うちのお嬢様は最強の恋愛戦闘民族(サツマナデシコ)
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この作品と同日に現実世界〔恋愛〕にて二作品投稿予定です。
「スノーホワイトは増殖する~みんなが恋焦がれる白雪姫、手に入らないなら増やせばいいじゃない~」
「彼女は拗らせた恋をする~隣の美少女が、入学祝いにあなたの子供をくださいとせがんできます~」
よろしければこちらもご覧ください。
うちのお嬢さまは最高です。
漆黒に金色の針を散りばめたように輝く長い髪。
人々の清らかな願いと祈りを凝縮したような澄んだ碧い瞳。
細くしなやかな指先は、ふとした動きが一編の詩を紡ぎ、見る者を陶酔の沼に引き入れます。
まさしく南方の雄、マーズ公爵家400年の歴史が生み出した最高傑作。
いえ神さまが作りたもうた奇跡、それがサーシャ・シス・マーズさまです。
こんなお嬢さまに侍女としてお仕えできるわたし、レイラは果報者です。
「ねえレイラ、聞いてるの?」
絹のようにさらさらとした滑らかな声が私を現実に引き戻した。
「申し訳ございませんお嬢さま。この眩い御髪に目を奪われ、忘却の彼方へと漂っておりました」
「もう、ずるいわよ、謝罪を称賛でくるむなんて真似。そんな言い方されたら怒れないじゃないの」
怒ったお嬢さま、見てみたい。子犬が甘嚙みするようで、それはそれはきゅんと愛らしいのです。
「来月のデビュタント、大丈夫かな。私ちゃんと出来るかな。お父さま、お母さまに恥かしい思いさせないわよね?」
まったく、このお嬢さまは何を言っているんだか。
「いいですか、お嬢さま。何度も申し上げていますが、お嬢さまは王国一の姫君です。お嬢さまが恥かしい思いをするなら、この国のご令嬢は皆揃って引きこもり一直線です。過剰な謙遜は、他者への侮蔑になるとお心得下さい」
「身内贔屓がすぎるのよ、我が家は。私より立派な令嬢は、掃いて捨てるほどいるでしょうに」
「当主様に随従し何度も他家を訪れましたが、お嬢さまより秀でたご令嬢についぞお目にかかったことはございません」
「まあいいわ。来月のデビュタントには私と同年代の令嬢もいらっしゃるんだから、どちらが正しいかはっきりするわね」
「はい。それでは就寝の準備も整いましたので、明日の王都出発に備え、ゆっくりとおやすみください」
わたしは退室の挨拶をし、部屋を下がった。
困ったもんだ。
当主様が可愛がりすぎ、領内から出さないから、ご自分の素晴らしさをまるで解っていない。
建国の英雄を祖とする公爵家令嬢。その高貴な血筋だけでも垂涎の的なのに、その上あの匂い立つ美貌。
王都に行き、デビュタントをすれば自ずと自覚されるでしょう。
しかしその後が面倒です。五月蠅い羽虫が寄ってくるのは予想に難くない。
わたしのすべき事は、羽虫から一輪の花を護ること。目ざわりな虫は潰してくれる。ぷちっと。
使命感にもえ、明日の王都出発準備に慌ただしい館の中を歩いていった。
ほんと、ウチの一族は私に甘い。
我が領は南方貿易で経済的に豊かで、お父様もお母様も私が欲しいという物は何でも与えてくれる。
そして他家との連携強化となる私の婚約については
「可愛いサーシャを有象無象にくれてやる気はない。我がマーズ家は他家に頼らなければならぬ腑抜けではないわ!」
こういって私を領内に止め一向に進めてくれず、マーズ公爵家秘中の姫と呼ばれる始末。
私もただ可愛がられ、奉られるだけの人生は嫌です。この大好きな故郷に役立ちたい。領民の幸せの一助となりたい。その為の努力は惜しみませんでした。
優雅な身のこなし。機知に富んだ会話。詩歌の詠唱。各貴族の相関関係。それなりに身につけたつもりです。けれど何かが足りない。それが何かは分からない。
寂寥とした思いを抱え、就寝の床につきました。
リーンリーンと鈴虫の鳴く声が響く。その声は日ごとに小さくなる。
秋ももうすぐ終わりだ。私の子供でいる季節も。
ギーと僅かな軋みをあげてドアが開く。
おかしい。こんな時間に入室するのに、声をかけないなどの無作法をするはずがない。
私はがばっと身を起こす。目の前に信じがたい光景があった。
黒ずくめで、顔を布で隠した男が三人。手には短剣を携えている。
怖い。急いで助けを呼ぶべきだが、声がでない。
隙の無い、流れるような動きで、男たちは走り近づいてくる。
その動きは、迫ってくるにつれ、時が引っ張られたように緩慢で、止まっているように見えだした。
ああ私はここで死ぬんだなと、すとんと心に落ちてきた。
こういう運命だったんだ。ここまでかと思った時だった。
「あまんな。命が無うなっ時になんしちょっと。もがけ。命があっかぎり、きばれ」
私の内から声が響いた。何、いまの。
足元から、どんと突き上げる衝撃が走る。
地面が波打つように揺れる。
頭の上にある壁がぱりぱりと崩れていく。
その先から鮮烈な色と声が落ちてきた。
ウオーという地響きのような人の声が轟く。
「豊久さま、新手でごわす。敵は徳川・井伊の赤備え」
「おう、井伊の赤鬼のお出ましか。皆、聞いたか。おはんら、果報者じゃ。
こん戦は千年に一度の大戦。末代まで語り継がれる戦じゃ。これからん戦いぶりが、おんしらの孫子に物語として謳われていっど。
九郎判官義経、楠木兵衛尉正成に並ぶ金剛不壊の名声を打ち立てるんは今ぞ」
「応ー!」と鬨の声があがる。……よか兵子じゃ。
赤い波が押し寄せてくる。
薩摩兵はそれを迎えうつべく、敵に照準を合わせる。
一斉に発射。敵がひるむ。
ひるんだ敵を目がけて、槍を構えた薩摩兵が突進していく。
「死兵にかまうな。狙うは島津惟新斎義弘の首ひとつ。時を稼がせるな」
敵将の激が飛ぶ。
よく戦をわかっちょる。こん戦は、義弘さまが薩摩に帰れるかどうかの戦。
義弘さまが薩摩に帰れば島津は滅びぬ。
島津が生き延びれば、いつの日か徳川を負かしてくれる。
そういう戦じゃ。
薩摩の捨てがまり、たっぷりと味わってもらおう。もう食らいたくないと思うまで。
味方が一人一人倒れていく。倍する敵を道づれに倒れていく。皆満足気な顔をして倒れていく。
頃合いじゃな。
「島津中務大輔豊久、参る。この首刈れれば武門の誉れぞ。取れるものなら取ってみよ」
槍を構え、愛馬にまたがり駆けていく。
敵兵が名乗りに反応する。一糸乱れぬ槍衾がこちらを向く。
良かど。よく鍛錬されておる。狙いどおりじゃ。
おいの槍が、敵の槍が、競うように突き出される。髪の毛一本でも速くと突き出される。
こちらの槍が一瞬速く届き、相手を突き刺す。
突き刺された兵の横から、違う槍が次々と伸びてくる。
馬から飛び降り、体を捻り、紙一重でかわし、敵に槍を突き刺す。
体を捨て、待を捨て、対峙を捨て九曜の型で自由自在に戦場を舞う。
敵はいら立ち、激情のまま槍を繰り出す。もう一息じゃ。
不意に下から槍が現れ、右足を切り裂く。
しもうた。体が一瞬止まる。
槍が一本、二本とおいの体に刺さっていく。
やっと捕らえた獲物に、我先にと敵兵が押し寄せる。
……かかった。今じゃ!やれ! おいは心の中で歓喜する。
後ろより、待ちに待った雷鳴のような銃声が轟く。
ぽっかりあいた槍衾の間から、赤鬼の姿が見えた。
体から血を流し、崩れるように馬から落ちていく。
「直政さま――!」敵兵の悲鳴が木霊する。
とった、とったぞ。井伊侍従直政討ち取った。
勝ちじゃ。島津の、薩摩の勝ちじゃ。
「うぉ――――!」 血を吐きながら雄たけびをあげる。
父上、家久父上。……豊久、今参ります。ようやったと褒めてくだされ。
満面の笑顔で終われる、良き人生であった。
硝煙と血のにおいの空気が消え、夜の冷たい空気が体を覆った。
私の部屋だ。さっきまでの光景は何だったの。
目の前に黒装束の男たちが迫ってくる。短剣を頭上に掲げ迫ってくる。
なんじゃこれ、見苦しか。
足運びに無駄が多い。構えも急所が集まる正中線を晒している。そのくせ上段に剣を構え、斬り下ろすことしか考えていない。
下衆の剣じゃ。相手に対する警戒も敬意も無い。強き者に挑むのではなく、弱き者をいたぶる剣じゃ。
練度も覚悟もなっちょらん。
身を素早くかがめ、足に力をぎゅっと溜める。そして最前列の男に、膝を薙ぎ払うような蹴りを入れる。
男はつんのめる様に態勢を崩す。間髪入れず男の伸びきった右肘に手刀を入れ、短剣を落とさせる。
反撃された男は勿論、後の二人も理解不能の出来事を頭の中で処理しようと棒立ちになる。
短剣を失った男の胸もとをつかみ、足を刈り、二番目にやってくる男に投げつける。
二人がもつれ、どうっと倒れる。その隙に素早く短剣を拾い、三番目の男に向かう。
男はようやく我に返り、短剣で切り付けてくる。
だが予備動作が大きい。狙いがみえみえだ。
体を捻じり短剣をさけ、顎先に掌底を打ち込む。動きが止まった。今じゃ。喉元を短剣で掻き切る。
うごっという声を出しながら倒れていく。あと二人。
お嬢さまの部屋からどすんと大きな音が響いてきた。
何があった。わたしは急いで部屋に駆け付け、引きちぎらんばかりに扉を開ける。
黒ずくめの男が喉から血を流し事切れていた。
奥には同じ格好をした男が二人倒れていて、膝に力を入れ立ち上がろうとしていた。
その男たちに対峙するようにサーシャお嬢さまが立っている。血に染まった短剣を握り、その目は爛々と光っていた。
何がどうなっているの。頭は混乱の渦だ。
ただその中に浮かんできたのは、お嬢さまをお守りせねば、この身を挺してでもお守りせねば、その思いだけだった。
わたしはお嬢さまに向かって駆け出した。
乱入者の行動に、男たちは注視する。その瞬間、お嬢さまは稲妻のように走り、男の懐に入り込み、みぞおちに拳を叩き込む。男は嘔吐き、下を向く。お嬢さまは舞うような動きで男の心臓に短剣を突き刺す。どっと男は倒れこむ。
お嬢さまは短剣を手に、残った男に酷薄な笑みを浮かべ語りかけた。
「ねえ、残ったのはあなた一人。どうするの、戦って死ぬ?自害する?逃げおおせるとか、私を殺し本懐を遂げるとかは無いから。あなたにできるのは私の薄皮一枚斬りつけるぐらい。それがあなたの精一杯。わかってるんでしょう。私とあなたの実力差。……ねえ、どうするの」
これは本当にあのサーシャさまなのか。慈愛に溢れ、処刑される罪人に涙したサーシャさまなのか。
「言っておくけど、あのメイドを人質に取ろうなんて馬鹿な考えはしないほうがいいわ。彼女は私の護衛につけられた戦闘職、実力は私より上よ」
あれ、ばれてるぞ。お嬢さまには内緒にしていたはずなんだけどな。
「そして私はあなたたち3人に勝利した。戦力差6対1よ。わかる、この絶望的状況」
えぐい。追い込み方がえぐい。戦闘力と逃走能力は別物なんだが、お嬢さまごっちゃにして自分のペースに持っていっている。
「あなたの命は私の手のひらの上、生きるも死ぬも私次第」
「好きにしろ。死はとうに覚悟している。任務に失敗した以上、生き延びる気は毛頭ない」
男は古典的セリフを吐く。それを聞いたお嬢さまは、一瞬きょとんとして、見下すように笑い始めた。
「アハハハッ……。馬鹿ね、命を賭すなんて覚悟、本当に滑稽。あなた達の命にも、陰謀の真実にも、なんの意味もないの。こうなった以上、黒幕はこちらの都合のいいようにでっちあげるに決まっているでしょ。我がマーズ家の利になるように。あなた達の誰かがが自白し、それを聞いた仲間が裏切り者を始末したことにすれば問題はないわ。真実とかはどうでもいいの。無実だなんて反論も無意味よ。私が狙われたという事実さえあれば、領民は激怒し報復する。その怒りの激流は、対象となる一族を根絶やしにするまで収まらない。この世にそれを受け止めれる勢力があると思う?せいぜい利用させて頂くわ、あなた達のい・の・ち」
冷徹な、命を路傍の石のように語るお嬢さまに、賊は目を釘付けにされたまま固まった。
遠くから大勢が走ってくる音が聞こえる。警護兵がようやく異変に気づいたようだ。もう間もなく終演だ。
賊は音に反応し、お嬢さまから目を離す。その隙を逃さずお嬢さまは素早く駆け寄る。
賊が気がついた時はもう遅い。お嬢さまは背後から首に腕を回し、二の腕をのどに圧迫させ、もう片方の手で組んで締めつける。裸絞めだ。
絶望と不条理を訴えるうめき声をあげ、賊は失神した。
「よかった、生け捕りに出来て。無実の人間に迷惑かけれないもんね」
そう呟くのは、いつもの優しいお嬢さまだった。
「ふうー、一件落着。ありがとレイラ、あなたが来てくれたおかげで賊の意識を分散できたわ」
いや、全部あんた一人でやったんでしょうが。
「サーシャさま、今の物音はなにが……、こ、これは」
駆けつけた警護兵たちが部屋に入ってくる。部屋には血塗れで事切れた賊が二人と、泡を吹いて失神している賊が一人床に横たわっている。状況を把握できない兵たちにお嬢さまは眼を潤ませ答える。
「ああ皆さま、助けに来てくれたのですね。こわかった―」
…………おい。
「いきなりこの男たちが私の部屋に入ってきて襲いかかろうとして、でも部屋にいたレイラが助けてくれたの。すごかったのよ彼女。蹴り飛ばした男から短剣を奪い、二人を倒し、一人を生け捕りにしたの。
あ、生け捕りにした男から黒幕を聞き出しておいてね。戦闘の詳細とかは聞かなくていいから」
隊長さんがわたしの顔を見て「本当か」と目で訊ねる。わたしは思わず胸もとで右手をぶんぶんと横に振る。
お嬢さまがぎろりと鋭い視線を向けてくる。
わたしは観念し、こくりと首を下に振り「ハイ、ソノトオリデス」と答えた。
警備責任者である隊長さんは、わたしの裏の顔も知っていたので、あっさりとお嬢さまの言うことを信じた。そりゃそうだろう。わたしでなければ「あの」か弱いお嬢さまが兵の力を一切借りずに自力で撃退したか、どこの誰かが警備をかいくぐって侵入してお嬢さまを助け、あまつさえ警戒態勢を上げた警備網を抜けてのうのうと脱出した事になる。
そりゃあ警備責任者としては認められないだろう。人は信じたいものを信じる生き物である。
そうこうしているうちに、色々な人が駆けつけてきた。
「サーシャ、無事か」――当主さまもやってきた。
「お父さま、怖かった。でもレイラが助けてくれたの」
「そうか、レイラよくやってくれた。サーシャを救ってくれた事、感謝する」
「勿体ないお言葉です」
ほんとにね。わたし何もしてないよ。
「サーシャ、怖かったろう。もう大丈夫だ、今日はもうお休み。今夜は貴賓室でお休みなさい、警備を厳重にするから」
「ありがとうございます。でもやっぱり心細いので、レイラを傍につけてもらっていいですか」
「いや、レイラには詳しい経緯を聞かせてもらわねば……」
「お願い!お父さま」
きらきらした眼でおねだりする。
「当主さま、レイラには概要を聞いています。生け捕りにした賊もいますので、お嬢さまのお気持ちを優先して頂いてもよろしいかと」
隊長さんがフォローを入れる。
「わかった。レイラ、サーシャを頼む」
ほんとこの一族はお嬢さまに甘い。
「ありがとうございます。行きましょ、レイラ」
お嬢さまはわたしの手を握り引き寄せる。そしてわたしの耳もとに口を近づけ囁いた。
「逃がさんど」
「おはん、日の本の人間じゃな」
「なんですか、その日の本って」
「とぼけんでんよか。おはんの体さばきを見れば一目瞭然。思い返せば、おいと護身術の稽古相手をすん時は常にすり足じゃった。送り足、開き足、継ぎ足、歩み足がしっかり出来ちょった。あれはこん世界にはなかもんじゃし、鍛錬せんにゃ出来んこっだ」
二人きりの部屋で、わたしはお嬢さまに追求を受けていた。
可笑しくない?なんでわたしが突っ込まれないといけないの。突っ込みどころ満載なのはそっちでしょう。
「はあ、ええ認めますよ。わたしは日本人。サーシャさまは薩摩の人ですか?」
「ニホンジンとはまたざっくりとした言い方じゃな。どこの国のもんじゃ」
「国っていっても、京や土佐や加賀や相模と色んなとこで育ちましたからね」
「待て、なんじゃその出鱈目な国の並びは。おはん、何かに追われて逃げ回っちょったんか」
「失礼な、普通ですよこんなの。仕事の都合で住所が変わるなんて普通です」
「そいでも移動距離がおかしいじゃろう」
「いや一日もあれば引っ越しできますよ、そんなもん」
「馬鹿な、太閤の中国大返しでも七日かかったんじゃぞ。それをその距離で」
「ああ、徒歩や馬ならそんなもんでしょう。移動方法が違うんですよ」
「なんで移動したんじゃ?」
「空を飛んで行きました」
「は?」
「空を飛ぶ乗り物があるんですよ。薩摩~大阪を半刻ちょっと、明国でも一刻半、ローマなら六刻半で行けます」
「……」
「もしもーし、サーシャさま、聞いていますか」
「おいの、おいのあの苦難の道程が半刻……」
「ありゃ、まずったかなショックを受けてる。サーシャさま、太閤っていってましたけど、豊臣秀吉の時代の人ですか」
「秀吉公が亡くなったのは二年前じゃ」
「そっか、なら1600年関が原の戦いの頃か」
「関が原を、関が原を知っちょとか。教えてくれ、島津は、義弘さまはどうなったんじゃ。無事薩摩に帰れたのか?」
サーシャさまが悲痛な面持ちで訊ねる。
「……やめましょう、不確実な未来を語るのは。
わたしやサーシャさまがここにいることで未来は変わっているのかもしれない。もしかしてわたしがサーシャさまに語ることで未来が変わるかもしれない。わたしたちが出来ることは最善を尽くして生き、その結果をあるがままに受け入れる事じゃないですか」
「……そうじゃな、その通りじゃな」
「ただ一つだけお伝えします。薩摩の勇猛さは後世まで伝わり、『島津の退き口』は歴史に燦然と輝いています」
「……そうか!」
翌日、いつの間にか椅子で寝てしまったわたしは、窓から伸びてきた朝の陽ざしに目を覚ました。
いけない、わたしはお嬢さまのベッドを見る。もぬけの殻だ。しまった、わたしは思わず立ち上がる。
「遅いお目覚めね。お日さまはもう昇っているわよ」
わたしの後ろにはストレッチをするお嬢さまがいた。
「驚かさないでください。また襲われたんではと思ったじゃないですか。大体お嬢さまが起きるのが早すぎるんです。日も登ったばっかりでしょ、まだ使用人が起きるかどうかの時間です」
「ずいぶんとのんびりね。お天道様が働いているのに寝てるなんて怠け者よ」
話し方がいつものサーシャさまだ。昨日のあれは夢だったのか。
「サーシャさま、昨日はいつもと違う話し方をされていませんでした?」
「ああ、あれ。昨日は昔の記憶に引きずられてああなったみたい。一晩寝たら何か溶け合ったみたいになってきたの」
よかった、サーシャさまがいなくなった訳ではないんだ。いや、元々これがサーシャさまだったのかもしれない。あの薩摩人も最初からサーシャさまの中に居たのではないだろうか。彼はどこかサーシャさまの匂いがした。
「さて、体もほぐれたし行ってくるわね」
そこで初めてお嬢さまの格好に気が付いた。上は薄い木綿のシャツに、下は丈夫そうな武骨なズボン。
貴族はおろか年頃の平民の女の子でもしない格好だ。まるで兵士の平服。
「お嬢さま、行ってくるって一体どこに」
嫌な汗が流れる。
「アトラス山の山頂まで、ちょっと走ってくるわ。一刻ぐらいで帰ってくるから」
やっぱりか!軍の進軍訓練コースじゃないですか。
「やめて下さい。勾配がきつくて、道なんて無い険しいところで、一般人が立ち入っていい場所じゃありません」
「あら、薩摩ではあれくらい普通だったわよ。郷中教育で『山坂の達者は心懸くべき事(山坂を走って体を鍛えよ)』って言われていたから、逆にあのくらいの山を走らないと落ち着かないの」
この鍛錬馬鹿が。薩摩の常識、世界の非常識。
「昨日なにがあったか忘れたんですか、この鳥頭。せめて護衛を付けて行って下さい」
「あら、そんな事したらどうなると思う。護衛となれば鎧を装備しなけりゃでしょう。そんな恰好で私に付いてきたらどうなると思う。道々に点々と転がる兵士の群れ、這いながら『お嬢さま、お待ちをー』と前に進む鎧武者。そんな光景がお望み?」
そんな事にはなりませんと言いたいが、昨夜の動きを思い返すと否定ができない。
「心配ならあなたが付いてらっしゃい。ついてこれない者、信頼できない者が何人いたってそれはゼロ、あなた一人いればいいわ」
わたしの能力、忠誠心を疑わないというのか、ずるいなこの人は。
「さあ、ぼけっとしてないで行くわよ」
蒼く細い光がさす木立のなか、わたしたちは駆けていく。冷たい空気が心地良い。
「王都に行ったら、こんな走りがいのある山はあるかしら」
「ある訳ないでしょう。王都はたくさんの人が住めるように平地にあるんですよ。ここみたいな、山で侵入を防ぐ防衛都市じゃないんです。それにそんなに再々走られて堪るもんですか。筋骨隆々のマッチョになったらどうするんですか。麗しのマーズ家秘中の姫が台無しです」
「美しく着飾るのは好きじゃない。『外見を飾るのにうつつを抜かすな、質実剛健であれ』と教わってきたもの」
「また郷中教育ですか。『忠孝の道に背かない』っていうのもありましたよね。……お嬢さまは自分に課せられた責はなんだと思います?心身を鍛え、敵兵を倒すことですか。それは領軍の兵がすることでしょう。お嬢さまにはお嬢さまの戦場があるはずです。権謀術策にまみれた世界で、自領の益を図り奸計を葬る。それがお嬢さまがする戦いじゃないんですか。その戦いにおいて美しさは武器です。質素であろうとして、なまくら刀で戦場に赴くのが武士の心得なのですか。これまで愛情を注いで育てられた当主さまへの恩返しよりも、その在り方は大切なんですか。忠孝の道とは何でしょうかね」
お嬢さまの走る速度が少し落ちる。
「……義弘さまは義弘さまの、私は私の戦いをおこなった。同じ戦場でもやる事は違うか……。わかったわレイラ、戦いの形は那由他あり。私はこの戦場で武功をあげてみせる。鍛錬をかさね、最強の貴婦人となり、その力で大将首をとってやる」
……なんかニュアンスが違うぞ。
「お嬢さま、本当に理解していますか、あなたがするのは色恋ですよ」
「わかっているわ、恋は戦争なのよね」
うーん、なんだろ、この違和感。
お嬢さまの走りが止まった。おもむろに右手の人差し指を立て、刀のように空を切る。左手は中指を立て鞘を形づくり、空を切った右手指の刀を納める。
「オン・マリシエイ・ソワカ、摩利支天、われにご加護を」
おい、武神に恋愛成就を祈るな。専門外を振られて神様も困っているだろう。
薩摩のタイ捨流じゃ摩利支天経を唱えるって聞いたことあるけど、これ絶対恋愛を勘違いしてるやつだ。
振り切ったようにお嬢様は再び走り出す。雲を全て掃きはらった青空のように晴れ晴れとしている。
まあ、いいか。お嬢さまがそれでいいなら。祈りは神様に頼むものではなく、自らに誓うものだから。
わたしはこれからのお嬢さまを思い浮かべる。
光のように高潔で澄んだ白い声で。
焔のように熱く燃える瞳で。
冴えわたる剣のような破壊的な笑顔で。
数多の人々を虜にしていくだろう。
うちのお嬢さまは最強です。
読了ありがとうございます。
お楽しみいただけましたでしょうか。
ご好評いただけたなら、話の続きも考えています。
しかし同時進行で二作品連載を始めましたので、非常に大変です。
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