ラングは行く手を阻むものを全て斬り捨てて走り続けた。

 アルの気配を追い暫く、それが動きを止めた。合流を目指して進み続ければ空気が変わってきた。洞窟の壁が淡い水色の光を纏うようになり、土臭いものではなくなった。これは入る寸前に感じていた清らかな水の匂いだ。モンスターの気配も感じなくなり、ここが聖域に近しいものなのだと理解した。

 パシャリと存在を示すように水音を立てて足を踏み入れた場所は鏡のような泉が淡い光を放ち、呼応するように光がきらきらと舞う、美しい場所だった。鍾乳石は氷のように透き通ったクリスタルか、落ちていく水滴が奏でる波紋とその音は、まるで楽器を奏でるかのようだった。不思議なメロディーを聞きながら周囲を窺う。すぅ、と息を吸う。ここには(ことわり)が満ちていた。


「待っていたわ、私のいとし子。よくここまで来ましたね」


 泉からするりと現れて浮かび上がったのはあの蛇だった。先日見かけた時とは違い、きちんと実体化されていて、目だけが青い、真っ白な蛇だった。精一杯神聖さを醸し出して演出しているらしいが、ラングには背伸びをしている子供のように思えた。剣を振って炎を消し、手に軽く馴染ませ、ラングはシールドを傾げた。


「まずはアルを返してもらおう」

「槍の子? ここにはいないわ」

「嘘を吐くな。いるのはわかっている」


 ラングは左手を前に差し出して金の腕輪を見せた。一応は精霊、それが何かは察せるらしい。蛇がわかりやすく舌打ちをしてその尾を揺らした。するりと泉から水の球体に包まれたアルが浮かび上がり、水の中でぐったりとしていた。精霊の扱う水だが通常の水のように溺れたりするのだろうか。しかし、アル一人、槍はない。


「どういう状況だ?」

「助けてあげたの、いとし子のお友達だというから」


 穢れを持っているけど、吐き捨てた言葉の意味は、アルには魔力がある、ということだ。とはいえ魔法を具現化するほどの強さと才能はなく、いわゆる宝の持ち腐れだ。精霊というのは世界の(ことわり)に属するものであり、魔力を嫌う。だからこそアルの扱いが悪いのだ。


「槍はどうした」

「知らないわ」


 敢えて拾わなかったのだろう。動いた時間、速度からしてこの蛇が目的を持ってアルを捕らえたとみて間違いない。となれば、あの水球も優しいものではなさそうだ。


「解放しろ。その後なら話を聞いてやる」

「本当に言うことを聞かない子ね! 他の神の祝福を捨てなさい、そうしたらこれも返してあげる」

「既に断ると答えたはずだ。ここまで来た、試練は終えた。約束を守れ、蛇」


 へび、とぽかんと口を開けて蛇は呆然とし、それからぶるぶると震え始めた。美しく光り輝いていた泉がびちびちと水面を荒げ、ザバァッと波を起こした。


「私は蛇じゃないわ! 分からず屋! えぇ、えぇ、いいわ、少しお仕置きしてあげる! 耐えてみせなさい、倒してみせなさい! それが試練よ!」

「後出しをするな、それはギルドラーに嫌われる」


 キィィ、とヒステリックな少女の声が響き、ラングは鋭い矢となって降り注ぐ水を走って避けた。この時ばかりはいつもの深緑のマントではなく、このマントで良かった。空気中の水分が纏わりつくのを防いでくれる。蛇がシャァと鳴けば、この場所全体が赤い色に包まれ泉が血のように染まった。そこから現れたのはスライムのような弾力を持った大きな赤い巨人だった。目も口も鼻もない、泉に下半身を埋めたまま、ぶるん、と生えた腕が地面をなぞるように薙ぎ払われた。洞窟の壁を二歩駆け上がり大きく跳ぶ、宙に逃れて腕を避けた。通り過ぎ様、体を回転させて赤い剣で切り裂けば、ジュッという音と共に斬り込めはするが、すぐに塞がる。水の巨人は中に丸い玉がある。恐らくそれがコア、だが水が分厚く、かつ、いくらでも供給されるとなれば。


「まずは戦力の奪還が先か」


 水の球の中、ぐったりと俯せになって揺蕩う相棒を見遣った。相棒と、相棒にしか扱えないオルファネウル()があればあれを倒すのは容易だ。このまま一人で相手取ってもいいのだが、結果を得るまでに時間が掛かる。水球に入れられたアルの肺が水で満たされて溺死する方が早い。振り回される腕を赤い剣で焼き斬り、降り注ぐ水の矢雨を動き回って避ける。水の巨人に捕まればその体の中に取りこまれて溺れさせられてしまうだろう。

 水の巨人が腕を引っ込め、大きな壁としてこちらに迫ってくる。舌打ちを零し、ラングは赤い剣を即座に空間収納に仕舞い、鋼線を扱う手甲を取り出し、装備した。漁をするように銀色の鋼線を張り巡らせ、自分の盾として創りだす。切れ味のいい鋼線に押し出されたゼリー状の何かが心太(ところてん)のように降り注ぎ、パシャパシャと水に変わる。赤い水はにおいこそないが気分のいいものではない。水の巨人は押し潰し捕まえようとしたのが失敗したとわかってか、ぐぉん、と体を大きく揺らして戻った。鋼線を手甲に戻し、ラングはアルを見た。多少()()()しまうかもしれないが、強行突破するか。


「魔法は本当に有用だったな」


 ラングは水の巨人の腕を避け、水の矢を避け、足元を滑らせて捕まえようとする部屋全体の敵意を躱しながらアルの水球へ距離を詰めた。つい、とその水球が動いて距離を取る。水の巨人の肩で蛇がにんまりと笑っているようでイラついた。舌打ちが零れ、水の矢が降り注ぎ距離を取る。ふとラングは別の気配を感じた。

 意思を持つ槍、オルファネウルだ。

 ぺた、と足音が響き、全員の視線が一つの横穴に向かう。ラングが斃してきた下層の半魚人が、体に槍を刺したままフラフラとこの場所へ辿り着き、そして力尽きて地面に倒れた。都合よく半魚人から抜けた槍がコロコロとラングの方へ転がってきた。ラングが駆け出し、蛇は不味いと理解し、それぞれの手が伸びた。空間収納から赤い剣を取り出し、ラングは叫んだ。


燃えろ(ファイール)!」


 ゴォッと炎が剣から燃え盛り、伸びてきた大きな手のひらを斬り裂く。地面を転がるようにして槍を拾い、肩に担ぎ、迷わずに投げた。


「お前の相棒を起こせ!」


 真っ直ぐに投擲した槍は防ごうとした水の巨人の腕を吹き飛ばしながらアルの捕らわれた水球を貫き、主を解放した。水球がバツンッと弾けて霧散し地面に落ちたアルはそれでもぐったりとしており、水を吐かせる必要がありそうだ。

 水の巨人が腕を再生させている間に駆け寄り、ラングはアルの腹を靴の側面で思いきり蹴った。鈍く重い音を立て、衝撃の強さに二度、三度転がった後、アルの体が痙攣を伴って水を吐く。投げて壁に刺さっていた槍が自らその身を落とし、アルの横にガランッと落ちてくるおまけつきだ。ゲホゲホと胸や腹を押さえながら呻くアルの太腿を鞘で叩き、正気を取り戻させた。


『ゲホッ! いっ……てぇ! 殺す気か! 容赦なさすぎだろ!』

()()()では蹴らないでおいてやった。いいから立て』

『もっと優しく起こせって言ってんだよ! 別に息を吹き込めとは言わねぇから! だいたいお前ほんといつも!』

『二度も言わせるな』


 横にあった槍を握り立ち上がろうとしたアルの腕を蹴り飛ばし、振り下ろされた腕を避けさせる。向こうで地面に転がったアルは顔を上げて苛立たし気に立ち上がった。


『ラング、後で話がある。それで、状況!』

『蛇があれを倒せと言った。後出しは好かん。コアを潰したい。ひらけるか?』

『了解だ、リーダー』


 八つ当たりさせてもらうからな、とアルは柄の真ん中を握り槍を構えた。これだけの広さならばアルは思う存分に槍を振るうことができる。蛇もまた怒りを込めてシャァと鳴いた。


「大人しく言うことを聞きなさい!」


 水の巨人がぶるっと震え、その体がハリネズミのように棘を出し、部屋中に広がっていく。ラングの前にアルが出て、全身を使って大きく上から槍を振り下ろした。手の中で柄を滑らせて上から振り下ろすまでの間に勢いをつける、十八番の一撃だ。アルは叫んだ。


『駄々をこねるなぁ!』


 ズバンッ、と槍が振り下ろされた後に音が響いた。水が斬り開かれて真っ赤なコアが露わになる。槍の威力に蛇は水の巨人の肩から振り落とされ、一瞬修繕から意識が逸れたらしい。その隙を処刑人(パニッシャー)は逃さなかった。

 アルの背を、肩を蹴って真っ直ぐにコアへ飛び、赤い剣を燃やし、上段から一気に振り下ろした。

 真っ二つになったコア。水の巨人の全身が活動を停止し、ぶるりと震え、弾けた。神聖さに溢れていた部屋中にねっとりとした赤い水が飛び散り、押しやられて地面に着地したラングも、目を覚ましたばかりのアルも真っ赤に染まる。アルは口にも入ったらしく、ぺっぺっ、と吐きながら口元を拭っていた。その肩をぽん、とラングが叩いた。


『よくやった』

『そりゃどうも。後で話すからな、忘れんなよ』

『助けてやった』

『俺もだ、今まさに、俺の協力、助かっただろ!』

『そうだな、礼を言うぞ』


 そうやって素直に言われると文句が言えなくなる、とアルは濡れた自分の髪をわしわしと掻き混ぜ、最後には脱力して諦めた。ラングは既に終わったこととして泉のそばへ歩み寄った。アルもその後を追い、ラングの向こうを覗き込む。地面に横たわり、蛇がめそめそと泣いていた。



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