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第29話「親友(ライバル)とパンケーキ」

 マリアの運営するマクスウェルマギシングジムは、シンドウアリーナと隣接する駅東側の目抜き通りに面している。

 シンドウとマリアの試合まであと六日。伝説の魔道師VS魔王の話題性は凄まじくメディアの報道も日増しに加熱していた。

 マクスウェルマギシングジムは、通り側の壁がガラス張りになっており、練習風景が外から見られる。そのため連日見物客が押し寄せていた。

 今日もまだ日が昇ったばかりの早朝なのに、すでに数十人がジムの前にたむろしている。彼らのお目当ては、もちろんマリアだ。全員が魔眼グラスをかけて練習を見守っている。


「まったくシンドウさんは……」


 イズナは、人込みに紛れて板ガラス越しにトレーニングルームの様子を窺っていた。

 極秘の敵情視察だから正体がばれてはいけない。目深に被った焦げ茶色のキャスケットに自慢のポニーテールを隠し、藍色の開襟シャツにベージュのキュロットという出で立ちだ。


「あんなヘンテコな練習しててもマリアさんより強くなれるなんて思えないよー。セコンドの私がしっかりしなくっちゃ……」


 ガラスの向こうにいるマリアは、上下黒のトレーニングウェアをまとっている。

 スパーリング用のサークルの中で左右の拳の連打を繰り出していた。

 ハンドスピードが異様に速い。ライトニングフリッカーを使用すれば瞬間的にはこちらの方が速いだろうが、シンドウ曰くマリアの魔力量は、イズナの二倍近い。長期戦になった場合やキャリアの差を考慮すれば、得意の接近戦で五分か、あるいはイズナがやや劣勢か。

 そこに遠距離戦や中距離戦も加味したら到底イズナの及ぶ相手じゃない。


「シンドウさん、こんな人相手にお水飲んでるだけ?」


 前よりも少しは強くなったからこそ理解できる。マリア・マクスウェルは、正真正銘の化け物だ。むしろ、こんな相手に四割方勝てると豪語するシンドウの凄まじさを思い知らされる。

 しかもマリアは、シンドウよりも百年早く目覚めているのだ。その間に修行をしていたらシンドウが知っているマリアよりも強い可能性も否定できない――。


「なにしてるんですかイズナさん?」


 背後から声と一緒に伸びた手がイズナのキャスケットをふわりと持ち上げた。色素の薄い茶髪のポニーテールが宙を舞うと、見物人の視線が一斉にイズナへと注がれる。


「あ、ナルカミ選手だ!」

「ほんとだ! この間の試合すごかったです!」

「本物だぁ……すっごく可愛い……」


 しまった! スパイ行為がばれた!

 一体誰が暴いてくれた!?

 振り返って確認すると、そこにはキャスケットを被ってしたり顔のユーリがいた。


「可愛いですけど、イズナさんの趣味じゃないですよね。これどうしたんですか?」


 どうしよう。どうすればここから挽回できる?

 こうなればアドリブしかない!


「な、なにを言っておるかね。僕は、通りすがりのマギシング雑誌の記者じゃよ!」

「……自分でやってておかしいと思わないんですか?」

「ぶーぶー! ユーリのいじわるー!」


 ふくれっ面になりながらも素早い手さばきでユーリからキャスケットを取り返した。

 見物客の関心は、完全にイズナとユーリに集まっている。しかもみんな揃いも揃って微笑まし気だ。まるで見世物にされている気分である。


「ここにいるということは、敵情視察ですか?」


 そう尋ねるユーリの表情と声色は、試合前より幾分も柔らかかった。

 スパイがばれたのに、なんで? もしかしてめちゃくちゃ怒って逆に冷静になってる!?


「えーと……あのぉ、そのぉ……うーんと」


 どう誤魔化そうか。悩んでいるとユーリの手がイズナの手を掴んできた。


「そうですか。こっち来てください」

「えっ? ちょ、ちょっとー!」


 ユーリは強引にイズナの手を引き、入り口のガラス扉を押し開けてジムに引っ張り込んだ。

 ナルカミマギシングジムとは比べ物にならない最先端トレーニング器具の数々。面積も倍はあるし、スパーリング用のサークルも半径二十五メートルはある。

 さすが常任理事が運営するジム。規模は、ジャポニア国内でも有数だろう。


「あらあら。可愛いスパイさんね」


 イズナの姿を見つけたマリアは、トレーニングの手を止めてサークルを出ると、こちらを目指して歩いてくる。やばい。本格的にスパイ行為がばれてしまう。なんとかしないと!


「……なにを言っておるかね。わしは週刊マギシングファンの記者なのじゃ!」

「イズナさん、それまだ続けるんですか?」


 もうやめよう。これ以上誤魔化しても傷口を無駄に広げるだけだ。


「ごめんなさいマリアさん、魔王様。命だけは助けて……なんでもはしないけど」


 蛇を前にして震える子兎のようにいたいけな少女を、魔王は心外そうな面持ちで眺めている。


「イズナちゃん。あなたは私を何だと思っているの? まぁ、いいわ。せっかくだからこれを受け取ってくれるかしら?」


 そう言ってマリアはトレーニングウェアのポケットから紙幣を二枚取り出した。ジャポニアの通貨の中でも最高額の一万エール札二枚だ。


「二人で立ち話もなんでしょう? デラックスパンケーキを食べてくれば?」

「むむむ! 賄賂! 私を買収して厄介払いする気だなー!」


 マリアは、いたずらっ子のように笑いながらユーリに視線を送った。


「そうよ。対戦相手の弟子に練習を見せるなんて私が許すとでも? それにね、ユーリったらここ最近ずっとイズナちゃんとパンケーキを食べに行く口実を探していたのよ?」

「マ、マリアさん!」


 ユーリの顔は、耳まで真っ赤に染まっていた。

 マリアは、くすくすと笑い声を漏らしながらユーリの鼻の先を指で軽く弾いた。


「だって本当のことでしょう? この子ったら、あの試合以来、一日中イズナちゃんの話ばかりするのよ。負けたことをすっごく悔しそうに。でもあなたが強くなったことをすっごく嬉しそうに」

「うぅ……あぅ」


 口をもごもごさせて手の指をもじもじと絡めている。顔色はさっきよりも赤く染まっており、蒸気でも吹き出しそうだ。なにこの生き物すっごく可愛い。


「ふっふっふー。ユーリちゃんは可愛いですなぁ」

「イズナさん! からかわないでください!」

「ごめんごめん。じゃあ二人で食べに行こっかパンケーキ」


 これ以上いじめると拗ねてしまいそうだ。ユーリの頭を優しくポンポンと撫でた。


「イズナちゃん、これ持っていきなさい」


 マリアは再度お札を渡そうとしたが、イズナは首を横に振った。


「ううん、いらない。敵から施しを受けるほどイズナちゃんはプライド低くないのだー!」


 これは冗談。本音はもっと別のところにある。


「それにさ。マリアさんにお金を出してもらうのは違うんだよ」


 イズナは、ユーリと正面から向かい合って頭を下げた。


「ユーリ、ひどいこと言って……たくさん傷つけてごめんなさい」


 ずっと言えなかった謝罪の言葉。


「謝っても許してもらえることじゃないけど」


 今更許されようなんて思っていない。許されたいなんて願っちゃいけない。


「だからせめてパンケーキはごちそうさせてほしいんだ。私を許さなくていいから! 少しでもユーリに償いがしたいから……」


 今までずっと謝れなくて溜まってしまっていたごめんなさいの気持ちをユーリに伝えたい。


「……それがパンケーキですか?」

「……うん」

「それで許してもらえると思ってるんですか?」

「……ううん」


 ユーリを見るのが怖くて顔を上げらない。するとユーリの小さな手がイズナの手をぎゅっと握ってきた。焼きたてのシフォンケーキのように温かくて柔らかい。懐かしい感触だ。


「デラックスパンケーキにデラックスパフェ。それを食べてから考えます」


 顔を上げると、そこにいたユーリは陽だまりのような笑顔を浮かべていた。

 親友でライバルでイズナを慕ってくれる可愛い後輩の表情だ。


「ユーリ……」


 こんな身勝手な先輩を許してくれてありがとう。

 そう言うのが何故だかちょっと気恥ずかしくて――。


「パフェまで食べたら、また太っちゃうよ?」

「し、失礼です! ユーリは、太ったことなんか一度も!」


 イズナとユーリのやり取りを見つめるマリアの表情も、どこか昔を懐かしんでいるように見えた。

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