4 悪女は噂の変化を知る
思わず私は壁影に隠れる。
そこからこっそりとその声の聞こえてきた方を覗くと、よく見知った金髪の後頭部と、入学式で見た紅茶色の髪の女の子が見えた。
角度的にこちらへ視線はやってこなさそうで、つい、そのまま見入ってしまう。
二人はまだ、何事かやり取りをしている。
手に持った箱から王子が取り出したのは多分、髪飾り。
それを相手の子につけてあげていた。
私には、仲良かった頃でさえ贈り物ひとつ、なかったのに。
過ぎた日を思うと何だかやるせなくて。
それ以上は見ていられず、遠回りだけれど違う経路で教室に戻ることに決め、踵を返した。
婚約者、とはいえクラスが違えば仲のさして良くもないもの同士、関わることは少ない。
ただ噂だけはそこかしこで囁かれていて。
どこそこの女子に優しかっただの、小試験で満点を取っただの、良い評判がひっきりなしに耳に入ってくる。
私に対する態度とのあまりの差異に、いっとき別人かと思ったくらいだった。
時折私との関係を不思議がる声を聞くこともあったけれど、親しい人がいないから直接聞いてくる人はいない。
そんな感じで友人がまだできていないけれど。
王城でどこか機嫌の悪い王子の相手や鞭の飛んでくる勉強をしているよりかは、学校で生活するのは心穏やかな時間で。
私は、悪くないかもな、と思い始めていた。
けれど。
異変はすぐやってきた。
「ねぇ、あの噂知ってらして?」
「どの噂ですの」
「ほらあの、男爵令嬢のことですわ」
「ああ、あれですの。ちょっと露骨ですわよねぇ」
「あれでは流石にシュテール様がお可哀想だわ」
それはお花摘み(トイレ)に入った時のことだった。
入れ違いで個室から出たらしい女子二人が、私について話し始めた。
「勉学、頑張ってらしてだものね」
「この間の腕試しの試験でも、高得点でらしたでしょう? 難しゅうございましたのに」
「ただねぇ、家が釣り合っていないのは事実でしょう?」
「そうですわねぇ」
「納得できない方がいらっしゃるのも、わかりますわ」
「その点、男爵家は家格こそ低いけれど、古い血筋ですものね」
手を洗っているのか、ジャーという水音がして、しばらくして止まった。
「……王子も不仲なら、けじめくらい男性としてつけていただきたいものですけれど」
「あらそんなことを言っては不敬になりましてよ。この間も意見した男子を退学にしたとか」
「まぁ怖い」
「怖いといえばこの間――」
王子と私のことから別の話題へと変わりながら、二人の声が遠ざかっていく。
一呼吸置き、私も個室から出て手を洗った。
男爵令嬢……あの紅茶色した髪の子かしら。
「……面倒だけれど、一度王子に進言しておかなくては、ね」
王妃様に口酸っぱく言われていた、他の女性の影が出た時にはうまくおさめるのも婚約者としての勤め、だと。
だからやらないわけにはいかなくて。
だけど、とても気が重くなってしまった。
次の日私は登校してきた王子を捕まえることに、なんとか成功した。
口さがない噂が立たないよう、誰もいない教室まで来てもらって、意を決して話しだす。
「あの、殿下に折り入ってご相談が」
「なんだ」
「最近私と殿下が不仲であるという噂が出まわっております。未来の国王のよくない話は――」
「そんなものはお前が対処しておけばいいだろう。母上が言っていた、そういった類は妃になるだろうお前の役目だと」
王子の眉と目尻は、想像通りに吊り上がった。
ついでにため息のおまけまでついて。
さらに、言うとすぐさま私の元から去ってしまわれた。
その後。
私の力――とは言っても、友人もいない、王子の協力のない状態では噂を直接聞いた時に否定して回るくらいしか手立てがなかったけれど――ではなんともし難くて。
二度ほど手をかえ相談したが、返答はどちらも似通ったもので。
残念ながら、私も流石に三度相談するほど暇でも気長くもなかったから、この問題は放っておくことにした。
※ ※ ※
図書室での出会いから、私は時折、図書室に本を読みにいくついでにゼファーとも交流するようになった。
奥まった自習部屋は死角とも言っていいくらい誰もおらず、静寂な雰囲気に包まれている。
妙齢の男子と一緒にいるのを見つかったら自身の噂がひどくなるかもと思ったが、それは一瞬で、すぐにもうどうでも良いという考えに変わった。
どうせ、誰も私の実際の状況など知ろうとはせず好きにさえずるのだ。
王子による紅茶色の髪の子――男爵家のナナリという子らしい――びいきの話が広まってからというもの、遠慮が少しだけ馬鹿馬鹿しくなってきていた。
最初はまだ「婚約者である私より仲が良い」だったのが、放っておいたのもあって最近では「私がその子に意地悪をしている」という噂に変化している。
面と向かって言葉を交わしたこともないのに、だ。
「……本当、呆れてものも言えないわ」
「呆れたって何に?」
ため息をつくと同時に横から質問され、私は今ゼファーの使用している自習部屋にいることを思い出した。
手には読みかけとも言えない、序盤でページをめくるのがとまっている本がある。
部屋にはドアがないため、私はなるべく小声で彼に返事をする。
「えっと、ごめんなさいゼファー。なんでもないの」
図書室の主は同じ歳だったらしく、名前で呼んでくれと強く言われたこともあって今では気安く呼んでいた。
彼は、私の「なんでもない」が信用ならなかったのか、覗き込み観察するかのような目を向けてくる。
――この瞳、前にもどこかで……
「本当に?」
「本当よ」
少し硬めのその声に私も少し緊張しながらこたえる。
お読みいただきありがとうございます!
ここまでお読みいただいて感謝しかございません。
実は6月15日に修正しております。
微妙にエピソードが増えておりまして、もし付き合ってやんよ!て方がございましたら、再度お目通ししていただけたらありがたいです☆