3.美咲と詩織の分岐点
今日やるべき仕事の優先順位を決めるため、依頼書を整理していると、隣に人の気配を感じた。
顔を上げて確認し、声をかける。
「どうした?美咲」
「坂本さん、あと半年後に営業課へ異動ってホントですか?」
あぁ、と坂本は頷き、書類に目を移し話す。
「元々、営業として入社したからさ。2年間は製造課で勉強してから営業課へ戻る話になってるんだ。知らなかった?」
美咲の顔を見る。
「…全然知りませんでした」
美咲が首を横に振る。
依頼書を手に持ち、そのまま美咲を見て話す。
「美咲はまだ1年目だしな。でも、今までも同じ様なヤツいたはずだよ。
オレも機械いじってる方が好きだから、製造課にずっと居てもいいんだけど…」
「じゃあ、ずっと居て下さいよ」
話す美咲が可愛らしい。
そんな姿を見て坂本が笑う。
「そんなにオレが居なくなったら寂しい?」
試すように、からかうように言われて、美咲が言葉に詰まる。
「まぁ、異動しても言ってくれれば助けに来るよ」
「ホントに?」
「あぁ。でもなるべくオレがいるうちに分からない事は聞けよ」
美咲は頷きながら、ゆっくり「はい」と返事した。
坂本は、満足したようにまた依頼書の整理に戻る。
「坂本…」
いつもとは違い元気がない詩織の声に反応する。
「どうした?」
自分の機械のメンテナンスをしていた手を止めて、寄ってきた詩織を見る。
詩織はいつものごとく、坂本が加工した製品の梱包作業をし、製品から目を離さず、伏し目のまま話した。
「…大輝から話聞いた?」
「何も聞いてないけど」
大輝から特に連絡も入っていない。
「…大輝のお父さん、体調が悪いんだって」
「そうなのか?」
確か、大輝の実家はここから2時間位の先代から続く町工場だったはず。
「…大輝にそろそろ戻ってきて欲しいんだって」
「えっ!お前どうすんの?
確かに家を継ぐための修行として、うちの会社に入ったとは聞いてたけど…」
詩織は何も話さず、ただ黙々とそのまま梱包作業を続けている。
こんな追及するように話したら、余計に詩織の負担になるかと、反省する。
今度は落ち着いてゆっくり話す。
「詩織、ちゃんと大輝とは話したのか?」
詩織は、坂本と目を合わせない。
下を向いたままで、作業の手はゆっくりになった。
「大輝からまだ聞いたばかりで、自分の気持ちがまだ追いつかなくて…いずれ実家に帰るとは私も聞いていたけど、まだずっと先の事だと思ってたし、そこまで現実的に考えてもなかったし、もっと言えば考えないようにしてたかも…」
「大輝は何て言ってるんだ?」
「詩織に任せる、って」
「任せるって…?」
一瞬無責任な言葉に怒りが湧くが、大輝はそんなヤツではないと考えを改める。
「大輝の気持ちは聞いたのか?」
詩織が下を向いたまま首を横に振る。
「詩織、オレに相談してないで大輝の気持ちを先に聞いかなきゃ。あいつも言葉足らずなのは悪いが、何か考えがあって、詩織の判断に任せるような発言だったと思うぞ…」
「分かってる。私が、頑張らなきゃ…」
不意に坂本が詩織の腕を取った。
驚いた詩織が、坂本を見る。
詩織の目が赤い。
坂本の中で感情が動き、詩織から目が離せない。
ちょうど休憩のチャイムがなり、坂本が手に持っていた軍手を投げ捨てると、無言で足音を立てその場を立ち去った。
休憩時間が終わっても、坂本はしばらく戻って来なかった。