7 悪女は評判が地に落ちる
「……っその、傷」
悲痛そうな声がゼファーの口から漏れ出るように聞こえた。
私は直視したくなくてあまり見たことがないけれど、彼の目には、傷だらけで醜い背中がしっかりと見えてるだろう。
憐れんで欲しかった訳ではないから、慌てて彼の目を見ないよう前に向きなおりながら言葉を付け足す。
「王妃付きのメイドも複数人出入りしていたから、誰かしら証言も取れるかもしれないわ。十二の時からだから割と良くしてもらっていたの。鞭打ちが終わった後に、こっそりお菓子をくれたりだとか」
最初は勉強を頑張ったから、とたまに、こっそりくれていた。
それを王子と「おやつの時間でもないから秘密ね」と、二人して食べたもの、だった。
ちょっと無愛想だったけれど、婚約したての頃にそういった交流も一、二度ほどのほんの少しではあったが、できていた。
やがてそれは、苦痛な時間へのご褒美のようになってしまったけれど。
思い出して鼻の奥がツンとする。
だけど堪えた。
「私は国のためだと思って黙ってた。けど、何かがおかしいわ。私は何もしていない。王子に楯突いてもなければナナリという子に暴言も暴力も振るっていない」
「うん」
「なのに私は色んな人から暴言も吐かれていて、暴力も受けた」
「うん、そうだね」
「間違ってる。私、堂々とそう言ってもいいわよね?」
私は早口でまくし立てるように言うと、彼の返事を待った。
けれど、医務室には私と彼の息遣いしか感じられなくて。
間違ってたかしら……
心細くなって、身を縮めそうになったその時――
俯いた私の視界の端に紅色の上着が見えた。
暖かなそれが肩にかかったと共に、布越しに背中へと何かが押しつけられた感触とかすかなリップ音。
それから、ゼファーの腕が、私の上体を包み込んでいた。
「っ! ゼファー?!」
「……君は、どうして……」
「何?」
振り返って見たゼファーの顔は、どこか瞳が潤みつつも私を真っ直ぐ射抜いている。
体の血が全部頭と頬にきているんじゃないかってほど熱くなってしまって。
私は慌てて前を見た。
と同時に医務室のドアをトントンとノックする音がした。
「失礼いたしますわ! 先生? っっ?! きゃー!!!!」
ついでドアを開ける音と悲鳴が上がり、女生徒がバタバタと足音をさせながら遠ざかっていく。
二人してそれを見送った後、すでに手を離していた彼と目を見合わせて私は青ざめた。
「……これ、まずい、わよね??」
「……うん。俺は役得だけど、君の噂がとんでもないことになるかも」
「今更、だわ。けどそうね……ゼファー、味方になってくれる?」
「え?」
私は覚悟を決め問題と相対すことにすると、彼にことさら笑顔に見えるよう微笑んである提案を話すのだった。
※ ※ ※
「……聞きまして? シュテール様ってば医務室で殿方といたしていたそうですのよ」
「まぁ破廉恥な!」
朝の登校時間のこと。
門から入り学舎へと向かう道すがら、今日も今日とて悪意が私を射抜こうとしている。
それも、これまででも一番最悪で耳が腐るほどの悪評だ。
今までなら、気にとめないようにして通り過ぎていた。
だけど。
「あら、ジガルデン様ごきげんよう。私のこと好きなのはわかりますけれど、嘘はいけませんわ」
「なっ……!」
私はあえてひそひそ話すその子へと、にこりとしながら朗らかに声をかけることにした。
「医務室で処置を受ける際に、私血がつくのが嫌で服を脱いでおりましたの。お相手にはみっともないところに上着を貸していただいていただけ。双方他に人が来ることを失念していた事故ですわ。その点については、衝立など用意していただいたらよかったと反省しておりますの。嘘だとお思いなら先生にお聞きなさいな」
真っ赤な大嘘だ。
だけど、誰も「いたしている」現場なぞ見てはいないのは事実だし。
見たと言っている子だって、流石にはしたない内容など仔細には話せないだろう。
それを逆手に取ったおおぼらだけど。
「お話しする前に、きちんと詳しく噂の元の方にお尋ねになった方が良くってよ。おーっほっほっほ」
先生はすぐに戻るとおっしゃっていたし、聞かれれば訳ありの生徒達のことを悪し様には言わないだろう。
そう思い言いきると、堂々と背筋を伸ばし。
なるべく下品にはならないようにと歩きながらその場を去った。
教室に着くと、用意した棒を机の中に入れ込んで全部かきだす。
虫、刃物のかけら、教科書や髪の毛が、勢いよくどさどさっと床に落ちた。
ひぃっ、と近くの机に座る生徒から悲鳴が漏れでる。
私は教室付きの世話係を片づけのために呼びつつ、教科書を選り分け拾いながら周りを見渡した。
するとその中で、好奇心にキラキラしている瞳とかち合う。
この子なら、と思いながら顔を記憶し朝一の授業の準備を始めたと同時に、教室に先生が入ってきて。
私たち生徒は先生の方へと意識を向けた。
数日後。
私は図書室へと足を向けていた。
廊下では、ひそひそ声こそ鳴りを潜めはしたものの、相変わらずの視線や一部憎々しげな瞳などが私を切り刻もうと睨めつけてくる。
負けまいといつも以上に所作を気にかけながら、図書室の扉をあけると身を入れ込んだ。
途端幾人かの視線が集まったけれど。
蔵書を手にした先生ではないとわかると、各々の世界へとすぐに戻っていく。
いつも通りの静寂と空気感に、思わず力が抜けて……自然、顔が笑みを作っていた。