2話 敵襲
家族で訳の分からない世界に飛ばされた。
息子のトーマスによれば、異世界だという。
オマケにネット通販が使えるという、おかしな能力も得た。
その能力で購入したドローンを使ってトーマスが辺りを索敵していたのだが、問題発生だ。
こちらに野犬か狼が向かっているという。
最悪だ!
「トーマス! ドローンを降ろして弓を取れ! お前たちは、テントの中に!」
「きゃぁぁ!」「いやぁぁ!」
私は、妻と娘をテントの中に入れた。
ペラペラのナイロン素材だが、丸見えよりはいいだろう。
敵がやって来ても、姿が見える私たちのほうへ向かってくるに違いない。
「ダディ! 来たよ!」
森の中から黒い毛皮の四脚がやってきた。
木々の影の中に光る目が沢山並んでいる。
「OMG! くそ! 本当に狼だ!」
しかも、私が知っているそれではない。
赤く光る目が4つもある、見たこともない狼だ。
私は置きっぱなしだったコンパウンドボウを取った。
「HAHAHA! ダディ、数が多いんだけど、弓で戦えると思う?」
「解らん!」
「こういうの、日本じゃ多勢に無勢って言うらしいよ」
「なるほどな!」
私は弓を引くと、中央の狼に狙いを定めた。
仲間を殺せば恐れて引くんじゃないか? ――という、思惑が私にはあった。
「トーマス! ファイヤー!」
「OK!」
2人一緒に弓を放つ。
「ギャワン!」
1匹の黒い毛皮が、身体をくの字にして飛び上がった。
幸い、素人の放った矢が上手く狼を貫いたのだが、敵は怯まない。
ジリジリとこちらに向かってくる。
「ファ○ク! トーマス、後ろに回って援護しろ」
「イエッサー!」
私は、出したままだったチェーンソーに脚をかけて、プルスターターを引っ張った。
「ファ○ク!」
さっきは一発でエンジンがかかったのに、今度はうんともすんともいわない。
「ダディ!」
「ギャワン!」
トーマスの放った矢が、一匹に突き刺さった。
「ファァァァァ○ク! なぜ、かからないんだ!」
狼が突っ込んできたので、そのままチェーンソーを振り回して追い払う。
多少のダメージにはなるだろうが、エンジンがかからないチェーンソーなぞ、なんの役にも立たない。
「「きゃぁぁ!」」
メアリーとソフィアの悲鳴に、テントが囲まれているのに気がついた。
「うぉぉぉ!」
チェーンソーを振り回して、テントの周りにいる黒い毛皮を追い払う。
「ダディ!」
「ギャワン!」
矢が狼を貫く。
トーマスはよくやってくれている。
彼がこんなに頼りになるとは予想外だ。
私は渾身の力でチェーンソーのスターターを引っ張った。
「やった!」
白い煙と轟音とともに、狂える凶器が目を覚ます。
「イェス!」
彼がガッツポーズをする。
「オラァァァァ!」
私はチェーンソーをフルスロットルにして、回転する刃を飛んできた獣に当てた。
「ギャワ!」
真っ赤な血しぶきとともに、敵の首が裂けて転がる。
私も返り血を浴びて真っ赤になった。
「シット! チェーンソーで生きものを仕留めると、こうなるのか!」
コミックスやゲームなどでこういうシーンがあるが、血しぶきなどすぐに消えてしまう。
リアルだとそうもいかないわけか。
「グルル!」
飛びかかってきた狼たちに、フルスロットルで刃を当てる。
これだけでいい。
荒ぶる回転する刃が、勝手に敵を引き裂いてくれる。
「うぉぉぉ!」
私は白い煙をモウモウと吐き出す機械を構えながら、敵の中に突っ込んだ。
「ガウゥ!」
「ファ○ク!」
四脚を踏ん張って牙を剥き出す狼の頭にチェーンソーを振り下ろす。
「ギャン!」
短い叫び声を上げて獣の頭に刃が食い込み、真っ赤なものを噴き出した。
「オラァ!」
「キャイン!」
飛んできた敵に向けて水平に振り回すと、毛むくじゃらの胴体から内臓が飛び出す。
「ギャン!」
狼がその場に崩れ落ちる。
援護のためにトーマスが放った矢が、狼の目に突き刺さったのだ。
「「「ウウウウ……」」」
敵の群れは、まだ私たちを囲んでいるが、沢山の仲間が瞬殺されたので警戒をしているようだ。
「オラァ! かかってこいよ!」
エンジンが甲高い咆哮を上げると、敵のボスらしき狼がくるりと向きを変える。
それに呼応するように、残った狼たちも森の中に消えていく。
私は、それが森の暗闇の中に完全に溶けるまで、目を離さなかった。
私たち家族を襲った危機は去ったらしい。
「ふう……」
大きく深呼吸をして、私はその場に座り込んだ。
気がつけば動物の臓物まみれ――生臭いにおいで思わず吐きそうになる。
それに、なにか病気になったら大変だ。
こんな場所では医者もいないだろう。
「トーマス、メアリーたちを見てやってくれ」
「サー! イエッサー!」
シャングリ・ラからバケツと、ペットボトルに入った水を買う。
洗浄に使う水にしてはかなり割高だが、ここにはそれしかない。
豪快にペットボトルを切り裂いて、バケツに水を溜めると、ジャブジャブと身体を洗い始めた。
服や下着も取り替える必要がある。
私が上半身裸になって身体を洗っていると、ソフィアの叫び声が聞こえてくる。
「もう、いやぁぁぁぁ!」
トーマスがなだめようとしているが、取り乱しているようだ。
慌てて、彼女の所に駆け寄った。
「落ち着けソフィア!」
「もう、いやよぉぉぉ!」
見れば、妻はテントの中でぐったりしている。
娘の態度に私は手を上げそうになったが、彼女を殴ってもなにも解決しない。
私は娘の両肩を掴んだ。
「泣けば解決するのか?! 叫べばここから脱出できるのか?!」
「ううう……」
「なにもしたくないというなら、ここに置き去りにするぞ!? 数日たたないで、あいつらに食われてジ・エンドだ! そうしたければしろ!」
「……」
彼女の肩から手を離した。
私はバケツの所に戻ると、身体を洗い、シャングリ・ラで購入した服と下着に着替え始める。
素っ裸だが、こんな所に人の目があるわけがない。
流石に死線を乗り越えると、そんなことは些細なことになってしまった。
着替えを終わると、メアリーとソフィアがやって来た。
「ジョセフ、ごめんなさい。私たちにも、できることを教えて……」
「……」
妻の後ろにソフィアもいるが、納得しているように見える。
私は、2人を一緒に抱きしめた。
「酷いことを言ってしまってすまん。一緒に家に帰ろう」
「パパ……」「あなた……」
3人で、固く抱きしめ合う。
――さて、家族の結束はなった。
女性陣にも武器を渡して頑張ってもらう。
本当は銃があれば簡単なのだが、日本のシャングリ・ラには銃火器は売っていない。
幸い、2人とも小型のコンパウンドボウなら引けるようだ。
なにもせずに、泣き叫んでいられるよりはいい。
「トーマス」
「サー! イエッサー!」
「これからどうすればいい? ここでキャンプをしようとしていたが、そんなことをしている場合じゃなくなったぞ」
俺は、地面に転がっている気味が悪い狼の死体を指した。
「ダディ、その死骸は取っておいたほうがいいよ」
「こんなものをか?」
「狼の死体は肉や毛皮として売れるんだよ」
「なるほど、そういうものか」
彼の話では、こういう世界は科学技術が発達していないのが普通らしい。
それならば、肉や毛皮に需要があるのもうなずける。
トーマスの助言にしたがい、私は狼の死体をアイテムBOXの中に収納した。
「銃で撃ったのならともかく、チェーンソーで切り刻んでしまって大丈夫だろうか?」
「それでも需要はあるはずさ」
「わかった」
さて、狼はいいとして、我々の次の一手だ。
ここにとどまっていては、野生動物に襲撃されることが判明した。
現時点から素早く移動しなくてはならない。
「ダディ! 僕が知っている話では、シャングリ・ラで車を買っていたよ」
「車?! た、確かにシャングリ・ラで中古車も売っているが……」
サイトをぐぐると中古車が並んでいるのだが、全部日本車だ。
「SUV車なら森の中でも走れるでしょ?」
「た、確かにそれはそうだが……」
テントでは狼から逃げることはできないが、車の中なら安全だし、逃げられる。
「し、しかし値段が高いぞ? 400ナントカ¥って書いてあるが、いったいいくらだ?」
「パパ、約3万ドルよ」
ソフィアが、スマホでレートを計算してくれた。
「OMG! 3万?! それだけの金がタダで使えるって、なにかおかしくないか?!」
「ダディ! まずはここから脱出することを優先しないと」
「う! ……た、確かにそうだが……」
トーマスの言葉にも一理あるのだが、そんな大金が対価もなしに使える?
そんな上手い話があると思うのか?
これは悪魔との契約だ。
トーマスが私の所にやって来て、ひそひそ話をしてくる。
「マミーとソフィアを連れて歩くとか無理だよ。こんな森の中、自転車だって無理だね」
「それはそうだが……」
皆で力を合わせると誓ったので、家族の意見を聞く。
シャングリ・ラのシステムと、使った結果はどうなるか不明だが、とりあえずここから脱出するということで意見がまとまった。
一抹の不安はあるものの、私はシャングリ・ラでSUV車を購入。
約3万ドルの買い物だ。
「ダディ、ボタンを押すときには、日本語で『ポチッとな』って言うんだぜ、HAHAHAHAHA」
「なるほど――ポチッとな」
空中から白いSUV車が落ちてきた。
日本のSUV車と言えば、世界中で使われている人気の車だ。
頼もしいその性能で私たち家族を助けてくれるに違いない。
私は期待を胸にドアを開けたのだが――ハンドルは右側だった。
「そうか、日本仕様だしな」
右側に回り込むと、ドアを開けて座席に乗り込む。
ハンドルが右側だけで、普通の車と変わりない。
「ダディ、どう?」
「問題ないな」
キーもダッシュボードに置いてあった。
私はブレーキを踏み込むと、スタートボタンを押す。
一発でエンジンがかかる。
「イェェ!」
はしゃいだトーマスが助手席に乗り込んできたのだが、気になることがある。
ガソリンがあまり入っていない。
買ったばかりの車ってのは、確かにこんな感じだ。
すぐにガススタによってくれと言われる。
まぁ、森の中であまりスピードは出せないだろうが、時速30kmで1時間なら30km。
2時間なら60km、3時間なら90kmだ。
それだけ走れば、森から抜けだせるだろう。
「トーマス、助手席を温めるのはまだだ。テントなどを撤収するのを手伝ってくれ」
「OK、ボス!」
まさか、いくら無料で購入できるからといって、使い捨てにするわけにはいかない。
テントのペグを外して、アイテムBOXに収納した。
洗ったチェーンソーや武器は、車の後部に積み込む。
「よし、これでいいだろう」
「お前たちも後ろに乗ってくれ」
「うん」「解ったわ、ジョセフ」
皆で車に乗り込むと、森の中を進み始めた。
森の中は薄暗く、所々に斜めに光が差し込み、明るい筋の列を作っている。
地面には多少の凹凸があるが、4WDのSUV車なら問題ない。
森の中には様々な動物が見えるのだが、こちらに害を及ぼす存在ではないようだ。
しばらく進むとドローンを森の上に飛ばして、人家や道路などを探す。
今のところ、それらしきものは見当たらない。
それにしても深い森だ。
どれだけ続いているのだろう。
すぐに森を抜け出せるだろうという私たちの判断は過ちだと判明。
辺りが暗くなり、キャンプが必要になった。
最初はテントを使おうとしていたが、狼のような動物がいる場所では命がいくつあっても足りない。
夜になっても車の中で食事をして、車の中で寝る。
これなら狼ぐらい来ても平気だ。
窮屈だが仕方ない。命を危険に晒すよりましだ。
敵がきたら、そのまま車で走って逃げてもいいしな。
丸一日走り続けて、我々は大きな問題に直面した。
「ガス欠だ」
「「「ええ~っ?!」」」
まさか、こんなに森が広いとは思わなかった。
車が越えられない段差があったりして、遠回りしたりしたのも想定外だ。
この車はガソリン車なのだが、シャングリ・ラにガソリンは売っていない。
いや、チェーンソーや草刈り機に使用する混合ガソリンなら売っている。
要は不純物が入っている燃料なので、少しの間なら使えるだろうが……。
敵に襲われたときにエンジンが壊れた――なんてことになったら、そこで詰む。
キャンプ用のホワイトガソリンもあるが、これも車のエンジンには使えない。
「シャングリ・ラにはガソリンが売ってないんだよ」
「それじゃ、もう一台車を買うしかないじゃない」
ソフィアの言うとおりだ。
これだけ広い森を徒歩で抜け出すなんて不可能。
それは理解しているつもりだが、さらに3万ドルの出費……いいのか?
徐々に不安が高まってくるが、この森から抜け出せなければ、先も見えない。
私は車を降りると、シャングリ・ラからもう一台SUV車を購入した。
ガソリン車で失敗したので、今度はディーゼル車だ。
幾分燃費もいいだろうと思われる。
「皆、こっちの車に移ってくれ」
「OK、ダディ!」
荷物も移しかえて、ガス欠になった車をアイテムBOXに収納した。
こんな大きな車も消せるなんて、すごい技術だ。
まるでSF映画みたいなのだが、目の前に起こっていることはすべて現実。
広大な森も、見たこともない動植物も、私たちを襲ってくる敵も、すべて現実。
これが虚構だったら、どれだけよかったことか。
降りたついでに、またドローンで方向を確かめる。
女性陣は生理現象と格闘中だ。
トーマスに聞くと、日本語ではお花摘みと言うらしい。
なるほど、しゃがむからな。
ドローンの操縦は、トーマスにまかせている。
彼はゲームが上手いので、こういうのも得意のようだ。
遥かかなたに山が見えるので、山から遠ざかる方向へ向かっている。
途中に川などがあれば、それを伝って人里にたどり着くことができるのではないだろうか?
「ダディ! こちらに、なにか大きなものが向かってきているよ!」
「またか?!」
「すぐ近くまで来ている!」
「トーマス、ドローンを下ろせ! みんな車に乗り込め! メアリー! ソフィア!」
「な、なに?!」「どうしたの?!」
2人がズボンを押さえて、バタバタと走って戻ってきた。
「敵襲だ!」
「またぁ?!」
妻が嫌そうな顔をしているが、敵がこちらの都合を考えてくれるはずがない。
「トーマス!」
「今、回収した! ダディ! 向こうになにか見える! ゾンビ?!」
彼が指す方向――木々の木漏れ日の中に人型のシルエットが浮かび上がった。
肌は緑色で耳が長く、口が大きく裂けており、赤い目が爛々と光っている。
トーマスの言うようにゾンビにも見えなくもないが、機敏で統率の取れた動きだ。
人型といっても、なにか奇声を発しており、一見して話し合いが通じる相手ではない。
明らかにこちらを敵視しているし――その証拠に彼らが持っている武器らしきものから、なにかが発射された。
「きゃぁ! なにか撃ってきた!」
「多分、矢だよ!」
「相手にする必要はない! 車のスピードにはついて来れまい!」
私はブレーキを踏んでエンジンをかけようとした――が、始動しない。
「ダディ!」
始動ボタンは押している。
セルは回っているのに、エンジンがかからない。
何度もトライする。
「ジョセフ!」「パパ! 来てるよ!」
「解っているが、エンジンがかからないんだ!」
運転席の窓の横に敵の矢が落ちた。
天井にも当たっている音がする。
「ええい! なぜかからないんだ! このポンコツめ!」
「ダディ! すぐ近くまできてる!」
「カモンベイビー! いい子だからな!」
私は言い聞かせるように、もう一度ボタンを押した。
セルが回り、エンジンが始動する。
ルームミラーにはすぐ近くまでやって来ている異形が映っている。
どうやら、回り込んできているらしく、前方にも敵が現れた。
「パパ!」
「GO! ロケンロー!」
相手が人型なので一瞬迷ったがのだが、どう見ても人間ではない。
そのまま前方にいる敵を跳ね飛ばした。
ハンドルに鈍い振動が伝わり、外板が歪む。
「「「ギャアギャア!」」」
仲間をやられた化け物たちが奇声を上げているが、私たちは一目散にその場をあとにした。
――そのまま走り続けて、次の日の昼前。
一旦停止、食事をしながら、トーマスがドローンを飛ばしている。
妻や娘も食事の準備などを手伝ってくれるようになった。
「イェイ! ダディ! 城壁に囲まれた所が見えるよ」
「本当か?!」
私はパンを齧りながら、トーマスの所に向かった。
彼が持つコントローラーの画面には、確かに城壁が映っている。
煙が沢山上がっているので、人が暮らしているのに間違いない。
「はぁ……やっと、人のいる所に行ける……」
「マミー、テクノロジーらしきものは見えないから、産業革命前って感じだよ?」
「それでも、こんな化け物だらけの森よりはマシよ」
「HAHAHA、それはそうだ」
女性陣がぐったりとしているが、相変わらずトーマスは元気だ。
この状況を楽しんでさえいる。
彼がこんなタフだとは思わなかった。
「食事が終わったら、城壁の所まで行ってみよう」
「わかったわ、ジョセフ」
「君たちにも苦労をかけたが、なんとかなりそうだ」
「私たちも、足手まといになってごめんなさい……」
珍しく妻がしょんぼりしている。
いつもは強気な彼女だが、こんな極限の状況に放り込まれたら、そりゃ弱気になるだろう。
「ソフィア、街に行ってもスマホは使えないぞ?」
トーマスが、ソフィアをからかっている。
「そんなこと解っているわよ!」
ネットジャンキーの彼女も、それは理解しているだろう。
ドローンにセットされている彼女のスマホは、一度たりともアンテナが立ったことがないのだから。
「トーマス、方向を確認しておいてくれ」
「サー! イエッサー!」
この世界にも磁場が存在しているらしく、コンパスが使える。
それが、正しく方角を表しているとは限らないが、目標をマークするためには利用できるだろう。
車のダッシュボードにもコンパスがついているので、方向さえわかれば、それに向かって進むことができる。
――食事が終わったあと、私たちは城壁に向かって進み始めた。
途中で降りることができない段差に阻まれて、回り道をすることになる。
またか――と一瞬思うが、苛ついても仕方ない。
急がば回れだ。
ハンドルを右に切り、段差に沿って進むこと15分――森が切れて道が現れた。
段差部分に橋が架かっている。
「やった! 道だ」
「イェ~!」
私たちはやっとの思いで、文明と邂逅した。