前 そうだ、王都へ行こう
王都に近いピタゴリアの村。そこで牧場を営むコルホーズで働くメロスは休みをとって王都へ行くことにした。
メロスの妹、マロンがこの秋いちご農家のストローブのところに嫁入りすることが決まっており、その婚礼衣装を買い求めるためである。
メロスは留守の間の牧舎と羊の管理をグルコーディスに任せることにした。グルコーディスはメロスの隣の牧舎で羊を飼っている。それほど親しい関係ではないが、手間を考えたら適任だと考えた。
メロスは、「礼は王都のみやげでいいだろう」と強引に決めてしまう。
グルコーディスにも自分の仕事がある。この春増やした牧羊犬が仕事を覚えたので牧舎の整備に使う時間がようやくとれるようになったところだ。余裕があるとまでは言えない。ただ、数日だし婚礼の前祝いだと自分を納得させ引き受けることにした。
メロスはグルコースにも都合はあることは一切考慮していない。犬が増えて余裕ができて大丈夫だろうと考えているだけだ。むしろ、犬を増やせない自分と比べて羨ましいとすら考えている。
メロスはなけなしの金とナイフを一本入れた背負い袋を持って村を出た。父親なら村の農産物、季節の野菜などを仕入れて王都で売ることを考えただろう。しかし、そういうことを教わる前にその父は他界した。
「背中を見て育て」とはこの村でもよく言われることなのでメロスは時折亡き父の背中を思い出すことがある。王都へ買い物に出かける出立の日に背負われた袋が膨らんでいたのはおぼえているが、「重そうだな」以上のことは考えもしなかった。
ナイフは道中で果物を見つけたときなどに使えればと思って持参した。
早朝に出立したメロスは順調に進み、その夕刻には王都に到達した。
「妹の婚礼衣装が欲しいのです」
メロスは瀟洒な店構えをした服飾工房の店主に希望を述べた。
「妹さんはご一緒ではないのですか」
「はい。村にいます」
「それでは妹さんのご趣味に合うものがわかりませんね」
「いえ、驚かせたいので、予算内で一番いいものをお願いします」
「一番いいもの、ですか」
「お願いします」
店主はメロスの顔を見て考え込んだ。
「ご婚礼はいつですか」
「この秋を予定しています」
「ピタゴリアでしたね」
「はい」
「ここは、婚礼などのドレスを仕立てるお店ですが、この先に出来合いの服を揃えているお店があります。そこでサイズを」
「あれが欲しいです」
メロスが指差したのは、店の奥に飾られた一着のドレスだった。
その壁には数着のドレスが並んでいる。そのどれかなのかは伝わったが、どの一点なのかは指さされてもすぐには判別できない。しかも、それはサンプルなのだ。ここは仕立て服の店、しかも婚礼衣装となるとサイズ合わせを含め、フルオーダーが基本だ。サンプルをもとに袖や裾の長さ、膨らませるかすぼませるかなど細部にわたってお店のセンスと客の希望をすり合わせることで仕上げている。サンプルそのものを欲しいと言われるのは店のセンスを褒められるようで嬉しい反面、売り物ではないので困るのだ。
「この、真ん中のドレスのことでしょうか」
「その左です」
店主はそのドレスを下ろした。
「素敵ですね」
「ありがとうございます」
サンプルとしてディスプレイするほどの自信作ではある。店主も褒められて嬉しいのは間違いない。
店主は少し考えて、先程さえぎられた言葉を言い直す。
「妹さんのサイズをいただきたいので、一度ご一緒にご来店いただければこれとおなじデザインでお作りいたします」
「これでいいのだ」
「しかし」
「あてて見せて欲しい」
「わたくし、ですか」
「身長も体型も妹によく似ている。あなたに似合うなら、妹にも似合うだろう」
「そんなことは」
店主は、年齢も違う自分に似合ってもこの男の妹に似合うとは限らないと考える。しかし、ここまで妹を来店させることを拒むのはなにか理由があるのではないかと考えるようになった。例えば病弱であり、たった一日の距離を歩き通すことができない、しかし、いい衣装を着せたい、などの事情だ。
実際にはそんなことはない。むしろ普通の娘であり、王都に来て様々なお店を巡ることは収穫期後、年に一度の楽しみとしている。この時期ではないというだけで、昨年はこの店も覗きに来ている。
そんなこととは露知らず、店長はメロスのことを病弱な妹を出来る限りの祝福で送り出したい兄だと思い込み、希望に沿うことにした。
サイズが合わなかった場合に直しを入れるためのしつけ糸の入れ方、指示書の書き方を手紙にしたため、できることなら早めにお持ちくださいと添える。
「大丈夫だ」メロスは手紙の内容を聞き、その必要はないだろう、と答える。
店長はなにが大丈夫なのか考えながらドレスをたたみ、丸め、厚紙の袋に入れ、メロスに渡した。
「ありがとう。妹も喜びます」
メロスは手提げの紐を巻いた紙袋をちょっと見たあとそのままでは雑嚢に入り切らないと見て折り曲げた。
店長はその様子を見て悲鳴を上げたくなるほど驚いたが、我慢した。
「お手入れの方法を書いたお手紙を入れてありますので妹さまにお読みくださるようお伝えください」
本当なら一切たたまずハンガーにかけたまま運びたい品ではあるが、一日歩くとなるとそうもいかないだろうからと折り皺がつかないように畳んだ上にまるめた手間が無駄になってしまった。
メロスが店を出たあと、店員に、「今日は早仕舞いにしましょう」と指示した店主は、「サイズのお直しが来ればお手入れできる」「お直し早くこい」「できれば本人持参で」と天に向かって祈った。
メロスは王都に来た目的を果たし、ご機嫌で街を歩いた。あとはセリヌンティウスと旧交を温めるだけだ。彼の工房へ向かうため、大通りを西に進む。
王は窓から街の様子を見ていた。
「今日は穏やかな日だな」
「王の治世のおかげです」
侍従長が答える。
「世辞はいらぬ。宰相のソングエルやその配下の働きが良いのだ」
「民が穏やかに暮らせるようにとの王のご配慮、ご命令が正しかったということでございます」
「それなんだがな」
「なにか、ご心配事がおありでしょうか」
「心配というほどのことではない」
「と、おっしゃいますと」
「初代、ユングジャム王は、冒険王と呼ばれた。二代目は開拓王、三代目、お祖父様はこの国を大きく発展させ、宝祝王だ。父は若くして天に身罷ったが、安寧王と呼ばれている。その、代々の王の指針が正しかったということだろう。では、私はなにを目指せばいい?」
「さて、戴冠から二年、さようなことをお気になさるのはまだお早いかと」
「早すぎるんだろうけれど、気にはなる。まあ、目標は必要かと思ってな」
できることなら、中興の祖と呼ばれてみたい。そうでなくては歴史に埋もれてしまうではないか、それではつまらんと考えている。
「ヘブンズゲートがあるではないですか」
「あれか。うまくいくといいのだが」
「新しい試みとして市民、皆歓迎しておりますよ」
「そう言えば、ジグテックはどうしている?最近顔を見ていないが、元気にしているのか?」
「次回作に取り組んでいるようでございます」
「そうか、それは楽しみだな」
「さようですね。彼が書いた騎士物語は痛快でした」
「あの才能は他国にもないだろうな」
「他国の方々に自慢したいところです」
「その前に国民だな。王都民以外にはまだそんなに知られていないだろう」
メロスは繁華街を通り抜け、職人の工房が並ぶ一画にさしかかった。
工房ではあるが、店でもある。前に来たときはこちらも商店街と同じように夜は照らされていたと思うがと、あたりを見回すと、閉めている店が多いようだ。どうしたことだろう?と首を傾げてみても答えは出ない。
更に進むと左右の店の灯りがすべて消された通りがある。二階の窓から漏れる灯りも数軒おきとなっている。ここは武具や農具など金属製品の工房と店で賑やかだった筈だ。メロスはグルコーディスのために犬笛を買っていこうと考えていたが、店が閉まっているのでは今日は買えないと諦めることにした。
ふと見ると、暗い中に人影が見える。どうやら閉めた店の前に椅子を出し、座っているようだ。
メロスはその方へ歩を進め、眼をこらした。
夕涼みと言うことだろうか、ラタンを貼った長椅子に掛けた老人が見えてきた。
「お客人かな」
足を止めたメロスに老人が尋ねる。
「買い物で来たのは確かですが、閉まっていてはこちらの店かどうかはわかりません」
「ふむ」と老人は杯をあおる。「それもそうか」
「で、何を探していなさる?」
「犬笛、それと羊の毛を刈るハサミを買えればとピタゴリアから来ました」
「悪いが、どちらもうちの店では扱ってないな。そうか、羊飼いか」
「はい。王都は久しぶりです。以前来たときはこのあたりももっと遅い時間まで灯りがついていたと思うのですが」
「灯りか」老人はあたりを見回した。「先代、安寧王のころは確かにこの街ももっと遅くまで賑やかだったな」
「王が代替わりしてこうなったということですか」
「そういうことになるかな」
メロスは老人の顔をまじまじと眺めた。暗くてよくわからぬが、少々怯えたような色が見える。
「ちょっと待ってくれるか」
老人はそう言って店に戻った。
「笛とハサミはやはりなかった」
そう言った老人の手には盃があった。
「飲むかい?」
差し出された盃を受け取り、メロスは地べたに座った。
「お話を聞かせていただけませんか?」
「灯りが早く消える理由だったかな」
「はい」
「天門の話は聞いているかな?」
「天文ですか?」
「聞いてないか、天国の門という言い方ではどうだろう?」
メロスは三年前、先代の安寧王がくぐったという話は聞いた覚えがある。
「それなら聞いたことがあります」
「うん、王家に関する話だ」
「はい」
老人は話し始めた。
王家には王継を決める定めはなかった。
その都度、現職の王が指名したり王子たちとその側近での話し合いをしたりで争いもなく継承されてきた。
問題が起きた。
王が王継を決める前に天国の門をくぐったのだ。
王に子は二人、だがまだ未成年、と言うより長男がまだ12歳という子供である。
若年であるから摂政をつけるかそれならばいっそ別の者を立てるかのすったもんだがあったが、結局王子に即位していただくことになった。
そこまではいい。
この新王が負った心の傷は深かった。
なにしろ多くの家臣が自分の即位に反対、もしくは賛成できないとしたのを見たわけだ。
人間不信にもなる。そして親族の誰もがその玉座を狙っているかのように思えてくる。
粛清が始まった。最初は母、叔父である公爵、他家に下った叔母、それぞれの家族、彼らを推した高官たち。何人もの血が流された。そして、妹姫が…
「お話、ありがとうございます。この先に住む友人宅へ参る刻限が迫って参りました」
メロスは立ち上がりそう言うと来た方向へ駆け出した。
「え?ちょっと待ちなさい」
老人はその背に声を掛けたが届かなかった。
「ここからがいいところなのに」
「何がですか?」
老人の後ろから声がかかった。店から孫娘がお盆を持って出てきていた。
「おお、つまみか、ありがたい」
「どなたとお話されていたんですか?」
「ピタゴリアから来たという若者だよ。はて、名前は聞いたかな?」
「その、お名前も知らない方とどんなお話を?」
「そりゃ、天門、ヘブンズドアの話だよ。今、王都に来たというのなら、あの舞台の話しかないだろ?」
「まさか、全部お話したわけじゃないですよね。お芝居を見る前にお話を聞いてしまったらワクワクが減りますよ」
「そうかな?なにも知らないで見るよりいいと思うのだが」
「話して楽しいのはお祖父様でしょう?」
「そうかもしれんが、一番ワクワクできる、騎士登場の前に『用事がある』って帰ってしまった。残念なことだ」
老人はメロスに対する警戒を孫娘には話さなかった。一度中座したときに持ち出した短剣をポケットの上からそっと撫でる。使うことがなくてよかった、と。
「今日もまた、皆さんお店を早仕舞してお芝居にいらしたのね」
そう言う孫娘に眼を細め、その眼からようやく警戒の色が消えた。
皆様ご存知「走れメロス」のパロディーです。
「走れメロス」はそもそも古代ギリシャの伝説とシルレルの詩に記された物語に着想を得て生まれた小説ですから、三次創作となります。
走れメロスの作者、太宰治は1948年に没しており、著作権保護期間が過ぎました。
街で王の所業を聞いたメロスは走り出しました。もちろん、王宮に向かってです。