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第7話『少女の涙』

 シンドウは修業時代を思い返しながら、ナルカミ家のリビングダイニングのキッチンに立っていた。

 シックな雰囲気で統一された家具と最新の電化製品とキッチン用品が絶妙のバランスで同居する空間であり、イズナのインテリアセンスの良さをうかがわせた。

 リビングの真ん中に鎮座する革張りのソファーでイズナが寝息を立てている。怪我こそしていないが昨晩の敗北とスパーリングでのダメージで精神と肉体が限界に達したのだろう。

 イズナを気にしつつ、シンドウは電気仕掛けのコンロと格闘していた。


「このアイエイチってやつは、どうやったら火がつくんだよ!」


 ボタンを押して火を点けるのは分かっている。

 しかし、ピッ! ピッピッ! どこのボタンを押しても音が鳴るだけで火がつかない。


「ああああ! やってられるかああああ! ファックユー文明の利器! くそったれ!」


 シンドウは豚肉と調味液の入った鉄製のフライパンを右手に持ち、左手から炎を出して底を炙った。熱せられたフライパンの上で豚肉の脂身からジュクジュクとラードが漏れ出し、赤身の部分に焼き色をつけていく。


「科学の進歩についていけないんじゃないし! 魔術のほうが火力の調整しやすいし!」


 料理をする気になったのはイズナのためというだけではない。料理をしていると悩みを忘れると聞いたことがあるからだ。だがそれは嘘であると思い知った。料理に集中しても結局考えてしまうのは、マリア・マクスウェルのことだ。


「ああ! くっそ! サルベージにしろ! イズナにしろ! マリアの野郎、なにが目的だ?」


 シンドウが五百年後の現代に復活したこと。そしてナルカミ家の居候になっている状況。全ての原因は五百年前に戦った因縁の相手、魔王マリア・マクスウェルである。

 人魔大戦以前、人と魔族は直接的な対立は避けていたが、種族間の対立には根深いものがあった。魔族は、総人口こそ人間の五十分の一と少数派だが、寿命は人間よりも倍以上長い。また約一割の確率で魔力を持って生まれる人間に対して、魔族は全員が魔力を持って生まれる。故に魔族は、自らを神々に愛された者と称して人間を見下した。

 一方の人間は、魔族を自らの存在を神に近い存在だと盲信する異端者として忌み嫌った。


 両種族の間には絶えず火種が燻っており、いつ戦争という名の大火となってもおかしくない。それが現実となったのが人魔大戦だった。

 きっかけは些細なことで、一人の女性を巡って起きた人間と魔族の決闘である。

 決闘には人間の魔道師が勝利し、魔族の魔道師は深手を負って死亡してしまう。同胞の死に激怒した魔族は人間の魔道師に報復した。報復合戦は種族全体へ波及していき、局所的な小競り合いはいつしか戦火へと姿を変えてしまった。


 シンドウとマリアは、伝説の魔道師カワシマ・ガンテツの元で修業を積んでいた兄妹弟子だ。

 しかし人魔大戦が始まると、それぞれ人間側と魔族側に分かれて戦うこととなった。

 両軍多大な犠牲を払って、ついに迎えたジャポニアでの最終決戦。シンドウは自分ごと魔王マリアを封印し、人間軍の勝利を以て人魔大戦は終結した。


 それから五百年後。イズナの両親ナルカミ夫妻の手によって、シンドウは自らが使用した封印魔術からサルベージされた。

 魔道歴史学と封印魔道学の権威である二人にサルベージ資金を提供したのがマリアだ。

 彼女は百年前、別の研究者の手によって先んじてサルベージされていた。当時は魔族復権運動が盛んだったため、各地に封印されていた魔族のサルベージが盛んに行われていたという。


 ナルカミ夫妻から聞いた話によれば、その時シンドウも一緒にサルベージ可能であったらしい。だがマリアがストップをかけたせいで、もう百年眠りにつくこととなった。

 少なくとも百年前の彼女の判断には感謝しかない。あのまま眠り続けていたらどれほど楽だったか分からない。

 それが二ヶ月前、唐突に巨額の資金を出し、ナルカミ夫妻に改めてシンドウをサルベージさせた。何故今サルベージしたのか。その理由がなんなのか。まだマリアに問えていない。


「なにが目的だ、あいつ……」

「ん……んん……シンドウ……さん?」


 イズナの声に振り返ると、彼女はソファーに横になったまま、こちらを見つめていた。


「ああ、ごめんな! 起こしたかい?」

「なんで……IH使ってないの?」


 イズナのジト目が妙に痛かった。


「使い方よくわからなくて……あ、でも火加減は大丈夫だぞ! 俺火属性の魔術結構得意だし。もうすぐできるから、ちょっと待ってな」


 身体を起こしたイズナはソファーに腰掛け直すと、首を左右に振った。


「ごめん……いらない。食欲ないんだ」


 スパーリングとは言え、負けは負け。しかも負けたことがない相手に敗戦とくれば、精神的なダメージは計り知れない。それにライバルに負ける気持ちは痛いほどよくわかるから――。


「……負けたことが悔しいか?」

「っ!?」


 ぎゅっと唇を噛み締めたイズナは、ソファーから飛び上がった。


「当たり前じゃん! でももう一度戦ったら! もう一度戦ったら……」


 さっきまでの威勢は萎んでしまい、声のトーンも小さくなっていく。

 イズナ自身が一番理解しているはずだ。今の実力ではたとえ一万回戦ったとしてもイズナが全敗する。ユーリとの力量の差は、それほどまでに開いてしまっていた。

 このまま試合をすればマリアは、確実にイズナを手に入れることになるだろう。あちらからすれば絶対に勝つと分かっているイカサマギャンブルを仕掛けるようなもの。


 しかし腑に落ちない点もある。特例としてシンドウにジムマスターライセンスを発行する点だ。是が非でもシンドウをマギシングサークルに引き込む。そういう意図が強く香っている。

 マギシングサークルは五百年前にも存在した神事〝魔術闘技〟をベースにしている。百年前に封印からサルベージされたマリアが魔術闘技の競技色をより強くしてスポーツとして発展させたのだと聞いている。

 同じく百年前、マリアはシンドウを意図的にサルベージしなかった。

 百年という時間の一致は偶然じゃない。明らかな作為だ。百年の歳月をかけてでも達成したいなにかがマリアにはある。策略に乗るのは愚策だが、厄介なのはイズナの存在である。


「……マリアさんの言う通りだよ。ジムの会長の件、本当は違反なのに、ずっと待っててもらってたんだ」


 プライドも夢も希望もひび割れて粉々になりかけている。

 こんな顔をされたら情にほだされてしまう。


「私じゃ、まだジムマスターライセンスは取れないし、パパとママも忙しい。ライセンスを持ってる人を雇うことはできるけど……おじいちゃんのジムを他の人に任せるなんて嫌だもん!」


 居候が始まって二ヶ月、多忙なナルカミ夫妻に代わって精力的にシンドウの世話を焼いてくれたのはイズナだ。彼女がいてくれたおかげで、どれほど救われたか分からない。


「あ! 違うよ!? シンドウさんが嫌だってことじゃないんだ。だけど……」


 これもマリアの策略に違いない。あの女のやり口は昔から一貫している。普段は直情型のくせに裏では蜘蛛のように糸を張り巡らせて、虎視眈々と獲物が飛び込んでくるのを待つ。

 ナルカミ・イズナに同情させて、シンドウをマギシングサークルという自分の巣に誘い込む。そのためにシンドウをナルカミ家が預かるように誘導したと考えるのが妥当だ。


「私……私は! どうしたらいいの!?」


 琥珀色の双眸から大粒の涙がはらはらと零れた。フローリングの床に落ちた涙が弾けて水滴の花を咲かせる。

 勝負は決した。イズナに泣かれた時点でマリアの作戦勝ち。見事と褒め称えるしかない。

 完成間近のハニージンジャーソテーが入ったフライパンをコンロの上に置き、イズナに向き直った。


「イズナがユーリに勝つ方法はある」

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