初恋 〜シュシュリナの場合〜
お父様とお母様が、何かすごい方であるということを知ったのは、わたくしが六つの時だった。
折しも大陸には稀に見る悪天候が続き、飢饉が迫っていて。
衛兵の一人がぼやいていた。
そこに、わたくしがぽつりとつぶやいたのが発端だった。
「がいちゅうも、食べることができればいいのに」
お父様がピンときて、害、とは言われるけれど気持ちが悪い以外の理由のないもの。
食べることのできる害虫を探し当て、保存食の開発に成功した。
ちょうど大発生の年だったらしく、物量も確保できたらしい。
「シュシュリナのお陰で民が助かるぞ!」
「きゃ! おとうさまったら」
浮かれたお父様はわたくしを高い高いすると、そのまま腕に抱き、城を練り歩いた。
「俺のシュシュリナが」
「可愛いシュシュリナが」
そうして会う人会う人にふれまわるものだから、やれ神童だ、神の子だと持て囃され褒めそやされ。
「聡明な姫」という像が出来上がった。
そう。
わたくしは姫だったのだ。
生まれた時から。
お父様とお母様が国王と王妃であったために。
知ったところで、他を知らぬわたくしは、そのまま大きくなった。
もちろん教育は受けたけれど、それは王族の一員としてのもの。
夫を支える技術、閨での振る舞い方。
国の歴史や、しきたり。
多くを知ったけれど、それ以外についてはよくわからなかった。
いずれは、どこぞの友好国に、政治の一環として嫁ぐとも教わっていた。
そういうものだと、知っていた。
知っていた、だけだと知ったのはもっとずっと後。
わたくしは流されるまま言われるまま乞われるままに、婚約し、姿形も人となりも知らぬまま。
他国の王太子の妻となった。
知らぬまま、好きになった。
一目惚れ。
理屈なんてなかったけれど……会うたび、優しくされて。
好きは募った。
「好きだとよ」と言われながら閨へ誘われ、女になったのは十五の頃。
数度顔を合わせただけの後だった。
すぐに懐妊した。
青ざめたのは周りだった。
王太子である間に子をなしてはならぬ、などという他国の決まりなんて、誰も教えてなどくれていなかった。
子を産んだ後、その子には二年ほど会えなくて。
その間にわたくしはこちらの国のしきたりなどの教育を受けた。
あれは教育だったのか、今でもよくわからないけれど、正解すれば及第点、間違えば鞭打ちだった。
先の王妃様のその教育で、わたくしはいろいろなことを知った。
知りたくなかったことも否応なしに。
絵本の中のお姫様は、王子様に好かれて嫁へゆく。
どこか、わたくしはそう考えていた。
だからわたくしも好かれてここにいるのだろう、と。
最初の不安はその教育によって知った、国家間の婚姻のことだった。
政治的な思惑によって結ばれる契約であるということの、詳しい内容を学んだ。
その点、わたくしと夫は当てはまっていた。
けれどわたくしは夫が好き、夫も好きだよと言ってくれた。
好きあっているに決まっていた。
夫は優しい。
前国王は退任し、国王にもなった。
その立場にあっても、わたくしにも良くしてくれ、息子と過ごす時間もあった。
穏やかな日々。
けれど数年経っても第二子を身籠ることはなかった。
「王妃様、本日も拝謁賜りましてありがたく存じます」
「ご機嫌よう」
「僭越ながら、ご提案があるのですがこの場での発言お許しいただけますでしょうか」
「よろしくてよ」
この国では、政の評議に王妃も参加する。
夫を支えるために、王妃にも意見が許されていた。
無論、大臣が王妃に進言するのも許されている。
「この国では、王家の血を絶やさぬため、正妃直系の男子が二名おらぬ時は側妃を持つことが国王には許されております。嫁がれ子をなしていただき、また国の行く末のため王妃様がご尽力されていらっしゃることは重々承知ですが何卒ご勘案いただきたく……」
彼の発言に、思わず隣の夫を見た。
瞬間、わたくしを窺い見ていたその視線が逸らされていくのを目の当たりにした。
なぜ。
なぜ先にわたくしへ夫が話しに来てくださらなかったの。
目の前が真っ暗になった。
それも束の間だった。
「許す」
「……は?」
「許しましょう、と言っているのよ」
「あ……」
「もう候補の選定まで済んでいるのでしょう?」
目の前で大臣は嬉しさを隠そうともせず、ペラペラと選定した娘の人となりやら家柄を話している。
隣で、ほっとした気配、どころか……ふぅと息を吐く音がしたのを耳が拾った。
表情は見たくなかった。
息子の地位を盤石なものにしなくては。
賢しらではなく、ある程度地位はあっても政治に口出しができぬ立場の娘。
手を回し、早めに婚約者として据えておかなければ、わたくしの価値がなくなってしまう。
次期国王の母であり続けなくては。
せめて。
せめて。
せめて。
せめて。
せめて。
愛がなかったというのなら。
可愛い息子。
王太子である息子。
嫁となるだろう婚約者候補の子。
その子を息子は気に入ったらしかった。
息子はやんちゃだった。
候補の子の方が賢いようだった。
これでいいのだろうか。
無邪気な子供たち。
わたくしは、わたくしも、こうありたかったのではなかったろうか。
穏やかな日々。
そんなものは脆くも崩れ去ったけれど。
側妃を迎え入れると決めてから、めっきり夫婦の時間も、家族の時間も消え失せて。
わたくしの方も、どうしても側妃の存在を目に入れることができずにいた。
そんな中。
すぐそばに悪夢はあった。
城の敷地の隅に、ひっそりと。
「……のおよめさんに……」
「……私もすきよ?……」
漏れ聞こえた、声。
息子の気に入りの子と、仲良く、遊ぶ後ろ姿にゾッとした。
わたくしのやっとの安寧さえ、奪いに来るのか。
わたくしが、何をしたというの。
好きになって、身を捧げた。
それの何が悪かったの。
あの、子は、誰……?
国から連れてきていた使用人に調べさせた。
その子の名はゼファーと言い、城の敷地内に住んでいるようだった。
齢はもうすぐ七だという。
うちの息子とそんなに変わりなく。
母親は城のメイドで、すでに死亡。
父親は……わたくしの、夫だった。
「ほぼ、同い年の……そう、そうなの。……嘘、嘘、うそ……ああ、ああ嗚呼あっ!」
元々無かったのなら、粉々にしてしまえばいいわ。
塵ほどにもなれば、やがて目に入ることもなくなるかもしれないもの。
その子は母親を亡くしたため、夫が内密に城へと引き取ったとのことだった。
夫を口八丁に丸め込み、その子を住んでいた離れから城の一室へと迎え入れた。
体が弱いことを利用して、病弱と医師に診断を出させ軟禁状態にした。
籠の鳥。
わたくしの可愛い籠の鳥。
もう、啄まさせたりしないわ。
その子を、そうしておいて。
わたくしの二の舞にならぬよう、息子には事実を淡々と伝えた。
「ウィリー、よく聞いてちょうだい。王族の結婚は契約なのよ、婚約者には大抵好きな子がいるものなの。わたくしもあなたの婚約者が男の子と好きだと言い合うのを見てしまって……。だから、心が欲しいなら諦めなさいな」
せめてもの親心だった。
そういえば、そのすぐ後だ。
側妃が、懐妊したと知らせを受けたのは。
生まれたのは、男の子だった。
それからのことは、よく覚えてはいない。
いつもどこか霧の中を彷徨っているようだった。
鏡に映る自分の顔を見る。
わたくし、こんな顔だったかしら。
こんな、眉間に皺の寄った……。
もう、どうでもよいけれど。
鏡台の引き出しから、小瓶を取り出す。
薄暗い緑色の液体が入ったそれは、今日の切り札。
もう、わたくしのことを啄まさせやしないわ。
もう、二度と。




