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次期王妃な悪女はひたむかない  作者: 三屋城 衣智子
本編

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20/21

次期王妃な悪女はひたむかない【改稿前版】

【1 悪女は潔白を叫ぶ】


「ひと思いに殺せ! 私は(そし)られるようなことはしていないがな!」


 私は腹の底から全力で自分の潔白を口にした。


「黙れ悪女!!」


 反抗的な態度に、刑執行官に押さえつけられ脇腹を蹴られる。


「かはっ……!」


 手は後ろで拘束され膝をつきくの字に曲がった体の先。

 頭は、台の上にあり逃げることもできない。


 口調が荒いのは許してほしい。

 (なに)せ命がかかっている。

 ここは王国の精神的最果て、処刑場だ。

 ギロチンに首吊り、引きずり回すための馬などありとあらゆる苦痛集まる場所である。


 石積みとモルタルで円形に整えられた鉢底のようなそこは、周りをぐるりと腰掛けられる席が設けられ今、観衆がはちきれんばかりだ。

 遠くその表情は窺い知れないが、処刑場は現在私を眺める者の怒号がひしめいている。


 そうした中、私の首はギロチン台にかけられ別れの時を待つばかりだった。


 思い返す。

 あの時が運命の分かれ目だったのかもしれない。

 彼と出会ったあの時が――




「ぼくはウィリー゠タングトン、よろしくね!」

「こちらこそ、よろしくおねがいいたしますね、おうたいしでんか!」


 勢いよく返事をし桃色ドレスのスカートの端をつまんで、綺麗に結いあげられた頭をぎこちなく下げる。

 銀髪に映えるようにと選ばれた紅色の宝石のついた髪飾りが、しゃららんと鳴った。

 そうやって覚えたての挨拶の仕草をしたのは、六歳になるこの国の第一王子に対してだった。


 それは次期国王となる王太子の、学友や婚約者を選定する場だったらしい。

 歳近い子供を集めたお茶会は当時の私にとって、見たこともないお菓子に香り立つお茶、煌びやかな衣装の数々に来たことのない白亜のお城と、その年頃の女子が目をキラキラさせるには十分で。


 まだ世間も知らなかったから、その会でのきちんとした振る舞いも何も全くわかっていなかった。


 だから挨拶もそこそこに、王子が私の手を取るといきなり走り出したのに、ただついていって。

 秘密の場所だという彼のお気に入りを紹介してもらうがままだった。


「わぁ! すごいですねおうたいしでんか。私こんなにいろんな色のお花を見たの、はじめてです!」

「そうだろ。ぼく花を育てるのが好きなんだ!」


 そう言って自身が花のように笑ったのに、私もなんだか嬉しくなって微笑み返した。

 キラキラと光を反射した金色の髪と、本当の花のような赤い色の瞳がとても、それはとても綺麗だった。





 ※ ※ ※




「――以上の理由から、シュテール公爵家が御息女、ウルム゠シュテール嬢をウィリー王太子殿下の婚約者とする。異論のあるもの」


 静寂が辺りを包む。

 誰も反対するものはいないらしい。


 王族、そして国の政を担う大臣たちがつどう王城の会議室。

 赤い絨毯に円形の大きな輪を描くような形のテーブルに、それぞれ大臣たちが座っている。

 国王はその部屋の一段高い位置からその各々の様子を眺めていた。

 その広間で今、国の行く末に関係する次期国王である王太子、ウィリー第一王子殿下の婚約者を誰にするか最終的な話し合いが行われていて。

 私を含め最終的に人数を絞られた少女三名が、両親同伴で壁にそって並んでいた。


 それまでに本人達には知らされず、それとなく王子と子女との交流は設定され、面通しはすんでいる。

 今日はその末の結論を、出す日となっていた。

 広間に集められた各々は、いろいろな思惑をはらみつつも、王子の意向もあり結局のところ満場一致で決まったようだ。


 そうして十二の時、国王及び王妃両陛下やなみいる大臣たちのその前で、私と王太子殿下の婚約は整ったのであった。




「……私の意志が反映されていないわ」




【2 悪女はつれなくされる】


 王城から帰り着き、家族皆で食堂のテーブルにつくと、私はぶすくれたまま文句を言った。

 あの場では不敬になりかねないから我慢したけれど、この婚約が死ぬほど嫌だったのだ。


「我儘を言うでない。これは決定なのだ」


 お父様は堅物で話にならなかった。お母様も特に何も言わず、右頬に手を当て私の方を見つつため息をつく。

 弟はまだ年端もなく、キョトンとしていて。

 家族の中に、味方をしてくれる人は誰もいなかった。

 しょうがないだろう。

 我が家は公爵家とは言っても、武勲(ぶくん)による叙爵(じょしゃく)

 館はあれども領地はない貧弱さで、特例である名誉の代名詞のような一代貴族だ。

 私にはどうしようもできなくて、だから……そのまま運命に飲み込まれざるを得ないのだった。




 ※ ※ ※




 婚約が決まってすぐ、王妃様に呼ばれお妃教育を受けることになった。


「違いますよ!」

「……っ!」


 間違った回答をすると、ひゅんと容赦なく鞭が振るわれて背中が痛く辛くて仕方がない。


「まったく。困った子だこと。あなただけなら問題なくても、うちのウィリーの足を引っ張ってしまうでしょう? 賢い夫の功績を下げる妻は妃失格なのです。もっと励むように」

「はい、王妃様」


 合っていても、何かが足りないのか王子は褒められ私の勉強不足が不安だと言い続けられた。


 鞭があたりすぎて、背中の傷はなかなか治らないまま、瘡蓋(かさぶた)ができる前にひどく()みその部分は治る頃には(あと)になった。

 その状態は三年ほど続いた。




 月日は過ぎ、私が十五になった頃。

 タングトン王国では、十五から十七まで王族や貴族の子供は学校へ通う習わしなので、ウィリー王子と共に学校に通うことになった。


「――であるので、私はこの学び舎でかけがえのない経験を――」


 皆の集まる学校の広間で、王子が新入生代表の挨拶をしている。

 誰もが一様(いちよう)に濃い紅色の制服を着ているが、王子のそれは紺色である。

 どうにも、王城の衣装部に「赤い服などこの俺が着れるか!」と怒鳴り込んで作らせたらしい。

 他の男子生徒は着ているし、渋めの赤だから特段変でもないように思うのだけれど。

 ちなみに王子が今読み上げている原稿は、こっそりと王子に頼まれ私が書いたものだ。


 王妃様は王子がとても有能と歌うように語っていたが、この一年彼はなぜかその実力を隠し、私に何くれと色々な自分ごとを任せてくる様になっている。

 どこでそのような所作を見たのか、断ると手が出てくる有様で。

 親子揃って、なんとも暴力性の高いものだと呆れてしまった。


 今もまだ、広間の壇上にのぼり挨拶をしている王子の瞳は、イキイキとしている。

 変わったのは、私への態度だけ。


 その事実に、少しだけ私の心につぷりと、穴があいた気がした。




 先ほどまであった入学の歓迎会が終わり、広間からは人がぽつりぽつりと退出していた。

 一応の婚約者だから、挨拶をしておこうと王子を探す。

 あたりを見回していると、頭半個分ほど高い、金色の長い髪を後ろにして豪奢(ごうしゃ)な髪飾りで束ねた姿が目に入った。

 隣には紅茶の様な髪色の、見知らぬ女の子が立っている。


「……先程はありがとうございました、助かりましたわ」

「いや気にするな。あんな暴漢とも呼べる所業、上に立つものとして許せなかったからな」

「まぁ、殿下はお優しいのですね」


 微笑み合う姿に、昔の私たちが重なって、手を伸ばしたくなって無意識に右手が出たのを、慌てて左手で覆って隠した。

 ゴクリと一つ唾を飲み込んだ後、ゆっくりと二人の方へ近づいて声をかける。


「歓談中申し訳ございません。殿下に一言挨拶をと」

「……ウルムか、手短に話せ」

「はい。本日はご入学おめでとうございました。勉学に励み、お役に立てればと思います」

「ん。下がれ」


「失礼いたしました」


 王子は固くどこかぎこちない表情のまま、あまりこちらを見ようとはしない。

 仕方なくスカートの端をつまみ腰を少し下げつつ会釈(えしゃく)すると、その場を離れた。

 隣にたたずむ女の子が、王子の腕に手をやりながらこちらを見てクスリと笑った。

 ……ような、気がした。




 ※ ※ ※




 公式の発表を昔しているので、私が王子の婚約者であるということは知れ渡っていた。

 友人を作ろうにも、不仲であることが入学すぐ広まってしまったらしく、どこか腫れ物めいた扱いを受けていてなかなか上手くいかない。

 学校に行きながらもお妃教育は続けられていて、あの息詰まるような時間からは逃げることが叶わない。

 私は何もかもがどうにもならないことから、どこかへ行ってしまいたくて……長めの休憩時間には、図書室でただひたすら小説を読むようになっていた。



【3 悪女は図書室で出会う】


 図書室はいい。

 古ぼけた紙の匂い。

 かさかさと、ただ静かにめくれゆく紙の音。

 最低限の呼吸がこだまし、そこに命がゆらめいているのを教えてくれる。

 一人で目の前の書物に没頭しているはずなのに、ふと一息つくと、誰かしら、同じように物語の中に入り込んでいる。

 何人かの、調べ物をしながら鉛筆を走らせている音も、聞こえてくる。

 皆思い思い自分のことに一生懸命で、人もそんなに多くなく、口さがない噂も聞こえてこない。


 今日はどの本にしようかしら。


 ほぼ人気(ひとけ)のない書架の間を、ゆっくりと背表紙を眺めながら歩いていたものだから、進む方向に人がいる可能性を失念して誰かとぶつかってしまった。


「ご、ごめんなさい!」

「いや、こちらも声を出せなかったから」


 そう微笑みながら告げる声は男の子にしては低くなくて、瞳はまるで澄んだ湖面のような色合いで。

 空いた棚の隙間から差し込む光が(まばゆ)くゆらゆらと、少しくすんだ金色の髪に落ちていた。


「何か探し物?」

「いえ。ただ、読む本を探していて」

「そう」


 返事をしながら書架へと向き直ったその横顔は、まるで彫刻のように整ってひんやりと、それでも無機質ではなく優しさをたたえている。


「はい、これ」

「え?」

「嫌でなければ、おすすめだから読んでみて?」


 こちらへと差し出された本を受け取ると、その男の子は「じゃあね」と言って自身のお目当てだったのだろう本を手に持ち去っていく。

 受け取った本の表紙に目を落とすと、そこには王子様に救出されるお姫様の絵が、描いてあった。




「この前はありがとうございました」


 本の推薦のお礼がしたくて図書館に通うようになって三日目。

 出会った書架のあたりでようやくお目当ての人物に出会うことができ、私はほっとしながらお礼を述べる。


「楽しめた? 実はあれから、もう少し夢見心地な作品の方がいいかなとちょっと失敗したと思っていたんだけど……」

「いえ、とっても楽しめたので、紹介していただいてとても助かりました」

「それならよかった」

「ただ、最初は表紙にはガッカリしていたんです」

「……なぜ?」

「助けてもらうばっかりの、お姫様ならやだなって、思いまして」

「感想は?」

「もう、ときめきだらけです! 表紙では助けられていたのに、中身を読んでみるときちんと自分で決めて行動する主人公がかっこ良くて、けどちゃんと王子の前では可愛らしいところもあって。お互いを尊重してるし、愛があって素敵でした!」


 語るあまり、思わず両手を握り拳にしながら相手へと前のめりになってしまっていた。

 私はすっかり熱心な読者になってしまっていたので、もしかしたら、鼻息すら荒かったかもしれない……。


「……ぷっ!」


 そんな私の様子に、相手は面白く思ったらしく思わずといったように吹き出し、声を一生懸命押し殺しながら笑い出してしまった。


「何が、おかしいんですか……」


 教えてもらった作品がとっても面白かった、と伝えたかっただけなのに、その反応はあんまりである。

 私は、はしたなくも感情そのままに思わず口をへの字に曲げていた。

 相手は(まなじり)に浮かんだ笑い涙を指ですくって消しながら、「ごめんごめん」とさして悪いと思ってない風に謝ってきた。


「君が楽しめたようで良かったと思って。そんなに夢中になって語るくらい気に入ってもらえて、俺も嬉しいよ」


 ふわりと笑うその相手に、なんだかこっちの勢いが気恥ずかしくなってしまう。

 いえいえこちらこそ、とかなんだかいまいちよくわからない返事をしてしまった。

 そこで私は自分の失態に気づいて慌てて略式のお辞儀をしつつきちんとした挨拶をした。


「ご挨拶が遅れました。私、シュテール公爵が娘、ウルム゠シュテールと申します。この春入学いたしました。この度は本のご紹介をありがとうございました」

「シュテール……ああ、あの。俺はゼファー。図書室の(ぬし)だよ」

「主?」


 私が怪訝(けげん)な顔をしたからだろう、ゼファーは理由を説明してくれた。


「元々あまり体が強くなくて、ね。今は完治しているけれど、復帰のために練習を兼ねて図書室の奥にある自習部屋で勉強しているんだ」


「そうなのですか」

「いつでもいるから、訪ねてくれると嬉しいな」

「機会がありましたら、いつか」


 それから二、三ぽつりぽつりと雑談をし、別れの挨拶のあと私は図書室を出た。

 次の授業のため、足早に教室へと戻ろうと廊下を急ぐ。

 すると、中庭側に仕切りも窓もない場所を歩いている最中に、木陰の方から、聞いたことのある声が耳に入った。




「……そんな、わたくしには勿体無いですわ」







【4 悪女は噂の変化を知る】


 思わず私は壁影に隠れる。

 そこからこっそりとその声の聞こえてきた方を覗くと、よく見知った金髪の後頭部と、入学式で見た紅茶色の髪の女の子が見えた。

 角度的にこちらへ視線はやってこなさそうで、つい、そのまま見入ってしまう。

 二人はまだ、何事かやり取りをしている。


 手に持った箱から王子が取り出したのは多分、髪飾り。

 それを相手の子につけてあげていた。


 私には、仲良かった頃でさえ贈り物ひとつ、なかったのに。


 過ぎた日を思うと何だかやるせなくて、それ以上は見ていられず、遠回りだけれど違う経路で教室に戻ることに決め、(きびす)を返した。




 婚約者、とはいえクラスが違えば仲のさして良くもないもの同士、関わることは少ない。

 ただ噂だけはそこかしこで囁かれていて、やれどこそこの女子に優しかっただの、小試験で満点を取っただの、良い評判がひっきりなしに耳に入ってくる。

 私に対する態度とのあまりの差異に、いっとき別人かと思ったくらいだった。

 時折私との関係を不思議がる声を聞くこともあったけれど、親しい人がいない物だから直接聞いてくる人はいない。


 そんな感じで友人がまだできていないけれど……王城でどこか機嫌の悪い王子の相手や鞭の飛んでくる勉強をしているよりかは、学校で生活するのは心穏やかな時間で。


 私は、悪くないかもな、と思い始めていた。


 けれど。

 異変はすぐやってきた。


「ねぇ、あの噂知ってらして?」

「どの噂ですの」

「ほらあの、男爵令嬢のことですわ」

「ああ、あれですの。ちょっと露骨ですわよねぇ」

「あれでは流石にシュテール様がお可哀想だわ」


 それはお花摘み(トイレ)に入った時のことだった。

 入れ違いで個室から出たらしい女子二人が、私について話し始めた。


「勉学、頑張ってらしてだものね」

「この間の腕試しの試験でも、高得点でらしたでしょう? 難しゅうございましたのに」

「王子も不仲ならけじめくらい男性としてつけていただきたいものですけれど」

「あらそんなことを言っては不敬になりましてよ。この間も意見した男子を退学にしたとか」

「まぁ怖い」

「怖いといえばこの間――」


 王子と私のことから別の話題へと変えながら、二人の声が遠ざかっていく。

 一呼吸置き、私も個室から出て手を洗った。




 男爵令嬢……あの紅茶色した髪の子かしら。


「……面倒くさいけれど、一度王子に進言しておかなくては、ね」


 王妃様に口酸っぱく言われていた、他の女性の影が出た時にはうまくおさめるのも婚約者としての勤め、だと。

 だからやらないわけにはいかなくて。

 だけど、とても気が重くなってしまった。




 次の日私は登校してきた王子を捕まえることに、なんとか成功した。

 口さがない噂が立たないよう、誰もいない教室まで来てもらって、意を決して話しだす。


「あの、殿下に折り入ってご相談が」

「なんだ」

「最近私と殿下が不仲であるという噂が出まわっております。未来の国王のよくない話は――」

「そんなものはお前が対処しておけばいいだろう。母上が言っていた、そういった(たぐい)は妃になるだろうお前の役目だと」


 王子の眉と目尻は、想像通りに吊り上がった。

 ついでにため息のおまけまでついて。

 さらに、言うとすぐさま私の元から去ってしまわれた。


 その後。

 私の力――とは言っても、友人もいない、王子の協力のない状態では噂を直接聞いた時に否定して回るくらいしか手立てがなかったけれど――ではなんともし(がた)くて。

 二度ほど手をかえ相談したが、返答はどちらも似通(にかよ)ったもので。

 残念ながら、私も流石に三度相談するほど暇でも気長くもなかったから、この問題は放っておくことにした。




 ※ ※ ※




 図書室での出会いから、私は時折、図書室に本を読みにいくついでにゼファーとも交流するようになった。

 奥まった自習部屋は死角とも言っていいくらい誰もおらず、静寂(せいじゃく)な雰囲気に包まれている。


 妙齢(みょうれい)の男子と一緒にいるのを見つかったら自身の噂がひどくなるかもと思ったが、それは一瞬で、すぐにもうどうでも良いという考えに変わった。

 どうせ、誰も私の実際の状況など知ろうとはせず好きにさえずるのだ。


 王子による紅茶色の髪の子――男爵家のナナリという子らしい――びいきの話が広まってからというもの、遠慮(えんりょ)が少しだけ馬鹿馬鹿しくなってきていた。


 最初はまだ「婚約者である私より仲が良い」だったのが、放っておいたのもあって最近では「私がその子に意地悪をしている」という噂に変化している。

 面と向かって言葉を交わしたこともないのに、だ。


「……本当、呆れてものも言えないわ」

「呆れたって何に?」


 ため息をつくと同時に横から質問され、私は今ゼファーの使用している自習部屋にいることを思い出した。

 手には読みかけとも言えない、序盤(じょばん)でページをめくるのがとまっている本がある。

 部屋にはドアがないため、私はなるべく小声で彼に返事をする。


「えっと、ごめんなさいゼファー。なんでもないの」


 図書室の(ヌシ)は同じ歳だったらしく、名前で呼んでくれと強く言われたこともあって今では気安く呼んでいた。

 彼は、私の大丈夫が信用ならなかったのか、覗き込み観察するかのような目を向けてくる。


 ――この瞳、前にもどこかで……


「本当に?」

「本当よ」


 少し硬めのその声に私も少し緊張しながらこたえる。




【5 悪女は意図せず出歯亀をする】


 本当は嘘だった。


 ここ数日のうちに噂に尾ひれがついて、「王子が婚約解消をしているのに私が付きまとっている」ということになってしまい。

 一部の女子からノートを破られる、廊下で足を引っ掛けられる等の嫌がらせを受け始めていた。


 隣にいるべきところ、王子と私はお互い必要以上に関わらないものだからそう思うのも仕方がないのかもしれない。


 いっそ話してしまえばいいのだろうけど、この状況の一体どこから話せばいいのかとか、何より口に出したら何かが大きく変わってしまうような気もして。

 曖昧に笑って話題を無理やりかえるしか、できなかった。


「ね、それよりゼファーはなぜ女子の好みそうな本のこと、知っていたの?」


 私は読みかけのページを開いたまま本を一旦うつ伏せにし、ゼファーの方へと視線を向けながら尋ねる。


「ああ、あれ?」

「そうあれ。大抵は男の子ってああいう本は好きじゃないでしょう」

「俺も興味があるほどではない、かな。ただ」

「ただ?」


 彼は、どこか懐かしむような、(いつく)しむような視線を前方に向けながら語った。


「昔一度だけ、遊びに来ていた女の子と遊んだことがあったんだ。とても楽しくて。いつかまた遊ぶようなことがあって、仲良くなれた時に話せることがあればって、そう思って読んだことがあって」


 だから知ってたんだ、とゼファーはどこかはにかんだ風に笑って。


「そうなの、とても素敵な話ね。いつかまた遊べるといいのに」


 少しだけ羨ましく感じながらも、私は素直にいいなと思った気持ちを彼に伝えた。




 ※ ※ ※




「……ほんと、厚かましいこと」

「ほらこの間も、話しかけてもご迷惑そうでしたわよね」


 今日も今日とて廊下を歩けば悪口にあたる。

 何故こんなにも、なにも悪いことをしていなくても、(おとし)められているのか。

 それがずっと疑問だった。


 その理由は、昼食の時間にひとり、中庭の植栽(しょくさい)の陰でご飯を食べ始めようとした時に知る。


 皮肉なことに、植込みの向こうは日当たりと景観(けいかん)が良かったようで、王子と彼女が来て食事を始めてしまったのだ。


「ウィリー様ぁ! こちらが丁度空いてましてよ」

「ああ、そこはとても景色がいいね。気に入った。ナナリはよく気がきくな」


 (ほが)らかに会話を交わす二人は、私のすぐ近くまで来て腰を下ろした。

 ガサゴソと音がして、やがて食事を始める。


 しばらくは、お互い食事に集中しているようで穏やかに時間が過ぎていった。


「ナナリ、最近はどうだ?」


 食事があらかた済んだのか、王子がふいに彼女へと真剣そうな声音で話しかけた。


「……それが、今度はあの方に教科書がビリビリに破かれてしまっていて……わたくしはウィリー様とちょっと仲が良いくらいですのに……」


 彼女の言葉はどうやら涙交じりのようで、言い終わり頃には声が震えていた。


「ナナリ!」


 名前を呼ぶ声と同時に、衣擦(きぬず)れの音がする。

 恐らくは、彼女の肩を抱き寄せるか、その体を抱きしめるかしたのだろう。


「俺が不甲斐なくてすまない。彼女とのことはなんとかするから、笑顔を見せてくれないか」

「ウィリー様……」


 茶番だ。


 よっぽど出ていって身の潔白を滔々(とうとう)と語ろうとも思ったけれど、やっていない証拠もない。

 それになんだか気が抜けてしまって、出る気になれなかった。


 静寂がその場を支配した。

 遠くから、誰かしら楽しそうにおしゃべりしている雰囲気が伝わってくる。


 早くどこかへ行ってくれないかしら。

 そう思っていた時。


 ちゅっ。


「んっ、ウィリー、さ、ま……」

「ナナリ……」




 何を、聞かされているの……。




 私の背中の傷痕に何か得体の知れないものがへばりつくのを感じた。

 と同時に、彼女が遠くにいる誰かから呼ばれる。


「……ナーナリー!!」

「……友達に呼ばれてしまいましたわ、わたくし、行かなければ。……寂しいですけれど、また今度」

「ああ、わかった」


 足音がして、彼女が友人の元へとかけていったのがわかった。

 しばらく経った後、王子の小さな舌打ちが聞こえてきた。


「……ナナリはやはり、胸が小さいな。あれはいかん。ま、いずれはウルムのあのたわわなやつを堪能できるだろうから良いか」


 彼のその言葉に、私は思わず自分についてる双丘へと視線を下ろした。

 そしてうっかりその場面を想像してしまい悲鳴が出そうになる。

 けれど見つかってなるものか、というその一心で声を出すのはなんとかぎりぎり我慢した。


 身体が、冷たく感じる。


 どれくらい経っただろうか、気づけば、植栽の向こうにあった王子の気配は消えていた。




【6 悪女は涙をこぼす】


 私はフラフラと午後の授業のため教室へと帰った。

 気分がおかしいけれど、勉強だけは。

 そう思い、教科書を出そうと机の中へと手を入れる。


「……っ!!」


 瞬間焼け付くような感覚が走って中から手を出した。


 むき身の刃物が入っていたらしい。

 ポタポタと、左の手のひらから血が滴り落ちている。


 周りからも血が見えたようで悲鳴が上がった。

 声のした方を見ると、その表情は青ざめている。

 その子の向こうに、顔を背けて肩の震えている級友が見えた。

 恐らく、彼がこれを仕込んだのだろう。


 不思議だ、全てが遠く感じる。


「シュテールさん、早く医務室に!」


 先生の声に、手を押さえつつ立ち上がって医務室に行くことにした。

 ふわふわしている。

 現実感のないままに。




 学校の建物の端、医務室のドアの前で私は少し逡巡(しゅんじゅん)していた。

 来たはいいものの、なんと言って治療を受けたらいいのか、何をどう話せばいいのか困ってしまっていた。

 手はズキズキするし血は相変わらず出ているようで、先生からもらった布にはじわりじわりと、その滲む範囲が増えていっている。


 迷ったままでいると、目の前の扉が開いて生徒が出てきた。


「ウルム! ってどうしたの、その血……先生!!」


 ゼファーは私を見るなりギョッとした顔になり、慌てて先生を呼んだ。

 そして呼ばれた先生と共に私を机のそばにある椅子に座らせると、テキパキと助手よろしくあれこれと準備をしてくれて。

 私は医務の先生によって、左手をきれいに消毒され包帯を巻かれたのだった。


「はい、これでよし。あまり深くなくてよかったわ。しばらくは左手は使わないようにね、傷が開いてしまうから」

「ありがとう、ございました」

「それじゃ、私はちょっと職員室に用事があるから。ゼファーくん、後のことは頼めるかしら?」

「はい」


 そんなに遅くはならないからよろしくね、そう言うと先生は退室していく。

 医務室には、私とゼファー以外いなくなってしまった。


 消毒液の匂い。

 部屋の奥にベッドが数台と、机のそばには薬品棚。

 先生の机には、来た生徒の病状や怪我の具合を書きとめるための紙束が、無造作に積み上げられている。

 室内をそうして見るともなしに眺めていると、ゼファーが口を開いた。


「血だらけの布を見たときはひやっとしたよ。何があったの……」

「何も」


 ……何も?


 本当に、何も??


『ウルムさん、王妃というものは何事にも動じず王を支える礎なのです』

 そう、動じてはいけない、これはいつものことだからなんてことはない。


 本当に??


『ウルムさん、王に愛されるためにはいつでも堂々と微笑んでいなくては』

 そう、微笑んでいなくては愛されない、だからいつも微笑んでいなくては。


 微笑んで当然??


 これまで学んできた、王妃様からの言葉が頭の中にこだます。


 いつでも微笑んで、そっと王に寄り添って、前へ出てはいけない、(さか)しらがってはいけない、お(しと)やかに、王を支え、隣で(ほが)らかに。




 なりたかったものは、こんなものじゃない。

 何もなかったなんて、そんなことはない。




 何もじゃないのだ。

 何も、じゃ。




 とても。

 とてもとても大きなことが起きているのだ。




「そんなはずはないでしょう?」


 ゼファーは眉を八の字にして、私に問いかけてきた。

 心配そうな、声音で。




 そう、心配、してくれている。




 はらり、ぽとり。


 気づけば、私の目からはとめどなく(よど)んだ気持ちが溢れ出てしまっていた。


「頑張って、いたの」

「うん」

「本当に、本当に、頑張って、いたのっ、にっっぃぃぃぃ」


 私は泣いた。

 医務室の椅子の上、泣きじゃくり目を擦り擦り、泣いた。

 泣いて。

 泣いて泣いて泣いて泣いて。

 そして愚痴った。

 これまでの王妃様にされてきた仕打ち、王子に取られた態度。

 全部全部告白した。


 すると段々、お腹の中から何かが迫り上がってきた。

 背中が、熱い。




 嗚呼。

 私。

 本当はずっと、怒ってたんだわ。




 ゆらよらと彷徨(さまよ)うような視界の中、ゼファーの手がこちらへと伸びたかと思うと戻っていった。

 気持ちがぐらぐらと煮えたぎっていたから、幻だったかもしれない。

 ぼうっとした頭で前方へと視線をやったままでいると、彼が言いにくそうに口を開いた。


「……疑ってるようで、申し訳ないんだけど……何か、証拠はある?」


 これは予想範囲内の質問だった。

 けれど石で頭を殴られた心地がした。

 私はどうやら、ゼファーからの信頼を勝ち取れていると思っていたらしい。


 でも、この物言いは……。


 私は意を決すると、椅子に座ったまま彼に背を向け、自身の上着を脱ぎ床に滑り落とす。

 そして後ろに長く垂れていた髪を片側に寄せ自身の胸側に持ってくると、下に着ていたブラウスのボタンを外しだす。


「え、ちょっ、ウルム?!」


 ゼファーから慌てた気配を感じたけど、構わず下着も脱ぐ。


「わあっ! ……っ!!」


 息を呑む驚きを感じた後、下着を胸に当てると顔だけ後ろに向けながら、私は明日の授業科目を聞くかのように尋ねた。


「これって証拠になるかしら?」


 笑顔を、貼り付けて。




【7 悪女は評判が地に落ちる】


「……っその、傷」


 悲痛そうな声がゼファーの口から漏れ出るように聞こえた。

 私は直視したくなくてあまり見たことがないけれど、彼の目には、傷だらけで醜い背中がしっかりと見えてるだろう。

 憐れんで欲しかった訳ではないから、慌てて彼の目を見ないよう前に向きなおりながら言葉を付け足す。


「王妃付きのメイドも複数人出入りしていたから、誰かしら証言も取れるかもしれないわ。十二の時からだから割と良くしてもらっていたの。終わった後に、こっそりお菓子をくれたりだとか」


 最初はそれを王子と「おやつの時間でもないから秘密ね」と、二人して食べたもの、だった。

 ちょっと無愛想だったけれど、婚約したての頃にそういった交流も一、二度ほどのほんの少しではあったが、できていた。

 思い出して鼻の奥がツンとする。

 だけど(こら)えた。


「私は国のためだと思って黙ってた。けど、何かがおかしいわ。私は何もしていない。王子に楯突いてもなければ彼女に暴言も暴力も振るっていない」

「うん」

「なのに私は暴言も吐かれていて、暴力も受けた」

「うん、そうだね」

「間違ってる。私、堂々とそう言ってもいいわよね?」


 私は早口でまくし立てるように言うと、彼の返事を待った。

 けれど、医務室には私と彼の息遣いしか感じられなくて。


 間違ってたかしら……


 心細くなって、身を縮めそうになったその時――

 紅色の袖の部分が目の端に入り暖かな上着が肩にかかったと共に、背中に何かが押しつけられた感触とちゅっという音。

 そして、ゼファーの腕が、私の上体を包み込んでいた。


「っ! ゼファー?!」

「……君は、どうして……」

「何?」


 振り返って見たゼファーの顔は、どこか瞳が潤みつつも私を真っ直ぐ射抜いている。

 体の血が全部頭と頬にきているんじゃないかってほど熱くなってしまって、私は慌てて前を見た。


 と同時に医務室のドアをトントンとノックする音がした。


「失礼いたしますわ! 先生? っっ?! きゃー!!!!」


 ついでドアを開ける音と悲鳴が上がり女生徒がバタバタと足音をさせながら遠ざかっていく。

 二人してそれを見送った後、すでに手を離していた彼と目を見合わせて私は青ざめた。


「……これ、まずい、わよね??」

「……うん。俺は役得だけど、君の噂がとんでもないことになるかも」

「今更、だわ。けどそうね……ゼファー、味方になってくれる?」

「え?」


 私は覚悟を決め問題と相対すことにすると、彼にことさら笑顔に見えるよう微笑んである提案を話すのだった。




 ※ ※ ※




「……聞きまして? シュテール様ってば医務室で殿方といたしていたそうですのよ」

「まぁ破廉恥な!」


 朝の登校時間のこと。

 門から入り学舎へと向かう道すがら、今日も今日とて悪意が私を射抜こうとしている。

 それも、これまででも一番最悪で耳が腐るほどの悪評だ。

 今までなら、気にとめないようにして通り過ぎていた。

 だけど。


「あら、ジガルデン様ごきげんよう。私のこと好きなのはわかりますけれど、嘘はいけませんわ」

「なっ……!」


 私はあえてひそひそ話すその子へと、にこりとしながら朗らかに声をかけることにした。


「医務室で処置を受ける際に、私血がつくのが嫌で服を脱いでおりましたの。お相手にはみっともないところに上着を貸していただいただけ。双方他に人がいることを失念していた事故ですわ。嘘だとお思いなら先生にお聞きなさいな」


 真っ赤な大嘘だ。

 だけど、誰も「いたしている」現場なぞ見てはいないし、見た子も詳しくは話せないだろう。

 それを逆手に取ったおおぼらだけど。


「お話しする前に、きちんと詳しく噂の元の方にお尋ねになった方が良くってよ。おーっほっほっほ」


 先生はすぐに戻るとおっしゃっていたし、聞かれれば訳ありの生徒達のことを()(ざま)には言わないだろう。

 そう思い言いきると、高笑いと共に堂々と背筋を伸ばしかつ品良く歩きながらその場を去った。


 教室に着くと、用意した棒を机の中に入れ込んで全部かきだす。

 虫、刃物のかけら、教科書や髪の毛が、勢いよくどさどさっと床に落ちた。

 ひぃっ、と近くの机に座る生徒から悲鳴が漏れでる。

 私は教室付きの世話係を片づけのために呼びつつ、教科書を()り分け拾いながら周りを見渡した。

 するとその中で、好奇心にキラキラしている瞳とかち合う。

 この子なら、と思いながら顔を記憶し朝一の授業の準備を始めたと同時に、教室に先生が入ってきて。

 私たち生徒は先生の方へと意識を向けた。




 数日後。

 私は図書室へと足を向けていた。

 廊下では、ひそひそ声こそ鳴りを潜めはしたものの、相変わらずの視線や一部憎々しげな瞳などが私を切り刻もうと()めつけてくる。

 負けまいといつも以上に所作を気にかけながら、図書室の扉をあけると身を入れ込んだ。

 途端図書室の住人の視線が集まったけれど、人だとわかると各々の世界へとすぐに戻っていく。

 いつも通りの静寂と空気感に、思わず力が抜けて……顔が笑みを作っていた。




【8 悪女は慰められる】


 そのまま堂々と、書架向こうの自習室へと歩みを進める。

 開け放たれた扉の向こう、長机には椅子が二つ並んであって広めの机の端には花の鉢植え。

 窓から吹き込む風に、そのサラサラな髪を揺らしながら真剣な瞳で何かを紙に書きつけている彼が見えた。

 礼儀として一応のノックを鳴らす。


「ゼファー? 今よろしくて」


 あわせて声をかけると、濃く長いまつ毛に縁取られた水色の瞳が私を真っ直ぐ見てきた。


「ウルムか、いらっしゃい」

「勉強の邪魔をしてしまったかしら?」

「いや、丁度君のことを考えてたから大丈夫」

「……ゼファー、そんな軽口は自分の身を滅ぼしてよ」


 彼は私の言葉にハッとして、思わずといったように右手で口を押さえた。

 そして何事か考えた後、その手を今度は前髪にやり髪をくしゃっと握り込みながら口を開いた。


「ごめん、浅はかだった」

「わかればよろしい」


 私はゼファーが失態にあまり落ち込まないよう、なるべくおどけて居丈高(いたけだか)に返事をする。

 意図がわかったのか、彼はゆるく吹き出しながら言葉を重ねた。


「許してくださり感謝いたします姫様」

「ふふふ、精進なさい」

御意(ぎょい)。……ところで何か俺に用事かい?」


 聞かれて思わず出ていただろう笑みを引っ込め、心もち真面目な顔を作って口を開く。


「ええ、用事よ。今日までに収集した情報を共有しておこうかと思って」


 言いつつゼファーの左隣にある椅子に腰掛けると、彼の方を向いて続けた。


「協力、してくれるのよね?」

「約束したからね」

「押しかけ約束みたいになって、申し訳ないとは思っているの。ゼファーにとってはなんの益もないんですもの」

「それは言ったでしょう。益とかで推し(はか)っていい問題ではないし、俺にとっては得があるかもだしね」

「そこまで言うなら、甘えさせてもらうけれど」

「そうしてくれると嬉しいな。で、ウルムの話から聞こうか」


 言いながら彼も自身の勉強の手をとめ、こちらに向き合ってくれる。

 こういうところが、ゼファーらしい。

 私はそのことに安心しながら、話し始めた。


「まずは、王子と彼女はどうやら深い仲らしいっていう噂があるようよ。えっと、これは級友の中で私を決めつけで見ていない子に声をかけて、仲間になってもらったから知れた情報なのだけれど」

「え、あい! ……こほん、殿下はもうそこまで? それだと、これは誤った情報かな。俺の方では、ちょっと詳しいやつに聞いたら、ナナリ゠デューデン男爵令嬢とすごく親しくしてる男子生徒が何人かいて、そのうちの二人ほど、街で二人きりでいるのを見たって」

「……変ね。王太子のことが好きで婚約者の座を狙っているのなら、身辺(しんぺん)には気を配っても良さそうなのに」

「そうだね。うーん」


 唸りながら彼は私の左手にいまだ巻かれたままの包帯を、ちらりと見る。

 傷が案外深かったらしく、まだ傷がくっついたとは言ってもらえていないその手を、私は右手で包み込んだ。


「……こう考えてはどうかな。確か君のその手は級友の男子生徒にやられたと言っていたろう?」

「ええ」


 言いながら彼は、勉強した内容を書きつけていた用紙の余白に、何ごとか書いていく。


「こんな感じで、デューデン男爵令嬢が男子生徒を()きつけて、君への嫌がらせを実行していたとしたら? 自分の手を汚したくないと考えても不思議ではないからね」

「確かに。ないとは、言えないわね……」


 相槌(あいづち)を打ちつつ、見るとそこには彼女を取り囲む数人の男子生徒、彼女と付き合っているらしい王子。

 そしてその王子にもまた、彼女とは別の女子生徒が一人、いるという図が書き込まれていた。


 私は何気なく、その女子生徒を指差してゼファーに尋ねた。


「ね、ところでこれは誰なの?」

「えっと、それは……」


 彼が気まずそうに視線を逸らす。


「今更だわ。私は……そう、大丈夫だから、教えて?」


 私は平気だと主張したくてゼファーが逸らした視線の先から彼を覗き込み、両手を組みながら懇願(こんがん)した。


「っああ、もう! なんで……わいいかなぁ?!」


 突然彼が聞き取れないくらいの早口と少し大きな声を出す。

 びっくりしてでも知りたくてじっと彼の方を見ていると、こちらにチラッと視線をやった後、ちょっとのため息と共に彼が話しだした。


「落ち着いて、聞いて。殿下にはどうにも、昔から、一人の想う人がいたらしいんだ」


 予想をしていた通りの答えに、案外と衝撃を受けていないことに自分自身驚いた。

 麻痺(まひ)したとか、そういう感じではなくて。

 すとんと、納得した。


「そう」

「……大、丈夫? じゃ、ないか」


 ん、と言いながらゼファーは両腕を広げてこちらを見てきた。

 ちょっと照れているらしく、耳が赤い。


「女の子は悲しい時人の胸で泣きたいものだと、聞いたから」


 私が反応できないでいると、そっぽを向きながらそんなことまで言ってくる。

 その言葉と行動に、なんだか泣きたいほど嬉しくなってしまって。

 ほんとに、嬉しくなってしまって。

 うっかり(まなじり)に涙が溜まってきた。




【9 悪女は口づけに殺されかける】


「え、ちょ、ウルム?」


 ゼファーがおろおろと、手をあっちこっちとさせながら慌てている。

 その様子がなんだかちょこまかとした小動物のようで、私は思わず涙を浮かべながら笑ってしまった。


「ふ、ふっ、ははははっ、ごめんなさ、ちょ、おもしろ、くって」


 不思議そうな、けど心配そうな瞳に胸が温かくなる。


「ありがとう、ゼファー気にかけてくれて。でも本当に大丈夫なのよ」

「本当に?」

「ええ、本当に。確かに約束したのもあって、私は王妃になるのだからって、ずっと色々なことを時に我慢しながらやってきた。もちろん、王子に対して腹も立ったし悲しくもあったけれど……恋していたわけじゃなくて、役目だと思っていたから……。今は少し、解放された感じもしてるの。だから大丈夫」


 まだ少し心配そうなそのへの字口を見ながら、ありがとうと感謝の言葉を告げる。


「これは多分、ゼファーと出会えたりとか、味方になってくれる子がいるから言えることなの。そのことを私は知っている。だから、本当に大丈夫」


 言いきると、ゼファーは安心したようで、「それならいいのだけど」と安堵の笑みとともに呟いた。


「あら、良いばかりではないわよ?」

「え?」

「だって、彼女にしてみれば私は邪魔者。それに多分、今私の命は危ういのだわ」

「確かにそうかもしれない。刃物を使ってくるということは、完全に排除したい気持ちの表れとも取れる、か……」

「おそらく、一度婚約者として据えた以上その約束を(たが)えると、王家に傷がつくとでも考えているのよ。私有責、もしくは不慮の事故でいなくなってしまえば」

「他の女の子をその座に就かせることが容易(たやす)くなるね」

「そう。だからお願いね、私の悪女っぷりをしっかり見てくれる人の手配」


 私は顔に満面の笑みをのせて彼にお願いをした。


「任せておいて」


 ゼファーはその裏の気持ちをわかってくれたようで、彼もしっかりと笑顔になりながら返事をくれる。


「それにしても。よかったのかい? 本当に」

「何が?」

「君が、その」

「ああ……もちろんよ。万が一があったとしたら、協力してくれた人も言い訳が立つでしょう? あの悪女に脅されたんだ、って。だから、いいの」

「脅されって……」

「まぁ見ててよ! 私悪意になんて負けないんだから」


 宣言してにっ、と笑うとゼファーは観念したかのような表情で「君には負けたよ」と言った。

 その後は和やかに、今勉強している範囲のことだとか、初めてできた友達のこととかの話に花を咲かせた。


 どれくらい経っただろう。

 そろそろお昼ご飯の二時間休憩も半分以上過ぎたくらいになって。

 私は彼に別れの挨拶をして図書室を出た。




 教室へと向かう廊下。

 久々に逢引を見てしまってからは利用していなかった、あの場所を歩いていた。

 その時。

 突然手首を掴まれ壁陰へと引っ張り込まれた。


「きゃ」


 悲鳴を上げようにも、大きめの手のひらでしっかり押さえつけられてしまい、口を開けることができなくなる。

 恐ろしさに身動きがとれないでいると、耳馴染みのある知った声が聞こえてきた。


「こら、暴れるんじゃない! 叫ぶなよ」


 そう言われて、手を外され、掴まれた右手からその体をたどった視線の先には。

 先ほどまでゼファーと私が話の中心にしていた、王子本人が、いたのだった。


「何故」

「本当は嫌だったんだが、ある人に言われてな。おい、聞いているか」

「聞いて、います……」

「今日のお前は挙動がおかしいと聞いた。これまでの所業も聞いている」

「……所業?」

「あー、まぁその。行き過ぎた指導、だ。いずれなる王妃の仕事の一環だとしても出過ぎた真似はするな」

「殿下は、変わらず王妃に私がなるとお思いで?」

「他に誰がいる」

「他が、……いらっしゃるでしょう?」


 それは思わず口について出てしまった、けれど本音だった。

 だけど王子には気に食わない言葉だったらしい。


「俺から去ると言うのか!!!!」

「痛っ」


 掴まれたままの手首に王子の力が加わって、私は思わず顔を顰めた。

 それもまた気に入らなかったのか、もう片方の手首も掴まれ強い力で引っ張られるまま壁へと押し付けられた。

 引っこ抜こうとする手は、渾身(こんしん)の力の前にびくともしない。

 睨みつけるように王子を見ると、彼もまた、獰猛(どうもう)な肉食獣のように瞳をギラギラとさせていた。


 ……怖い……


「決して、逃しはしないぞ。お前は俺の物だ」


 腹の底から出したかのような、低く暗く私にやっと聞こえるくらいの声でそう言うと。




 王子は。

 私に。

 口づけをした。




 噛み付くように。


 絞め殺すように。


 角度を変え。


 蹂躙してきた。




 顔を背ける。


 片手を外して顎を固定される。


 外された片手で押しのけようにも力が敵わない。


 口を引き結ぶ。


 こじ開けようとしてくる。


 命を吸おうとするかのように。




 誰かっ。




「……ウルムっ!!」




【10 悪女は昔を懐かしむ】


 助けを求めながらも半ば昔のように我慢する気持ちが出かかったところで、ゼファーの声がして。

 王子が慌てて手を離し、私は膝から(くずお)れた。


「と、とにかく勝手な真似はするな!」


 バツが悪かったのか、王子はそう言い捨てるとその場を慌てて去ろうとする。

 その途中、何故か彼はゼファーを見て驚いたようだった。


「お前は……」


 けど今度はこちらへとやってくる話し声が遠くから聞こえ、そのまま足早にこの場から遠ざかることにしたようで、その背中はみるみる小さくなる。

 かわりに近づいてきたのは、さっき別れたはずのゼファーだった。


「大丈夫かい? ウルム」

「っええ、大丈夫、大丈夫だわ、私は……」


 そう言いつつ。

 何度も何度も唇を擦る。

 ごしごしと、幾度も。


 気持ち、悪い。


 視界が(かす)むわ――

 そう思った後のことは、何も覚えていない。




 ※ ※ ※




 目を開けると、見知ったシャンデリアの下がる天井が見えた。

 私は寝ていたらしい。

 右へと顔を傾けるとお気に入りの机と椅子、収納棚がそこにあって自室にいるのだとわかる。


 私、確か王子に襲われて……。


 まざまざと思い出されて途端気分が悪くなる。

 いよいよ自分が物にでもなった心地がして、見えていたお気に入りの自室が見えなくなった。

 (まなじり)からこめかみまでが、冷たい。


 どうしてこんなことになったの……


 私は王子の変化が何故起こったのか、近くにいたはずなのによく分かっていない。

 昔は、決して、こんなじゃなかったのに――




「ウルム、ウルム!」


 キラキラとした目の王子に、手を引っ張られてどこかへ連れていかれている。

 出会ったお茶会――ちなみに後で二人こってり叱られた――の後、私の何を気に入られたのかよく王城に招待されるようになっていた。


「こっちにちょうのさなぎがいたんだ!」

「まぁ、それはとってもすてきだわ!」


 二人して、王城の薔薇咲く庭を手をつないでかけていく。

 春には蝶々、夏には蝉。

 気どらずその年頃の遊びをなんでもした。

 木登り、虫取り、私のおままごとにも付き合ってくれた。

 女の子二人になりきってお茶会ごっこ、お父様とお母様になりきっての家族ごっこ。


「わたくし、お茶をたしなんでおりますの」

「あらまぁきぐうですわ、わたくしもですのよ。このお菓子、おいしゅうございますわー」


 ふふふふ、くすくすくす。

 男の子も女の子も関係なしに、王子と私は遊びまわった。

 竜退治ごっこ、鬼ごっこ、冒険者ごっこ。

 川に入って護衛のおじさまに怒られて、泥んこ遊びでメイド長に慌ててドレスを洗わせてしまったけれど。

 とても楽しかったのだ。

 王妃様も、時折王子に付き添ってらっしゃって、木陰で涼みながら朗らかに見守ってくださっていた。


 少し大きくなると段々とずる賢くもなった私たちは、こっそり城下に遊びに行ってみたりもした。

 活気あふれる市場、美味しい食べ物。

 遊び回ってたどり着いた、町を一望できる小高い丘で王子は言った。


「ウルム、俺はこの国が好きだ。もっともっと、面白く良い国にしたい。手伝ってくれるか?」

「はい!」


 真剣な眼差しに私も真剣に返事をした。

 二人でいることは、本当に楽しかったのだ。

 出会って最初の一年、それくらいまでは。




 思い出が溢れて胸が苦しくなった。

 涙は枯れたと思っていたのに。


「まだ、かなしめるのね……」


 トントントントン


 呟いたと同時にノックの音がして、ついでメイドのシルフィの声がした。


「ウルムお嬢様、旦那様がお部屋に入りお話が聞きたいとのことなのですが」

「お父様が? わかったわ、通してちょうだい」


 私はその声に返事をしながら慌てて立ち上がると、ベッド脇の小ぶりな机の上にあった羽織ものを寝間着の上から着て、応接セットの椅子に座った。


 準備が整ったすぐ後くらいに、お父様がその巨体を心なしか縮めて扉から入ってくる。

 座る私に少し目を見開きながら、向かいの椅子に腰掛けた。


「ウルム、起きていて良いのか」

「ええ、元から病気や怪我ではないもの」

「しかし倒れたと聞いた、それにこの前の怪我……」

「これは下手をうったと報告したでしょう?」

「だが……」


 お父様が困り顔になる。

 困らせたいわけではないのに……


「……王子と、不仲だと噂が出回っている」

「えっ。……そちらにも?」

「子供も大人も噂話は大好きだからな、すぐ回るのだ」


 立ち回りを責められているような気がして、けれど次期王妃としてそれは至極真っ当でもあって。

 私は情けなさに下を向いた。


「……ごめんな」

「謝るのはよしなさい。思えば私も親として不甲斐ないことをした。ウルム、すまない」


 お父様の謝罪にびっくりして顔を上げる。

 真剣な、深く紫紺の瞳が私を包み込むように見ている。

 この瞳が大好きで。

 私も紫の瞳だったから、お父様がそばにいてくださるようでとてもお気に入りで。


 じっと見返しているとさらにお父様が口を開いた。


「あれから……もう九年になるのか」

「ええ」

「王族との関わりの手前、言えぬこともあるのだろう……だが親としてはお前の幸せを願っているのだ。家の基盤を築いてくれた国に恩義はあるが、それでも家族を損なうならば私は(あらが)いたい。辛いことは、ないか……?」


 じっと瞳を見つめられる。

 髪には白髪が少し交じり始めていて。

 そういえば私も王妃教育などが多忙で、ろくろくと話もしてこなかったことに気がついた。


 あの頃、もしかして一生懸命うったえていたら、私はこの生活から抜け出せていただろうか。


 考えても仕方がないことだけれど、言えたら何かが変わっていた未来にどこか救われた気持ちになって。

 思わずぽろぽろと、この九年のあれこれをお父様に話していた。




【11 悪女は好敵手と転がり落ちる】


 最初落ち着いていたお父様だったけれど。

 話していくうちに段々と眉間に皺が寄り出して……終わった頃には顔が真っ赤に染まっていた。


「そうか、そういうことか……」

「お父様?」


 お父様はすっくと立ち上がると、


「愛する家族に無体を働くなぞ、我らの献身を無に()しおって……ウルム、お父さんは頑張ってくるから待っていなさい」


 言いつつ私の体を抱きしめた後、風のように部屋を去っていった。


「……へ?」


 ずっと、遠い背中だと思っていた。

 武勲(ぶくん)を立てるほどに勇猛果敢(ゆうもうかかん)で、戦場の黒き熊と呼ばれるくらいに強くて、寡黙(かもく)

 あまり言葉を発しないから、てっきり子供のことなんて大事の二の次三の次とかそういう物だと思っていた。


「話してみないと、わからないものなのね」


 もしかしたら、王子とも話せば婚約解消くらいできるかしら……


 ちらりとそんな考えが浮かんだけれど、気を失う前の仕打ちが思い出されて、背筋が凍り霧散(むさん)した。




 次の日私は普通に登校した。

 病気なわけではなかったし何より、婚約解消に向けて動いておきたかったのだ。


 その日から。

 西で私に筆記帳が破かれたと囁かれているのを聞きつけては、


「あらごめん遊ばせ。ちょうどこのような筆記帳が欲しかったところですの、あなたにはこちらを代わりに差し上げるわ」


 と、破れた筆記帳をふんだくり。


 東に私が汚したと囁かれる制服の上着があれば、


「困りましたわ、私胸辺りのサイズが合わなくなった上着を、捨てる場所がわからないの。あなた代わりに羽織っておいてくださいまし」


 と、上着を押し付ける。


 そういった悪女とも呼ぶべき活動を、お昼の休憩などに積極的にするようになった。

 普通に手を貸すのでは駄目なのか、とゼファーには聞かれたけれど。

 私には、どれだけ善行を重ねたとしても根も葉もない噂となって、あの彼女の周りから悪意が駆け巡るだろう予感があった。

 ならばその悪意に乗っかりつつ、行動したほうがいい。

 見ている人は見てくれているかもしれない。

 そう考えて地道に活動をしながら、じわりじわりと、今は二人である味方をさらに増やすことを考えていた。


 少しずつ、私はそれとなく汚名をひっくり返していく。


 お父様は家に帰ってくるのが遅くなった。

 聞くと、お前は何も心配するな、と言われる。

 無理していないといいのだけれど……。




 ※ ※ ※




 私がやったという悪事やいじめに、介入しだして半月くらい経った。

 最近なんとか、一人二人、教室で一緒に話をしてくれる子が現れ出していて。

 手応えをちょっとずつ感じて嬉しい日々が続いていた。


 お昼の休憩も終わり、その日の午後は家政の授業だから裁縫道具のある二階の教室へと向かう。

 階段を上がる途中、踊り場に足をかけて折り返しの階段の方に顔を向けると、見知った相手を見つけたので声をかける。


「あらゼファー」


 その瞬間。

 私は誰かとぶつかった。




 落 ち る




 体が後方へと傾く。

 ちらりと視界に映った左の手すりへとひらめきと共に手を伸ばした。

 なんとか掴むことができ、数段落ちるだけで私はことなきを得る。


 けれど。


「きゃー!!」


 ぶつかった相手はそうもいかなかったようで、階段下から悲鳴が上がった。

 うずくまったまま顔だけ向けると、落ちた相手に対して人だかりができている。


「しっかりなさって、デューデン様!」

「……っう……、ひ、どい、……しゅて、る、さま」

「シュテール様が押してらしたわ!」

「なんて事!!」

「誰か、医務の先生を呼んできてくださいまし!」


「何事だ!!」


 そこへ、私にとって運悪く王子がやってきてしまった。


「! ナナリ、どうしたんだ?!」

「お……じ」

「今先生を呼んでおりますわ!」

「階段から落ちてしまわれたんですの」

「シュテール様のせいです!」

「きっとデューデン様憎しで押したんですわ」

「先ほど見た方がデューデン様は押されて落ちた、と」


 その言葉に、彼が階段上の私へと視線をやる。

 かち合った瞳は、怨嗟の炎で燃え上がっているようにきつい。


「お前が、お前がナナリをっ。あれほど、あれほど出過ぎるなと忠告したのにか!!」

「私ではございません殿下!」

「黙れ!」


 言うとこちらへと駆けあがる仕草をした瞬間、彼は目を見開く。


「……そうか、そういうことかゼファー!!」


 知り合いだったことに驚き振り返ると、ゼファーが私の近くまで来ていた。


「ウルム、お前はまた俺を裏切るのだな!! その根性見下げ果てたぞ……」


 王子の暗く重苦しい声は続く。


「なんのことですか」

「しらばっくれるな! 俺は見たんだ、昔、ウルムとゼファーが一緒に遊んでいたところを! 俺と一緒にいる時よりよほど、しおらしくて可愛く微笑んでいたじゃないか!!」


 その言葉で思い出す。

 一回だけ彼、ゼファーと出会っていたことを。




 あれは確か、七歳になる頃。

 従者に断って帰り間際に王城の庭で遊んでいた時だった。

 彼もそこにたまたま来ていて、だから一緒に少し遊んだのだ。

 ひとしきり、隅っこに生えていた野花で冠とかを作ったりして。


「完成!」

「わぁ! すごいなぁ」

「ふふふ、これはお母さまに教えてもらったんだ!」

「ね、君はぼくの兄のおよめさんになるんだよね」

「知らない、そうなの?」

「そう聞いたけど……まぁいいや。ぼくの兄は、優しくて、とってもせんさいなんだ。だから、どうか兄をよろしくおねがいします」

「ウィリーのことが好きなのね、私も好きよ? 友だちだもの。まかせといて!」




【12 悪女は牢に入る】


 そうだった、昔それぞれにではあったけれど、私はこの兄弟と約束をしたのだ。

 ウィリーと共にある、と。


「なのに! 好きだったのに、愛していたのに! 母上はおっしゃっていた、裏切ったのだと、俺よりも奴を選んだと!! わかるか、俺の気持ちが!!」


 王子は両手で顔を覆った。

 泣いているのかも知れなかった。


「あれはっ」

「違うウィリー! 最近の彼女は自分の汚名を(そそ)ぎたかっただけだ! 事実王妃教育は毎日頑張っていたじゃないか、王城に来て王妃様と何時間も部屋にこもっていたのを俺は見」

「うるさいうるさいうるさい! 黙れ悪女黙れ盗人(ぬすっと)!! 言い訳など聞きたくない! おいそこの、人を突き落としたのはあの女だ。牢に入れろ!!」

「待ってください、ウィリー殿下!!」


 王子の掛け声に学園に常駐している王子専属の騎士が、私の両脇に来て引っ立てられる。


「殿下!!」


 誤解だと説明がしたくて抵抗した途端。

 危険行動ありと見られたのだろう、こめかみを殴られ私の意識はそこで途切れた。




 ※ ※ ※




 頬を何かが往復する感触がする。

 私はそのくすぐったさで、(まぶた)をあけた。


「ひっ!」

「目が、覚めたか」


 手のひらごしに見えたのはウィリー殿下だった。

 気を失い横になっていた私の傍らに座り、頬を()ぜていたらしい。


 思わず後ずさって、けれどすぐに背中が壁に当たってしまう。

 見渡すと、石造りの質素な部屋に私が今いるベッドと部屋の角にお花摘み(トイレ)の場所。

 部屋の一辺は全て鉄格子となっていて、自身が牢に運び込まれたということがわかる。

 じゃらり、と金属の擦れる音が足元からして、見ると(かせ)が足首についていて鎖がベッドの脚に繋がれているようだった。


「殿下、デューデン様の容態は?!」


 気を失う前の情景を思い出して、私は気になって尋ねた。


「笑わせる。お前がああしてしまったのに、形ばかりの心配か?」

「決して、決してそのようなことはっ!」

「黙れ!!」


 ベッドへ乗り上がると私へとにじり寄り、顎を掴まれ上に向けさせられる。

 怒りのこもった双眸(そうぼう)に、気持ちがひるんだ。

 右頬に、手の甲が当てられゆるゆると移動していく。


「女はベッドの上だけで(さえず)っていればいい」

「なっ!」


 思わずカッとなって王子の頬を張ろうとして、けれどその手は掴まれ阻まれた。

 そのまま手を横に引っ張られ、姿勢が崩れてベッドに仰向けになってしまう。

 いつの間にか両手首に王子の手があり、それは頭の上でひとまとめにされ彼の右手で縫い止められた。

 太ももの上、王子が跨いで座ってくる。


「ゼファーに国をやろうとでも言われたか?」

「なに、を……」


 制服の上着のボタンが次々と外されて。


「残念だったな、あれは妾腹の中でも実家の後ろ盾がないやつだ。王になることはないだろう」


 彼の左手が、頬、首筋、鎖骨をなぞっていく。


 嫌な予感がして体がだんだん震えてきた。


「……っ、デューデン様へは何もしておりませんし、王妃の座に固執もしておりません! 婚約解消をなさってく、痛っ」

「否定するな否定するな否定するな否定するな否定するな!!」


 王子が私の右胸を強く掴んだ。


「俺の、ことを、ひていするな!!!!」


 ブラウスのボタンが弾け飛ぶ。


「いやっ!!」


 いよいよと危険に気づいて私は全力で抵抗した。

 頬を打たれる。

 だけどこの先に待つ未来の方が、おぞましい!

 両手を突っぱねようとしたところ、もう一度打たれる。

 その衝撃で少し思考が揺れ、反応が遅くなったところに頭上で両腕が縛られる感触がした。

 ヘッドの柵に結えつけられたのか、そこから腕を動かすことができない。




 助けてゼファー!!!!




 ……ぁ……。

 私、何を……。


 お父様でもなく、お母様でもなく、どうして彼の名を……。



 この状況で自身の気持ちなんて気づきたくなくて。


 一筋。


 涙が頬を伝った。










 何かが私をまさぐっている。

 自由な瞳は見ていたくなくて瞼を閉じた。

 両腕の縛りは何をどうしても隙間すら生まれない。

 足はいくらばたつかせようとしても、王子が太ももに乗っているから大した動きにならない。




 諦めかけたその時。


「殿下」


 城の騎士だろうか、王子に声をかけるのが聞こえた。


「忙しい、後にしろ」

「そういうわけには。お忍びと理解しております、探されるのは本意ではないのでは。王がお呼びですので」

「チッ。……舌など噛むなよ。お前の父親が立ち回っている、長生きの方が親孝行だ」

「殿下」

「わかっている。うるさく言うな」


 面倒くさそうに前髪をかき上げながら、王子は腕の拘束をとき乗っていた私から離れると牢から出た。

 そうして格子越しに振り返り口を開く。


「処罰が決まるまでは、お前は俺の物だ。勝手に死ねばお前の家族がどうなるか……わかっているな?」


 その言葉に、ただただ恐怖しかなくて私の体はびくついた。


「……また来る」


 言って満足したのか、王子は騎士を連れて牢から離れていった。

 緊張がいっときほぐれる。

 けれど今の自分の状態を見るのも理解するのも、何もできなくて。

 弾け飛んだ先のボタンを見ながら、私はただただ涙を流した。




【13 悪女は告白をされる】


 牢にひとつだけある明かり取りの窓が暗くなった後、明るくなった。

 多分、一夜が過ぎて朝になったのだろう。


 私は眠ることができず、ベッドから離れ部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいた。

 すると、こちらへと近づいてくる足音がして騎士が交代を告げた。

 見張りの交代の時間らしい。

 夜にいた騎士が離れていった後、牢の格子扉の下、そこだけ横長にぽっかり開いたところから食事の乗ったトレイが入ってきた。

 交代と共に持ってきたようで、見た途端、お腹がぐぅと鳴る。

 おそらく騎士にも聞こえただろうけれど、もうそんなことはどうだってよかった。


 匂いが鼻をくすぐる。

 けれど、食事をしたいという気持ちは湧き上がってこない。


「……食べないの」


 不意に、騎士が口を開く。

 その声はよく知る人の声のようで……


「ゼ、ファー……?」

「しっ。あまり時間がないんだ、無事かい?」

「あなた……その顔」

「これ? 化粧なんだ、すごいでしょう。それより無事で良かった……すぐ処刑されてしまうかと思ったから」


 顔の造形が変わって見知らぬ男性のようになっているゼファーは、それでも面影のある表情で柔らかに微笑むと、私の無事を喜んでくれた。

 私は嬉しさを感じながらハッとして、両手ではだけかけているブラウスの前をかき寄せた。


「……私の元へ来ない方がいいわ。あなたまで破滅してしまう」

「ほっとけない」

「わ、わたしは王子の……物だから」

「屁理屈言うなら俺だって王子なのだから、ウルムは俺のものになってしまうよ?」

「……っ」

「何よりウルムは物じゃない。君の父上の尽力で婚約は解消されたよ。後は君の無実だけど、それも証明しようと頑張っている。俺も父を巻き込もうと思ってるから、どうか安心して?」

「でも……」


 ゼファーは躊躇(ためら)う私の方へと、牢の格子の隙間から手を伸ばしてきた。

 この手をとっても、いいのかしら……

 迷う私に、彼はさらに言葉をかけてくれる。


「ここの見張りは信のおける者に頼んでおいたから、しばらくは安全だよ。兄が酷いことをして……怖い思いをさせてしまって、ごめん」

「ゼファーのせいじゃないわ!」


 私は思わずゼファーの手を握った。

 その手を引き寄せられる。


「あっ」

「今ここから出ても、きっと兄は君を追いかけるだろう。最悪も想定しなければならない。ちょっと不便だけれど、ここで待っててくれる?」

「……待つのは性に合わないわ。私にできることはある?」


 私の言葉に、ゼファーは面食らったようで目をぱちくりとさせると花開くように破顔した。


「ウルムらしい。じゃあ、元気になること。今から告白するから、返事を考えておくこと」

「え?」


 言葉と共に手が格子の外へと引っ張られ甲へとひとつ、キスが降る。


「俺はウルムが好きです。兄の婚約者だからって諦めて、名誉回復に協力だけしてたけど……あいつは愛の伝え方を間違え続けたから、もういいかなって。全力で奪う気だからよく考え」

「嘘」

「え?」

「……そんな都合のいいこと、嘘だわ」


 思わず呟いて、けれど彼の顔を見るとみるみる真っ赤になるものだから、これじゃまるで告白だわと、慌てて口をあいた手でおさえた。


「都合良く思って? 俺も都合よく解釈しておくし」

「ゼファー……」

「時間がないからもう行くけれど、俺と今から交代する騎士は味方だから。何かあれば彼に」

「わかったわ」

「君を好きだよ、あいつが君を消してしまえば、俺も国ごとあいつを滅ぼしてしまえるくらいには」


 言い終わるなり握った手をさらに引っ張られ、格子まで顔が近づいたと思うと額にキスをされ彼は離れた。

 その姿が見えなくなるまで、私はそれまでの話がまるで現実味がなくて。

 ただただ固まっていたのだった。




 それからとりあえずは食事をした。

 味はしなかったけど、元気でいる約束はきちんと守ろうと思えた。

 告白については、流石に混乱した。

 なんで私? とか色々思うところはあったけれど、とりあえず置いておくことにした。

 こんがらがってしまいそうだった、から。


 まずは牢での生活に慣れて、生きて元の生活に戻ることを目標に。

 そうでもしないと、気持ちがぴょんぴょん跳ねていってしまいそうだった。

 牢でそうなる、というのも変な話ではあるけれど。


 味方だ、という話の騎士の方には、毛布だけ頼んであとは普通にしてもらった。

 なんでも頼んで、もしもがあったら怖かったから。

 やってもらいすぎて、その人の命が消し飛んでしまっては元も子もない。

 だけどベッドだけは死んでも使いたくなかったから、毛布の差し入れは助かった。


 何度かの食事と、何度かの就寝を経て。

 ある時味方だとは言われていない騎士に声をかけられた。




「お前の処刑日が決まったから、何か希望があれば一つだけ聞いてやろう」




 と。




【14 悪女は見張りと話をする】


「では、質素で上品。背中だけはあいたドレスを一着」


 部屋の隅に座ったまま、そんな言葉がするりと出た。

 万が一最期なのなら、せめて一度くらい王子に文句を言ってやりたかった。

 やられたことをきっちりと世に知らしめたかった。

 無駄に、終わるのだとしても。




「……なぜ、そんなに落ち着いていられる?」


 騎士がぽつりと言葉をこぼす。

 それはどこか独り言にも似ていたけれど、私はなんだか話したくなって返事をした。


「落ち着いてなどいないわ。今にも震えそうよ、わかる?」


 実際私の両腕は小刻みに揺れていた。

 揺れる手をそのままに、握り込む。


「だけど信じているの」

「何を」

「助けてくれるって言ってくれた相手を」

「ハッタリかもしれねぇし、嘘かもしんねーだろ」


 騎士は鉄格子の扉の前に突っ立ったまま、ぶっきらぼうに言った。


「私が信じたいのだもの。それが例えばハッタリでも、嘘でも、信じたいから信じているししょうがないわ」


 そう、しょうがないのだ。

 あの時確かに支えようと決めた私も。

 支えきれないと諦めた私も。

 どうしても惹かれずにはいられなかった私も。

 家族と分かち合うのが遅れた私も。

 全部全部しょうがない。


 だって私の心が決めたから。


 彼は何事かに驚いたようで、目を見開いて、だけどやはり突っ立ったままだった。

 私は何に驚かれたのか皆目見当もつかなくて彼を見つめる。


「……覚悟を、しておいた方がいい」

「覚悟?」

「巷じゃお前さんの噂で持ちきりだぁ。深窓の令嬢を殺しかけただの、毒殺しようとしただの。後は王家の長男坊と次男坊が悪女を取り合って大げんかってな」

「まぁ」


 とんだ噂もあったものだ。

 見ようによっては真実だけれど、中身の事実はまるで違うのに。


「残念ながら、その長男坊との仲は最悪だったのだけれど」

「お姫さんの事情なんて民衆にはわからねぇよ。わかるのは、殺しかけたって話や、悪い女に騙された男が身を滅ぼそうとしてるとこだけだ。国が危ないときてだいぶ恨まれてるぜ、あんた」

「勝手なことね、……私の立ち回りが悪かったことは認めるけれど」


 私は一つ、ため息をついた。

 騎士は少し気を緩めたのかいきなりその場に座り込む。

 彼のその動きに私も少しだけ、声が届きやすいように部屋の隅から鉄格子の近くへと移動した。


「俺から見ても長男坊、ありゃ異常だ。姫さんが逃げたくなんのもわかる」

「……あなたは、私に同情的なのね」

「まぁ立場上、色々見ることもあるからな。守秘義務があっから話せねーが」

「王族も、大変なのね。もっと色々知ろうとすれば良かったわ」

「次は気をつけな。ただまぁ……こればっかりは仕方ないだろ、何せ相手が隠したがってた」

「そうなの?」

「そう。だからあんまり気に病むな」


 その騎士は気安くにやりと笑う。


「あなたは私を憎く思っていないのね。それに王城の騎士にしては」


 これ以上は余計だったかしら、と口をつぐんだ。

 彼は気にした風でもなく、さらりと返事をする。


「口が悪い、か? 俺は平民出から出世したからな」

「それって凄いことじゃない」

「だろ? だからまぁ、どっちも知ってるから大変さも、恨みも、どうしようもなさも、なんとなくわかるのさ。さてそろそろお喋りは終わりにしようか。背中あきのドレス、だったか」

「ええ、お願いできるかしら?」

「任せとけ、とまでは言えねぇが、善処(ぜんしょ)しよう」


 言うと彼は立ち上がり、元の騎士然とした雰囲気へと戻った。

 私はそれを眺めながら、やはり立ち上がる。

 騎士が一礼すると踵を返したので、その後ろ姿に声をかけた。


「ありがとう」

「あなたは、貴族の割には色々見ることができそうな方だ。どうかその意思、見失わぬよう」


 背中越しのその呟きは、私のなけなしの心に炎を灯す。


 せめて気持ちだけは負けないようにしよう。


 そう決めて処刑を告げられた日をことさら丁寧に。

 囚人の最後の日々に唯一許可されている、手紙を書いて過ごした。




 ※ ※ ※




 次の日私は早めに目覚めた。

 とは言っても、時間のわかるものは窓から差す光しかないから、体感ではあるのだけれど。

 ひんやりとした石の感触にもなれたけれど、今日でお別れかと思うとなんだかつい、手で撫でてしまっていた。


 ふと見ると、扉の内側に私が眠っている間に届けられたのか、ドレスが一着、おいてある。

 近寄って触ってみると、サラリとして上質なのがわかった。

 もしかしたら、ゼファーが用意してくれたのかもしれないな。

 そう思ったら気合が入る。


 私は早速そのドレスに袖を通し、髪を手櫛で整えた。

 鏡がなくて確認はできないけれど、ドレスは白く、あっさり目の光沢があってなかなかに肌に心地よい。

 ストンとしたラインに近いスカート部は、ドレープがたっぷりとあって、品がありつつ可愛い。

 背中は指定通り丸あきで、背中の頑張りの証がすーすーとした。


 これまではどこか恥ずかしい気持ちだったけれど、今はこれが勲章。


 両頬を手でぱん! と叩いたと同時に声がかかった。


「時間だ」


 刑執行官が、扉を開けこちらを見ていた。




【15 悪女は断罪される】


 彼らは三人ほどいて、どうやら私に声をかけた禿げ頭の人が一番偉いらしかった。

 他の一人のうち、小柄でおかっぱの方が私を後ろ手に縛り、足枷の鎖をベッドの脚から外して持つ。


「ウルム゠シュテール、王太子の命により本日これより刑を執行する」

「異論があるけど従うわ」

「お前、生意気なっ!」


 大柄で角刈りの残りの一人が、私の言葉が気に入らなかったようで威圧してきた。

 負けじと私の方でも凛と背筋を伸ばしてその瞳を見返す。


 私に返されると思っていなかったのか、角刈りは少しばかり目を見開くと「チッ」と舌打ちをした。


「ダン、静かに。罪状を言い渡す、王太子の次期婚約者に対しての暴行及び殺害未遂。刑はギロチンによる死刑だ。首を切る前に大切な者に言い残す時間の自由があるが、使うか」


 王太子の次期婚約者、という強い言葉に少しの眩暈(めまい)がする。

 そこまで話が進んでいたのなら何故、という益体(やくたい)もない考えが浮かんだけれど言葉にはしなかった。


 執行官に言ってもそれはお門違いだ。


「使います」


 最後の自由を使い切ろうと、力強く返事をした。




 ※ ※ ※




 王国の精神的最果て、処刑場にやってきた。

 ギロチンに首吊り、引きずり回すための馬などありとあらゆる苦痛集まる場所。


 石積みとモルタルで円形に整えられた鉢底のようなそこは、周りをぐるりと腰掛けられる席が設けられ今、観衆がはちきれんばかりだ。

 遠くその表情は窺い知れないが、処刑場は現在私を眺める者の怒号がひしめいている。


 一番よく見える特別席には今、王子とその取り巻きらしき人達が座っていた。

 国王などの姿は見えない。

 もしかしたら、これは王子の単独での行動なのかも知れなかった。


 そうした中、私の首はギロチン台にかけられ別れの時を待つ。


「この者は、王太子の次期婚約者への非道極まりない暴行、果ては殺害未遂を起こした! 王太子並びに第二王子を拐かそうとし、未来の国の中枢まで脅かした!!」


 一番偉い刑執行官のその一言に、観衆から割れんばかりの罵詈雑言が聞こえてきた。

 気を良くしたのか、彼はさらに言い(つの)る。


「傾国の悪女を野放しにしていては、いずれこの国へ災いをもたらしやがて民草根絶やしにされん。今こそ正義を!!」


 言葉が終わるなり「正義を!!」と言う民衆の復唱と歓声が沸き起こる。

 方々から、やれ盗人だの、色情魔だのという単語も聞こえて。

 どうやら大分根も葉もない噂が駆け巡ってしまったらしい、と王子側の根回しの良さにある種の感心までしてしまった。


「さりとて、如何なる罪人とて最期に等しく自由与えられん。言い残しはあるか」


 執行官の問いに私は形だけはしおらしく頭を台の上に乗せて、息を深く吸い込み言葉の拳を力一杯振り上げた。


「ひと思いに殺せ! 私は(そし)られるようなことはしていないがな!!」


 腹の底から全力で。


「黙れ悪女!! 反省する気持ちはないのか!」


 刑執行の場での言葉は、しおらしい反省以外受け付けていないらしい。

 反抗的な態度に、角刈り執行官に押さえつけられ脇腹を蹴られた。


「かはっ……!」


 手は後ろで拘束され膝をつきくの字に曲がった体、その先にある頭は台の上にあり、暴力から逃げることもできない。

 だけど口はまだ動く。

 私は反抗上等とばかりに、台の上に押しつけられた頭を目一杯持ち上げ執行官の押さえつけから解放し、痛みすら無視して、ただ自分の思いを言葉にした。


「私は本当に何もしていない! 証人も探せばいるはずだ!! 裏を返せば私に罪を被せたい者がいるということ! 王族につけられた傷は私の背中にこそある!! それでも国の知とならんと勉強してきた誇りもだ!!!!」

「黙らないか!!」


 脇腹を先ほどより強く蹴られ、頭も再び台へと押しつけられてしまった。


「ぐっ!」


 痛みを(こら)える私に冷ややかな目を向けながら、禿げた執行官が口を開いた。


「それでは刑の」


「待たれよ!!」


 そこへいななきと共に駆けってきたのか馬が飛び込んできた。

 聞き慣れた声もする。


「ぜ、ふぁ……?」


 ざわめきが会場を埋め尽くした。

 馬から下乗(げじょう)しつつ彼が何か言っているようにも見えるけれど、掻き消えて聞こえない。


「静粛に、静粛に!!」


 執行官が場を鎮めるために三人揃って民衆へと声を張り上げた。

 そこへ第二、第三の馬が飛び込んでくる。

 混乱の中で私はゼファーに縛られていた手を解かれ、ギロチン台から救い出されていた。


「静粛に!!!!」


 何度目かの声かけの後、民衆は何事かと口をつぐんだらしく場が静寂に包まれた。

 その中で、一番偉い刑執行官がゼファーへと声をかける。


「第二王子、これは何事ですかな」

「刑は取りやめです、証人を連れてきました」


 彼の言葉に、執行官が狼狽(うろた)える。


「しかし」

「そもこの刑、誰の主導で執り行っている? 王の許可はいただいたのか」


 執行官の声に呼応しゼファーがより強い口調で尋ねた。


「王太子が、稀に見る非道の為、議会を通り越し王に直接談判し取り付けた、と……」

「父上! それは誠ですか!!」


 場に通る声でゼファーが高らかに呼びかける。


「否!!」


 呼びかけへの応答に、その場が騒然となる。

 声のした方を見ると特別席の後方に、他を圧倒するほどの威厳ある姿があった。


 王子と、既に婚約者然としてそばにいたらしいデューデン様が、連れ立って席からこちらへと移動してくる。




【16 悪女は王子の狂愛をみる】


 デューデン様は階段から落ちた割には軽い怪我だったのか包帯を腕と足首に巻き、流石に歩きづらいのだろう、良く一緒にいる女子生徒の肩を借りていた。


「……ゼファー、これはどういうことだ!」


 叫ぶなり王子がゼファーの胸ぐらを掴みつつ、ギリギリと音がしそうなほど歯を食いしばる。

 その目は灼熱(しゃくねつ)を思わせるほどだ。

 彼はその両腕を掴むと下へと離させながら答えた。


「言葉の通りだよ、無実のものに刑を執行する謂れはないからね」

「ウルムは罪を犯した、それは明白だ。証人もいるし直接被害に遭った彼女のことはどうする?!」


 王子が叫ぶ。

 下がり切らない王子の両腕は、今にも殴りかかりそうなほど力が入っているのが見てとれる。


「ゼファー様ぁ、わたくしが突き落とされたのはあなた様も見ていたはずですわ。今もとっても怖いんですの、わたくし……」


 潤んだ目でゼファーを見つめながらデューデン様が訴えた。

 彼はちらと彼女を見たが、すぐさま目の前の王子へと視線を戻す。


「私は突き落としたりしておりませんし、何なら足を引っ掛けられたり、机に刃物を入れられましたわ」

「わ、わたくしだって!! わたくしだって筆記帳を破られたりしましたのよ? 悲しゅうございましたわぁ。お友達が、シュテール様の後ろ姿を見た、と言ってましたの……」


 私はここぞとばかりに事実を羅列して、された側だと訴えた。

 が、敵も負けておらず被せるようにして自分がされたということを情感たっぷりに話し、果ては涙まで流した。

 やってないというのに!!

 こんっっっっっの、性悪女!!


 (らち)のあかない言い合い罪のひっかぶせ合いに、お互いがお互いを密かに(にら)む。

 そんな中。


 遅れて国王様も、悠然(ゆうぜん)とお供と騎士を連れて歩いてくる。

 そして処刑場の中心へ着くと、ぴたりと足を止めその場の者へとぐるり、視線を向けた。


 王子、デューデン様、ゼファーに私、刑執行官の三人や民衆が、国王様の動向を固唾(かたず)を呑んで見守っている。


「私は刑を許可しておらぬ」


 谷へと深く響くような声音は、風格を伴って周りへと伝播した。


 刑執行官達は目を見開き、民衆からはどよめきが起こった。

 その声に風向きが変わる予感がして、私は国王様を見た。


 頭上にいただくは王冠、ゆったりとした顎髭を(たくわ)えたその風貌はとても厳しいけれど、その瞳の優しげな光に中和されどこか柔和だ。

 婚約者選定の時にお会いしたけれど、緊張していてよく覚えていなくて。

 私はつい改めてまじまじと国王様を眺めてしまう。


 すると、つい、と国王様の視線がこちらへときて、破顔された。


「ウルム、久しいな。ウィリーの婚約者としてよくやってくれていると報告は受けていた」

「は、ははは、はっ。勿体なきお言葉でございます」


 いきなりのお声がけにうっかりと噛んだ。

 私は正式な挨拶をと腰を落とそうとしたけれど、国王様自らにとめられた。


「挨拶は良い。此度(こたび)は兄弟喧嘩に巻き込んでしまったようだしな。私の監督不行き届きだ、すまぬ」

「滅相もございません」


 曖昧な微笑みと共に私がそう返すと同時に、国王様の瞳に(けん)が宿る。

 そしてすぐさまウィリーへと言葉が飛んだ。


「ウィリー」

「はい父上!」

「誰の断りで刑を決めた」

「そ、それは……しかし!」

「でもではない。私怨を認めれば国は崩れる、わかっておるのか」


 とても、静かな声だった。

 けど何かが王子の気に引っかかったらしい、国王様の言葉に反論が出た。


「私怨などではございません!!」

「ほう。お前はこれが公の元に晒されるべき罪、だと?」

「そうです!! ウルムはデューデン嬢を階段から突き落とした、他にも鉢植えが落ちてきたりとその魔の手は枚挙(まいきょ)にいとまがない。私はデューデン嬢を新たな婚約者にと考えていました。婚約者候補を害すのなら国へ仇なすことと同義ではないですか!!」


 王子の演説ともいえる長口上に、表情を変えることなく相対していた国王様が口を開く。


「ふむ。お前の言い分はわかった」

「なら」

「証拠を見せよ」

「え……」


 戸惑いが王子の口から漏れた。

 その表情は、本当にわかっていないようだ。

 国王様は渋面のままさらに言い募る。


「国家への反逆である証拠を見せよ、と言った。聞こえなんだか。ゼファーからはお前の口上より優に数倍近い報告書を得ておるぞ」

「しょ、証人ならいます!!」

「それもゼファーから、かなり仔細に聞き済みだ。何時何分に誰それが何をしておったのか、きちんと報告書にも記載があった。書面に書かれた者に尋ねればいくらでも証言が得られよう」

「私にだってそれくらい!」


 言いながら王子を見つめるその瞳には、苦悩と慈愛があるようにも見えた。

 王子はなおも食い下がる。


「それくらい、か。ならば以前よりシュテールが婚約解消を願い出ていたことを何とする? 世間の感覚を交えれば、辞退したい立場を守るために他者を害する、ということがいかに矛盾しているかわからぬか」

「だからそれはゼファーがっ」

「ゼファーではない、お前の問題なのだ。お前がウルムを手籠(てご)めにしようとしていたのも報告を受けた。それを阻止するに手を貸したのは私だ」

「なっ」


 国王様を驚きの表情で見つめながら、王子は声を上げた。


「国は人で成り立つ。またその成り立つ元の人も、支え合わねば崩れやすい。ウィリー、お前はウルムを支えたか?」


 国王様が理によって王子を現実に引き戻そうとする。

 何が起こるかわからなくて私が内心恐ろしく思っていると、不意に肩に何かの感触がした。

 見ると、手を置きゼファーが力づけるようにそばに寄ってくれたらしい。

 少しホッとする。


「……っ、ゼファぁあああ、その汚い手を離せウルムは俺の物だあああああ!!!!」


 と、突然王子がこちらへと飛びかかってこようとした。

 同時に、国王様がさっと手を挙げたかと思うと王子のいる方向へと手を下ろす。

 それが合図だったようで、彼はすぐさま国王様の脇に控えていた騎士に取り押さえられた。




【17 悪女は王妃の死に立ちあう】


「離せ! 俺は王太子だぞ!! 父上、この者たちを退かせてください!」


 抵抗したため地面へと騎士二人がかりで縫い付けられてなお、王子は自身の異様さに無頓着(むとんちゃく)であるらしい。

 私は彼のあまりの変わりぶりに、背筋の凍る思いがして体が震える。

 それに気づいたのか、ゼファーが背中をさすってくれた。


「ゼファー、離せと言っているだろ!! それは俺のだ、指一本触るなずっとずっと俺のだったんだなのにお前に見せたばっかりにぃぃぃ!!!! ウルム、ウルム早くそいつから離れろお前を取り込んで王になろうと画策しているようなやつだぞそいつの愛は嘘だ! 俺こそが真実の愛を」


「それは愛か」


 王子の言葉に国王様がポツリと漏らす。


「父上当たり前でしょう!! この俺が、俺が好きだと愛していると言っているのです。初めて好きになったのですあの日あの時あの場所で!! 花のように可憐で月のように光り輝いて俺を照らしたんだ。俺について来てくれるって言ったし俺ののはずだ、柔らかく瑞々(みずみず)しく俺を愛してくれるウルムがいなくなるくらいならいらない他にやってしまうくらいならいらないいらないいらない」


 ぶつぶつと呪詛(じゅそ)のように繰り返すようになった王子は、もう目の焦点があっていないようで。

 少し心配になってついじっと見ていると、そのことに気付いたのかこちらへと顔を向けにこりと笑顔を見せた。

 その時。




「あらあらまぁまぁ。ウィリーが痛いのではなくて? わたくしの息子を離してくださいな」



 一等胆力(たんりょく)を秘めた強い、けれど小鳥の(さえず)るような涼やかな声がした。


 声のした方をみると、そこには数人のメイドと騎士を引き連れた王妃が、真紅の(きら)びやかなドレスを(まと)って立っている。


 いつの間に。


 王子の錯乱(さくらん)にみんなで注目していたからだろうか、近づいて来ていた気配を誰もわからなかったらしく、皆一様に驚いていた。

 民衆からも「あれって」「王妃様じゃないか?」と言った声がちらほら出ている。


 そんな中でも特に気負った風もなく淡々と、王妃様は言葉を重ねる。


「皆様でこのようなところに寄り集まって、一体何の騒ぎなのです? 今日は刑執行の日ではなかったかしら。なのに、わたくしのウィリーが地べたに這いつくばっているとは……なんと悲しいこと」

「母上! 母上からも俺が正しく主張していると、言ってやってくれ。いくら言っても理解が及ばないらしいのだ」

「黙らっしゃい! ウィリーあなた疲れていますのよ。今日はもうお喋りはやめておいた方がいいわ。そこのお前、ウィリーを離しなさい、これは命令よ」

「……王妃よ、それは出来ぬ」


 ある種のあっけに取られている中、国王様だけが落ち着いて、王妃へと近寄り言葉をかけた。


「あなた……何故です? わたくし達の可愛い一人息子が助けを求めているのです、情がおありでしたら、自室で休ませてあげてくださいまし」


 王妃は、国王様の胸元に飛び込み手を胸に当て懇願した。

 けれどその体は密着する前に肩に添えられた相手の両腕によって、(はば)まれる。


「情だけで国は動かせぬ。ウィリーは法を犯した、私の印を勝手に持ち出し使ったのだ」

「まぁ、それくらいのこと。次期国王となる身ですもの練習と思えば良いではないですか」

「そうはいかぬ。あやつは王太子であって王ではないゆえに」


 言いつつ、王妃の両脇にいた騎士へと国王様は目配せをした。

 気づいた騎士達は王妃の腕を取り拘束に近い形になる。


「無礼者! 手を離しなさい」

「よい、私が今命じたのだ。職務である」

「あなた!!」


 王妃から悲鳴が上がった。

 その顔はひどく歪んでいる。

 国王様はその様子に眉を下げ、けれど落ち着いた声音で王妃へと語りかけた。


「方々から私自身話を聞いた。ウィリーを虐げ洗脳し、此度の騒動の主犯格とも言える立場に仕立て上げたのは、そなただ。挙句そこのにウィリーは誑かされ、計略というには稚拙な策に嵌る幼さときた。王妃よ、私はそなたを重用し、尊重していると思うていた。何が、そうさせたのだ……」


 ぴくり。


 尊重と国王様が言葉にしたあたりで王妃の体が動いた。

 と思うと全力で騎士の手を外しにかかる。

 王妃に無体は働けぬと思ったのかそのまま拘束は解けてしまう。

 そうしてみるみる、先ほどまでのにこやかな笑顔が変化し、真っ赤に染まるのを通り越しどす黒くなった。


「尊重……尊重!? 一人しか男子を産めず、側妃を迎えるに許可をしたら、横からのこのこと出てきた愛妾に正妃の尊厳を踏み(にじ)られたこのわたくしを、あなた様が尊重していた、と」


 ふふふふふふっ


「……はは、上?」

「うふふふふふふふふふ、ああ、嗚呼!! わかっておりましたわ。あなたはわたくしを飾っておきたかっただけのこと。わたくし自身をなんて、ひとつも、ただのひとつも見てらっしゃらなかった、今も、なお!!!!」


 言いつつ王妃様は国王様の側まで行くと、胸元を両手で叩いた。


「お主……」

「あなたはなんでも『そなたに任せた』とおっしゃる。だのにその後を気にかけたことなど、これまで一度もございませんでしたわ、お気づき?」


 尋ねられたことに、国王様は何も返さない。


「わたくしたちお似合いねぇ、他人よりも自分が大事。願いを叶えるなら周りのことなど無関心になれるのだもの!!」


 王妃様のその金切り声は、ただただ悲しい、と私には聞こえた。

 その声に、誰も動けず誰も声を発することはできなかった。


 しんとした静寂を破ったのは、王妃様自身で。

 今度は地べたに這いつくばった王子へと、歩みを進めると彼の側にしゃがみ込んだ。


「企てたのは全てわたくし。ウィリーに言葉の毒を盛ったのもそこのの背にある傷も、わたくし自らの手でこさえましたから、罪状はいくらでも立てられるかしらね」

「母上? 俺は、俺は間違っていないだろう? なぜそんなこと言うんだ……」

「終わったのよウィリー、わたくし達は。もう」

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 母上は言ったじゃないか、ウルムはゼフ」

「嗚呼、可愛いわたくしのウィリー」


 王妃様は懐に隠していた何かに口をつけると、王子の頬を両手で包み込みながら上向かせ、口移しで何かを含ませた。


「ぅっぐ!」


 それが喉へ通るのを見守ると自身の口中にも残していたのだろう、立ち上がりながら残りを飲み込んだようだ。

 捨て去られた小瓶が足元に転がり、その中から残った液体が少し、漏れ出ていた。


「ふふふ、わたくしから奪ったのだから、わたくしも奪い返しますわ。王太子も、王妃も、賢王たる印象も全て!!」

「グアっ、嗚呼嗚呼あああ!!」

「ウィリー様ぁぁぁぁ!」


 王子が喉をかきむしりながら苦しみ出す。

 それと同時にデューデン様から悲鳴が上がり王子のそばへとしゃがんで縋りついた。

 王妃はもうその様子を見てはいないようで、ぐらぐらとただその場に立っている。

 けれど。




 ふふふふふ……ぐっ、あ、嗚呼嗚!


 悲鳴のような咆哮のようなそれの後、国王様へと向き直した王妃様は口から血を流しつつ晴れ渡る空のような微笑みを




 残し、


 倒れた。










【18 悪女は思い出ごと彼と共に】


 きゃー!!


 誰からともなく悲鳴が上がる。

 民衆のどよめきが風のようにやってくる。

 慌てふためく国王のお供や騎士達。

 デューデン様は王子に縋りつき絶叫しながらその体を揺する。


「誰か! 医療の心得のあるものはおらぬか!! 誰でも良い、(はよ)う!!」


 青ざめた国王様が、動揺を(にじ)ませつつもなんとか落ち着いた声で呼びかける。


(わたくし)が!」


 そこへ声を上げたのは、特別席に来ていたらしい私の母だった。

 気づかなかった、いつからそこに?

 私が驚きと嬉しさにどぎまぎしているうちに、颯爽とこちらへと駆けてきて王子の処置を始めた。

 後ろから父もやってきて、騎士と共に動きはじめる。


「誰か水を!! 大量にちょうだいな」


 ついで王妃様の元へ行き呼気などを確認していたけれど、母は国王様へと顔を向けると静かに、首を横に振った。


「シュシュリナ……」


 国王様が顔を歪ませ震えた声で王妃様の名前を呼ぶ。

 けれどすぐ様切り替えたのか、元の威厳ある姿に戻った。


「誰か担架を!! 処置を進めつつ王城へ戻る」


 侍医(じい)の元へ戻る方がいいと判断したのだろう、騎士達にそう指示すると手早く帰城の支度を進めていく。

 私もゼファーも見ることしかできなかった。

 その私達へと向き直り、国王様が口を開いた。


「ウルム、此度のことはまた改めて謝罪の場を設けさせてほしい。……ゼファー、私はウィリーと王妃のために一旦城へ戻る。混乱したこの場を任せてよいな?」

「わかりました」

「……苦労を、かける」


 そう言い残し、私の父母、そして国王様達一団はその場から王城へと帰って行った。


 場は今も混乱しているのだろう、騒然としている。

 私は現実味がまるでなくて、ただその場に突っ立っている。

 隣に立つゼファーが、そっと私の手を握ってきて、彼の方を見ると前を見据えながら口を開いた。


「今から言うこと、よく聞いて、聴衆のこととか考えずに、ウルムの心で答えを出してほしい」

「え?」


 何を言われたのかわからなくて、私はただゼファーを見つめた。

 彼の手が離れていく。


「お集まりの方々、本日はご足労いただきありがとうございました! 今あなた方がその目で見、お聞きになったことは紛れもない事実であり、この場で起きたことは王並びに我々王族の罪であり罰です」


 誤魔化しもせずきちんと認めた彼に、会場からどよめきが上がる。


「しかし、事情はそれぞれの胸の内にあり、それもまた真実であったこと。そのために起きた今日の悲劇は、我々国の中枢を担うものがそれぞれ胸に刻まねばならないものだと、私は考えています」


 ゼファーはそこで、一旦言葉を区切った。

 少し言葉が詰まったようだった。

 けれど気丈に、締めの言葉を発する。


「また言えた義理ではありませんが、どうか皆様も、身近な人と目を見てきちんと話し、噂を信じず相手をきちんと知っていただけたらと願います。私も気をつけながら、これからより一層国のために尽力することを、ここに誓います!」


 誰も何も言わない。

 王家の信頼は失墜(しっつい)したのかも知れなかった。

 不安になってゼファーを見る。

 その瞳は、ただただ力強かった。


 間を置いて、まばらな拍手が起こる。

 やがてそれは大音量となった。

 彼の目が見開かれて段々と潤む。

 良かった。


 そう思ったら抱きつかれた。


 再び場に少しのざわつきと静寂が戻る。


「ウルム」

「はい」


 抱擁は一旦解かれ、潤んだ瞳で見つめられた。


「これは償いじゃない。けれど、王族である俺と共にいたら、きっと兄上のことを思い出すだろう。背中の傷がひどく疼くかも知れない。離れるべきだとも思う。けれど、嫌なんだ。君のことが好きすぎてそばにいたいと願ってしまう」


 出来事と言葉の乱高下に、ふわふわ考えがまとまらない。


「願いを、叶える許可を……くれないかい」


 言われ、私の涙腺は壊れた。


「いいえ、いいえっ! 私がお慕いしているのよ。殿下は自分の罪だと言った……ならばこれは私にとっても罪。一緒に考えながら、歩ませてくださいまし」


 失わせておいて、と。

 命を奪っておいて、と言う人はいるだろう。

 けど私は、それごと一緒に生きていきたい。

 あの日も本当。

 今日もまた、本当なのだ。


 見つめ合うと、そっとキスが降ってきて。

 私はそれに応えた。


 民衆からどよめく声。

 一つ二つ「いいぞー」だったり口笛が聞こえ。

 それはやがてうねりとなり、拍手や応援の声となった。

 場を埋め尽くすその音に、私の目から一粒。

 涙が落ちて土へと還った。

 けれどもうあの日々には還れないし還らない。

 それごと進むと決めた胸の内が、背中と共に熱かった。



 鳴り止まない民衆の熱気の中。


 きらきらとした「ウルムー!」という呼び声とかけてく足音が――聞こえた、気がした。




 ※ ※ ※




 翌日、王妃様の罪状確認の簡易裁判と葬儀の手配が素早くなされ。

 その翌日にはひっそりとしめやかに、国葬が執り行われた。




【19 女の子は手を取り合って未来をめざす】


 



 ※ ※ ※




 ――数ヶ月後。


 私はお母様お父様と共に王城へと招待された。

 悼む場でもあるからと、華美にならないような服装で馬車に揺られる。


 王城で通されたのは、謁見の広間などではなく応接間だった。


 国王様に謝罪を受け、その後私は場を辞した。

 後のことは大人達で話したほうがいい気がしたから。




 両親と国王様に許可をいただいて、私は色々な思いと共に進んできた廊下を歩いた。

 ウィリーとかけっこをした場所、王妃様の後ろをついて歩いた場所。

 ひとつひとつ、確認するように歩く。


 そうして進みながら一人、あの始まりの場所へと着いた。




 今日は晴れているから、木々が青々しく風にゆらゆらと揺れている。

 花が咲き誇り、噴水や脇の方にはちょっとした菜園のあるその場所は、ウィリーと遊び王妃様に見守られた場所でもあった。


 眺めていると、花壇を見ている背中を見つけた。


「ゼファー」

「ああ、ウルム。そうか、今日は父上が謝罪の場を設けた日だったね、いらっしゃい」

「お邪魔してます」

「話は、もう済んだの」


 彼が、振り向きながら柔らかく聞いてくる。

 私は近づきながら答えた。


「後は大人に任せたわ」

「そう……」


 前へ向き直す彼の、横に立つ。


 ゼファーは手を目の前にある花へと伸ばしながら、ぽつりぽつりと、話し始めた。


「……どこからか聞いていたかも知れないけど。俺は、王族といっても王妃様が言ってらしたように、側妃の子ですらない」

「知らなかった……。ウィリーも王妃様も、おっしゃっていなかったから」

「外聞が悪かったんだろう。母は王城でメイドをしていて、見初められたらしい。暫くは城下で俺と母は二人で暮らしていた」


 暮らしぶりは悪くなかったという。

 彼が言うには、国王様からの資金援助が少なからずあったんだろうということだった。

 慎ましくも楽しい日々、それが儚くも散ったのは彼が六歳、あの私がウィリー王子とあったまさにその頃で。

 お母様が亡くなって国王様に引き取られたものの、やっと側妃を迎える許可を得たばかりの時期で。

 ゼファーの存在は特秘とされた。


「俺は敷地のはずれの離れで、ひっそりと暮らしていた」

「よく見つからなかったわね」

「そこ以外立ち入り禁止だったからね。俺も勝手がわからなくて、きちんと守っていたし。……けどそれが王妃様に見つかったのは、その生活に飽きて許可外の敷地へ足を踏み入れたからだった」


 私は思い出した情景を、再び脳裏に思い浮かべていた。

 あの日、王城の庭隅で出会ったのは多分、抜け出した時だったんだろう。

 それを目撃されてしまったらしく、彼は王族として迎え入れられはしたけれどやはり、少し体が弱いことを理由に病弱ということにされその存在は隠されて、知る人ぞ知るとなったらしい。


「ウルムの噂は聞いていたよ。おしゃべりなメイドが色々と話していたから。……兄上からも、聞いたことがあるし」

「ウィリーからも?」

「うん。引き取ってもらってすぐ位に、実は住んでる離れが兄上にバレてね」

「え?!」

「ほら、兄上って活発の権化、みたいなとこがあったから冒険してたらしいよ、王城の敷地全部」

「まぁ」


 ウィリーらしい。

 庭先に、かけていく彼の背中が見えた気がした。

 その彼は今、生死の境を彷徨(さまよ)いつつも、デューデン様の介抱の甲斐(かい)もあって少しずつ回復しているらしい。


 あの混乱の後、改めてゼファーが調べてくれた内容が精査され。

 私の怪我の元となった男子生徒は退学になり、色々と噂にのせられて行動を起こした人達もそれぞれ罪に見合った処罰を受けた。

 発端となったデューデン様もまた、周りの証言から罪に問われることになった。

 けれど――


 あの場の衝撃が大きすぎたのか、本人からはまともな証言が得られず。

 ただひたすらに介抱だけをする様に、ウィリーの容体が安定し次第城のはずれでひっそりと、二人一緒に療養と称した幽閉をされることが決まったらしい。


「……俺の存在が、きっと王妃様と兄上を壊した」


 彼のその発言に、私は思わず彼の手を取った。


「違う! 違うわ!! いえ……きっかけかも知れない。けれど、その後の選択はそれぞれがしたのよ。王妃様も、ウィリーも、もちろん……私も」


 そう、いつだって選んでしまっていた。

 足掻(あが)かず諦めの道を……後悔に、つい手を離し花壇を見やる。


「ウルム……」

「私も国王様も王妃様も、ウィリーも……間違えたの。きちんと言うべきを、間違えた。それは誰の責任でもなく、自分の責任なの。特に上に立とうとするものにとっては」


 花が風にそよいでいる。

 そこから視線をゼファーへと向ける。

 澄んだ水色が私を見つめる。

 彼が、口を開いた。


「兄上の廃嫡が決まった。父上は引退するそうだ。後継にと言われたけど断った」

「そう」

「ただ弟がまだ小さいから戴冠させるわけにもいかなくて。中継ぎとして立とうと思うんだけど……ついてきて、くれる?」

「あらゼファーこそ、悪女が隣でもよろしいの?」

「喜んで!」


 冗談めかして踏ん反り返ったふうにして言うと、彼が破顔した。


 どちらからともなく手をのばし繋いだ。

 私たちはまた、歩き出すだろう。







 もう、ひたむきにただ後ろを追うだけにはしない。

 そう決意して。







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