第27話「新しい夢」
「私が……一体どんな思いでこの百年間生きてきたか!」
マリアの声には、鉄をも溶かす焔が如き激しい怒りが滲んでいる。
「あなたとの決着をつけたくて! あなたと戦いたくて私は……」
マリアがどんな思いで百年という長い時間を生きてきたのか、どんな歴史書を読んでも書いていない。きっとシンドウの想像なんか及ばないほどの苦労が多くあったろう。
「そう! だったらイズナちゃんのジムの経営権は、即剥奪するわ! 私と戦わない限りは、絶対にそうするわ! ええ、私にはそれだけの権限があるのよ!」
長い付き合いだ。マリアがどんな性格なのかよく知っている。
「お前は俺とは違う。どんなに怒っていても、そんな卑怯なことはしないだろ?」
「するわよ! あなたと決着をつけることが! あなたと戦うことが私の夢なのよ!」
「しないよ。お前は俺と違って誇り高い。権力をかさに着て若いやつを傷つけるやつじゃない」
図星を突かれたのか、マリアは息を呑んだ。
「っ!? 自分の夢だけは叶えておいて私の夢は踏みにじるなんてそんなの許さないわ!」
「だよな。そんなことはわかってるよ」
シンドウの一転した態度に、マリアは戸惑っている。
策士にしては珍しい反応だ。一本取れたようで案外悪くない気分である。
「今言ったのは、あくまで俺の気持ちだ。身勝手でろくでもない最低な男のな」
五百年前、シンドウはマリアとの決着から逃げた。なのに今のシンドウは、マリアの作り出した世界で幸せを享受しようとしている。
「お前のおかげで俺は、新しい夢を見つけられた。なのに俺は、お前の夢を踏みにじって逃げるのか? それじゃあ五百年前と同じじゃねぇか」
再び夢を抱けるようになるきっかけをくれた兄妹弟子。
彼女の願いを無下にするなんて、許されるはずがない。
「俺はお前とは戦いたくないし、選手になるつもりもねぇよ。だけどな、俺はお前に対して一度だって誠実に接したことはなかった。ずっと一緒にいたのに、一度もお前の気持ちに寄り添ったことがなかった。ガキだったんだ」
マリアは、いつだって誰かのためを思って動いてきた。魔族の仲間を守るために戦場へ赴き、ガンテツの望んだ世界を作り上げ、シンドウに新しい夢を与えてくれた。
それに比べてシンドウは、自分のことばかり考えて生きてきた。いつも自分の感情と都合ばかりで動いて結果的にマリアもガンテツも傷つけてしまった。
「マリア。俺は、お前が望むんならお前と戦うよ」
もう大切な人を傷つけるような真似はしたくないし、してはならない。
「このサークルで、五百年前と同じ場所で戦う」
ここでマリアの夢と向き合わずに逃げたら、自分の夢を追いかける資格を永久に失う。
「これが俺のデビュー戦で引退試合だ。お前との決着をつけて古い自分を終わらせる。人としても魔術師としてもだ。この時代を生きる〝魔道師〟として新しい夢を追いかけるためにな」
「シンドウ……いいわ」
マリアは、二枚のライセンスカードを投げて渡してくる。
空中でキャッチして受け取ると、マリアはいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。こういう表情の時のマリアは大抵ろくでもないことをしてくる。
「賭けをしましょう。前回あなたは逃げたわ。土壇場でまた逃げない保証はない」
やっぱりか。とは言え、信用されていないのは無理もない。普段なら賭けには乗らないが今回に限っては話ぐらい聞いておくべきだろう。
「……内容は?」
シンドウが問い掛けると、魔王らしい邪悪な笑みがマリアの口元に灯った。
「私が勝ったらあなたとイズナちゃんには、私のジムに所属してもらう。あなたには選手としてね。もちろんあなたが当日逃げたら私の不戦勝扱いになるわよ」
「おい! なんでそうなる!? 俺はともかく、イズナは関係ねぇだろ!」
「あるわよ。イズナちゃんの夢、ティアⅠレジェンド三冠と大きくね」
「どういう意味だ? イズナの夢と俺とお前の決着、どう関係がある?」
「あなたの指導者としての資質は未知数よ。イズナちゃんの適性を見抜いて鍛え上げた手腕は悪くない。だけど私でも同じことはできた。あなたも、その自覚はあるんじゃないかしら?」
痛いところを突いてくる。たしかにイズナの素質を先に見抜いたのはマリアだ。仮に彼女がイズナを鍛えていたとしても今日のユーリとの試合は、同じような展開になったはずだ。
「シンドウ。ナルカミマギシングジムは、イズナちゃん以外の所属選手がいない弱小ジムよ。資金力の面でも相当の不利を背負っているわ。あなた、トロフィーを持っているチャンピオンへの挑戦方法は知っている?」
「ああ。挑戦状を送り、チャンピオンに挑戦を受けてもらうこと。もう一つは一定期間防衛戦を行っていないチャンピオンに協会側が指定した選手とのマッチメイク、だろ?」
「この一ヶ月でよく勉強したわね。後者は稀よ。特にレジェンドトロフィーのトロフィーホルダーともなればね。当然よ、相手は選んだ方がいい」
「弱小ジムって言うならイズナは最適だ。格下相手に防衛戦できりゃいうことなしだろ?」
「忘れたの? マギシングサークルは興行を主としたスポーツよ」
なるほど。マリアの主張には理がある。格下や噛ませ犬とばかり戦っているチャンピオンの試合なんて誰も見に来ない。そんな試合は見ていても面白くもなんともないからだ。
「チャンピオンは、戦う価値のあるチャレンジャーを選ぶの。昔のイズナちゃんには、その価値があったわ。レジェンド二冠を達成したナルカミ・ゲンイチロウの孫。期待のルーキーとの一戦は、盛り上がるわよ。でも今のイズナちゃんに、その価値はない」
「……三連敗か?」
「ええ。負け過ぎた。でもそれだけじゃないわ。彼女に関するネットの書き込みは見てる?」
「いや。見てると反吐が出そうになるんでな」
「今日のイズナちゃんの勝利は、概ね好意的に受け止められているわ。だけどこういう意見もある。戦闘スタイルを変えたから初見殺し的にユーリを倒しただけ。まぐれ勝ちだと」
ネットの意見は、くそくらえと思っていた。しかしその指摘には悔しいが否定できない面もある。
イズナとユーリの戦闘スタイルは、元々同じ砲撃型。砲撃型魔術師の思考を熟知し、さらにユーリとの対戦経験も多いイズナは、情報戦の面で相当のアドバンテージを持っていた。
一方のユーリは、未知の相手に手探り状態で挑むに等しい状況だった。
「シンドウ、今のイズナちゃんは危うい状態よ。このまま勝ち続ければ世論も変わるわ。強い選手だ。チャンピオンとの試合が見たい。注目の選手から挑戦状が送られてきたらチャンピオンも受けざるを得ない。挑戦から逃げたらチャンピオンの評判は、がた落ちするわ。世論が挑戦者から逃げるチャンピオンを許さない。だけどもし――」
「ここから先一度でも負けたら、イズナは選手としての価値を失うってことか?」
「そうよ。そしてシンドウ、彼女の評価軸にはあなたも加わるわ」
「俺が?」
「五百年ぶりに蘇った伝説の魔道師がトレーナーをしている。その商業的な効果は、極めて大きいわ。今のイズナちゃんの評判を支えている大部分もあなたの存在あってこそよ」
「だから俺がお前から逃げたり、負けたりしたらイズナの評判にも傷がつくってことか……」
「ええ。私との勝負から逃げたら、あなたの価値は暴落する。強い相手から逃げる臆病者だとね。それは、イズナちゃんのプロ選手としての商品価値の低下も意味しているわ」
相変わらずの策士だ。万が一を想定して対策を先手先手で打ってくる。
もちろん今更逃げるつもりはない。シンドウ自身の意思でマリアと試合をすると決めており、この気持ちがぶれることはあり得ない。
「安心しろ。逃げやしねぇよ。だから賭けなんかしなくてもいいだろ」
「それはどうかしら? 私の提案は、イズナちゃんの将来にとってどう転んでも安全策なのよ。あなたが私に勝てばそれでよし。魔王を打ち倒したあなたに師事したいという魔道師も多く現れてナルカミマギシングジムの成功も夢じゃないわ。なんなら私のジムの選手をナルカミジムに移籍させてもいいわ。あなたに興味を持っている若い子が何人かいるのよ?」
「そこまで絡めてくるか。本当にいやな女だな」
「誉め言葉ありがとう。もちろんあなたが負けた場合でもイズナちゃんが私のジムへ移籍すれば彼女への批判なんてねじ伏せられるわ。シンドウ・カズトラとマリア・マクスウェルの闘いは、才能ある魔道師ナルカミ・イズナを巡ったものだった。こういうストーリーにしてもいい。民衆は、こういうのに弱いわよ」
「なるほどな。どっちに転んでも得するのは、お前ってわけか」
「いいえ。損をするのがあなただけってことよ。これぐらいのリスクは、あなたも負ってくれないと私の百年に見合わないんじゃないかしら?」
どう言い繕っても結果の如何を問わずマリアが誰よりも得をする点に変わりはない。
こちら側にも賭けをするメリットはある。イズナの悲願であるナルカミジムの再興だ。
だけど、こんな話をシンドウが勝手に決めてよいはずもない――。
「いいよ! その条件で!」
突如、東側休憩席から声が響いた。このタイミングで一番登場してほしくない人物の声だ。
どうか奇跡的な聞き間違いであってくれ! そう願いながら恐る恐る休憩席を見やるとナルカミ・イズナが立っていた……奇跡とは簡単に起こらないから奇跡なのだ。
イズナが試合で負ったダメージの色は濃い。右手には松葉杖を持ち、左腕はギプスで固められている。病院に連れて行った後、自宅まで送ったのになんでここにいる!?
「お前な!? なに勝手に賭けしてんの!?」
イズナは、休憩席の魔術陣を踏んでサークルに転移してくると、シンドウの隣に立った。
「シンドウさんが遅いから迎えに来たんだよ。そしたらマリアさんと賭けなんかしてるし!」
「してねぇよ!? 断ろうとしたんだよ!?」
ボロボロの状態なのに、琥珀色の瞳に宿る闘志はいささかも衰えていない。
「話は聞いてたよ! シンドウさんはナルカミジムで! 私と一緒に! レジェンド三冠を目指すの! 私もシンドウさんもマリアさんのジムに移籍なんかしないもん! だから今回シンドウさんが勝ったらもう私たちの邪魔はしないでよね!」
マリアは、清涼感のある笑みで嬉しそうに頷いた。
「イズナちゃん、賭けは成立よ。シンドウが勝ったらもうあなたたちの邪魔はしない。シンドウ、二週間後楽しみにしてるわ」
昔と同じ勝気な笑顔を浮かべながらマリアは転移魔術の翠色の燐光に包まれ、姿を消した。
「ふっふっふー! 私がセコンドに付いて支えるから、一緒にがんばろうねシンドウさん!」
「なにしてくれてんだこのバカア!」
陽気に笑うイズナに対して、シンドウは今までの人生でもっとも大きな怒声を浴びせた。




