42.坂本
日経新聞を読みながら、独り言をつぶやいていたと思った課長が、突然立ち上がっていた。
その音に反応し課長を見た時には、手に持った携帯の画面を見て固まっていた。
勢いでコロ付きの椅子が一人歩きしていて、ちょうど通りかかった奈緒さんが止めてくれた。
「何かあったんですか?」隣の川島先輩が課長に声をかける。
一旦深呼吸して、自分を落ち着かせたかと思うと、
「よしっ!」と大きなガッツポーズをした。
川島先輩の肩をバシバシと叩き、ガッツポーズを繰り返し、体中で喜びを爆発させている。
「よしっ!」
「よしっ!」
度々上を向くのは、感情をまだ抑えてるのかもしれない。
「宝くじでも当たったのかな?」
秀人は隣の尾崎くんと顔を見合わせ首をひねる。
いずれにせよ、課長が喜ぶ姿はこっちまで嬉しくなる。尾崎くんと顔を見合わせ自然とニコニコしてしまう。
みんなの注目を浴びているのを、知ってか知らずか、喜びを抑えきれなくてぐるぐると回りながら、どこかへ電話をかける。
「母さん、どこから送られてきてる?えっ、ホントに?じゃあ、こっち戻ってきてるじゃないか!すぐ送り状の所写真撮って送って!」
一旦電話を切って時間を気にしてからまた別の所へ電話する。忙しく動き回る、小動物のようだ。
「美咲仕事終わった?帰ったら母屋行ってみて。詩織からコーヒー豆が届いたみたいなんだ!本当だよ!あれから25年だぞ、25年!やっと自分の居場所が出来たんだなぁ…よく頑張ったよなぁ…」
最後は涙声になっている。
こんなに感情を表に出し、わざわざ会社から奥さんに連絡をする課長は見たことがない。いつも、ふざけながらも冷静で的確に部下に指示を出し、さりげなくフォローしてる姿しか見ていないから目が離せない。
よっぽど大事な人から嬉しい頼りが来たんだな、と少し嫉妬する気持ちも持ち合わせながら秀人は思う。
「今日は定時で帰るから、出掛ける準備しといて。子供達は母さんに預ければいいからさ」
聞こえてくるいつもとは違う優しい口調と穏やかな声に、奥さんを大事にしている様子が伺える。
電話が終わった課長は、まだ興奮が覚めないようで何回か深呼吸した。課長を気にしながらも秀人はまたパソコンに目を移す。
「坂本課長、1番にお電話です」
「はいよ」
課長が立ったまま点滅してるボタンを押して、電話にでる。
「はい、坂本ですが…?
大輝!今ちょうどお前に連絡しようと…詩織が帰ってきたぞ!店の住所は後で送るけど、こことお前の工場からちょうど中間地点位だよ」
また興奮しながら話し出す。今日は、きっと眠れないんじゃないか…?
電話が終わった課長は椅子をたぐり寄せて座り、手を顎の下で組んで満面の笑みで部下をしばらく見渡した。
この笑い方は良くない笑い方だ。
「今から新規開拓のアポ取りをするぞ〜!みんなオレについてこ〜い!!」
「えぇぇぇ〜!!」
急に立ち上がって、身を乗り出して、手を前に挙げるから、また立った勢いで椅子が一人歩きしていく。急いで隣の席の川島先輩が周りに謝りながら、追いかけた。
「オレは今めっちゃ機嫌がいい。参加するヤツは週末〝のんべぇ〟へ連れてってやる!」
「おぉぉっ!」
どよめきがおこり、みんな課長に注目する。
「オレやります!」
秀人は真っ先に手を挙げた。
「だから、オレはお前が好きなんだ!呑みに…はお前は呑めないから、2人目の名前はオレが考えてやる!」
「イヤ、それはサヤさんと2人で決めます」
きっぱり断る間に、参加者が増えていき結局ほぼ全員でリストを分けた。
真っ先に先陣を切って張り切って電話をする課長を見ると、坂本課長が上司で良かった、と秀人は思った。
今日は定時に仕事を終わらせたから、駐車場にはまだ社員の車が結構ある。
自分の車の中で、送り状に書かれていた番号に電話をかける前に一度深呼吸した。数回の呼び出し音が鳴る。
「もしもし…?」
多少声が変わったが、間違いない。
「詩織?…坂本です」
「良かった…コーヒー豆着いたんだね」
声を聞いた途端に熱いものがこみ上げて、気持ちに逆らって涙が出る。
「お前…なんで連絡を…」
涙が溢れてきて言葉にならない。
「どんだけ心配したか…」
詩織も泣いているのだろう、鼻をすする音がする。
「ごめんね…なかなか連絡する決心がつかなくて…」
「お前…一言だけでもいいから連絡よこせよなぁ」
「色々あったんだよ…」
「そうだよな…きっとそうだと思う」
坂本は涙を拭い、深呼吸した。
「でも詩織頑張ったな、本当頑張ったよ。自分の夢を実現させたんだから」
「うん、頑張ったよ。すごく頑張った」
ウフフと笑う声がする。
坂本も涙は出るが、笑う事が出来る。
「今から美咲を呼びに行って店に向かうよ。早く顔を見て安心したいからさ」
「美咲ちゃん?美咲ちゃんと結婚したんだね、おめでとう!」
「だから結婚決まった時に連絡取ろうとしたんだぜ。そしたらマスターもマスターの親族とも連絡とれなくて…。まぁ、この話はまた後からするけどさ。
大輝からも連絡あった?ここだけの話、大輝まだ独身なんだよ」
「私はバツが1つついてるよ」
坂本が、笑う。
「25年ぶりじゃ、そりゃ色々あるはずだよなぁ。後から積もる話を聞くのが楽しみ。お前とは笑顔で会いたかったから先に電話しといて良かったよ」
「うん、じゃ店で待ってる。坂本、私の事忘れないでいてくれてありがと」
「バカだなぁ…」
坂本は車の中から外を見る。
「忘れるわけないだろ。それにさ、何度か〝もう詩織とは一生会えないのかも〟と思ったけど、その度にマスターからもらった観葉植物のコーヒーの木が実を付けるんだ。詩織が最後まで持って行くか迷ったヤツ。
剪定してもちゃんと3年後位に実をつけるから、詩織は頑張ってるんだって言われてる気がした。
だから連絡は必ずくるはずだって自分に言い聞かせてたんだ」
「そうなんだ…私、頑張って自分の居場所作って良かったな」
「おぅ。それがまた訪れた人の居場所になっていく…詩織らしい居場所だな」
美咲を迎えに行く為に、もういちど目を擦ってからハンドルを握る。
長くつっかえていたモノが取れて、心が軽くなった。いつもと見ている景色が違って見える。
真面目に生きていれば、神様はこういったご褒美をサプライズでくれる。だから、信じるべきものを手放したらいけないんだ。
ずっとずっと心の中心にあるモノにはブレることなく、その時の気持ちに正直に生きていこうと思う。
お付き合い頂きありがとうございました。
2025/1/26




