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永遠の日曜日

作者: 雪咲

 静寂だけが僕を包んでいた。

 普段聞こえてくるはずの鳥の鳴き声や母親の調理の音、風が窓を叩く音。目を覚ました時それらが耳に入ってくることはなく、違和感があったことを覚えている。

 部屋の風景はいつも通りで、窓の桟に置いている観葉植物のサンセベリアが太陽光を反射していた。

 半開きになっていたドアを開けようとするがびくともしなかったため、その隙間を通り抜けた。立て付けが悪くなっているのだろうか。だが半開きで動かなくなることはあまりないと思うのだが。

 部屋を出て、階段を降りながら母親を呼んでみるが、返事はない。台所に入ると、料理を作っている最中に固められたような母がいた。その頭や腕を触ってみるが、冷たく硬い。動く気配もなければこちらから動かすこともできないようだ。

 信じがたいことだが、時間が止まっている? そして動くことのできる僕からは、物を動かすことはできないのか?

 玄関では父親がドアを開けた瞬間だったので、父の腕の下を潜って何とか外に出ることができた。物を動かすことができないのであれば僕はドアも開けられないため、危うく家に閉じ込められるところだったわけである。出る際にドアを触ってみるが、やはり動かない。

 外に出てみると、空中で鳥が静止していたり、野良猫が毛を逆立てたまま止まっていたりと、まるで映画フィルムの一コマを切り取ったような世界が僕を待っていた。

 ふと空中に浮かんでいたモチノキの葉を掴んでみると、音もなくそれは潰れた。

 ────潰れた?

 さっき、僕はドアや親の体を動かすことはできなかった。だが木の葉を潰すことはできた。つまり、その形状を変えることができたということである。そういえば意識してなかったので覚えてないが、起きた時に布団だって動かさないと立ち上がれないはずである。

どうやらこの止まった世界には一定のルールが存在するようである。僕はそれを時間が動き始めるまでの暇潰しとして調べてみることにした。

 まず庭の木の枝に手を伸ばし、それを握って力を加えてみるが、びくともしない。次に枝に付いた葉をちぎろうとしてみるが、こちらも同じだ。だが地面に落ちた枝を拾って両手で力を加えると、いとも簡単に折れた。

 何か大きなものにつながったものは形状を変化させたり移動させたりすることができないということか?

 だとしたら、大きなものと小さなものの線引きはどうなっているのか。重さ、面積、体積など、候補として挙げられるものはいくつかあった。調べやすい重さから検証してみることにする。

 僕は近所のホームセンターを目指した。徒歩で行ける場所には、二軒のホームセンターがある。

 閑静な町中を歩き始めると、時が止まったことをより強く意識させられた。

 地面に足がつく寸前の絶妙なバランスで立っている老人、自転車を漕いでいる途中で静止している女子高生、翼を広げて空中に縫い留められたようなカラス。

 ふと魔が差して、女子高生のスカートに触れてみた。だが風ではためいたまま止まっているスカートは固く、めくれない。服は人体に触れているから形状の変化は不可能ということだろうか。

 この状況は僕が意図的に起こしたものではなく、いつ時間が動き出すのかは僕にはわからない。今この瞬間に時間が動き出せば、女子高生のスカートを掴む僕は犯罪者になってしまう。

 僕は手を離すとホームセンターへと向かった。


 一ヶ所目のホームセンターは閉まっていたが、二ヶ所目は運良く人が出ようとしている途中で扉が開いていた。しかし人一人分のスペースしかないため、僕は靴を脱ぎ、内心で謝罪しながら開きかけの扉の間に立つ人によじ登り、中へと侵入した。

 まずは重さだ。正確な重さがわかるのはダンベルか。そう考えて、僕は棚にある十キログラムのダンベルに手を伸ばす。するとダンベルは十キログラム相当の重さを僕に感じさせて持ち上がった。

 次に、二十キログラムのダンベルを持ち上げようとしたが、こちらはぴくりともしなかった。つまり、十キログラムから二十キログラムの間が動かせるか否かの境界線だ。

 ダンベル以外で正確な重さを知ることができるものを思いつかない僕は、面倒臭くなり考えることを放棄して検証を諦めた。

 先ほどと同じように自動ドアの隙間に立つ人によじ登って外へ出ると、靴を履いて歩き始める。

 今度は漫画でも読みに行こうと考えたのだ。本屋はここから数百メートルで着く。

 ついに僕はこの静寂が逆に落ち着かなく感じて、音楽を鳴らそうとスマートフォンを操作した。そして望みの曲の再生ボタンを押したが、音楽は鳴らなかった。

 空気の振動すらも停止しているということだろうか。

 試しに僕は声を出してみた。だが声は出ない。

 いや、空気は口から出ている。それに音が伴っていないというのが正しい表現かもしれない。声帯はしっかりと震えているが、自らの耳に入ってくるはずの音は僕の口元で止まっている。そんな感覚だ。骨から伝わる音だけは感じ取れる。

 大気も、僕の内側や接触している一部分だけしか動かすことができないということかもしれない。

 試しに口の前に手を置いて息を吐いてみると、口のすぐ近くだと吐息がかかるが五センチほど離すと吐息は届かなくなった。

 音楽を聴くことも歌うこともできない。誰かと話すこともできない。僕の趣味は読書、映画鑑賞、音楽鑑賞、歌うこと、植物を育てることなのだが、このままこの世界が続くのなら読書のみに限られてしまう。しかし、読書だって永遠に続けろと言われたら苦しいものがある。

 何もない空間では人間の精神は七十二時間しか持たない、という話を漫画で読んだことがあるが、この止まった世界はある意味で何でもあるが何もない空間と同義だ。

 僕の精神は、一体どれだけ保つことができるのだろうか。



 この世界が停止してから、どれほどの時間が経ったのかわからない。もう数年経っているかもしれない。

 空腹を感じるとコンビニに侵入してパンやおにぎりを食べ、本屋の書籍を読みふけるという生活に抵抗を感じなくなっていた僕は、ただそれだけを繰り返してきた。空腹はあるものの、僕の体が成長することはない。髭や髪は伸びない。この世界で何百年の時間が経過したとしても、きっと僕の外見は変わらないのだろう。

 いつからか、この音の無い世界では耳鳴りだけが僕の感じる音だった。

 いつになったらこの世界は動き出すのだろう。

 もしかすると僕だけが動けるのではなく、僕だけが切り取られたフィルムに取り残されているのではないか。僕以外は連続した元の世界を生きているのではないか。そんなことも考えた。

 待てど暮らせど世界は静寂を決め込んでいる。

 ついに自殺してこの無限の苦しみから抜け出そうと考えた僕は、スーパーで包丁を盗み自分の胸に振り下ろしたことがあった。だが僕の体は無傷で、包丁が刺さることもなかった。この世界では自分の体さえも大幅な形状変化を許されないのだろう。

 動く人はどこにもいない。音も聞こえない。動かせるものには限りがある。自らの命を絶つこともできない。楽しいことなんてない。生きる意味なんてない。

 生きる意味なんてない。

 これから永遠に生き続けるしかないのだという事実が、呪縛のように僕の心を締め付ける。

 心を穏やかにしてくれる音楽を聴くことも、木漏れ日の美しく揺れる様を見ることも、新刊の発売日を心待ちにすることも、友達と談笑することも、草木を愛でることも、映画を観に行くことも、星空を見上げて流星に何かを願うことも、もうできないのだ。




 最近は連続した時間を持つ世界のことを考えている。この世界が「切り取られたフィルム」であることが前提の思考ではあるのだが。

 その場合、動いている世界からしてみれば、ほんの一瞬が僕の存在とともに消え失せてしまったのだろう。僕の存在など世界から見れば瑣末なもので、また消えてしまった一瞬も瑣末なものでしかない。僕が突然消えて驚く者も少なからずいるのだろうが、大多数の人間からはすぐに忘れられる。そして僕だけがいない世界は止まることなく続いていくのだ。

 時間が進むということがどれだけ価値のあるものだろう。すべての人間が当たり前のように生きている「時間」の本当の価値を知る者は僕だけか。いや、別のフィルムが切り取られている可能性だってあるのだから、例えば僕の一瞬前のフィルムとともに切り取られた誰かが、僕と同じように永遠を彷徨っている可能性もゼロではない。しかし同じ瞬間ではないので、僕とその人が会うことは永遠にない。

 そうした思考をノートに記録していく。もしもこの世界がもとの一連のフィルムの中に貼り直されたとき、これらの膨大な記憶と記録が瞬時に出現したことになるのだろうか。そのとき僕はどうなっているのだろう。悠久の時を経てようやくたどり着いた一秒後、僕は僕でいられるのだろうか。




 ついに僕は脳内に複数の自分を住まわせ始めた。彼らを「私」「俺」などと一人称で呼び、僕は僕達と僕をシェアハウスすることにしたのだ。

 容姿も考え方も全て同じなので、僕は僕と私と俺とその他の僕達を正しく区別することはできない。僕達はその場のノリで僕達を使い分けていた気がする。そしていつしか僕は僕の一人称が僕だったのかさえ正しいのかわからなくなってしまった。私は俺を僕と呼んでいたのかもしれないし儂は私を自分と呼んでいたのかもしれない。

 だが全て自分であることには変わりがないので、僕は唯一の僕であったと同時に無数の私(俺)(儂)(わい)etc.…だった。きっとこれも飽き性な僕が何か飽きない方法を模索した結果なのだろう。

 いつしか僕達の記憶も分裂を始め、これは僕の記憶、これは俺の記憶、と意識し始めて、僕達は区別が付くようになった。ときどき記憶を取り合うこともあった。

 僕は気が狂い始めたのかもしれない。

 僕達と体の主導権を取り合い始めればもう末期だった。時間制にしても正確に時間を図る術はなく、また僕から別の僕が、私から別の私が、俺から別の俺が生まれ始めて、僕達の体の主導権は誰にも与えられなくなり、僕達は体を動かさないことで中立を保つことにした。

 僕達はそこにいる。

 僕達はずっとそこにいる。

 僕は未来永劫そこにいる。

 しばらくして食欲が湧いたが、無視していたら無くなった。僕は死ぬことなどないため、食べる必要だってない。この体を保つためのエネルギーはどこから来ているのだろう。それを知る術はない。

 僕達が動かなくなってどれだけ経っただろうか。

 動かなくなった僕達は次第にその意識と記憶が薄れ始めて、それからまたどれくらいが経ったのかわからないがすべての意識は一人の僕に収束した。

 だが体の動かし方を忘れてしまった僕はもう動くことはない。僕はフィルムの背景となり、肉体は世界と同じ時を過ごしている。

 思考をすることも面倒になってやめた。面倒であることを感じることもやめたい。目をつぶって無心になった。意識を奥へ奥へと追いやる。僕は今生きているのだろうか。死を感じることがないので生も実感できない。生と死は一方がなければもう一方も存在を無くすことを知った。少し考えれば誰でもわかることだが。死なないことが生きているというのなら僕は生きているし、生きていないことが死んでいるということなら僕はおそらく死んでいる。

 気付けば再び思考していた。

 人間は考える葦だと言ったのは誰だったか。とにかく僕は人であることをまだやめていなかった。やめられなかった。チラシの裏にでも書くべき瑣末な思考を続けている。

 視界に意識を向けると、ずっと昔から変わらない真っ青な空が、仰向けになって動かない僕を見下ろしていた。これからも、永久に僕はここで動くことなく思考を続けていくのだろう。

 そうして僕は、悠久の時の中では一瞬にも満たない程度の眠りについた。


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