さようならを言わないままで[加筆修正版]
パステルカラーに彩られた果てしない空の中、朝日が顔を覗かせた。周りの雲には鴇色が薄く滲む。朝日は無慈悲に一日の始まりを告げて、眩しさで僕を刺していく。照らす微細な熱が苦しくて、目の前に広がる海に逃げたい気持ちになる。
潮の香りに包まれて海を眺めると、それがあまりに満たされているからか、浸かって波音を聴いてただぼんやりしていたいと思う。漣の不規則なリズムに揺られたい。海のきらめきは希望の手招きに思える。その先には喪失も感傷もない。ただ僕を受け入れる大きな青色だけがそこにある。
歩き出すために、足取りを重くさせる靴はいらないと思った。だから靴を脱いだ。一歩踏み出してみる。一月の寒さにこの水温は堪える。それでも海は、忌々しいあの光源で依然としてきらめいていた。希望に溢れた海の向こうに行きたい。その為には冷たさに負けている場合ではないのだ。
「その先に思うような希望はないよ」
そう言う声が聞こえると、強い力で手を引かれて、そのまま波打ち際の方へ引き戻される。その言葉が悔しくて、僕は考えなしに吐き捨てる。
「お節介だ」
「でも君、あのままじゃ死んでいたよ」
「……その為に来たんじゃないか」
「少なくとも僕は、死に場所を変えさせるために移動したわけじゃないんだけど」
濡れたズボンが冷たい風で冷やされていく。寒くて仕方なかったがもう少し海を眺めていたくて、繋がれた腕を払ってごろごろとした岩達の上に座る。先刻、希望への歩みを遮ったあいつも隣に座った。
「じゃあなんでここに僕を連れてきたんだ、悠慈」
「綺麗な朝の海を見せたかったから。それだけじゃ理由にならないかい?」
「確かに綺麗だけど、時期外れだろ」
「海に季節は関係ないよ」
冷えたズボンが体の熱を奪っていく。返す言葉もなく、僕は傍らに落ちていたシーグラスを手のひらで転がしていた。
「……ここに遼果も眠ってんのかな」
ずっと心に引っかかっていた事が口をついて出てしまった。はっとして、恐る恐る悠慈を見ると、顔色は一つも変わっていなかった。
「……遥陽、思い出させる気で連れてきたわけじゃないんだよ。ただ、少しでも気が紛れればと思ったんだ」
悠慈はそう言って立ち上がり、ズボンに付いた砂を払った。こちらに背を向け、続けて言う。
「帰ろうか、僕達の家に」
悠慈が駐車場に向かって歩いていくので少し遅れて後をついていく。僕達の家と言われたが、今から僕が向かうのは知らない場所だ。10年ぶりに再会した旧友が暮らしてきただけの、全く馴染みのない家。
命を絶とうとした瞬間に偶然再会した旧友から突然同居を持ちかけられて怖くないわけがなかった。でも僕はもうどうでもよかった。遼果のいない世界を何年も生き続けてきて、そこに意味やきらめきのようなものは何も見つけられなかった。だからもう、何がどうなろうと構わない。
遼果に会いたい一心で、海の方を振り返る。当然そこにその姿はなく、海がただ寂しげに慎ましく波打っているだけだった。
*
目が覚める。
一定のリズムで響く包丁の音。鼻腔をくすぐる味噌汁の香り。今朝のアラームはひどく優しく健康的だ。布団から這い出て、キッチンに向かう。
「おはよう」
「……おはよう」
「ご飯できてるよ」
食卓を見ると、焼き鮭と形の良い卵焼きが並んでいた。朝らしいメニューだ。
悠慈は料理が上手い。というか手先が器用だ。大体なんでもできる。
対する僕は家事全般普通で、料理はそんなに上手くない。だから家事の大体を悠慈がやっている。まして僕は無職だから存在するだけで金がかかる。手伝いとして連れてくるには間違いだったのではないか。
「なんであの時、一緒に暮らそうなんて言ったんだ?」
そんな疑問が口をついて出る。悠慈は手際よく味噌汁を椀によそって僕に渡しながら言う。
「そんなの、好きだからに決まってるでしょ。言わせないでほしいな」
不意をついた言葉に味噌汁を受け取ろうとした手が止まる。なんでこんな僕を。ずっと昔から知っている悠慈が。疑問が湧き出て止まらない。
「……なんで?」
「なんでって……好きだから好きなんだよ。僕は遥陽が好き。これだけはこれからも覚えておいてほしい」
そう言うと、悠慈はにっこり笑って味噌汁の注がれた椀を僕の手まで運んだ。椀の中の水面が揺れるのを見ながら、まだ悠慈に聞き続ける。
「……好きって理由だけで人一人住まわせてんのか」
「そうだよ。僕が遥陽の助けになれればなんて、大層な夢を見てね」
偉い奴だ。落ちぶれた旧友をほっとかずに世話までするなんて。少々お節介な気もするが。
朝食を食べ終わって、遠慮する悠慈を振り切って皿洗いを引き受けた。洗い終えてリビングを見ると、悠慈はベランダに立っていた。隣に並んで立つ。
「ほら、空がこんなに広いよ」
「……空は遠すぎる」
そうだ。空は遠すぎる。だって手が届かない。
もしそこにいるのなら、手が届いてほしいのに。
*
快晴だ。雲一つない青空に、春の到来を感じる。
今日は悠慈の仕事が休みだったので、駅前のよく行く喫茶店に昼ごはんを食べに来た。
店に入るなり、水槽の横の小さな二人がけの席に座る。悠慈はたまごサンドを、僕はエビピラフを頼んだ。
「遥陽はここだといつもエビピラフだね」
「おいしいから仕方ないだろ」
「ふふ」
この喫茶店の、昔ながらの落ち着く内装が好きだ。悠慈と再会してからよく来るようになったが、僕は今まで地元にこんな素敵な場所があることも知らなかった。
「……昨日はどうだった?」
「……別に何もなかったよ」
そう。何もなかった。遼果の命日。ただそれだけだ。震災特集の番組をただ眺めて、時間には黙祷をして、ただそれだけだった。
「前に進めってよく言われるけど、一生そんなことできる気がしない」
テーブルに届けられたエビピラフに取り掛かりながら言うと、悠慈は使い捨てのお手拭きを置いて真剣な顔をして言った。
「答えがあるのが前とは限らないじゃないか。横に逸れて後ろに逃げて見つかるものもあると思うよ」
ああ。やっぱり悠慈は底抜けに優しいと思う。一つ覚えで前に進む事を強要してこない。けれど僕はそれでもこう思う。
「……答えの先にあいつを忘れる事があるんならそんなもん見つけたくもない」
一気に流し込んだアイスココアで腹が冷えていくのを感じる。僕の遼果への想いが愛情じゃないのは分かりきったことだ。どろどろで醜くて、こんなものを愛と呼んではいけない。
「……いいと思う。忘れたくないのなら、それでも」
愛ではないこの想いすら肯定する悠慈。本当の愛ってのはそういうものなのかもしれない。
*
茹だるような暑さだ。エアコンの効きが悪いので窓を全開にしている。扇風機しかない実家の暑さに比べたらましな方だが。
「見て、遥陽。やませだ」
悠慈に言われてベランダに出ると、確かに向こうの方が薄く霞がかっていた。
「これで少しは涼しくなるか」
「そうだね。そろそろお昼食べようか」
そう言って悠慈は室内に入ると、この前の安売りで大量に買った素麺を茹で始める。この所、薬味やつゆを変えては連日ひたすら消費している。季節関係なく普段から食欲はあまりないので、食べやすい素麺は正直ありがたかったりする。
何か手伝うことはないかと、キッチンに行って悠慈の横に立つ。
「今日は梅入れてみたよ」
言われて、めんつゆの入った器を見る。崩された梅肉と一緒に大葉も散らされていた。さわやかでこの暑い日にぴったりだと思う。
氷水でしめた素麺の水気を切って、皿に盛り付けてつゆの器とともにテーブルに運ぶ。二人でいただきますと言って食べ始めると、悠慈がおもむろに話し出す。
「……灯篭流し、本当に行かなくていいの?」
「……いいよ、今更」
大皿からそうめんを取って、つゆにつけながら答える。
昨日までは実家に帰って、お墓参りに行っていた。お盆という行事の中で、墓石に刻まれた先祖の名前を見て、遼果を思い出さずにはいられなかった。こうやってすべてを過去に変えて、その存在を偲ぶことで心の安寧を保つしかないのだと思い知らされた。どうしようもなく虚しくなった。
「そっか。でも、せっかくだし花火は見ようよ。ここから見えるしさ」
咀嚼したものを飲み込んでから、悠慈は言う。深く聞いてこない事に安堵しつつ、この虚しさと一人で対峙しなければいけないことに辟易した。
いつの間にか涼しい風が窓から入ってくるようになって、昼食の食器も水にさらしたまま僕と悠慈はリビングで眠ってしまった。
夕方、花火大会の開催を告げる合図の音で目覚めた。悠慈はまだ眠っていたので起こさないでおいた。何の気なしに寝顔を見る。端正な顔立ちをしている。僕なんかに構わなければ、もっと良い出会いがたくさんあるだろう事を想起させた。
花火が打ち上がる頃には悠慈も目覚め、冷蔵庫から缶ビールを取り出してベランダに並んで座った。
大輪の花々が咲いては散る。色とりどりに、点は自由に形を変えて、藍で塗り潰された空を舞っていく。
こんな日には、つい苦手な酒も飲みたくなってしまう。口内に広がる苦味に慣れないなと思いながら、隣を見る。様々な色で不規則に、悠慈の横顔の輪郭が照らされていた。美しくて見惚れてしまいそうだ。見惚れてしまわないように、それが確信に変わらないうちに、僕は花火に視線を戻す。無言の中、花火の打ち上がる音だけが鳴り響く。
花火は次第に盛り上がり、クライマックスを迎える。しだれ桜のような金色の花火が何発も打ち上がっていく。毎年見ていたそれに、夏の終わりを感じた。今年も何も変わらないまま、何も変えられないまま、夏が行ってしまう。無慈悲に最後の花火が上がり、夏が幕引きを迎えた。
やるせない気持ちのまま、部屋に戻るつもりで立ち上がろうとした時。
「待って。ちょっと座ってて」
悠慈に制されて、さっきまで座っていたアウトドアチェアにまた座る。悠慈はこそこそと、椅子の後ろから手のひらサイズの箱を取り出して、こちらに渡してきた。
「プレゼントだよ。開けてみて」
受け取った真っ白な箱を開けると、真っ先に細長い長方形の宝石が目に入る。ペンダントだ。シンプルで服を選ばなそうだが、光を受けた飴色の中で小さな星が煌めいてとても綺麗だ。
「きれい……」
「琥珀だよ。綺麗だよね」
「ありがとう……でも、なんで」
「似合うかなって思った。着けてほしいって思った。それだけだよ」
一瞬で散ってしまう儚い輝きが虚しかった。今日だってそうだった。それでもこんなふうに、長い刻を越えて輝くものがある事実は、僕にとって救いに等しかった。
*
残暑が厳しい。今日は秋祭りだ。
車道は通行止めにされて、そこに何台も止められた山車がライトアップされ輝いている。開催日が三連休の真ん中で一日だけなので、人がとにかく多い。街中では、どこかの組の音頭が威勢よく響いていた。
「中二でこっちに引っ越してきて、高校からは秋祭り行かなかったから中学の時以来だな」
悠慈はそう言いながら、楽しそうに山車を眺めていた。僕は地元なので小さい頃なんかはよく親に連れられて来ていた。
久々の祭りだ。誰も一緒に行く人がいなかったから、もう長いこと来てはいなかった。孤独な人間は、孤独を助長させる場所にわざわざ来たりしない。
「屋台の方に行こうか」
一通り山車を見て回ると、悠慈はそう言って歩き出した。屋台が立ち並ぶ通りは他のどこよりも混んでいた。隙間を縫って、そのまま悠慈が進んでいく。
「待って、悠慈、待っ……」
離れて埋もれる悠慈の背中。人々のうごめきが海のようで、荒波の中はぐれていく。
そう。誰だってこんなふうにいなくなっていく。また独りになる。こんなに溢れているのに。こんなに溢れているから。
湿った熱気と無秩序に耳に入る人の声に耐えられず、思わずその場にしゃがみ込む。暑い。気持ち悪い。情報量に体が追いつかない。人のいない所に行きたいけど、もう身体が動かない。
「遥陽!」
人混みをかき分けて、悠慈が現れたようだった。声が近づいているからそうだと思った。もう顔を上げる勇気もない。
「すごい汗だ……。立てる?とりあえずここを抜けよう」
悠慈の助けでなんとか立ち上がり、よろよろと人気のない所まで歩いた。
自分はこんなに人混みが苦手だっただろうか。祭りが久しぶりなせいもあるかもしれない。人の声がまだ耳の中でわいわい鳴り止まないようだ。
「ごめん、遥陽がついてきてない事に気づいてなかった……。僕のせいだ」
「いや、違う。祭りが久々だったからちょっと人に酔っただけ」
それにしても我ながら嫌なことを考えてしまった。人の波が海に見えて、その中で遠ざかる悠慈を見た時、恐くなってしまった。悠慈を失いたくないと思ってしまった。
きっとその理由は、好きだからとか一緒にいたいからとかではない。独りが怖いからだ。自分を好きだと言う存在を、自分のことを好きなままそばに置いておきたいだけの、醜い感情だ。
こんな考えで悠慈を繋ぎ止めておきたいと思う自分が情けなくて、それから僕は隣にいる悠慈の顔をちゃんと見られなかった。
*
「早く来いよ、遥陽」
白いツツジが咲き乱れる中に遼果が立っている。いつもの公園だ。遼果は花々に祝福されて、その静謐な美しさが際立っている。伏せた瞼から小さな星が舞って、この世は僕と遼果の二人だけになる。僕は遼果に駆け寄って、その手を取った。遼果が屈託なく微笑んだ瞬間、ツツジは紅く色づいて、舞う小さな星が弾け散る。なんて幸せなんだろう。手を引かれるままに走り出す。
「……るひ、遥陽」
見慣れた顔が目の前にある。絢爛に咲き誇るツツジは、花火のように遊び飛ぶ星は、手を引いてくれた遼果は……。
そうか。夢だったんだ。すべてを理解した途端、体の力がふっと抜けた。悠慈の手が頬をなぞる。
「……泣いているよ」
言われてはっとして、なぞられた側の反対の頬を触る。指先が微かに濡れた。
「……なんでもない」
「分かるよ、遼果でしょ」
悠慈は囁くように言うと、寝ていた僕に覆い被さるようにして僕を抱きしめた。図星とはいえ決めつけで優しくするのは、あまりにも無責任だと思った。悪態の一つでもつこうかと考えた瞬間、悠慈が震えていることに気づく。
「……これ以上、僕の遠くに行かないでくれ」
今にも泣き出しそうなか細い声。普段の悠慈からは想像もつかない。そこで僕はようやく、優しさなんかじゃなく嫉妬や寂しさとかそんな感情で抱きしめられたことを理解する。
こういう時どうすればいいのか僕には分からなかった。いつも優しくされてばかりだった。甘えていた。心の奥深い傷を知る唯一の人間にただ甘えていたに過ぎなかった。
自分を大切に思う気持ちとすれ違うばかりで……違う。そうではない。すれ違っていたのではなく、向き合ってこなかったのだ。だからそこに潜む相手の弱さも苦しみも見つめてはこなかった。
申し訳なくなった。悠慈の僕を好きな気持ちに甘えて何もしてこなかったことを恥じた。それを拭うために何をすべきか分からない僕は、ただ悠慈の背中を優しく撫でることしかできなかった。
しばらくすると悠慈は起き上がって、布団の上に座り込んだ。向かい合って、長い沈黙の後、僕は予てからの疑問を口にした。
「なんで悠慈はあの日、僕が遼果に告白するのを後押ししてくれたんだ?」
「……告白して、上手くいって、早く手の届かない所に行ってほしかった」
悠慈は虚ろな目のまま、俯いた顔を少し上げる。
「高校の頃だって、悔しかった。いなくなってしまった人への想いは変わることなく残るから。遥陽の中で遼果は永遠になってしまったから」
月明かりを借りた光の筋が悠慈の頬を伝う。光の粒がぽたぽたと布団に染みていく。しゃくりあげる度に揺れる髪が、涙でぐしゃぐしゃになっていく顔が、印象的で鮮烈に綺麗だと思った。
「遥陽と再会できた時、最後のチャンスだと思った。僕の中で永遠になった遥陽に決着がつけられる唯一の機会が訪れたと思った。だから突拍子もなく、僕の家で暮らさないかと提案した」
悠慈は一向に目を合わせない。怯えたように震えて、涙もまだ止まらない。
「きっと一緒に暮らす事で助けたかったのは遥陽じゃない、僕自身なんだ。こんな僕、軽蔑してくれ。嫌いになってくれ……」
自分自身を抱きしめるように、悠慈は身を縮こまらせる。どうしようもなくなって、僕は悠慈を包み込むように抱きしめた。
「それを聞いて、嫌いになんてなれるかよ」
これは本心だ。遼果の死を機に醜く藻掻いていたのは僕だけではなかったのだ。自分が醜いと感じる感情に悩まされ続けていたのも同じだった。僕は一人ではなかった。
想いに気づかない事で苦しめていた悠慈を、どうしようもなく助けたいと思った。今まで支えてくれて僕を好きだと言う悠慈を、どうしようもなく愛おしいと思った。
「僕は悠慈が好きだ」
涙に塗れた悠慈の顔が勢い良くこちらを向く。やっと目が合った。
「僕ら、助け合って生きる事はできないのかな」
そう言うと、一呼吸おいて悠慈の顔が歪む。体を起こして、またしゃくりあげて泣き始めた。僕は悠慈をしっかりと抱きしめて、泣き止んでもまだ離さないでいた。
*
薄く、カーテン越しに光が差し込んでいる。小鳥のさえずりが微かに聞こえる。肌に温かさが触れている。徐々にはっきりしていく意識の中で、ようやくその温かさが腕の中にいる悠慈のものだと分かった。陶器を思わせる白い肌、伏せられた長いまつげ。僅かに赤い目元は昨晩の悲しみを表しているようだった。
そうだ。あのまま寝てしまったんだ。
夜明けの冷えきった部屋の中、ここにしかない温もりを大事にしようと毛布を深く被り直す。暖房をつけたかったが、むやみに動いたら悠慈を起こしてしまうと思った。少しだけ抱き寄せて、寝顔を見つめる。
僕たちは、二人になれるだろうか。お互いに刺さったままの棘を優しく抜き合って、痛みの夜にはその身をさすり、同じ布団で寄り添い眠って。
もういない人を追いかける僕と、ずっと目を合わせない人を支える悠慈。二人になれば、一方通行で報われない想いも消化できるのだろうか。
考えながら見ていた寝顔のまぶたが動く。寝ぼけ眼の悠慈の瞳が、どうにか僕を捉える。
「おはよう」
「おはよう……そうか、あのまま寝ちゃったんだ」
悠慈は安心したように大きくあくびをして、更に僕に密着する。その目は潤んでいた。少し間を置いて、昨晩からずっと言いたかったこと、謝りたかったことを悠慈に話しかける。
「……悠慈、ごめんな」
「……どうして?」
「僕、甘えてたから。全部してもらって、全部分かってもらって、なのに悠慈の好意とか優しさを受け入れようとはしなかった。二人でいたけど孤独なままだった。だから、今までごめん」
言い終えると、悠慈は考え込むような仕草をしてから、言葉を選ぶように話し出してくれた。
「謝らなくていいよ。僕はもう、それでもいいと思ってたから。たとえ一人と一人でも、そこに遥陽がいればよかったと思ってた」
悠慈が顔を上げる。笑顔が外から来る暖かい色の光を纏っていた。
「こうやって通じ合うなんて、願ってもなかったことなんだよ」
背中に腕が回ってきて抱きしめられる。応えるように、悠慈を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。それを感じたのか、悠慈はまた穏やかに笑った。冬の陽だまりみたいに、包み込むように暖かかった。
*
「寒い」
「寒いね」
息が白い。隣にいる悠慈は擦り合わせた両手に吐息を吹きかけている。ただの呟きに返答がある事の幸せをなんとなく感じながら歩き出す。
朝焼けの海辺。いつかのあの日みたいだ。けれど違う。雲も波も空の色も、そして秘める想いも。似ていてもすべてが違う。
厚着をすり抜ける寒さの中で、おもむろに繋いだ悠慈の手は凍えたように冷たかった。帰りに手袋を買おう。そう思った。握った手に優しく力を込めて、とりあえずの応急処置になればと思う。
凪とでも表現できるような静かな海面で、波はつつましげに砂浜に打ち寄せる。じりじり昇る太陽に照らされて、一帯は琥珀色にきらめいていた。
息を呑むほど美しい、こんな景色に包まれた時、僕は彼を思う。
そうだ、さようならを言わないままでも、僕は生きていていいんだ。
隣を見る。それに気づいた悠慈はこちらを見て、微笑む。向かう先がどこであろうと、繋いだ手を離さないで、永遠を二人の中で優しく守って進んでいけたら。そうしたら、きっと僕らは大丈夫だ。