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41.喫茶店と詩織とマスター

坂本が現地に着いた時には、数人の見知らぬ見物人が見守る中、油圧ショベルカーがすでに動いていて、外壁は払われ見慣れた店内が外から見てとれた。


あのカウンターで、マスターの淹れたてコーヒーを楽しみ、詩織の作ったサンドイッチを食べた。

始めて店に来た帰りに、美咲が恋人になった。

抹茶のチョコレートを懐かしみ、久しぶりの感情を思い出した。

沢山の観葉植物は、ちゃんと出してもらえただろうか。詩織の書いたPOPが、ヒラヒラと舞い散るように儚く落ちる。


悔しくて悲しくて、拳を握りながら、大きな音をたてる取り壊し作業を見守っていた。

気を抜くと涙が出そうになり、必死で堪えた。

(詩織は、この店に人生をかけたのに…!)

段々と力が抜けて、スーツも気にせずその場にしゃがみ込む。

行き場のない怒りとやるせなさが体中を覆う。


どうしてこうなったんだろう、なぜ詩織がこんな目にあわなければいけなかったのだろう、詩織が会社を辞める時には、明るい未来を応援したはずなのに、どこで何を間違えたのだろう。


頭を抱えてしゃがみ込んでいると、「坂本さん…?」と話しかける声が聞こえた。もう1人の待ち望んでいた人の声だ。すぐに立ち上がる。

「マスター…」


近くにあるマスターの自宅へ案内された。

腰が悪いと聞いていた奥さんは、家の中は手すりにつかまりながら歩く。

「本当にお構いなく」

移動が大変そうなのを気遣い、リビングでマスターとテーブルを挟んで向かいあって座った。


「こちらには娘さん夫婦も一緒に?」

「まさか」マスターは笑って首をふった。

「私の体調もあまり良くありませんが、ギリギリになるまで、娘達の手は借りないつもりです。一時期、妻の具合が悪くて詩織ちゃんが泊まってくれた時もありましたが、妻の体調がおちついて、詩織ちゃんもアパートを借りてからは2人で生活してます」

(詩織が家に帰らないと大輝が言っていた頃か。詩織はなんで大輝に本当の事を言わなかったんだろう)


「詩織からコーヒー豆と手紙がきました。店の解体までの話はその手紙で大体把握出来ています。ただ、詩織は今どこにいるんですか?」

マスターは、部屋に飾ってあった写真を見せてくれた。


「私の生まれ故郷の写真です。ここからずっと南の離島なんです」

南国特有の木々に囲まれた所で、まだ若いマスターと奥さんが写っている。

「私も帰郷したのはもう随分前です」


「詩織はやっぱりここへ向かった…?」

「はい。私の親族が居ますので連絡は入れてあります」

まずは安心する。思ったより最悪な状況は避けられそうだ。


「詩織ちゃんとは一緒の時間を過ごしましたから、本当に色々な話しをしました。

あなたや大輝さんの事、ご実家の事、将来の事。

特にあなたとの思い出話しをする時は、すごく楽しそうでした。聞いてるこちらも楽しくなる程です」


少し恥ずかしさも隠しながら、マスターが淹れてくれたコーヒーを飲む。

さすがに店の味程ではないが、自宅で飲むには充分な味だ。


「私達夫婦の事もすごく気遣ってくれて、娘夫婦と意見が合わない分、余計に頼りにしていました。

詩織ちゃんが本当の孫だったら良かったのに、と妻がよく言った位です。

店が存続出来ないと決まった時も、責める事はせず、自分の事よりもまず私達を心配してくれました」

マスターを見て、無言でうなずく。


「今回の事では、本当に詩織ちゃんを悲しませてしまいました。一度実家に帰ったらどうか、とも提案しましたが、このままでは帰れない、みんなに迷惑かけて自分の事を優先させたのに、今帰ってしまったら中途半端な自分にも納得出来ない、と。

それでも、独りで遠くまで行くというのは相当な気持ちがないと出来ません。

一昨日の夜、最後だからと3人で食事をした時に、詩織ちゃんは初めて涙をこぼしました。よっぽど思いがたまっていたのか、なかなか泣き止む事はありませんでした。

そんなに悲しいのなら、無理はしなくていいんじゃないか、と伝えましたが、〝今しか出来ないから頑張る、頑張って坂本に褒めてもらうんだ〟と最後は笑って言いました。


しばらくは、私の親族の家で生活する予定です。目的の喫茶店にも親族が話しを通してくれたそうです。

詩織ちゃんが納得出来るまで、どの位かかるかは分かりません。

でも、詩織ちゃんを信じて待ってみませんか…?

詩織ちゃんは、娘婿からの電話を避けるために、携帯も解約しましたので何かあれば親族から連絡が入るでしょう。

もし、私達に何かあって連絡が取れなくなった場合は、坂本さんに連絡がまわるようにしておきます。

今日はお会い出来て本当に良かった。

良かったら連絡先教えて頂けますか?」

「もちろんです」


坂本はその場で、携帯番号と実家の住所、固定電話番号をメモした。

マスターは、自分の連絡先と年賀状を見て親族の住所を控えてくれた。

お互いに連絡先を交換し、玄関でマスターと奥さんに挨拶をする。

土間には、来た時には目に入らなかった観葉植物が、ところ狭しと並べられていた。


「坂本さん、良かったら持っていきますか?」

手頃なサイズで喫茶店の出窓にあったのが印象的だったものを選ぶ。

「さすがですね。詩織ちゃんは最後までそれを持っていくか悩んでました。結局別のモノを選んで諦めたんです」



重機は順調に仕事をこなし、すでに半分以上が取り壊されていた。

見物人も居なくなった場所で、独りポツンとさっきまでの坂本の様に立ち尽くす大輝が居る。


「大輝、忙しいのにごめんな」

小走りで駆け寄る。

「マスターと話は出来たようだな」

小脇に抱えている観葉植物を確認する。

先にメールを入れておいたので、坂本が戻ってくるのを待っていてくれたのだろう。


「詩織が向かった先の連絡先を教えてもらった」

「連れ戻しに行くか?説得ならオレが行ってきてもいい」

坂本は首を振った。

「いや…詩織ならきっと大丈夫だ。だから詩織を信じて待ってみないか?」

2人で顔を見合わせ、無言の会話をする。

大輝が納得したように、何度かそのままうなずいた。


「それにしても、壊すのはあっという間だな」

油圧ショベルカーの仕事を見ながら、大輝がつぶやく。

さっきまでは、取り壊されていく様子がただ悲しいだけだったが、今はその先をイメージする坂本が居た。

(詩織は更地になった自分という土地に、新しく建物を建てる準備に行ったんだ。詩織が頑張っている以上、オレが応援しなくてどうする!)

マスターからもらったメモを強く握る。


「お前達別れる前に、詩織はマスターの家で寝泊りしてたみたいだぞ。新しい男が出来たのかと少し疑ってただろ?」

「あの時は、オレも冷静な判断が出来なかったんだ。今なら詩織はそんなヤツじゃないって分かるのにな。…もう一度会ってちゃんと謝りたいよ」

「そうだな、きっとその日はくるさ」


きっと会えるその日まで、詩織を信じて待つ。


「帰りに大輝の工場寄ってもいいか?この前の製品の第二弾が出そうなんだ」

「おぅ、ありがたい。この前のも結構な受注もらったからさ…」

2人で話しながら喫茶店のあった場所を離れる。

最後に坂本がもう一度後ろを振り返った。

自分の目に喫茶店の最後の姿を焼き付けようとして…



営業の仕事もこなして自宅に帰ると、美咲が玄関先で出迎えてくれた。心配して待っていてくれたのだろう。坂本の表情から状況を察知しようと、ジッと心配そうに見つめる。

そんな美咲をそっと抱きしめた。

「詩織は大丈夫だよ」

「坂本さんは、大丈夫?」

美咲が背中に手を伸ばし、いつもの様に撫で抱きしめてくれる。

「オレは大丈夫。美咲が居てくれるから」

抱き合いながら2人で顔を見合わせ微笑む姿を、仁に見られた。

「兄貴のイチャイチャしてる所なんて見たくないんですけどぉ」

通り過ぎながら、からかっていく。


急いで離れながら、また顔を見合わせ笑う。

「ご飯出来てる?」

「今日は唐揚げだよ。お義母さん、隠し味とか沢山知ってるからお手伝いしてるとお料理教室行かなくても勉強になるんだよ」

「確かに母さんのご飯美味しいからさ、色々教えてもらえばいいよ。着替えてくるね」 


階段を上りながら、今日一日の長さを思い知る。

ただ未来に向けて信じるべきモノが増え、自然と喝を入れる自分がいる。





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